ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【熱中症】リアル体験リポート 炎天下に限らないってことなんでした

<どこか他人事だとしか捉えていなかった熱中症ですが あっさりやられました>

それは2021年6月の曇天の日の出来事でありました。


東京は3日続けての真夏日。東京の天気予報は晴れでしたが、朝からどんよりとした曇天でした。
昼前になっても雲はとれませんでしたが、明るい曇天といった感じの天気になって、気温は29度を上回っていました。


なかなかに湿っぽい6月の東京ですが、雨が降っていなければ、たいていの日は「ランチ散歩」に出かけております。無帽、マスク着用です。


出かける前にどの店に行くかは決めていません。外へ出てから、なんとなあく、足の向くまま気の向くままです。
その日も道の東側にパトカー2台とと救急車1台が赤色灯を回して停まっていましたので、そっちを避けて南に進路をとりました。

 

 

 


神社脇の小さな梅園を抜けてゆっくり歩いて行きます。土の上には梅の実がたくさん転がっていて、見た目にもジットリしていて、歩き始めて5分ぐらいしか経っていないのにけっこう汗ばんできました。


ハトが数羽居ましたが、ハトは梅の実を食べないみたいですね。カラスとかも食べないんでしょうかね。


梅園を後にしてからは、閑静な住宅街をぬって歩いて、日差しはないもののジットリと暑い中を緑道に出ました。
マスクってヤ~ねって感じですが、歩きます。


遊歩道として整備されている散歩コース。人通りはさほどありませんでした。
そりゃそうですよね、コロナ禍の暑い昼時、緑道を散歩する人がたくさん居るわけもありませんね。
気付くと日射しも出てきました。サクサクと歩く気にはなりませんね、ちんたらチンタラ足を運びます。


風がほとんどなく、わずかにある木陰に入っても涼しさは感じられませんでした。マスクはますます、ヤ~ね、でした。


で、30分ぐらい歩いた辺りで、右腕に違和感を感じ始めたんですね。


前腕のひじに近い辺りが重く感じられたんですね。打撲、という感じです。不思議です。
出かける前には何も違和感は有りませんでしたし、どこかにぶつけたという記憶もありません。


軽く揉んでみたり、さすってみたりしながら歩く続けます。違和感は右腕の表面ではなく、中の方、奥の方にあります。


この時点では特に体調が悪いという感覚もなく、きょうの昼は魚のおいしい定食屋さんへ行こうかなと考えたりしておりました。
その定食屋さんは、そこの地点から15分ぐらいの距離です。


緑道から住宅街へ折れて、ゆるい上り坂に差し掛かった辺りで、右腕の違和感が大きくなってきて、ふと気付くと右手の指先に軽い痺れが感じられます。
例えば右腕を身体の下にしてヘンな格好で寝てしまって、起き上がった時に感じるような指先の痺れです。


手をぎゅっと握って、今度は思いっきりパーに広げてのグーパーを三回ほど繰り返してみました。
なんとか指は動かせますが、力の入り方が、なんとも心もとない感じで、けっこう痺れの程度が強いなあと感じましたが、その時には住宅街も抜けて大通りに出ていました。右腕の違和感は相変わらずです。


信号待ちで立ち止まった時、めまいがして、かなり意識しないとまっすぐ立っていることが難しい状態になってしまいました。完全に何かがおかしいです。普通じゃないです。

 

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しゃがみ込みたい気持ちがあったんですが、周りに人も居ますし、なんとか耐えて立っていたんですが、右手の痺れは、ひじから先全体に広がって感じられるようになっていて、グーパーしてみても、指は動くものの、握ったり開いたりしている感覚があやしくなっていました。

 

 

 


信号が青になって、横断歩道を渡り始めましたが、この時感じていたのは、一応歩けてはいるんだから軽度ではあるだろうけれど、これは「脳卒中」ってやつなんじゃないかってことです。


右手右腕に症状が出ているってことは、左の脳がやられたのか。もしかすると、この先、どこかで歩けなくなってしまうのかもしれない。


信号を渡り終えると、あと5分ほどで目的の定食屋さんです。40分ほど歩いてきたことになります。
この時点ではもうお昼を食べるどころの気分ではありませんでした。どこか日陰に入って休んだら、帰ろう。


そしてここが、このリポートの最大ポイントになるかと思いますが、明らかに体調の変化が尋常ではなくなった時点で、正常な思考能力を失っているという事実です。


後から考えてみて分かることなんですが、帰ろうという意識はあるものの、近くのバス停や、一番近い駅へ向かおうという考えは全くなく、歩いてきたんだから歩いて帰ろうというような意識でもなく、ただ帰ろうという気持ちがあるだけでした。
行動の効率であるとか、まるで頭の中にありません。考えるということが出来ていない。


例えば近くのコンビニにでも入って涼もうという考えも出てこないんですね。つまり、これも後から考えて分かることなんですが、自分の体温が、おそらくかなり高くなってしまっていることなど想像もしません。


熱中症だとか、なったことが無いからですね。これまでの人生、ちょっと体調が悪いなと思っても、がまんして何とか乗り切って来ているわけです。これって誰でも似たようなものじゃないでしょうか。


脳卒中ということが頭の中をかすめているくせに、真剣に受け止めることが出来ていないというか、どこか他人事な感じ。
決定的になるまで、本当には自分の身に何が起きてしまっているのか理解できない。というかそういうふうには理解したくない気持ちがあるのかもしれません。不都合な事実は認めたくない。


で、思考停止状態のまま、ゆっくり歩きながら左手をグーパーしてみました。なんと左手も指先に痺れがあって、右手ほどではありませんでしたが力が入り難くなっていました。


これは本格的にイカンなとは思ったのですが、立ち止まって、肩を回して、首を回してみました。首肩のあたりに重さを感じていたからなんですね。
まだそれぐらいの動きは出来ました。


と、右手のグーパーに感覚が戻って来たんですね。痺れはむしろ強くなっていましたが、ほんの少し、力感を感じ取れたんです。回復、なのか?


もう目の前だった定食屋さんに入りました。自分は大丈夫なはずだ、という根拠のない思い込み。
食べる食べないという感覚ではなく、座りたかったというのが正直な気持ちです。


でも、箸はうまく使えないだろうなと、頭のどこかで思っていたりしていました。
まだ混み始める前の時間帯でしたので、すぐに案内されて席に着くことが出来ました。座れました。


何度も通っている定食屋さんです。すぐに氷の入った水を持ってきてくれます。頭はぼんやりしていましたが、「サーモンといなだの刺身定食」をオーダーしました。食べられなかったら食べられなかった時のこと、とか、わけのわからない納得を自分自身にしていましたね。ホントに頭の中にモヤがかかった状態だったと思います。


座ったままマスクを外して深く深呼吸をしました。


喉の渇きを感じていたわけではなかったのですが、なんとなくコップを左手で持って、氷水を一口二口、飲みました。右手で持ってはひっくり返してしまう可能性を感じていたので左手でです。


そうしますとですね、ふっと頭の中のモヤが晴れた感覚がありました。それと同時に喉が渇いていたということに気付きました。シャツがじっとり汗で濡れていることにも気付きました。汗の量はハンパナイです。


しばらくじっとしていました。呆然としていた状態だったと思います。


右手をグーパーしてみました。なんと、ちゃんと動きます。力感も少し戻っています。


今度は右手でコップを持って、残りの氷水を飲み干しました。
コップをテーブルに置いたときには、右腕の痺れ全体がスッと軽くなりました。


この瞬間に、これって「熱中症」ってやつなんじゃないかと思い至りました。


「きょうも暑いですよね」


顔馴染のオネエサンがコップに水を注いでくれました。ありがたいです。
ゆっくり一口飲んで、人心地がつきました。まさに人心地。平常であるっていうことの有難さです。


【東京水】で熱中症に気を付けましょうね、とか言っておきながら、このテイタラク


脱水、という状態までには至っていなかったんだろうとは思いますが、コップ一杯の冷たい水で、かなり回復しました。
人体の不思議。こんなに速く水が体内に取り込まれるものなのかという驚きがありました。


全く空腹は感じていませんでしたが、完食しました。サーモンといなだの刺身、ひじきの小鉢、白豆の添え物、串揚げの付け合わせも、豚汁とけんちん汁の中間のような味噌汁も平らげました。塩っ気も摂った方がイイらしいですからね。


右手でグーパーしてみますと、さっきまでの痺れは感じられず、ウソみたいに力感も戻っていました。


で、まあ、ここからもアホなところなんですが、歩いて帰って来ました。


往きとは違うコースなんですが、やっぱり45分程度歩いて帰る途中、家に近づいてきた辺りで、また右腕の痺れが少し出てきました。ん~。

 

 

 


コンビニで補水液を買って部屋に帰りついて、飲んで、裸になって身体を拭いて、ちょっと寝ました。


今はキーボードを打てるほどに右手の感覚も戻ってきました。


熱中症には段階があって、「熱けいれん」「熱疲労」「熱射病」と進むらしいです。


今回の場合は「熱けいれん」と「熱疲労」の中間ぐらいの症状だったように思います。
体力には自信があって、たいていのことは体力で乗り切ってきたという思い込みがあるんですが、ダメですね。


コロナ禍で通常の生活から遠のいてしまっている人は少なくないと思います。
そうした、感じ取りにくいストレスなんかも原因の一つになることもあるそうです。


ま、みなさんは私のようなアホではないと思いますが、これから本格的に熱くなってきます、散歩するときは水を持って歩くか、自動販売機の多い通りを選ぶかして、こまめな水分補給が大事です。実感しています。


にしてもビックリしたのは水分の身体を巡る速さですね。数十秒って感じです。
そういえば、酒を呑んで赤くなる人も、あっと言う間に赤くなりますもんね。


コロナ禍の日本の夏に、体力勝負は危険でっせ、というお話でした。


でもですね、キープ・ウォーキング、でっす。気持ちはです。運動はした方が、しないよりイイ、と思うからだけなんですけれどね。


熱中症には気を付けましょう!

 

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【デマンドハザード_2】あんたたちの言うこと聞いてたらこっちが死んじゃうよ という行動決断

<緊急事態宣言ってホントに効果があったんでしょうか ポイントはホントに人流なんでしょうか>

6月に入ってから、火曜日から火曜日までの日本全体の感染状況をNHKがまとめた数字を見てみます。

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下げ止まり、とされている感染者数ですが、一応、減少傾向って言えるんじゃないのかなあって感じがします。でも、なかなか4桁を切らないのも事実なんですね。


入院している人の数は確実に減ってきていますね。


ただ、こういう数字をどう読み解けばいいのか、実際には難しいものがあるように思います。
重症者の数も減ってきているのがわかるんですが、たった8日分のデータに絞って見るにしても、その日その日の人数の動きは見えてこないです。


入院中療養中とされる人数に、新たな感染者のうち何人かが、入院療養が必要ということになって加わって、退院したり療養解除となった人数が減って、さらに死亡した人数も減るという計算になるかと思いますが、そこの流れは見えてきません。
発表されている死亡者数。そのすべてが重症者数から減らされる数に限らないのではないか、と見えます。


段階を踏んで、次第に重篤になっていくわけではないってことですよね。


特に変異株が出てきてからは「突然」ということになってしまうことも少なくないらしいですし、入院待機中に、というニュースも聞きます。
なにしろ死亡者数は、確実に減ってきているとは言えない数字になっていることに、先の明るさを信じられない苦しさがあるように思います。


ホントに医療現場は大変な日々が続いていて、もう1年半。ただただ感謝いたします。
ただ、このコロナの問題は、そうした医療関係の人たちのがんばりだけでは、世の中全体が平常に戻れるわけではないですよね。

 


飲食業をはじめとした様々な職種で、商売が成り立たない状況が続いていますので、コロナに感染していなくとも生活の危機がすぐそこにあるんです。かなり深刻です。


上にあげた6月に入ってからの8日間の感染者データを見て、ん~と思うことがもう1つあります。


不遜な見方かもしれませんが、増えてないな、と思うんですね。新規感染者数が。


なぜそう思うかと言いますと、緊急事態宣言の出されている東京、大阪に限らず、大都市圏の飲食店では、どうやら再延長されそうだという流れになってきた辺りから、つまり5月の半ば以降、普通に営業している店が目立ってきたからです。


少なくない店が酒の提供を再開して、遅くまで営業している店も少なくないです。5月末にかけて、さらに6月に入って営業店舗数は明らかに増えているように感じます。路上呑みも減りませんね。


街なかの人出も増えてきていますし、相乗効果で営業店舗も増えています。


体力的にも精神的にもギリギリまでがんばってくれている医療従事者の方々からすれば、なんなんだよ! ってことになるでしょうけれども、飲食店側にもギリギリの事情があっての営業、酒類の提供みたいなんですね。


報道される内容からみえてくる、要請に従わず営業再開する理由は「協力金が振り込まれない」というのが目立ちます。3か月以上遅れているんだそうです。


ワクチン接種券にしてもそうですが、なんだってこういう手続きに時間がかかってしまうんでしょうね。いつまでたっても改善されないのは何故なんでしょうか。
協力してくださいと言いながら、協力金は払わない。商売にならないうえに家賃も払えないってことになってしまうわけで、やらずぼったくりです。


飲食店の自粛に対する協力金というのも、大型店ほど生き残っていくには全然足りないということでしたが、その足りない金額すら数か月待ってからの入金。
個人店なんかが持つわけないですよね。


閉業するか、通常営業に戻すかになってきます。閉業店舗もかなり多いんです。
「お酒呑めますよ」って張り紙するのも無理ないんです。


で、普通にコロナ前の営業形態に戻っている店舗や人出が増えている現状なので、感染者数も増えるのかなと思っていたんですが、急激に減ってはいないものの、少なくとも増えてはいないですね。


酒の呑める店がどんどん増えてきてから1か月以上経ちますが、新規感染者増加につながっていないんじゃないでしょうか。


コッソリやるんじゃなくって、新しい幟立てて、派手に酒の提供しますって宣言している店長さんも居ますし、罰金の対象になること自体は、酒を出していればその営業時間に関係ないんだから、深夜までやりますよっていうオーナーも居ます。
店側の意見には大いに肯けます。生活の確保ですからね。


こうした声の中にはありませんが、というか報道しないんだと思いますが、今まで我慢して従ってきたけれど、もう限界という理由のほかに、もう1つ大きな理由があるように思えます。


罰金払ってでも酒の提供をしますよっていう、腹をくくっているその理由。


再延長されて6月20日までとされた緊急事態宣言ですが、もうそれ以上の延期はないだろうと捉えている。
なぜならば、東京都は、国は、オリンピックを何が何でもやってしまうだろうからです。


2021年7月23日がオリンピックの開会式です。その1か月前の6月20日。世界に向けて「緊急事態」ではない宣言をするでしょう。まん延防止重点措置でしょうね。


酒類の提供について、どうなるのかまだ見えていませんが(6月16日時点)もういいよ! っていう空気感がありますね。緊急事態でなくなれば、もう普通に戻ろうよ、という切実な店舗側の事情があります。


決められたことに従って、正直者がバカを見るっていう事態をたくさんみてきたという現実があるんですね。


期限の日まで、あと幾日もない。居酒屋からクラスターが発生したというニュースも相変わらず聞かない。


これまで、ずいぶん長い期間、自粛してきた、耐えてきた。協力金が全然入って来なくたって借り入れて何とか回してきた。でも、もうイイんじゃないか。って考えるのは致し方のないことかもしれません。


要は、スーさんも、都知事さんも、求心力無さ過ぎなんですよね。ただ無根拠に要請するだけ。ニッシーなんて会見するたびにあっちへこっちへブレブレなことばっかり言ってますよね。


そりゃデマンドハザードも起きますよ。無理ないです。

 

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でもですね、ちゃんと自粛要請に従っているお店も少なくないんです。なんとも日本的。


この辺りの不平等さに対する見解とか、全く言いませんよね、エライ人たちって。


解除かいじょって勝手に言うなってニッシーが怒ってましたけれど、国民の気が緩む心配をする前に、自分のネジの緩みを点検するのが先なんじゃないでしょうか。緊急事態宣言という言葉自体に魔法の効果なんてありませんよ。


さらに言えば、要請に従ったせいで閉業してしまった店舗にたいする保障って何かないんでしょうか。例えば再営業する際の資金援助とか。


閉業してしまった店舗から、従業員たちはどこかへ就職しないといけなくって、止むを得ず職種変えしないといけない人ってホントたくさん居るんです。


コロナ禍のあけた飲食街は、日本中どこでも、だいぶ様変わりしているんじゃないでしょうか。


今のところ、お酒呑めるよって言われても、二へへって店の中に入って行けない人も多いと思います。
なかなかね、なんとなく背中を気にしながらじゃ、楽しく呑めない感じですもんね。
まだまだ宅呑みなんです、みんな。


でも、店で呑みたい気持ちはぐ~るぐる、だんだん強くなってきているんです。


オリンピック・パラリンピックが終わったとき、コロナの感染状況がどうなっているのか、専門家にも想定できない事態に対して、気持ちをモヤモヤさせているきょうこのごろ、なんでありますよ。


深夜まで酒を提供している店が増えてきていて、ヘロヘロになっている客もいっぱい出てきているのに、新規感染者数はその分だけ増えているようには見えません。
なんかね、人流人流って言ってますけれど、感染対策って、そもそもピントがズレていたりするんじゃないのかなあ、という気もします。


厚生労働省が国内の新型コロナウィルス治療薬開発に対して、臨床試験費用などの補助として20億円の支援を決めたというニュースもありました。
グラクソ・スミスクライン(GSK)、中外製薬ファイザー小野薬品工業が開発している7品目に対してだそうです。


ワクチン接種も次第に進捗してきています。
なんですが、まだね、時間は相当かかるんでしょうねえ。

 


乱世の梟雄みたいな人、出てきませんねえ。どうもスッキリしませんです。


でも、もうすぐ緊急事態宣言の終了期限です。都議会選挙。オリンピック・パラリンピック衆院解散。


エライ人たちって、どこをみているんでしょうか。何をしたいんでしょうかね。ホントに。

 

【寝そべり主義】タンピン(横たわり族)って呼ばれているらしいんですが

<確かにね 何をやるにしても極端な動きになりがちですけれどね 今の中国は>

横たわるっていう中国語はタンピンと発音するらしいですが、タンピンっていえば「断公九平和」を思い浮かべます。麻雀の役の1つですね。
ま、タンピンというこの役もあんまり頑張らないアガリといえるのかもしれません。寝っ転がっているわけじゃないですけれどね。


中国の「横たわり族」がニュースになったのは2021年6月になってからです。急増しているという記事の扱いなんですが、中国人って寝っ転がってるイメージないです。関西人と同じでいっつも元気いっぱい。ワアワアしゃべっている感じですけれどねえ。ま、それはあくまでもイメージでしかないですけれど。


中国メディアは一大事だという取り上げ方ですが、どこの国にもずっと前からあるように思いますけれどね。「寝そべり主義」

 

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1979年から続けられていた中国の「一人っ子政策」は2014年まで実施されていました。

 

2014年生まれの子供たちは2021年でやっと7歳。まだ学校に入ったばかりという年齢ですね。中国の学級制度って知らんけど。


2016年からは「二人っ子政策」が始まっていたんですが、2021年からは新たに「三人っ子政策」が始まっているようです。
三人っ子なんて言い方があるのかどうか怪しいですが、そういうことらしいです。三人までオッケーよ。


まあね、とんでもなく人口の多い国ですから、日本からしてみるとその意図がつかみにくいところが大きいですが、人口減少っていうのはどこの国でもコワイ現象なんでしょう。


にしてもですね、一人っ子政策から二人っ子政策の間の2年ほどの間は、どういう対応だったんでしょうか。


産児制限政策としてまるまる2年の空白があるように見えるわけですが、すでに1人子供がいる夫婦の場合だと、最大で2年の間に2人の子供を産むことが出来ますよね。そうなると、二人っ子政策の実施時点で3人の子供が居ることになってしまいますけれどね。


よく分かりません。中国計画出産協会という団体が取り締まっているということですが、中国っていう国は外国の中でも最も分かりにくいことをしている国の1つだという印象が強いです。


にしても「中国計画出産協会」って、なんか、すんごくコワイ感じですよね。

 

 

 


中国の「横たわり族」は主に20代、30代の男女だそうです。


ただ単純に批判されているという世相的な出来事ではないらしくて、自ら「寝そべり主義」を唱えて、積極的に「タンピン」しているらしいです。


今の中国の20代、30代といいますと、一人っ子政策真っただ中の生まれということになります。
一人っ子政策が始まってすぐの世代は、今現在60代になってきているわけですが、この一人っ子政策初期世代と、今の20代、30代の若者たちを比べてみますと、明らかに違ってしまっている社会環境というか、親族環境があります。


それは、タンピン世代の多くの親もまた「一人っ子」だということです。


タンピン世代の親は、一人息子と一人娘が結婚しているというのがほとんだと考えられるわけです。
そうなるとそれまでの世代との違い、あるいは多くの他の国との違いが出てきます。イイとかワルイとか、そういうことではなく、必然的にそうなってしまうという、一種の社会現象。


タンピン世代の親には兄弟姉妹が居ません。なんせ一人っ子ですからね。


ということは、タンピン世代には伯父さん、叔父さん、伯母さん、叔母さんが一人も居ないってことです。
親族の形成が特殊なんですね。多様性なんて居場所が無い感じになってしまいそうです。


伯父さんや叔母さんが居ないと、なんで寝そべっちゃうの? ってことになりますが、そうした親族構成が個人に与える影響だとかの研究なんてないでしょうからね、どういう結びつきだとか、そういう答えって無いんだと思います。


そういう親族関係が国民のほとんどを占めてしまうってこと自体、歴史的にどこ国にも無かったんじゃないでしょうか。


自然をコントロールして、制御できると考えてきた人類活動の結果が、現在の生物多様性の尊重、SDGsの運動に繋がっています。ダメじゃんって結論ですね。
中国共産党が人間自体をコントロールしようとした結果が、その人間自体にどういう結果をもたらすのかは、誰にも見えていないことでしょう。


現在の産児制限は中国特有のこととして、他人事みたいにとらえられないこともなさそうですが、少子高齢化は日本の問題でもありますし、他の諸外国でも同じですよね。


少子高齢化が進んでしまえば、どこの国でも一人っ子ばかりになって、若者にとっての伯父さん叔母さんという存在が居なくなってしまいます。


中国政策の極端なところは、世間全般が一気にそうなってしまうというところにあって、どうしても目立ちやすいですよね。
目立った特徴はメディアにとって格好のネタとなります。


自国の「寝そべり主義」を取材した中国メディアの分析は「若者の競争疲れ」という見方が大勢を占めているようです。


でも、考えてみますと「寝そべり主義」「タンピン族」を「若者たち」と評しているメディア側の人間もたいていは「一人っ子世代」なわけですけれどね。


「幼い頃から習い事や受験で厳しい競争にさらされる」という分析をしているようですが、これは中国特有の現象ではありませんよね。ですが、結局「弱いから」そうなるんだという結論ってことなんでしょうね。
そう言わざるを得ない。


「寝そべり主義者」は「物質的な欲求が乏しく、勤労や結婚、出産に積極的でなく、経済成長の阻害要因になる」と見ているのが体制側らしいです。


こうした報道に対して、まさに今日的で面白いと思うのは、いかに情報統制を厳しくしている中国であっても、ネット社会である以上、制限しきれない情報があっと言う間に広がってしまうということですね。

 

 

 


今では「タンピンの達人」として若者の共感を集めているネット投稿があったそうです。


「タンピンは正義だ」


「私は何も間違っていない。いつも周囲との比較や伝統的観念から圧力を受ける。人間はそうあってはならない」


「私はディオゲネスのように樽の中で日光浴をし、ヘラクレイトスのように洞窟で “ロゴス” について思考することができる」


いかにも若い、というニュアンスの意見表明ですね。イイとかワルイとかではなく。


社会的競争の中で勝ち続けなければいけない、というのは「伝統的観念」ではなく「個人にもたらされた強迫観念」とでもいうべき概念でしょう。
人類共通の概念でしょうという捉え方もあるとは思いますが、伝統的というほど昔からのものではなくって、せいぜい産業革命以降にまん延してきた観念なんじゃないでしょうか。


メディアに反発する側の意見として幅が狭いかもしれませんね。


ディオゲネスという人は「犬のディオゲネス」と呼ばれた古代ギリシャの哲学者。大きな樽を住処にしていたというソクラテスの弟子のアンティステネスの弟子で、かなりユニークなエピソードをたくさん残している人です。


ヘラクレイトスもまた古代ギリシャの哲学者ですね。プラトンアリストテレスに影響を与えたとされる大哲学者で、「万物は流転する」という言葉を残した人です。けっこう有名な人ですよね。


流転する万物の背後にあって、決して変化しないもの、それを「ロゴス」っていうんでしたよね。ヘラクレイトスの唱えたロゴスは「火」だったとうことです。


「タンピンの達人」が現実としてどんな仕事をしていて、本当はどんな仕事をしたかったのか、上述の記事からは知りようもありませんが、古代ギリシャ哲学が好きな人なんでしょう。


もっと近代寄りに哲学してくれば、また違った考え方になりそうな気もします。
考え方と言うか、意見表明する方法が違ってくると思います。


古代ギリシャの哲人の考え方に共鳴するのには何も問題ないと思いますが、衣食住のうち「衣」はあきらめて「住」にはこだわらないとして、「食」はどうしているんでしょうね。


「タンピンの達人」が模倣しようとしているのかもしれない古代ギリシャの哲人たちの生活は、完全な身分制度、その最下層の奴隷制度によって成り立っていたことを考えますと、何もせずに生きていられる彼は、どんな恩恵にあずかっているのか気になるところです。


ただ寝っ転がっていては生活できませんよね。


改めて考えてみますと「タンピン族」は、日本でいう「ニート」と似ているところがあるのかもしれません。


報道側の意見も、拡大解釈なのかもしれませんが、仕事はしているけれども、疲れるまで頑張るというのではなく、自ら時間制限を設けてコントロールしている人を、一所懸命では無いので「横たわり族」とする判断もありそうに思えます。


生活している「タンピン族」は日本ではフリーターと分類される人たちなのかもですね。


【中華豆腐ごはん】で少し触れた「アリ族」というのもありました。フリーターは会社に縛られないからという理由で、積極的にそうしている人も居ることはいるでしょうけれど、たいていはそうじゃなくって、現状としてそうなってしまっている、という人が多いように感じます。


日本には「しらけ世代」といわれた年代がありました。「三無主義」「四無主義」という「主義」が一人歩きした感もありましたが、これは日本に特有とばかりも言えない現象で、アメリカでは「ジェネレーション・エックス」と言われた世代が存在しますし、どんな世界でも発展や、勝者に対する反発から生まれてくる、なんとも人間的な生き方だとも言えそうに思います。


なあんもしたくない、とは言いながら、結果として何かをして、ちゃんと食べています。


勝て、勝利者に成れというのは資本主義社会の基本姿勢なのかもしれませんが、負ける人間が居るから勝ち残れる人間が存在できるというのは真理です。
そういう勝ち負けから距離を置いた生き方、といえるのではないでしょうか。


そんな奴は「ダメ」だというのが一般常識なのかもしれません。特に今の中国ではね。
ですが、「しらけ」てしまう人間や、「寝そべって」しまう人間を生み出してしまうのは、勝者ではなく、かつての「しらけ」を知っている人間たちや、「寝そべって」いた経験のある人間たちだと思うんですね。

 

 

 


今ダメなヤツを、ホントにダメにしてしまうか、困ったヤツのままでも一緒に暮らしていくかで、社会の在り方は大きく違ってくるでしょう。


社会変革なんて普通のことではありませんし、簡単に出来ることでは無いと思います。
ですが、そういう日本的な社会を描いて、最長のシリーズ物としてギネスに登録されている映画がありますよね。


男はつらいよ」です。


寅さんは、困ったチャンで、ダメなやつです。フーテンですからね。


でもあの映画は、ダメなヤツを、ダメなまま認めて、自分たちの仲間としてどんなときにも迎え入れますね。
ケンカしながら決定的な別れにはいたりません。一緒に生きていくんです。


ダメなヤツに向かって、お前はダメだ、と言う自分自身もダメなヤツだという自覚があるんですよね。
おいちゃんにも、おばちゃんにも。タコ社長にも、さくらにもです。


親戚でもないのにバカヤローって言い合ってます。そうですね親戚じゃないからこその親戚付き合いなんでしょう。


「横たわり族」のニュースを、中国の凋落の始まりというニュアンスで伝えている一部の報道がありましたので、もうちょっとメタレベルで人間そのものを考えたジャーナリズムであって欲しいなと、そう思ったのでありました。
日本のメディアもしっかりして欲しいなあと思うですよ。


四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立ち小便、白く咲いたが百合の花、四角四面は豆腐屋の娘だ、色は白いが水臭い。


なんてね、こんなことをスラスラ言っちゃう才能がダメな寅さんにはある。


映画のことだから、というんじゃなくって、世の中ってそういうもんじゃござんせんか?

 

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【東京水】東京の水道水だから東京水です 自慢の水なんです

<水道水をペットボトルに詰めて売るというのは財源確保? 浄水効果宣伝?>

じめじめ暑い季節になると「熱中症」というのが気になりますよね。


マスクをして外を長い時間歩いたりすると、健康状態ではあってもへばります。体調がおかしく感じてきます。
そうなると熱中症の危険が増してくるそうです。


気分的に落ち込んでいる時もそうですし、あとね、二日酔いの時とかも熱中症の危険が増すそうです。


こまめな水分補給が重要、ってことはもう充分知ってますよね。スポーツドリンクだったり、補水液なんてのも出てますからね。準備さえしておけば心配無さそうです。


でもね、その準備がですね、なかなか、思うに任せませんよ。


肝心な時にナイ、なんてことがしょっちゅうあったりします。でもまあ、冷蔵庫に麦茶だとか、ペットボトルのお茶だとかがあればそれでってところなんですが、肝心なときには、弱ったへばったって時に限って、そういうのも切らしてしまっていたりしちゃうんですね。


独り暮らしだと、けっこう、そういう状況だったりしませんか?


冷蔵庫の中に補水液なんかないです、でもビール冷えてますけど? イヤイヤ、ダメでしょ。アルコールじゃだめなんです。


じゃ、どうすんの? ってことなんですけれどね、冷静に考えてみますと、ま、たいていの家にあるものがあります。家族で暮らしていようが、独り暮らしだろうが。高級住宅だろうが安アパートだろうが、ちゃんと何処にでもあるもの。


そですね「水道水」です。

 

 

 


よっぽどのことをしなければ水道は止められませんよ。蛇口をひねれば、どこの水道からでも水が出ます。
しかも日本の水道からは、ちゃんと飲める水が出てくるんでありますよ。有り難いことであります。


で、ここでふと考えてみますと、普段、水道水って飲んでますか?


だって水道水ってマズいじゃん。東京の水は飲めないよ。っていう意見がいまだにあるのも事実ですし、自分自身もそんなに飲んでいませんね。


でもまあ、毎朝のコーヒーを淹れるときは、ヤカンに水道水を入れて沸かしますので、沸騰させて、コーヒーを濾過してっていうことになりますけれど、一応水道水を飲んでいるってことになるかと思います。


それ以外ですとカップラーメンですかね。これもまた沸騰させてからですね。


そんなもんですね。家で呑む水分はペットボトルに頼っています。水ばかりじゃなく、お茶とか炭酸水とか。
水道水があるじゃん、と言っておきながら自分でもさして飲んでいるわけではないです。


なんかね、東京人にしてからが、東京の水道水はマズイ、って思っているんです。そういう感覚が染み込んでいます。


実際、30年、40年前の東京の水道水はマズイものでした。匂ったりしていました。これは事実です。


もちろん地域によって大違いだったんですが、知り合いのそば屋さんで、機械製麺をするのに水道水をそのままは使えないからということで、大金はたいて浄水設備を新設したっていうところもありました。東東京です。


バブルの頃まで、東京地域の浄水機能って、人口の増加に追い付いていなかったんですね。東京でペットボトルの水があっというまに浸透したのは、そういう理由が最大のものだったんじゃないでしょうか。


東京の水道水、ホントに飲んで大丈夫なのか、っていうレベルだしたからね。


東京の水がずっとマズかったわけではなくて、需要と供給のバランスとしてマズかった時期があったということなんでしょうけれどね。ヤバい時期があったのは事実です。


ヤバい時期の前のオヤヂたちがよく言っていた言葉に「鉄管ビール」とか「村山ハイボール」というのがありました。


「鉄管ビール」っていうのは水道の鉄管を通って出てくる水のありがたさ、汗をかいたときに、すぐにありつける水道水の貴重さを「鉄管から出てくるビール」と表現した言葉でしょうね。ようやく水道設備が整った頃に出てきた言葉なのかもしれません。


タダでこんな旨いビールが飲める! って公園の蛇口に口をつけてガボガボ飲んでいる姿が想像できます。正確にはタダじゃないんですけれどね。
水道が通ったっていう喜びの気持ちもあったでしょうけれど、東京の水道水にも旨い時期はあったんだと思います。人口爆発する前ね。


「村山ハイボール」の方は東京の人じゃないと通じないでしょうね。


村山というのは「東村山浄水場」のことで、1960年に通水を開始した東京西部にある浄水場です。そうです、志村けんの東村山です。


当時の東村山浄水場多摩川のみを原水としていたそうで、「鉄管ビール」というのに対して「村山ハイボール」と区別しているのは、もしかするとその原水の違いを言い表したかったのかもしれないですね。
ビールに対するハイボールです。


東村山浄水場から比較的近い地理関係にある東京都昭島市は、今でも100%地下水を利用した水道を整備していたりしますので、多摩地域の水は旨いという自慢をする人たちが居たのかもしれません。


でも地下水利用は昭島市だけです。

 

 

 


ですが、水道水が特にマズイというものではなかったでしょう。古い時代にはですね。


それから田中の角さんの掛け声で、日本列島改造というのがありました。東京のリソースを地方に分散しやすくするという目的で高速道路網を整備して、実際に出来上がったら、東京からの拡散という方向ではなくって、東京への一極集中が加速してしまって、東京は人口爆発という事態になっていきます。


水道水がマズイという状況は、この辺が大きな原因だったんだと思います。


苦情もいっぱい寄せられたでしょうね。商売に差し障りのある人だって少なくないでしょうからね。


で、日本の役人さんには、たくさんの真面目に取り組む人が居るわけです。「お役所仕事」なんて揶揄されようが、地道に問題と取り組んで、何とか解決しようと奮闘努力の人たちがね。


「高度浄水処理」っていうシステムに真正面から取り組んでくれたらしいです。


金町浄水場というのが先鞭をつけたみたいでしたね。東東京の浄水場です。旨い水道水が浄水できたってわけですね。どんどん広めていきますね。


で、2006年。東京都は「東京水」というペットボトルを売り出すに至りました。

 

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500ml、100円。なにそれ? と言いますとですね、これ、東京の水道水です。水道の水をペットボトルに詰めて売っておるですよ。今でも。


プラスティック削減問題で、もうすぐ無くなっちゃうかもですから、気になる人は、今のうちに買っておくのがイイかもしれませんよ。水道の水ですけれどね。


東京都水道局の広報・広聴ペットボトル「東京水」に「販売場所」「通信販売」の案内があります。

 

「東京の水道水はおいしいですよ」ということを宣伝したいんだと思います。そのまま安心して飲めますよっていう思い。


「高度浄水処理」っていうシステムはなかなかのモノだってことでしょう。


東京の水道水には3つの主水系があって、利根川、荒川、多摩川なんですね。


東京の人限定になってしまいますけれど、自分の住んでいる地域の水道水がどこの水系から来ているのか調べられるページを見つけました。
東京都水道局の水源・水質配水系統~ご家庭の水道水情報です。

 

ま、今は東京の水道水って、だいたい利根川荒川水系で、多摩川水系は工業用水がメインみたいですんで、「村山ハイボール」を自慢できるわけではありませんけれどね。


東京以外の地域でも、水道局のページで探してみれば、自分の家の水道が、どこの河の水系から来ているのか調べられるかもしれません。


いやまあ、それ知ったからって、なんなん? ってことではありますけれどね。


ちなみに、「ご家庭の水道水情報」の検索対象に昭島市はありませんでした。ちゃんというかですね、はい、地下水100%の市は除外されています。

 

 

 


なんにしても水は大事です。


人間の身体はほとんど水だってよく言いますよね。
生まれたばっかりだと体重の90%が水。
赤ちゃんで75%。成長期の子供のうちは70%。だんだん水分量が減っていくのは、身体に脂肪が付いてくるからなんだそうです。で、大人になると60%から65%。この大人のパーセンテージがよく言われている数字ですよね。


それで年寄ってくると、もうちょっと減って50%から55%ぐらいになるそうです。


こうして減って来ても半分以上水なのが人間です。


ペットボトルばかりじゃなくって、水道水にも注目して、もう少し馴染んでいこうかと思います。
とりあえずチェイサーとして飲んでいこうかと。


酒のチェイサーは純粋に水が良くって、酒と同じ量を飲むのがイイんだそうです。


にしても、人間ってだんだん枯れていくもんなんですねえ。なんだかねえ。

 

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【メケメケ】美輪明宏って人は やっぱ凄いんだなあと思ったです メケメケです

淡谷のり子石井好子、金子由香利、岸洋子越路吹雪戸川昌子美輪明宏、ピーコ>

日本人の著名なシャンソン歌手を数えてみますと、なんとなくですが、一つの共通点が見えてくるように思います。


みんなシャンソン以外の活動もしていて、人の生き方ってものに一家言持っている印象。そういう言動がエピソードとして知られる人が多いですね。


もちろん上に名前を上げた人以外にもシャンソン歌手はたくさん居ますし、なにか事を成し遂げるような人は、誰でもそうなんじゃないか、一家言持っているからこそ名を成しているっていうことも言えるのかもしれません。

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シャンソンっていうのはフランス語で、そもそも「歌」っていう意味なので、何か特定のジャンルを表すものではない、っていうのが、まあ一般的に言われている定義みたいなもんだと思いますが、どうでしょう。
音楽のジャンルではない、と言われてもですね、フランスの特徴なのか、グルーピングとしてある種の特徴を持っているようにも感じるんですね。


的確に言い表すのは難しいんですが、ニヒリズムを生きる力にしていると言いますか、世の中の無常を認めつつ、とにかくがむしゃらにやるんだよ、っていうような「強さ」を持った歌。


何もしないよりは、とにかくカッコ悪くっても、動いてみることだよ。って言ってる。
まあ、勝手ながら、そんなイメージを持っております。


そういう歌詞の内容なので、それを唄う人の姿勢、一本芯の通った人生観を感じさせてくれるのがシャンソン
とか言いながら、そんなにたくさんは知りません。聞いたことのない歌もいっぱいあります。

 


そんな中ではありますが、今回は「メケメケ」を取り上げてみたいと思います。


1954年にフランスで発表されたシャンソンで、作詞はシャルル・アズナブールです。
ビッグネームですよね。シャンソンといえば必ず名前の出てくる人です。


そして作曲がジルベール・ベコー。こちらも負けず劣らずのビッグネーム。
いわばゴールデンコンビってやつだと思うんですが、このメケメケは大きなヒットにはならなかったらしいですね。


ジョー・ダッサンという人が唄ったということですが、聞いたことはないです。


日本で「メケメケ」といえば「丸山明宏」ですね。いやまあ、もちろんオンタイムで聴いていたわけではなくって、懐メロとか、そういうので聴いたんだと思いますね。ラジオです。


丸山明宏のメケメケは、日本でかなりヒットして、本国フランスでの知名度より、日本でのメケメケの方が通りがイイぐらいなんだそうです。1957年の発表ですから、もう半世紀以上、かなり時間の経った曲です。


自分で翻訳して唄ったという才人の丸山明宏。1971年からは美輪明宏として活躍していますね。2021年で86歳、現役バリバリの人です。


スピリチュアルな人っていうイメージを持っている人も少なくないでしょうけれど、歌手、俳優さんですね。
天草四郎時貞の生まれ変わりって名乗っているらしい話も聞きますが、まあ、それはまた別の話。

 


メケメケは日本でヒットして、何人かカバーする人も出てきました。


その中で有名なのが越路吹雪のメケメケです。


実は丸山明宏のメケメケは独自の解釈で翻訳した内容で、越路吹雪のメケメケはフランス本国で唄われた内容にほぼ近い歌詞の内容だってことなんですね。


越路吹雪のメケメケを訳詩したのは詩人の薩摩忠で、童謡の作詞なんかもしている人です。
今回両方の歌詞を聴き比べてみて、感心したのは丸山明宏のシャンソンセンス、ニヒリズムの扱い方でした。


メケメケっていう言葉ですが、元々はフランス語の「メケスクセ?(それがどうしたの?)」
それをカリブ海に浮かぶフランス領、マルティニークの島民たちが訛って「メケメケ?」と言っている、というエピソードからシャルル・アズナブールが作詞したものらしいんですね。


サビの歌詞としてメケメケ?、それがどうしたの? としたわけですが、元々の歌の、越路吹雪の歌詞の物語はだいたいこんな感じです。


舞台は港町の酒場。恋の物語としてはお決まりの舞台ですが、酒場に一組のカップルが居ます。
可愛い娘は泣いています。別れが近づいているんですね。


「あたしを忘れないでね」という娘の言葉に続けて「メケメケ 別れの話さ 濡れ場の話さ」ときます。


そんな二人に無情な汽笛が聞こえてきます。


嫌だいやだと駄々をこねる娘に、男も涙を流しながら「船が出るよ」で、「メケメケ 別れの話さ 濡れ場の話さ」
泣いている男を乗せて船は岸壁を離れ、娘は取り残されて泣いています。


と、男は船から海に飛び込んで、娘のもとへ泳ぎ着きます。魚もビックリ。「メケメケ 別れの話さ 濡れ場の話さ」


2人は抱き合って、「あとは言えないね」ということでfin。


それがどうしたの? とは言いながらもハッピーエンドですね。メケメケって言っているのは、この2人を客観的に見ている人。つまり物語の語り手みたいですね。もしかすると魚、かもしれません。
「あとは言えないね」ってことでハッピーエンドの2人を突き放して終わっているようにも受け取れます。


これに対して丸山明宏訳詩のメケメケは、こんな感じです。


舞台は同じく港町の酒場。一組のカップルの別れ話までは同じシチュエーションです。
ただ違うのは、男が呑んでいるのは安酒で、女も訛のキツイ田舎娘らしいことです。
こういう舞台設定を活かす唄い方っていうのを丸山明宏は巧みにこなしています。


「メケメケ お前も達者で暮らしな」「メケメケ つれない男もいたもの」
と話は進んで、やっぱり別れの汽笛が鳴り響きます。


ここからが「丸山シャンソン」の醍醐味で、すがる女を石畳に投げだして、男は船を目指して走り去っていきます。
女の方は中島みゆきの「♪道に倒れて誰かの名を 呼び続けたことがありますか」状態になってしまいます。


そして「メケメケ バカヤロー 情なしのケチンボ」「メケメケ 手切れの銭コもくれない」
と続けます。


「あきらめて帰ろ やがて月も出る港」で終わっています。


最後にはメケメケを自虐的な女の声として聴かせてくれるんですね。
ケッ、だからなんだってんだ。バカヤロー。メケメケ。さあ、帰ろう。


魚が出てくるような客観性はどこにもありません。女の側の、ある意味悟ったようなメケメケです。


なにがどうなるかなんて分かりゃしないんだ。ハッキリしているのは自分にはツキは回ってこないってこと。あたしの人生、こんなもんさ。
だけどだけど、やるだけのことはやったよ。一所懸命やったさ。バカヤロー。っていうニヒリズムを反転させた人間の生き方の1つの方法、みたいなものをコミカルに唄って、聴かせてくれる。


それが丸山明宏。美輪明宏なんですね。

 


なかなか出口の見えてこないコロナ禍の生活の中で、【8時にはみんなかえる】だったり、明らかに不備と思えるような【オリンピック プレイブック】の問題があったりして、無理もないなあと感じられる【デマンドハザード】という現象が顕著になってきたりしていますが、まあ、今の段階では、他人の行動に左右されることなく、誰が何を言っても、しても、自分というものをしっかり保つことが肝要なんでしょうね。


瀬戸内寂聴さんも言ってます。


「私は自分の才能と努力で人生を切り開いてきました。でもダメな時はダメ、人生はなるようにしかならないのです。一生懸命やった後は仏様にすべておまかせします」


強い言葉です。


自分をしっかり持って、あらゆる理不尽に対して「メケメケ」でいきましょう。
ひっくり返ったり、何段階かメタレベルで重層化した「メケメケ」で。