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【プラネタリウム】 心の深呼吸 正しく静かなタメ息のつき方

< 独りじゃ生きられない人間だけれど コロナ禍の社会規律が どんより重いです >

ひと頃はヤイヤイ言われていた「コロナ警察」「自粛警察」
最近鳴りをひそめて来たかと思っていましたが、まだまだ居ますね。


未就学児の女の子の手を引いて、お買い物のお母さんに毒づいていたおばちゃんを見ました。
女の子がマスクをしていないっていうことで「注意」ってことなんでしょう。


言葉はハッキリ聞き取れませんでしたが、ヒステリックに叫んでいましたね。
女の子はキョトンとしていました。


まあね、コロナ株はどんどん変異していて、子供の感染者も増えていますからね、おばちゃんの気持ちも分からないでは無いんですが、子供が嫌がることを強制するっていうのもねえ。
ま、お母さんとしても反論しにくいところでしょうけれどね。


社会正義、みたいな感覚って、意見する方もされる方も、疲れますよね。コロナ禍に限らずです。
正義の押し売り、原理主義みたいな言動が怖いところです。


国だとか社会だとか、そういうものを意識しないで生活していけるのが理想だろうと思うんですね。


帰属意識っていうことを考えてみましても、会社組織だとか、国だとか、意識しないといけない場面って、同業他社との競争、国家間の争いだとか、よろしくないシチュエーションのときじゃないでしょうか。


ま、オリンピックだとかワールドカップだとか、スポーツの試合であればイイんじゃないかっていう意見もあるでしょうけれど、過度なナショナリズムは時に危険な領域に踏み込んじゃうってこともありますからね。


1970年開催のFIFAワールドカップメキシコ大会北中米カリブ海予選。ホンジュラスエルサルバドル


エルサルバドルが3対2で勝利すると、ホンジュラスエルサルバドル移民に対する大規模な襲撃事件が発生して、両国間の戦争に発展してしまったということがありました。


もちろんサッカーの試合結果はあくまでもヒキガネであって、そもそも、っていう両国間の問題があってのことでしょうけれどね。


さらに、フォークランド紛争をベースにしたイギリスとアルゼンチンのサッカー対戦は「代理戦争」と表現されて、行き過ぎたナショナリズムのきな臭い感じがいまだに消えていない感じですよね。


幸い、70年以上の長い期間、直接的な戦争には縁のない日本ですが、命のやり取りを目的とするようなナショナリズムではないにしても、こうしてコロナ禍の中で、その萌芽は感じられる気がします。

 

 

 


ま、それが社会の日常ってもんなんでしょうけれど。


ささくれた人間関係って、ほんのちょっとしたことから始まって、気持ちの中で血が流れることだってありますよね。


コロナ禍の自粛生活じゃなくたって、社会生活のプレッシャーは常にあります。知らず知らずに、どうしようもなく疲れてしまうのが我々の暮らしです。


とくにネット社会って言われるようになってから、やたらと「社会」っていうのが普通の生活を支配するようになったんじゃないでしょうかね。
ソーシャルネットワーク」ばかりじゃなくって、いろいろありますよね。


コロナ禍で出てきた「ソーシャルディスタンス」
みんなで社会生活を通常に行うために、人から離れなさいっていうアンビバレント。難しい世の中です。


ソーシャルワーカー」「ソーシャルアパートメント」「ソーシャルレンディング」「ソーシャルキャピタル


ソーシャルそうしゃるソーシャルです。「ソーシャルスキル」なんていうのもありますね。
「社会生活をおくるにあたっての、他人に対する振る舞い、ものの言い方」だそうですが、これ、正解なんてあるんでしょうかね。


悪意のないハラスメントって、日本の中には普通にあるように感じますけれどね。


生きていればこそ楽しいこともあるんですが、とにかく疲れるんですよね、生きるって。
個人的な意見を言っても虚しいだけの大組織に所属していなくたって、人が二人寄ればそこに社会ができるってなもんですからね。


ソーシャルが大事、っていうのは理解できます。社会人です。みんなね。


ソーシャルの対義語となりますと、パーソナルってことになるでしょうか。


このところね、ないがしろにされているかもしれないパーソナルです。


疲れてきますと、どうしたって打たれ弱くなっていきますからね、ヒステリーっぽくなってキーッってなっちゃうか、ガックシ落ち込んでしまいそうです。
自分自身を、しっかり大事にしたいところです。


ワクチン接種率がどんどん上がってきているところは、さすがに日本だなって思いますが、集団免疫って計算できないらしいですからね、まだまだプレッシャーは続きそうです。


肉体的なことばかりじゃなくって、精神的というか、個人の心を落ち着かせて、頭を空っぽにする工夫。
自分の心のメンテナンスを、いまこそ積極的に実行するのがイイんじゃないかと思うんでありますよ。

 

 

 


頭の中を空っぽにする方法って、いくつかあります。


まず大前提として「独りになる」ってことですよね。


どんなに理解し合っている仲間でも、夫婦であっても、頭を空っぽにして心の倦みを落とすには、短い時間でいいから独りの時間を確保することが重要です。


心の深呼吸、その1。「炎」


You'd be so nice to come home to
You'd be so nice by the fire


っていう歌詞があります。「You'd Be So Nice To Come Home To」っていう歌ですね。
こういう生活用具の1つとしてしてとらえられるような「暖炉の火」じゃなくって、直接、目で見る炎。


都市生活の中ではあまりないシチュエーションですね。


河原のバーベキュー場も、今はたいてい使用中止になってますしね。
庭でもあれば、やってみることも出来るんですが、これも最近はねえ、炭素出すな! とか怒られますからね。


知っている範囲では、ダイニングバーで冬になるとホンモノの暖炉で薪を燃やしてくれる店があります。
店の客はみんな、グラスを手にしてテーブルを離れて、暖炉前のベンチに座ることが多いです。


カップルできている客が多いんですが、暖炉前では誰もしゃべりませんね。


みんな黙ってワインを呑みながら、焼酎を呑みながら、ウイスキーを呑みながら、ただ静かに燃え上る炎を見つけて、ゆるゆら揺れる炎の音に耳を傾けてしばらくじっとしています。


炎はつねに動いています。その動きに視線を張りつかせて、だれもが遠い目になります。
far away eyesです。


グラスが空になっても、しばらくはじっとしていますが、やがて、ふっと小さくため息をついて、自分のテーブルに戻っていきます。
とても貴重な、すごく巧い心の深呼吸なんだと思います。


黙って炎を見つめていると、頭が空っぽになるのはどうしてなんでしょう。


ま、理由なんてどうでもイイんです。うまく心の深呼吸が出来れば、それでイイんです。
でもあれです。今は店、やっていませんね。コロナ明けに再開するのかどうかも分かりません。


近いうちに炎を見ていられる場所を探しておきたいところです。


心の深呼吸、その2。「海」


Sittin’ in the mornin’ sun
I’ll be sittin’ when the evenin’ come


っていう歌詞があります。有名な「dock of the bay」ですね。しんみりイイ歌です。


海水浴でも日光浴でもなく、ただ、そこに海があればイイんですよね。
風光明媚な海じゃなくってイイんです。コンクリートに囲まれた海だってイイんです。


なぜかは分かりませんが、海はしばらく眺めていられます。
砂浜でも、岸壁でも。


気持ちの疲れを静かに落としてくれる、不思議な、無生物の生命活動みたいな気さえしてきます。


横浜、JR鶴見線に「海芝浦」という駅があります。


海芝浦支線の終着駅なんですが、東芝エネルギーシステムズっていう会社の関係者でなければ、駅のホームから出られないっていう海の中の駅なんです。


ホームに隣接している「海芝公園」で、次の電車がやって来るまで時間を過ごせます。向かい側にはデッカイ倉庫が見えるだけで、不愛想なコンクリートと重そうな海だけが見えます。それだけ。


大都市の港湾の音が耳を支配して、波の音も即物的に聞こえるような場所。
でも、ここ、案外イイですよ。


おっ! と思った人。キッチリ時刻表を確認して行ってみてください。
コンクリートだらけの景色ですが、しっかり海を感じられます。


心の深呼吸、その3。「宇宙」


同じパターンで行きますが、


Images of broken light which dance before me like a million eyes
They call me on and on across the universe


って歌詞があります。ビートルズの、っていうかジョン・レノンの「across the universe」ですね。


Nothing’s gonna change my world です。

 

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空を、夜空を見上げて宇宙を感じるっていうのは、都市圏では難しい世の中です。
そもそも都市生活者は空を見上げない生活になっているかも。


降るような星っていうのを経験したことはありますが、夜の暗さは、かなり場所を選ばないといけませんよね。
寝っ転がって星を見上げながら、宇宙を感じられるほどの時間を過ごすと、頭の中の感覚が激しく動いて、結果、静かに、冷静になれる気がします。


人間という生き物の不思議、そして宇宙空間という想像を絶する巨大さの中で自分の小ささを感じることで癒されるのかもしれません。


銀河のらせん運動。太陽系のらせん運動。地球のらせん運動。月のらせん運動。


そして頭の中のらせん思考。


なかなか体験できない「宇宙」ですが、今は家庭用の「プラネタリウム」っていうのがありますね。
持っていないんですけれど、ん~、買ってもねエ、映し出すスペースさえねえ。って感じです。

 

 

 


ストレスは自覚ないままに蓄積しているそうです。


我儘ってことじゃなくって、自分を本当に大事にしてあげましょう。


コロナ禍の自粛生活で知らず知らず疲れてしまっている大人の方々、上手にため息をつきましょう。


ご自愛ください。

 

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