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【令和臨調】って なんなん?

< そういえば「リンチョー」って 昔から聞くような気がするです >

2022年2月28日付けの発表として「令和臨調」の発足が発表されました。


政治とか、アンのポンのタンですんで、ふううんっとか感じただけだったんですが、「リンチョー」って言葉、そういえば聞いたことあるよねって思ったんですね。
ニュースなんかで聞いた言葉のような記憶ですが、ぜ~んぜん馴染みはないです。


なんか、あれでしょ、永田町方面のことなんでしょ。
一般人に関係あんの? ぐらいの感覚でチラッとホームページを覗いてみたらですね、そういう態度、考え方だから日本の民主主義は危機に瀕しているんですよ! ってなことが、意外にも分かりやすい言葉で書かれていました。


令和国民会議(令和臨調)事務局のホームページ「日本の未来をまもる 日本社会と民主主義の持続可能性に向けて」を見ながら、「リンチョー」って? っていうのを考えてみます。

 

事務局の名前にあるように「令和臨調」っていう名前は正式には「令和国民会議」って言うみたいですね。


もうこの辺りからワケワカランってことになっちゃいますですね。
令和は一緒ですけど、違っているのは「国民会議」が「臨調」になっただけです。
ちっとも略になっていない。


そもそも「臨調」っていう言葉が何かの略っぽいですよね。


で、ちょっと調べてみたらですね、ウィキで「臨調」っていうキーワードで検索しますと「行政改革」のページに飛ばされました。

 


ま、検索結果として、その対象が歴史的にさまざま変化しているような場合にはこういうことも、ままありますよね。


行政改革とは「国や地方の政府の行政機関の組織や機能を改革すること」


ま、そでしょねえ。
っていうか、政治関係のページになると、なんでこうカクカクお堅い言葉の羅列になるんでしょうかね。


でもって「臨調」で飛ばされた「行政改革」の略は「行革」って書いてありますよ。
行政改革」が「行革」っていうのは当たり前すぎるぐらいの略です。でも、そうだとして「臨調」関係ないじゃんね。
なんなん? 臨調。


素早くパパっと理解できるようなもんじゃないってことなんでしょうか。
政治がらみの組織とか、その名前とか、ややこしいままにしておくのって、政治離れの一因になっているんじゃいかって、アンのポンのタンは思うですよ。


ん~。でもね、ちょっと調べ始めたんで、その流れでもうちょっとみてみます。

 


日本の行政改革は、明治維新とともに始まったんだそうです。


明治天皇中心の財政支出を戒めるってことから始まったみたいです。
始まったばっかりで緊縮財政っていうのも、なんだか妙な感じもしますけれど、徳川将軍は贅沢消費だったんでしょうかね。


西洋世界に対して一気に追いつき追い越せではあるんだけれども、お金は無尽蔵にあるんじゃないんだから、効率的に使うようにっていう趣旨だったんでしょうね。
ただね、日清戦争日露戦争、太平洋戦争っていう戦争の世紀です。そんなにうまくいかないまま戦後に至った流れらしいですよ。


行政改革が機能していない、っていうか、機能できなかった感じなんでしょうか。


で、「臨調」が登場するのは1961年に設置された「第一次臨時行政調査会」
これが第一次臨調ってやつですね。


そっかあ、臨時の調査会なんですかあ。
直接改革するんじゃなくて、調査して意見をまとめて政府に具申する、ってことなんでしょうね。


1961年っていえば、日本が右肩上がりになり始めたころです。
アメリカのフーバー委員会をモデルにして、高度経済成長の中での日本行政全般のあり方についての調査会が「第一次臨調」です。


どういう成果があったのかハッキリしませんが、第一次臨調は1964年に解散しています。


その後、日本は順調に成長していったかのようにみる向きもありますが、予算の伸び率が大きすぎるとして、「増税なき財政再建」を掲げた第二次臨時行政調査会が1981年に設置されます。
再建しなければいけない状態になっていた日本財政ってことなんですね。


有名な「土光敏夫」が会長だった第二次臨調。
国鉄」「電電公社」「専売公社」の民営化が提言されて、1983年に解散。


でも、こういう外部組織がないとダメな政治って、どうなんだろうなあって外野からは思えますね。


その後、土光さんが引き継ぐ形で1983年から1986年の「第1次臨時行政改革推進審議会
これは「臨調」じゃなくって「行革審」っていうみたいです。


1987年から1990年までの「第2次臨時行政改革推進審議会
1990年から1993年までの「第3次臨時行政改革推進審議会


しかしねえ、こんなに連続して「臨時」って、言葉の人だって言ってる政治家って、やっぱりどこかずれてるんじゃないでしょうかね。
2次、3次って名前を変えて10年続いた「臨時」です。


この後も、同じような活動は「ずっと」続けられているそうなんですが、その時々に編成された集団としての目立った特徴を表現しにくいからなのか、メディア的なとらえ方が大雑把になっていってますね。


1990年代の政治改革の活動は「民間政治臨調」って表現されているようです。臨調復活。
そして2000年代は「21世紀臨調
で、今回、2022年の「令和臨調」って流れなんですね。


令和臨調の場合は、メディアが臨調って呼ぶ前に自ら名乗っています。臨調。


6月ごろには正式に活動を始めるってことみたいなんですが、久しぶりに積極的に「臨調」を謳っているってところに、活動にリアリティを持たせようっていう心意気があるのかもしれません。
いや、知らんけどね。


ポストコロナの社会づくりっていう前提で「統治構造」「財政・社会保障」「国土構想」の3つがテーマ。


今の時点で民主主義の危機っていうのを標榜していて「令和臨調」はこう言っています。


「自分たちの社会を自分たちの力でより良いものにしていこう その強い意志こそが民主主義です」


ふううん、そですか、そですよね、って感じではあります。


ホームページの「私たちがいま、考えるべきこと」っていうPDFがあります。

そんなに長い文書じゃなくって、オカタイ文面でもないので、興味ある方は読んでみることをお勧めします。


阪神淡路大震災東日本大震災、新型コロナパンデミック
大きな災害に見舞われるたびに、日本は変らなきゃって思ってきたけど、このタイミングをむしろチャンスにしてとか掛け声が上がったけど、どうもね、「むしろ「変わらなければ」という掛け声に対して、悪い意味で慣れてしまった印象さえあります」って言ってます。


「現在の私たちにもっとも欠けているのは、自分たちの社会を自分たちの力で変えていけるという自信なのかもしれません」


ですよね、言っていることに反論はありません。
令和臨調のキモは、


「その道筋がどれほど厳しいとしても、この社会をより良いものにしていこうとする強い意志を失ってしまったのかもしれません。それは民主主義の危機なのです。民主主義の脅威は外から来るとは限りません。自分が何をしても無駄だ、誰かが何とかしてくれるはずだと思っているならば、それは民主主義の敗北を意味するのです」


っていうことなんだろうって理解しています。

 


「私たちに残された時間は決して多くありません。統治構造、財政・社会保障、国土構想を中心に、令和臨調は不退転の覚悟で検討を進めます」


ってことだそうですが、前段の考え方としては、ご尤も、だとは思いますが、どうしてもね、トップダウンっていう手法自体に問題認識のコアを理解できる機能が失われているほどに、現代社会はディテールが分散してしまっているようにも感じられます。


かといって、あまりディテール個々を拾い集め過ぎれば、まとまった見解、戦略も出せないでしょうからね。難しいところです。


ま、日本の頭脳が集まってくれるんでしょうから、横断的な問題解決ってことで、日本で暮らす人、みんなが、積極的に生きられるようなベクトルを示してくれることを期待したいです。


臨時、っていうことにこだわらなくたって、いいんじゃないの、って気もしますです。