ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【数学ブーム】マジっすか? 数学とかブームになっちゃうの?

< 算数まではついていけてたけど 数学はねえ って人 多いでしょ >

自分、文系なんで、そういう計算は苦手なんですよね。
っとかいうのってよく聞きますよ。男女に関係なくね。


まあね、理系、文系っていう分類は、たいていの場合、自己申告なんで、ホントか? ってこともよくあるんですが、中にはウケを狙ってのことなのか、あ、自分、体育会系なんで、っとか言ってのけるツワモノもいたりまします。


むかし「♪アッタマばっかでも、カラダばっかでも ダメよね」ってコマーシャルがありましたっけ。


どうですか? 数学、得意ですか?


好きっていうか、嫌いじゃないけど得意でもない、って人もけっこういますね。
私の場合、中学に行ってしばらくして、ハッキリ数学が嫌いになりましたです。


小学校の算数も特に好きってわけじゃなかったですけどね。中学で数学が嫌いになった理由は、勝手ながら、センセが悪かったと思っております。


全く無反省に、他人のせい! にゃはは。
だって、眠いセンセが続いたんですもんね。


で、一度嫌いになってしまいますと、もう二度と好きにはなれないですよねえ。


因数分解とか、何の役に立つねんっ! 微分とか積分とか、何に使うねんっ!


っとかね、そんな悪態ばっかりつくことになります。

 


ガッコのセンセとの相性ってのもありますよね。それによって悲劇的にその学科がダメになっちゃうってこと、あると思うんですよね。不幸なことです。


で、真面目な話、中学で数学が嫌いにならなければ、人生、変わってたかもねえ、って人もけっこういるんじゃないでしょうか。
嫌いだけど、数学に対するこだわりがある。


そういう思いの人たちが、何をきっかけにしてなのか分かりませんけれど、「数学ブーム」なるものを作り上げているんでしょうか。
中高年層が数学にはまっているらしいんですね。


数学って明確に正解ってもんがあるじゃないですか。正解が導き出せないって状態は、誰にでも自覚できます。
国語のテストでバツをもらっても、なんでじゃ! ってモンクの言いようが残っているような曖昧さが全然ないのが数学。


高校生になって物理や化学にも、数学を理解していないとワケの分からないことっていうのが出てきますけれど、正解にいろんな表現があるっていうジャンルじゃないのが数学っていうイメージです、


それだけに、正解出来ないとコンプレックスとしても明確な形を取りやすい気もします。


ま、出来なくたっていいや、って過ごせることも確かに多いんですけど、ひょっとしたことで、数学アタマの人と明らかな差を感じることもありますねえ。


そんな思いを何度か経験して、んでもって一念発起して数学、オベンキョしちゃってるってこと?
エライですねえ。
「語りかける中学数学」っていう本が数学ブームの火付け役らしいです。

 

832ページだそうです。うっひょお~。本格的なオベンキョ本みたいですね。
数学の社会人講座もかなりの人気らしいんですけど、なんでなんでしょか。


数学ねえ。わざわざねえ。


理解できた時の爽快感がたまらない、っていう声もあるようですが、まあねえ、なるほどとは思いますけれど、それって元々素養があるってことなんでしょうかね。


それとも、高尚な遊びとしての楽しみってこと?
数学。。。


たしかにね、世の中のテストっていうテストは、ほとんどが記憶力を試すような内容ですしね、クイズなんかも、情報収集力と記憶力、みたいなのが多いです。
その点、数学っていうのは、なんていうのか、技術みたいな部分もあるのかもです。
爽快感、のための技術。


科学分野でのノーベル賞受賞者なんかをみても、元々日本人って数学が得意な人、少なくないんでしょうね。
科学立国なんていう表現もありますしね。


公式とか定理ってなっちゃうと、拒絶反応みたいな感情が出てきちゃうんですけど、ほほう、って思わされることもあるんですよね。

 


ま、数学と直接関係のないところからの話なんですけど、先日、近所の神社で七五三のお参りに来ている数組の家族連れとすれ違いました。


神社の前には着飾った両親と子供が大勢いて、まだまだ日本的な風習も廃れていないんだなあって感心するような思いにとらわれたんですけどね、なんで七歳、五歳、三歳なのかなあっていう思いはずっと前からあって、まあ、ただ見ているだけだったんですが、ある日、ふと気付いたんですよ。


神社のしめ縄ね。


神社によって違うみたいですけど、横に張った太い縄に、短く束ねた藁がぶら下げられているタイプのしめ縄があります。


あれね、よくよく見たらですね、3つのグループに分かれていて、参拝する側から見て、右側が7本、真ん中が5本、左側が3本なんですよね。知ってました? っていうか気付いてました?


なんか作りがイイカゲンなんじゃないの? っとかね、そんな罰当たりなことをいっちゃいけません。


7本の藁束は、7柱の天の神を表しているんだそうです。


5本の藁束が5柱の地の神。そして3本の藁束が、天孫降臨から神武東征の間に当たる期間の地の神の3柱。


しめ縄って「七五三縄」とも書きますもんね。


で、ここまでは数学とほぼ関係ないんですけどね、ふと思ったのが、7も5も3も、素数だよねってことです。


なにか、そういう数字の意味合いみたいなものって、古代から考えられていたんでしょうかね。


縄文人が、かなり高度な数値、数量処理をしていたんだじゃないかっていう研究が進められているそうです。
3と5を聖なる数としていたんじゃないかっていう説もあります。
縄文時代ですよ。


近代科学の礎を築いたっていえるイギリスの数学者アイザック・ニュートンは1642年生まれ、1727年に亡くなった人ですが、日本の「関孝和(せきたかかず)」っていう人は1640年ごろの生まれで1708年に亡くなっていて、ほぼ同時代の江戸時代の数学者。


和算」って言われている日本独自の数学を極めたって人らしいです。

f:id:wakuwaku_nikopaku:20211217081346j:plain


代数の計算方法を世界に先駆けて発明したり、円周率を少数点以下11桁まで計算したりとか、なんだか凄い実績をあげちゃってるんですよ。


17世紀に日本と西洋って学術的な交流があったとは思えませんよね。
江戸時代の日本に、全く独自に数学を発展させた人がいたんですねえ。凄いですねえ。ただただ感心するばかりです。


今現在の数学ブームに乗っかっているような人たちの中にも、遅ればせながらの関孝和を目指しているような人もいるんでしょうか。

 


なんか、凄いブームなのかもなあ、って気がしてきました。


数学、再び。
いや、まあ、今回はね、ま、いっか。なのであります。


サビサビの頭に効く556なんてないでしょうから。


ある? え、うっそ~。あ、「語りかける中学数学」ってこと?


ん~、832ページはキツイっす。