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【栂尾炊き】栂尾煮をつついて 月を見ながら 明恵上人の【阿留辺畿夜宇和】を少しだけ考える

<「ありのままに」がヒットするほど窮屈なストレス社会の中の働かない働きアリ>

京都には土地の名前の付いた食べものや料理がけっこうあります。


九条ねぎ聖護院かぶら、中堂寺大根、壬生菜、堀川ごぼう。まだまだあるでしょうね。
寺社の名前がそのまま土地の呼び名になっているところが多いのも京都の特徴かもしれません。


3回目の緊急事態宣言の中、朝夕はまだ少し寒いぐらいの東京の4月末、少し足を延ばして多摩川べりにある小さなダイニングバーに顔を出してきました。


散歩コースの途中で見つけた飾らない店。ノンアルビールで20時までの営業ですとメールをもらったので、ご夫婦の顔を見に出かけたわけです。


もともと酒はワインがメインで、日本酒と焼酎の一升瓶を数本、ローテーションで置いている店で、なんといっても自慢は創作料理、という名前の、じつはオーソドックスなメニューが旨いんですね。


サンマの梅煮とか、プランターで育てたキャベツ炒めとか。鯛めしだとかを出していることもあります。


要は決まった定番メニューのない、材料さえあれば客に合わせてその場で作ってくれるってパターン。


マスターが都心の店で働いていたころからの顔見知りで、美人の奥さんがフロア担当。


フロアといっても2人がけのテーブルが3つと、4人でいっぱいのカウンターを今は2人用に。それとテラス席として小さな丸テーブルを2つ、店の外に出していて、テーブルの両脇に多摩川の方を向いた格好でぎこちない座りごごちの木の椅子を並べてあります。


テラス席に着きました。川の方を向いて腰を下ろすんですが、目の前は細いアスファルト道路を挟んで不愛想な土手が見えるだけで、川の流れは見えません。せせらぎなんかも聞こえないです。


無駄に大きな音を響かせて、マフラーに笛を付けたようなスクーターが時々通るだけの、吹きっさらしです。


でも、ここの料理は何でも適度に旨いんですね。客の好みに合わせてくれる。


ま、見方を変えれば、客の好みを決めつける。ってことでもあるんですが、これがけっこうハマッタリしています。こういうのが “相性” ってもんなんでしょう。


で、また、奥さんが大の料理好き。厨房で作っているのはマスターなんですが、メニューの工夫や買い出しのメモなんかは奥さんの担当らしいです。
山形県出身の奥さんは、京料理が好きで、休みの日は京都に行くのが趣味なんだそうです。


今はね、おいそれと行けません、残念です。つまらないです。って言ってました。


ノンアルビールを持って奥さんがテラス席にやってきます。缶のね。
「今だけの臨時だから」
いや、まあ、こだわりませんけれどね。でもノンアルって呑んだことないです。


サントリー オールフリー コラーゲンリッチ。


「コラーゲン、お肌にイイからね」
あのね、お肌とか気を遣っているタイプじゃないっす。


「ちょっと甘いんだけど、きょうは栂尾炊きありますよ。サイコーに上手に出来たの」
いっつもこんな感じの商売上手。否やはなく、じゃ、それで。


栂尾って、明恵上人のトガノオ?


「ミョーエショーニン? って知らないけど、高山寺の栂尾でしょ。さつま芋のたいたん、です」

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これは大学芋


小ぶりの深皿にとぷんと盛られて出てきたのは、皮が全く付いていないさつま芋で、表面が粉っぽく煮崩れています。砂糖のとろみはほとんど見られません。


ちょっと強めに煮崩すのがコツ、ってことなのでした。


芋きんとんみたいには潰されていないけれど、大学芋ほど蜜々しく硬くない。


なんだろこの味。甘さはさつま芋独自のものと砂糖のとが感じられますが、さつま芋の勝ち! みたいな甘さで、じっくり味わいたい旨さです。ホクホクです。


初めてのノンアルと、初めての栂尾炊き。涼しい春の夕べ。サイッコーでした。

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これは芋きんとん


調べてみますと「栂尾炊き」は、もっと一般的には「栂尾煮」って呼ばれているらしですね。


でもまあ、京都はいろんなもの「炊く」っていいますもんね、栂尾炊きでいいんでしょう。
京都好きの奥さんは特に、そう呼びたい、ってことなんだろうと思います。


その奥さんの言っていた通り、栂尾炊きは、栂尾にある高山寺の精進料理が最初、という説と、祇園にある栂尾という名前の料理屋がルーツ、という2つの説があるみたいです。


栂尾は嵐山のずっと北の方にある山間の場所。


京都の奥座敷と呼ばれたりするらしいんですが、そこにあるのが高山寺(こうさんじ)で、お寺の境内は「古都京都の文化財」で、国の史跡、そして世界遺産に登録されている有名なお寺さん。


古く寂れていた寺所を再興したものらしいですが、今の高山寺の開基が「明恵上人」です。


その時、1206年、明恵上人34歳。


時の将軍は三代目、源実朝、15歳。母の北条政子は50歳です。


執権は二代目となったばかりの北条義時、44歳。


執権職は義時の父親、北条時政が陰謀と武力で確立した権威とされていますが、義時にその座を譲ったばかりのこの時でもまだ69歳で健在だったようです。


この当時の鎌倉幕府体制は「十三人の合議制」が知られていますが、2022年、令和4年のNHK大河は「鎌倉殿の13人」だそうで、主人公は北条義時。なんだそうですよ。


そのストーリーがどんなものになるのか分かりませんが、義時が鎌倉殿と呼ばれたときの将軍は実朝です。
実朝が暗殺されたのは1219年ですから、メインは義時が執権になる少し前から実朝が暗殺されるまでになるのではないでしょうか。全く勝手な憶測ですけれどね。


実朝の歌「大海の 磯もとどろによする浪 割れて砕けて 裂けて散るかも」で〆るのかもしれません。


義時は実朝が暗殺されてから5年後、1224年に62歳で亡くなっています。


義時の後を継いで三代目執権となったのが「御成敗式目」を敷いて、北条家随一の名君と評される北条泰時、42歳の時です。
この時、明恵上人は52歳ですが、3年を遡る1221年の承久の乱の際に、明恵上人と北条泰時は邂逅しています。


承久の乱後鳥羽上皇が、執権北条義時に対する討伐軍を起こして敗れた兵乱で、後鳥羽上皇隠岐に流されて終わっています。


この時、多くの朝廷軍敗残兵が栂尾山中に逃げ込んで、それを探索した鎌倉幕府軍の安達景盛という武将が明恵上人を捕らえて、六波羅探題として京都を守護していた泰時の前に引き出したんだそうです。


手柄を立てたと勇む景盛でしたが、明恵上人の徳を知っていた泰時は、大いに驚いて自ら席を退いて、明恵上人を上座に据えて畏まったというエピソードが残っています。
明恵上人は泰時にこういう話をしたそうです。


「ここ栂尾の山は殺生禁断の地。鷹に追われる鳥、猟から逃れる獣は皆この山に逃げ隠れて生き永らえている。敵から逃げてくる兵たちも同じこと。お釈迦さまは自ら鳩になって鷹の餌食となり、飢えた虎の前にわが身を与えたという。自分も同じ思いである。逃げ惑う兵たちを隠せるものならば隠してやろうと思う。この考えはこの先も変わることはない。そのことが鎌倉幕府にとって面倒なことだというのならば、まず私の首を刎ねなさい」


泰時は深く詫びて、明恵上人に帰依したんだそうです。


日本に茶を広めたり、自分の見た夢を数十年に及んで記録した「夢記」を残していたり、超能力を持っているのではないかとされるエピソードも少なくない、鎌倉時代の大天才、明恵上人。


その明恵上人の言葉が【阿留辺畿夜宇和】です。「あるべきようわ」と読みます。


人は「あるべきようは」の7文字を保つべきです。
お坊さんはお坊さんの「あるべきよう」一般人は一般人の「あるべきよう」
帝王は帝王の「あるべきよう」臣下は臣下の「あるべきよう」というものがあるのです。
そうした各々にあるはずの「あるべきよう」に背いたようなことをすれば、すべてが悪い方にいってしまいます。


こんなような言葉を残しているんですね。


生きていればいろんなことがある。そのいろんなことの、その時その場で、自分の「あるべきよう とは何なのか」という問いを立てて、いちいち答えを出して、その答えの中に生きていくのが人間なんだ、というような意味なんだと思います。


決して「あるがままに」とか「あるべきように」「ありのままに」ということではないんですよ、という明恵上人の言葉は、心に残っています。
ま、時々思い出すという程度なんですけれどね。


もっと自分の周りの人を、他人を認めるという個人主義が浸透すれば、べき論や、こうでなければならないといったような意見を声高に言う人も居なくなると思うんですけれどね。


マイノリティの人が「ありのままに」という生き方を羨望するような感覚を持たざるを得ない空気感は、みんなが自分の「あるべきようは」を身に付けていないから、なのかもですよねえ。


ちなみに、明恵上人は栂尾炊きを食べていないと思われますね。


さつま芋が南方、あるいは中国から沖縄に伝わったのが関ヶ原の戦いの辺りだそうで、京や江戸に伝わったのは家康さんが亡くなった頃だとされていますからね。
さすがの明恵上人も残念がっておられるでしょうか。んなことはないですね。あるべきようは、ですからね。


コロナ禍の中での不寛容社会について「あるべきようは」を考えて、ノンアルで栂尾炊きを食べました。


明確な回答、に、至らず。


明恵上人は月を愛したんだそうです。月の歌をたくさん残している。


多摩川べりの空にも、ぼんやりした月がのぼっていました。少し寒くなってきました。


明恵上人は今から780年前、1232年に亡くなっています。
「夢判断」のフロイトは19世紀の人。明恵さんは13世紀。


川っぺりの風は少し冷たいです。ノンアルでは温まりませんね。
栂尾炊きのホクホク加減を愛しく思い出しました。


時計を見るとまだ20時前です。往きは歩いて行ったんですが、帰りは電車に乗り込んで帰ってきました。満月にはまだ間がありそうな夜空でした。