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【スヌーピー】と【チャーリー・ブラウン】に学ぶ「アフターコロナの帰属意識」

<今まで通りじゃなくたってイイんじゃないか というメタレベルの人生観を考える>

新規感染者数が減っていないので延長します。えへへ、って笑って言うことか!


テレワーク、リモート会議、時差通勤。個食、マスク会食、アルコール禁止。
1年以上にわたって、これまで経験したことのない仕事環境、生活環境に向き合ってきましたね、みんな。


自分の仕事はテレワークとか出来ないジャンルだから、という人にしても、周りの生活変化は感じざるを得ないのではないでしょうか。


満員電車は相変わらずですよ、とは言いながら、ホントの詰め込まれ状態というのは極端に少なくなっているように思います。
身体が浮き上がるほどの「すし詰め」は、今はありませんよね。異常度合いが少しだけゆるやか。


コロナ前の、学生が休みになった期間の電車の余裕。それよりもゆるい「満員」です。
それを考えますと、東京の飽和状態はホントに常軌を逸しているレベルだってことですね。
電車だけじゃなくって、高速道路、一般道も渋滞です。


都市生活者、っていうのはなにも東京に限ったものじゃなくって、札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、福岡だって似たようなものだと思います。


東京は人口減少の傾向がみられていて、減ってきたかなと思っていたら、4月の転入者はどっと増えたらしいです。
新入社員、転勤族で春は毎年大幅な転入超過らしいですが、ゴールデンウィーク明けからはまた減っていくんだろうと思われます。


都市生活者は、必ずしも「大都市」の真っただ中に住むことはない。その周辺の「ギスギスしていない」町に暮らして、所属する組織にはネットワークで繋がっていれば充分であって、オフィス自体、必要じゃない。その固定経費を待遇改善に回した方がよっぽど発展的じゃないのか。


そもそもICTの利用っていうのは、そういう使い方をして生活改善を実現しようと謳っていたはず。


東京をはじめとしたこれまでの「大都市」の「中空化」
イイことなのか、ワルイことなのか、という議論を耳にすることがありますが、イイもワルイも、そういう判断をするレベルに日本はなくって、生活していくうえで、そうすることが可能な人は都市から離れるべきだと思います。


21世紀のデジタルインフラがどんどん進化していっている中で、あまりにも日本は貧弱だということを感じさせられるニュースが、コロナによって炙り出された感がありますよね。


成りばかりデカくなった「恐竜」みたいです。足や尻尾に大怪我をしても、脳に伝わるまで年単位の時間がかかる。


既存の組織は、21世紀的な機能をしていない。機能していないことにすら気付いていない。


感染者数の集計が手計算によってなされ、合算するべきそのデータはFAX送信される。受け取った側もそれを集計するのはまた手計算になるわけです。日本の話ですよ。


感染者との濃厚接触可能性をアナウンスするシステム「ココア」は、ほぼ機能しなかったまま、無かったこととして消えてしまいました。
デジタル音痴。


官庁の文書通信はいまだに「文字化け」問題で右往左往しているというニュースがありました。
パソコンで使っているワードプロセッサーに「一太郎」が混じっているからだという報道内容でしたが、このニュースを伝えている記者も、おそらくはデジタルに通じている人では無さそうです。
ICTに関して云々する資格なし。


文字化けはアプリケーションの互換に問題があるからではなく、そのアプリケーションに組み込んでいるインプットメソッド、フロントエンドプロセッサ―の文字コードに相違があるからですよね。


もったいない精神は大事なものですが、データ共有という観点からすれば、少なくとも官庁全体での文字コードぐらいは統一しておくべきことでしょう。
専用サーバにパッチをあてるという方法もあります。
ネットとの絡みを考えれば、当たり前のことなんですが、あまりにもベーシック過ぎて誰も言及しなかったってことなんでしょうか。


統一した文字コードを組み込めない仕様のアプリケーションは、もはや使えないということです。
もったいない、という美意識の問題ではありませんよね。サビついて切れてしまったチェーンでは、日本という自転車は前に進めません。


こういう問題は、特に政府、官庁に特異なことではないように感じます。大きな組織の、古いシステムにはビックリするようなレガシーが生き残っていたりします。無駄な仕事が生まれてしまいます。


まだありますね。
同じ銀行が何回も何回もシステム障害を起こして謝罪しています。


毎度毎度、ご迷惑をおかけいたしました、ってことなんですけれど、そのことよりもずっと重要なのは、日本のシステム基盤が「ナメラレル」ってことだと思います。
クラッカーたちは鵜の目鷹の目、情報収集しているんだと思いますよ。


つぎはぎだらけのシステムになってしまっては、不正侵入に気付かない可能性が大きくなってしまいます。


デジタルインフラとしての日本の評価はダダサガリ

 


一部のメディアしか言っていませんが、あの銀行の問題はあきらかにレガシーシステムを運用しながらメンテナンスするという方法が長引きすぎたのが原因だと思われますね。


今現在のシステム開発と言われている実情はシステム運用だと言えると思います。手を入れるのはバイパスばっかり。


システムエンジニアが取り組んでいるソースコードが、ほとんどブラックボックス化してしまっているほど「古い」ってことでしょう。


障害修正と言いながら、抜本的に設計しなおしたりしていない、と思います。


数日でとりあえず動くように直して、その背後では抜本的システムリニューアルを進めるべきなんですが、おそらくやっていないでしょう。
旗振り役にとって、コンピュータシステムは、ブラックボックスでしかない。


銀行という20世紀資産自体が大きく変化せざるを得ない状況みたいですからね、滅びゆく可能性のある物に大きな予算を付けられない。という判断があるのかもしれませんけれど。


官庁で働く人、官庁の職員ばかりじゃなくって、そこへ出入りしている人、銀行なんかも同様ですが、実際の現場で働く人たちはテンテコマイの忙しさ。ですが、無駄も多い。そう感じている人も少なくないですよ。


テレワークしましょう。って言われてもコアな部分に関わっている人はできない。なぜなら、アナログジジイたちと話をしないといけないから。それが仕事だから。


そこからジョブを切り分けて、テレワーク部隊へ割り振っても、そのタスクは根本的な解決に向けてのものではない、ってことになりがちで、このところの日本はずっとそんな感じなのではないでしょうかね。


長引くテレワークで郊外に、地方に生活拠点を移す人たちが増えているのは、とてもイイことだと思います。


生きることは働くことだというのは、もうとっくに死んでしまっている概念。
生きることは笑うことです。楽しく食べることです。遊ぶことです。


身過ぎ世過ぎは草の種。仕事するのは金を稼ぐため、などと割り切っているつもりではいても、自分のやっていることとアイデンティティが釣り合いを持てない。


でもこれまでは、そういうところに目をつむって、思考ストップして働いてきた、って人は多いんだと思います。


家族との暮らしであっても、独り暮らしであっても、生活拠点を思い切って移してみるというのは、自分で自分を考え直している、最初の一歩になるのかもしれないですね。
一旦、メタレベルから自分自身を考え直してみるというのは、アフターコロナの日本人にとってとても大切なことだと思います。


今やっている仕事が好きで楽しいとして、その仕事を続けていくのに、今の組織に所属していることが、自分にとってどういう意味を持っているのか。


考えて、納得して、帰属意識を持てるのであれば、それは幸せなことです。

 


一度メタレベルから捉えなおしたアイデンティティであれば、これまでとは違って、かなり積極的に生きていけるのかもしれません。そうなればハッピーですよね。


そうは言ってもね、という人。参考できるサンプルがあります。
メタレベルでの思考をずっとやっている、すぐ隣りに居て、人気のあるキャラクターが居ます。


スヌーピーです。チャーリー・ブラウンです。


こまっしゃくれたビーグル犬は、なんだかビックリするようなことばっかり言ってましたよね。

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そもそも飼い主のチャーリー・ブラウン自体も、8歳という設定ながら、悟りの境地に居るような子供。


なにか事が持ち上がるたび「Good grief(やれやれ、お手上げだね)」


ピーナッツに出てくるのは、子供たちと、犬と、鳥がほとんですが、なんだかみんな「オトナ」


新聞の4コマ漫画として、日本では「サザエさん」が人気ですが、比較してみますとピーナッツは哲学的な験舌が多いですね。


I don’t have time to worry about who doesn’t like me.
I’m too busy loving the people who love me.
「僕を好きじゃない誰かのことでくよくよしてるヒマなんてないんだ」
「僕を大好きでいてくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるからね」


変装好きのビーグル犬、スヌーピーはこんなことを言うわけです。


世の中から離れたところにいる感じです。尤も、ピーナッツの登場人物たちは、みんなそうかもしれません。


メタレベル・ワールド。


人気の秘密はこの辺にあるんじゃないでしょうか。嫌なことに拘泥しない。世の中は嫌なことばかりじゃないってことを知っているビーグル犬。と、子供たち。


街や学校を含めて、生活空間に帰属意識なんて持っていない。それは子供だから、犬だからじゃなくって、生まれたときから悟っているから、なのかもしれません。


チャーリー・ブラウンは言います。


「もっと人に好かれたいなあ。少しの人にでもいいから好かれたいなあ。たったひとりにでもいいから好かれたいなあ」


この犬にしてこの飼い主あり、です。


とんがった犬小屋の屋根の上に、いつも器用に仰向けになっているスヌーピーは言います。


「明日が素晴らしい日だといけないから、うんと休息するのさ」


自分にとってなにが「素晴らしい」ことなのかを知っている言葉ですよね。

 


コロナが落ち着いて、日本社会がまた動き出すとき、今の帰属意識をメタレベルで捉えなおしていれば、素晴らしい日々に生きていくことができそうです。
自分にとって「素晴らしい」ってことはどういうことなのか、知ってますか? 考えたことありますか?


仕事どっぷりじゃない生き方が出来れば、自分の好きな人の好きなところに、改めて気付くかもしれませんし、自分ももっと好かれたいと思えるでしょうし、会社の帰属意識から解放されて、素晴らしい明日に備えることもできそうです。


ここまで人間系システムの脆弱性をさらした日本なんですから、今が「ソコ」なはずです。


顔を上げて、会社じゃなく、日本じゃなく、個人でいきましょう!