< そりゃあね 何をどう食べたって勝手なんですけど >
泉鏡花(1873年~1939年)という人は潔癖症で知られていて、生ものは食べなかったそうです。
さらには、あんパンを親指と人差し指でつまんで、アルコール・ランプの炎で炙って食べるんだそうですが、指で挟んでいた部分は食べずに捨てたっていう話が伝わっています。
日本酒を呑むときは「泉燗」って呼ばれて有名になった、ぐらぐら煮立つまで燗をつけるのを常にしていたそうです。
燗をつけるっていうより「消毒」ですね。
単にそういう性格っていうふうに捉えることもできるのかもですが、1885年、明治18年から翌年1886年、明治19年にかけて日本はコレラ禍に見舞われています。鏡花12歳から13歳のころですね。
さらに1890年、明治23年から1891年、明治24年にかけてと、1895年、明治28年の時と1902年、明治35年にもコレラ禍の恐怖を経験しているんですね。
コレラ、コレラの10年。
口から自分の身体に入れるものについて神経質になっていたのは、なにも泉鏡花に特殊なものではなかったでしょうね。
今回のコロナ禍について、終息はぜんぜん見えてきていませんが、治まった後も空気吸入っていうか、呼吸に関して、神経質な反応を続ける人も出てくるのかもしれません。
止むを得ない、って言いますか、菌やウイルスとの共存っていうのは、なかなかシンドイですよね。
神経的にも参ってしまいます。どうしてもそういうふうにならざるを得ない感じもします。
ところが、同じ時代、同じ場所に暮らしていながら、まったくそういう反応を示さない人っていうのも居るわけです。
食い意地が強かったっていう谷崎潤一郎(1886年~1965年)なんですが、泉鏡花より13歳の年若です。
同じ作家の吉井勇、泉鏡花と3人で「鶏鍋」を囲んだことがあったそうですが、谷崎潤一郎は「半煮え」が好みだったそうで、どんどん自分だけで鶏を食べてしまう。
泉鏡花は、例のごとくで完全に火が通っていないと食べられないので、「この線から入っちゃいけないよ」って鍋の中に線を引いたって話があります。
この鶏鍋を囲んだっていうのがいつのことなのかハッキリしませんが、同じようにコレラ禍を体験しているはずの谷崎潤一郎の豪胆さといいますか、生きる力といいますか、人間、実に様々なんですね。
ま、いろいろ、食にはこだわりの強い人だったみたいですけど、酒粕まんじゅうっていうのが谷崎潤一郎のオリジナルなのかどうかは分かりません。
黒糖を酒粕で巻いて、焼くっていうのが酒粕まんじゅうだそうです。
食べたことないです。っていいますかですね、見たことも聞いたこともないですね。
イメージとしてけっこういけそうな感じもするんですが、不思議なのは、なんでそんなアイディアを思いつくのかってことですね。
純粋な酒粕に、白砂糖の代わりに黒糖を、ってところは分かるような気がします。旨そうにも感じます。
でも、たぶんおそらく、谷崎潤一郎の酒粕まんじゅうっていうのは、顆粒状の黒糖じゃなくって、黒糖の塊りを何も混ぜ物をしていない酒粕で巻くっていうか、握り固めて、ごろごろと網焼きする、って感じなんじゃないでしょうかね。
けっこうしっかり焼いて、表面カリカリ、中をガリガリやるっていう食べ方なんじゃないかってね、勝手に想像します。
そういう酒粕まんじゅうの方が谷崎潤一郎って人には似合っているように思うですねえ。
ところで、酒粕まんじゅうっていうのと酒まんじゅうっていうの、なんだか同じように捉えていたんですが、どうやら酒まんじゅうっていうのは、酒粕を使っていないみたいですね。
生地の中に麹を入れて発酵させているので、出来上がる工程が酒に似ているっていうんで、酒っていう名前を使っているだけ、らしいです。
一般的な薄皮まんじゅうだとかが酒まんじゅう、なんだろうと思います。
まあ、薄皮って名乗っているまんじゅうには麹が入っていない、とかいう区別はあるんでしょうけどね。
食べる分には酒まんじゅうだろうが、薄皮まんじゅうだろうが、まんじゅうに変わりはないってな感じで食べていますけれどね。
甘党には、んなこたあない、ちゃんとした違いがあるんだ! っとかね、怒られるのかもしれませんが。
苦み走った外見からは想像できない甘党っていうのが森鷗外(1862年~1922年)です。
泉鏡花、谷崎潤一郎と、まあざっくり同時代の人ですね。
三人とも文豪です。
陸軍の軍医っていう顔も持っていた森鴎外ですが、ドイツなんかで細菌学、衛生学を勉強した結果なのか、泉鏡花ほどではないにしても潔癖症の傾向があって、果物は生で食べない。
桃、杏、梅を煮込んで、砂糖を振りかけて食べていたんだそうです。
オシャレといえばオシャレ。
酒は呑まず、かなりの甘党。
子供たちには「パッパ」って呼ばれていた森鷗外は、お菓子類や焼き芋が好きで、なかでも「あんこ」が大好物。
「酒まんじゅう茶漬け」っていうのを「開発(?)」して、しょっちゅう食べていたそうです。
谷崎潤一郎の「酒粕まんじゅう」なんかより、かなり妙な食べものですよね。
いかにあんこ好きだったとはいえ、まんじゅうのお茶漬けです。
どういうところから、そんな発想が湧いてくるんでしょうかね。
谷崎潤一郎の「酒粕まんじゅう」といい、森鴎外の「酒まんじゅう茶漬け」といい、さすが大作家。常人には無い発想力! ってことなんでしょうか。
「酒まんじゅう茶漬け」やってみました。はい。チャレンジです。
レシピってのがいくつかネットにありましたんでね、ちょっとずつ違うんですが、結局はテキトーにやってみたです。
「田酒まんじゅう」を買って来ました。
青森県の地酒「田酒(でんしゅ)」の酒粕を使っているっていう田酒まんじゅうです。
けっこう大ぶりですね。こしあんです。
「酒まんじゅう茶漬け」のレシピにはまんじゅう4分の1個、っていう記述が多かったんですが、4分の1個って言ったって、そもそものまんじゅうの大きさっていろいろありますからね、ハッキリとは分かりませんよ。
それに、森鴎外の長女、森茉莉さんのエッセイによりますと、「酒まんじゅう茶漬け」に入れるまんじゅうは、葬式饅頭って書いてありましたよ。
もちろん葬式饅頭っていったって、大きさは地方によってかなり違うんでしょうけれど、たいてい、大きいですよね。あんこたっぷりの薄皮まんじゅうっていうのが普通じゃないでしょうか。
それにですね、4分の1個使った残りはどうすんの? ってことですよ。
まんじゅうを普通に食べる習慣とかないです。今回のために買った「田酒まんじゅう」なんです。
なので、けっこうな大きさの「田酒まんじゅう」を1ッコ、丸々使うことにしました。
炊きたてのごはん。って炊飯器のない生活ですので、サトウのごはんです。パックです。
チンしてどんぶりによそいます。
アツアツのごはんの上に「田酒まんじゅう」をポンっと乗せます。
箸でまんじゅう表面をふにふにと崩します。
おーいお茶の粉末をコーヒーカップに入れて、ティファールの湧きたてのお湯を注ぎます。
かき回して、どんぶりの「田酒まんじゅう」の上からひと息にかけまわします。
出来上がりです。
ん~。皮がお茶に馴染んでいってますねえ。
実食!
食べられますね。はい、ま、甘いごはんです。
結論! 別々に食べた方が全然イイです!
お茶とごはん、合いますよねえ。鮭のフレークとか、梅干しとかがイイですねえ、やっぱし。
お茶とまんじゅう、合いますよねえ。まんじゅう怖いでお馴染、渋いお茶とまんじゅう、イイですよねえ。
ごはんとまんじゅう。別々の方がイイでしょねえ。
でした。はい~。