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酒と落語と日本人 江戸の昔のフードファイター 【そば清】の一席

ギャル曽根さんは蛇含草の正しい使い方をちゃんと知っているんでしょうかねえ>

そば清という落語なんですが、演題、噺の素は同じなんでしょうけれどタイトルが違っているのが他に3つほどありますね。
「蛇含草」「そばの羽織」「羽織のそば」
このうち「蛇含草」という演題で高座にかかるときは、食べるものが、そばじゃなくって餅、になっています。

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どうやらもともとの噺は、この餅の「蛇含草」だったそうですが、三代目の桂三木助昭和36年に亡くなった落語家ですが、上方から東京へ持ってきて、噺を江戸前にアレンジして仕立てたものが「そば清」ってことだそうです。


例の「芝浜」を名作に仕立て上げたことで知られる“芝浜の三木助”ですね。食べるものを餅からそばへ、蛇含草という秘密の草のエピソードも説得力をもってアレンジしているように思います。流石でございますよ。


ま、ご存じかとは思いますが、噺の中身を老婆心ながら。


とある江戸のそば屋に町内の者が集まってワイワイやっているところへ、ふらりと男が現れます。
見慣れない男はモリそば、セイロなんて言い方もしますが、これをを注文してアッと言う間に平らげます。
で、見る間にもう一枚、もう一枚と注文しては平らげ、平らげてはもう一枚。


1人がいたずら心を起こしてこの男に20枚食べられたら1両やると言い出します。


男はなんなく20枚平らげて、1両もらってごちそうさん

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このあたりのやりとり。そばを次々平らげる男と、その食いっぷりに刺激される町衆を演じ分ける噺家がね、演ると、イイんですよね。


余裕で1両を懐に入れて立ち去られた町衆は「なんだあの野郎」
そりゃもう悔しがって日を暮します。
で、また同じそば屋でヤイヤイやっております町衆の前に、また現れます。あの1両、そば野郎。
この前の仇を討とうというんで、30枚と持ち掛ける。男はペロリでまた1両。


そば屋のオヤジが男の素性を知っていて、あれは有名なそばっ喰いで、名前をそば清ってぐらいの評判をとってる。
おいおい早く言ってくれよ。


そばの大食いは分かったけれど、どうしてもギャフンと言わせなければ納まらない町衆の前に、またそば清が現れる。
50枚で5両でどうだ、とけしかけます。


男の方もさすがに50枚は、となったんですが、男の方にも意地があって、きょうは調子が悪いから出直してくる、とそば繋がりで信州の山の中へ行きます。
ここは特に信州じゃなくたってイイんでしょうけれども、とにかく山の中へ行く必要があるんですね。


このあたりの理由付け、なんでそば清が山の中に分け入って行くかっていうところも、噺家のウデの見せどころ。


ま、とにかく、そば清は山に入って行きます。で、大蛇に出会います。
大蛇が猟師とにらみ合っている。とんだところに出くわしますね。
そば清はただジッと見守るばかり。

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大蛇があっと言う間に猟師を呑み込んで腹がはちきれそう。


大蛇が苦しい身体を引きずるようにして、ある草を舐める。と、大蛇の腹がスッとおさまって、藪の向こうへ消えて行きます。
さっきまで動くのもままならない、もう食えねえって苦しんでいた大蛇がひと舐めしたら、ふくらんでいた腹がスッとへこんだ。


お、これだ。そば清は閃きますね。


で、そば清はその草、これが蛇含草なんですが、これを持って例のそば屋へ羽織姿で意気揚々。


50枚というところをそば清の方から60枚で6両と持ち掛ける。


ところがさすがのそば清も50枚平らげたところで、もう入らない。ちょっと身体を動かすからみんな外へ、と独りになって、しめしめと蛇含草。


外へ出された連中は逃がしはしないと障子の外に陣取るんですが、どうも静かだ。気配がない。
うまいことズラカリやがったか?


というんで障子を開けてみると、そばが羽織を着て座っていた。
っていう噺。

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蛇含草 じゃないです


蛇含草はそばを溶かしてくれるんではなくって、人を溶かす草だったという一席です。
うまく出来た噺だと思うんですね。


そば清が見たのも大蛇が呑んだ猟師、人の方が溶けていたわけですからね。辻褄はちゃんと合っています。


餅の噺からそばへ持ってきたのも江戸っぽいところを狙ったんでしょうね。そばを手繰る形態模写も見せどころ。
きれいに粋に啜って、何十枚ものそばを平らげる男。そば清。


この噺の舞台が江戸のいつ頃なのかハッキリしませんが、どうやら江戸の町でも大食い競争というのは流行っていたらしいんですね。


記録が残っています。


1817年、文化14年に両国の茶屋「萬八楼」の宣伝に大酒大食会というのを催したんだそうなんですね。
いやあ、なんだかビックリです。
江戸時代と大食い競争というのが、どうもうまく結びつきません。
でもあったんですねえ。江戸時代にも居たんですねえ、フードファイター


今現在のフードファイターといえば、圧倒的に支持されているのが、ご存じギャル曽根さん。
とんでもない量をキレイに平らげちゃう御仁であります。見ている方が腹いっぱいになります。ギブアップ。

 


フードファイトにはいろいろあるようで、ボリュームではなく辛さを競うのもありますね。


江戸の大酒大食会にもジャンルがあったようで、今も昔も似たようなことをやっているんですね、日本人。


記録には飯を帝の茶漬け茶碗で、と書いてあるんですが、これ、茶碗の大きさが分かりません。
帝っていうのがキングというようなニュアンスだとすれば、かなり大きいんでしょうね。でもどんぶりではない。もしかして、どんぶりなんて無かったころのことなんでしょうか。


まあ、とにかく、この飯というジャンルで優勝したのが浅草の和泉屋吉蔵という人。
54盃とトウガラシ5束、とあります。
おかずといいますか、ごはんのアテとしてトウガラシを5束ってことだと思うんですが、はあ? って感じです。
トウガラシってことも意味分からん、なんですが、5束って? どんだけ?


まあ、辛さを刺激にしてごはんを詰め込むって作戦だった、のかもしれないんですがですね、驚くのは、優勝したこのオチャメな和泉屋吉蔵という人、なんと73歳。
ドッヒャー、ですよね? 江戸時代の73歳ですよ。


ごはん54盃もだけど、トウガラシ、そんなに食べて大丈夫だったのかあ?

 


でもあれです、ギャル曽根さんの胃袋だって、充分に理解不能ですもんね。江戸時代のフードファイターも理解不能。っていうことで納得しておきますです。


そばの部もあります。
二八そばの中盛、上。とありますね。
そばの上なんてあったんですね。


優勝者は新吉原の桐屋五左衛門さん。
57枚。おおっ、居ますね、リアルそば清。
この人は43歳だそうです。


さらには酒の部もあったようでして、これは盃は自分で選べたみたいなんですが、優勝した小田原の堺屋忠蔵さん。
三升入りの大盃で三盃、68歳。
これってもう危険領域ですよね。9升ってことですよ。しかも68歳。
江戸人、なかなか元気。でも危険キケン。


さすがに今では酒はやらないでしょうね。急性アルコール中毒ってのがありますからね。


江戸の呑み助たちはこの酒の部で、まさに浴びるように呑んだんですね。
そのまま倒れてしばらく休んだという人。
帰る途中で聖堂の土手で倒れて、そのまま翌日の朝4時まで寝ていたという人。
歌を唄う人、甚句を踊る人、一礼して直ちに帰る人、だとか、やっぱりオオトラがわんさか出たっていうことみたいです。


笑えない気がしますけれどね。でも人死にが出たとは書いていません。


大酒呑み競争は他にも記録があって、1815年、文化12年の千住酒合戦という有名なものだそうです。


千住の松勘さんは、全ての酒を飲み干した、とありますが、どゆこと? 主催者側が用意した酒を全部、全量ってことなんでしょうかね。


下野小山の左兵衛さんは、七升五合。
しかしねえ、ホントにこんなに呑めるんですかねえ。


女の人も参加してますよ。
菊屋のおすみさん、二升五合。
天満屋のみよ女という五郎左衛門の奥さんは、一升五合呑んで酔った顔も見せず、だそうです。


二升五合のおすみさんは乱れちゃったんでしょうかねえ。

 


しかしまあ、日本だけじゃないんでしょうけれど、大食い大酒、凄い人が居るもんですねえ。居たもんですねえ。


こういう人たちって、ギャル曽根さんもそうですが、たぶん、人知れず、蛇含草ならぬ人含草みたいなものを持っているんじゃないでしょうか。

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で、テレビのフードファイトなんですが、あれってお相撲さんとかは出ないんでしょうか。お相撲さんは反則? なんでしょうかね?
ま、身体の大きい人がいっぱい食べてもテレビ的に面白くないってことでしょうかね。


ギャル曽根さんも、けっこう長いこと大食いし続けていますけれど、大丈夫ですかね。無理をしないようにお願い申し上げておきますです。画面のこっち側からね。


おあとがよろしいようで。