ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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【花見で一杯】花はサクラ それが常識ってもんではあるんですが

< お前らどうせ花なんて5分しか見てないだろっ! ちゃうわい! 1分じゃ! >

春の風の中をコロナウイルスが飛び回っているとしても、2022年のサクラは一時に満開になって日本の四季の移り変わりを無言のままに報せてくれました。
ま、なんだか雨やら北風やらで、あっと言う間にひらひら散ってしまいましたけど。


昔から満開のサクラには酒が付き物だと言えそうですけれど、なかなかね、コロナ禍ではかつてのようにはいきませんね。


でもまあ、あれですかね、コロナのちょっと前ぐらいから花見っていうのは行動規制され始めてましたね。
ゴミ問題も含めた近所迷惑が最大の理由だったんじゃないでしょうか。

 


バブルの頃だったと思うんですが、桜の下で麻雀卓を囲んでいる人たちが居たり、ハンディカラオケでガナッテいるグループがいたり、花の下でバーベキューしちゃったりなんかして、かなり傍若無人な状態なっていましたからね。
なんでわざわざここへ来てやる必要があるんだ! って近所からクレームが付くのも分かる気がしたもんです。


桜の名所って各地にありますし、広い庭の1本の桜の木に近所の人たちが集って、花を見上げながら静かにお弁当を広げる、なんていう光景も見受けられましたけど、少数派。
そりゃそうですよね、そんな広い庭のお宅がそうそうあるわけもないですし、そういう方とのお付き合いのある方っていうのもまた少ないでしょうからね。


庶民は公園やら街道沿いの桜に群がるようにして騒ぐのが恒例でした。


騒がなくたってイイんですよね、ホントはね。お花見なんですから。
でも、騒ぐ。酒呑んで大笑い。ギャーギャーわめく。
なんでカラオケをハンディーにしたんだ?
メーカーさんにクレームが入ったとか入らなかったとか。


そりゃそうです。その桜並木を歩いて、ウォーキング花見していても、うっせえウッセエ、うっせえわ! でしたからね。
酒に酔ってマイクを持つ手が既に怪しくなっているのに、声だけはバカデカイっていう人は、たいてい、ヘボイわけです。公衆の面前で、迷惑ですね、間違いなく。


いや、別に、みんな酔っぱらってるんだからイイだろ、って反論もあるのかもですが、静かに花を楽しみたい人だっているんですよ、って言いますかですね、桜の花の下で騒ぐんじゃねえよ! 桜だって迷惑だ! 桜が可哀想だろ!
っていうのが世間様の共通した思いだったんでありますよ。


あんたらのせいで、酒呑みの肩身を狭くしちゃいけませんです。


そもそもいつ頃から日本人の花見、飲食を伴って桜花を愛おしむ習慣が始まったんでしょう。


京都、平安京大内裏に隣接している「神泉苑(しんせんえん)」
ここは794年ころ天皇のために造営された「禁苑」で、日本後記には、812年、時の嵯峨天皇が「花宴の節」を催したっていう記述があります。


万葉集」が成立した奈良時代のころの花見と言えば、梅、だったそうですが、嵯峨天皇平安時代古今和歌集」では既に、梅の歌より桜の歌の方が多いそうで、「花宴の節」は「桜の花見」であったろうとされています。
これが確認できる日本初の花見。


でもこのころは、花を愛おしんで歌を詠むって感じの貴族の遊び、だったんでしょうから、多少の飲食はあったにしても、酔っぱらって大騒ぎ、とかじゃないでしょうね。
桜の花を見上げながら、散りゆく花びらを目で追いながら、歌を詠む。そういう文化レベルの高い遊び。


パッと咲いて、はらはらと散る桜は日本人の心情に合っていたんでしょうね、あっという間に桜が全国に広まったようです。

 


時代が進んで、武家の中にも桜の花を慈しむ文化が浸透していく。
この時には庶民にも親しみ始められていたんだろうって思わせるエピソードがありますね。


西行さんです。


「願わくば 花のしたにて春死なむ その如月の望月のころ」


を始めとして桜の歌を多く残している西行さんですが、「西行桜」っていう能があります。
西行さんの頃より少し時代の進んだ室町時代世阿弥の作とされている有名な能です。


京都の西山に隠棲している西行さんの庵は見事な桜に囲まれています。
言ってみれば「桜オタク」な西行さんですからね、歌のアイディアをひねっていることもあるでしょうし、一人静かに咲きほころんだ桜と対話したいところでしょうけれど、その西行庵の見事な桜を目指して訪ねてくる人々がいるわけですね。


わざわざ訪ねて来てくれた人たちを追い返すわけにもいきません。
なんやかやと話も盛り上げないといけない状況になってしまいますね。
そんなところを西行さんは詠みます。


「花見んと 群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける」


なんだかこんなに人が集まって来てしまうのは、桜の花がキレイだっていう桜の罪だね、っていう歌ですね。
で、その夜西行さんは夢を見ます。


桜の精の白髪の老人が現れて「さて桜の咎は何やらん」と、西行さんに問いかけて、「浮世と見るも 山と見るも 唯其人の心にあり  非情無心の草木の 花に浮世の咎はあらじ」と言うんですね。


西行さんが「おう実にげに これは理なり」って応えて老人は去っていって、西行さんは目覚めます。


あんたがどう感じ取ろうとも、桜に罪は無いのだよってことですね。ま、そでしょねえ。西行さんもアッサリ納得しています。


西行さんがうるさがったっていう桜見物の人たちも、まさかハンディカラオケを持ち込んで来るような人たちじゃないんでしょうけど、今は昔、西行さんの望んだ静寂は知る由もなしです。


鎌倉時代兼好法師は「徒然草」の第137段に花見のことを書いています。


「すべて 月 花をば さのみ目にて見るものかは 春は家を立ち去らでも 月の夜は閨のうちながらも思へるこそ いとたのもしうをかしけれ」


名月や満開の桜は、直接目で見なくたって想像することも出来るんだし、それはそれで味わい深いもんだよってことですね。


「よき人は ひとへに好けるさまにもみえず 興ずるさまも等閑なり」


風情ってものを分かっている人は、きゃっきゃ喜ぶんじゃなくって、のどかに眺めているもんです。


「片田舎の人こそ 色こく 万はもて興ずれ 花の本には ねぢより 立ち寄り あからめもせずまもりて 酒飲み 連歌して 果は大きなる枝 心なく折り取らぬ 泉には手足さし浸して 雪には下り立ちて跡つけなど 万の物よそながら見ることなし」


これは痛烈ですね。


田舎者は桜の花ににじりよって必要以上にじろじろ眺めて、酒は呑むは大声で歌うわして、終いには枝を折ったりする。田舎者っていうのは夏の泉には絶対手足を浸さずにはいられないし、雪見の景気の中に足跡をつけずにはいられない。そっと見て取るってことができないんだよ、って言ってます。


ここで言う「田舎者」っていうのは住んでいる場所によって区別しているんじゃなくって、風雅を理解しているかどうか、下司かどうかってことなんでしょう。
悪口として使っている言葉。概ね同感しますねえ。


麻雀、カラオケ、食い散らかし。
そういうのも野遊びではあるんでしょうけれど、そこに花のある必要が全然ないです。


そういう輩が集まってしまうのは、現代でも困ったちゃんですね、はい。


歴史的に有名な花見って言えば豊臣秀吉の「吉野山の花見 1594年」「醍醐の花見 1598年」ですね。
豪勢な花見だったと伝わっているわけですが、人たらし、政治家と言われた秀吉さんの主宰する花見です。


つい先日まで殺し合いをやっていた連中を集めてする遊びですからね、花見とは言っても権力争いの、腹の探り合いっていう空気だったろうと思いますねえ。


花をのどかに眺める余裕もなかったでしょうけれど、笑い声も本心からのものじゃないような、腹の探り合いっていう冷たい華やかさだったのかもですよ。

 


ま、こういうシチュエーションでも桜には何の罪もありませんですね。


己の足元に集まる人間どもを、ただ黙って見ているだけです。


桜に魅了される日本人はずっと引き継がれています。
1928年、昭和3年梶井基次郎「桜の樹の下には」を発表しました。

 

桜の樹の下には屍体が埋まっている!」


っていう、どっひゃあ! な出だしは、みなさんご存じかと思います。


桜の花があんまり見事に咲くので、なんだか不安で仕方がなくって、その正体を知ってるっていう掌編小説。


「今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑のめそうな気がする」


として終わっています。

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もうこの時には、花見の酒宴っていうのが一般的になっていたんでしょうね。


バブル期を頂点とした花見のバカ騒ぎは急速に下火になって、さらに今はこのコロナ禍です。
これからの花見酒っていうのは、西行さんや兼好法師の気持ちを慮って、日本の春のニューノーマルってやつになっていくんでしょうね。


どこか寂しいような気もしますけれど、花は桜っていいながら、ソメイヨシノがね、今、どんどん切られていっているのが悲しい令和日本の現実ではあります。


でもね、静かな酒もまた、イイもんではあります。そっちの方が好きです。


桜だってニッコリしているような気がします。
今年のお花見、楽しめましたか?

 

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