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【ちまき】と【柏餅】 もしかするとルーツは一緒なのかも

<5月5日 端午の節句はコイのぼり ってパターンですけれど 食べものは なに?>

季節感とか年間行事っていうのは、どんどん様変わりしてきていますよね。


5月5日って子供の日でしょ。こいのぼりだねえ。
今ってこれですよね。端午の節句とか、あんまり言ってないです。


でも5月になると和菓子屋さんには柏餅が並びます。それが常識だと思っていたんですが、大阪のオッサンが言いました。


「カッシワモチ? なんやそれ。端午の節句にはチマキやないかい!」


へ? って感じだったんですが、話を聞いてみますと、関西ではそうらしいんですね。ちまき


でも柏餅の「カ」と「シ」の間に、小さい「ッ」は要りませんよ。


ウェザーニュースの2018年の調査「端午の節句の「ちまき」包まれた中身が東西で違う!」によりますと、

 

北海道から関東、甲信地方のちまきは、中身が「おこわ」

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東海地方から九州地方、沖縄では、中身が「団子」

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鹿児島県では「灰汁巻き」という独特のちまき、なんだそうです。

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「せいくらべ」っていう歌がありますよね。
「♪ちまき食べ食べ兄さんが 計ってくれた 背の丈」ってあれです。


この詩を書いた海野厚(うんの あつし)さんという人は静岡県の人です。ウェザーニュースの調査によって見てみると静岡県は関東圏に入っています。ということは、この兄さんの食べていたのは中身が「おこわ」のちまきだったことになりますね。


「♪柱の傷は おととしの」ってことですから、片手にちまき、片手に釘かなんかを持って弟の背丈を記録したってことなんでしょうね。


で、同じウェザーニュースの情報からすれば、件の大阪のオッサンが子供の頃食べていたのは、中身が団子のちまきってことになります。


ちまきの色々を知ったのはずいぶん後のことでしたので、直接、団子だったかどうかはオッサンに聞きそびれたのでありました。


ま、それはいいとしてですね、ちまきってそんなに食べたことないんですね。


存在は知っていましたけれど、食べていません。子供の日端午の節句。何かその日の特別な食べものって、あったかな? っていう記憶です。こいのぼり、菖蒲湯、ぐらいでしょうかね。食べものの記憶はないです。


ちまきなんて子供の日と結びついたりしません。むしろ大人になってから10回ぐらいでしょうか、食べましたね。


今はもう、残念ながら閉じてしまった居酒屋さんのアテにあったんですね、ちまきが。
ササの葉で三角にくるんである「おこわ」でした。小さいやつ。甘じょっぱい味付けで、ちょっとずつ齧ってアテにしていました。


たぶん自家製じゃなくって冷凍ものだったように思います。旨かったですが、たまにしか食べませんでした。


中身が団子のちまきっていうのは、その団子の中身に餡が入っていたり、団子自体が甘かったりしているそうで、やっぱり甘いんですね。こっちはアテになりそうにない感じです。


ウェザーニュースの情報で初めて知ったのが鹿児島県の「灰汁巻き(あくまき)」という存在です。
写真で見てみましたが、なんだかちまきっぽくない感じがします。


ま、ちまきっぽいってなんだよ、って言われれば、なんとも応えようが無いんではありますけれどね。馴染みが無いですから。


「灰汁(あく)に漬け込んだもち米を竹の皮で包みこみ、さらに灰汁で炊き上げたもの。砂糖醤油や黒砂糖、きなこをつけて食す」


という説明なんですが、灰汁って何の灰汁なんでしょうか。そこまでは分かりませんですね。


でもこれも甘くして食べるんですね。ササの葉で巻いてありますから、ちまき、ってことになるんでしょうか。

 


ん? ちまきの「ち」ってなに?
と、調べてみますとササの葉に限らないみたいですね。


ルーツである中国では、ササ以外には「センダンの葉」「マコモの葉」「アシの葉」でくるむというのもあるようです。
地域の特徴というより時代によって違っているような感じもします。2世紀ごろからある食べものみたいですよ、ちまきって。


でも、ちまきの誕生逸話って、もっと全然前にさかのぼります。


紀元前3世紀、戦国時代の中国で楚の国の政治家、詩人として活躍した「屈原」という人が、自分の策を入れられず国の将来をはかなんで入水自殺したそうなんですが、その命日が5月5日。


楚の人たちは愛国の詩人と呼ばれた屈原の霊を慰めようと、5月5日に竹筒にいれた米を川に流すという風習をつくっていたということなんですが、なんと300年ほども後の後漢の時代に、ある人の夢に屈原が現れて、


「供物は悪い竜に食べられてしまうので、蛟竜が苦手とするセンダンの葉でふさぎ、魔除けの五色の糸で縛って、川に投げ入げよ」


と告げたんだそうで、これがちまきの起源になったという。


ん~、って感じですね。夢のお告げを広めたその人って、お米屋さん? なんでしょうかね。


そもそもこの伝説自体、怪しいとする意見もあるみたいです。

 


屈原さんの伝説の虚実とは関係なく、ちまきが日本に伝わったとされるのは10世紀、平安時代


作り方として、
「もち米を植物の葉で包み、これを灰汁で煮込む」
と記された書物があるようです。


灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食だったろうということなんですが、これって鹿児島の「灰汁巻き」ですよね。


日本に伝わった、その作り方が時の都、京近辺ではなく鹿児島県に残っている。


それとも、中国からの伝わり方といいますか、その伝達ルートが北九州から瀬戸内海を通って大阪、京都、だったのではなく、九州は九州でも南の鹿児島から九州を北上して瀬戸内海を東進したのか。


あるいは、中国から直接日本へ伝わったのではなく、沖縄、当時の琉球王国を経て伝わったのか。その辺りは想像すらできないことですが、古来からの製法が鹿児島で純粋培養されているってことなのかもしれません。


こう考えますと、がぜん食べてみたくなりますね、灰汁巻き。


でも灰汁巻きってネーミング。ちまきの「ち」は、その種類は違っても植物の葉っていうものをさしていると考えて良さそうですが、灰汁巻きの「灰汁」って、材料といいますか製法ですね。


写真で見ると、ササの葉にくるんである物もありますが、何にもくるまずに出されることもあるみたいです。


元から灰汁巻きと呼んでいたのか、それとも、伝統的に作り方が伝わっていく過程で灰汁巻きと言うようになったのか。そういうところは、今じゃ誰も、ってことでしょうね。はい。


ちまきの「ち」ってそもそもは「チガヤ」っていう茅(カヤ)で巻いていたので「茅巻き(ちまき)」と書いていたというデータもあります。


巻いているのが何なのかっていうのと、その物の名前っていうのは、もはや直接的な関係は無いんでしょうね。


5月5日と屈原さんんとちまき端午の節句に因んで言えば、関東地方というか東日本ではもう1つあります。
そです「柏餅」


柏餅の歴史はちまきに比べますと、案外浅くてですね、18世紀、江戸時代の後の方です。


柏っていう植物は、新芽が育つまでは古い葉が落ちないらしんですね。それで家系が途切れない、将軍職のお世継ぎ問題が起きないように、子孫繁栄っていう縁起を担いで江戸で生まれたってことらしんですね。
でもこれ、なんだか眉唾な感じですよね。


餡を挟んだ餅を柏の葉で包む。お世継ぎが途切れないように縁起を担ぐというのなら、大奥の中での風習ならば理解できるような気もしますが、なんで町民の間にまで広がったんでしょうか。
将軍様の存在が江戸の職人やおかみさんたちにとって、そんなに身近とも思えませんけれどね。


それにそもそも、柏餅って包んでいる葉っぱは食べませんよね。剥がしてポイです。
縁起を担いでいるのは餡餅の方じゃなくって、葉っぱですよね、柏の。なんか、辻褄が合わないような気がします。お世継ぎ、ポイっです。


それに甘いお菓子ですからね、男よりは女に喜ばれるような気もしますし、5月5日の端午の節句とは関係が薄そうにも思います。


実際、5月4日から5日にかけてを女の日として、祝う習慣の地方もあったようですからね。
4日の夜の菖蒲湯。一番風呂に入るのは、その日だけは一家の長として権威を与えられる女性。


軒に菖蒲をずらりとぶら下げて、その家の中は女だけしか入ることが出来ない決まり事。「女の家」という習慣だそうです。
田植えに供えての「山の神」にまつわる行事だったのかもしれません。


そんなときの祭りごととしての食べもの。それが柏餅だったかもです。女の家の山の神の甘い食べもの。

 


でもって、参勤交代によって柏餅が日本国中に広まったということなんですけれど、柏がそんなにどこにでもあるものじゃないので、地方によっていろいろな葉っぱを利用したり、様々な工夫をしたりしていたらしくってですね、実は呼び名もいっぱいあるんです。


「しばもち」「ちまき」「かからだご」「おまき」「だんご」「いばらもち」


おりょ? どこの地方の呼び名なのか分かりませんが「ちまき」っていうのがありますよ。


餡餅を葉っぱでくるんだら、そりゃもう、ちまきやんか。っていう土地があったんでしょうね。柏の葉っぱじゃなくたってちっともかまわない。というのが「カシワモチ」


逆の方向から邪推してみればですね、もともと江戸、東日本にも甘い餅の「ちまき」があって、そんでもって、おこわの「ちまき」もあって、両方ともずっと伝わって来ていたものを、18世紀になって、どこかのお調子者が、子孫繁栄を願いまして、とかなんとか、葉っぱを柏にかえてちまきとは別の名前の柏餅っていうのにしつらえちゃった、ってことなのかもしれませんよ。


理由なんて全部後付けで、元は一緒だったのかもしれないじゃないですか、ちまきと柏餅。


ん~。で、結論として、灰汁巻き、食べてみたいです。