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【忠七めし】の旨さ 宮内庁選出「日本五大名飯」 埼玉県小川町 割烹二葉

<一度は食べてみたい高級茶漬け忠七めし 江戸ならぬ明治ならぬ 禅の味わい>

食べたことはないんですが、知っておくだけでもありがたいような気のする一品、忠七めしの話です。
聞いたことあります? 特に埼玉県のみなさん、知ってました?
昭和14年、といいますから戦争時代の初期ですが、当時の宮内庁が日本全国の郷土料理の中から代表的料理を選出したのが「日本五大名飯
その中の一つに数えられるのが埼玉県小川町の「忠七めし」なんですね。

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他の4つは、東京深川の「深川めし岐阜県の「さよりめし」大阪難波の「かやくめし島根県津和野の「うずめめし」だそうですから、どうやら人物名を冠しているのは「忠七めし」だけのようです。


忠七という人が作ったんだろうなあ、というのは単純に想像できますが、どんなめしで、どんないわれがあるのか、ちと調べてみました。
で、話は、どどーんと飛びます。


江戸無血開城です。


ガッコでやりましたよね。江戸城が争いなく明け渡されて、大政奉還があって、明治になりました。というあれ。


明治だなどと上からは言うが、オサマルメイ(治明)と下からは読む。などと落書して、関東の人間は維新とは言わず、御瓦解と呼んでいたらしい出来事。


この御瓦解の話は、昔、世田谷の定食屋のお婆さんから直接聞いたのですが、ほほう、やっぱり将軍様の御膝元って意識、あったんでしょうね。
あ、もちろんあれですよ。そのお婆さん本人が幕末の生き残りじゃないですよ。代々語り継がれているっていう話です。

 


さて、話は江戸無血開城。当たり前ながら、何事もなくすんなりと事が運んだわけじゃない。


ここで活躍したのが幕末の三舟として名前の残る三人さんですね。
最後の将軍、徳川慶喜に恭順を説いて納得させたのが、これまた最後の陸軍総裁、勝海舟

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官軍が駿府城まで迫った段階で徳川慶喜が、江戸城無血開城に向けて西郷隆盛との交渉を任せたのが、神業とまで言われた槍の名手で槍術教授頭取、遊撃隊頭取であった高橋泥舟
泥舟という号は、たしか柳生宗巌も名乗っていたんじゃないでしょうか。


世の流れを知らないわけじゃないけれど、迎合して流されることをヨシとせず、かといって流れに逆らうことの無意味さも理解している。自分は泥の船として、流れの下に沈んでいるばかりだ。
とかいう名乗りなんでしょうかね。


その泥舟さんは、きな臭い全面戦争の空気感の中で、この身を持って将軍を守り抜くという覚悟から将軍の傍を離れるわけにはいかない。だけど無駄な殺し合いは避けなければならない。
ということで、代わりに妹婿の山岡鉄舟さんを将軍慶喜に推薦したんだそうです。


この間だけでも、色々と政治的しがらみをねじ伏せようと、幕府側の頭脳が総動員されたんでしょうね。
国の一大事ですからね。世界情勢、東アジア情勢だとかも見据えたうえで、日本のあるべき姿勢を、とるべき行動を決めなければいけないところです。


幕末の三舟が果たした役割って、現状の内閣、会社組織を考えてみても、アッパレだと思いますね。
きちんとディテールまで心配りしていないと、小回りを効かせた短期間での方針転換、無血開城なんて実現できなかったでしょうからね。
で、この山岡鉄舟さん、勝海舟さんとの面談を終えて、さっさと西郷隆盛との交渉に臨んで、見事にとりまとめ、最終交渉までの道筋を通してきたんだそうです。


単なるメッセンジャーボーイじゃありませんよ。元々、今の天下、日本という国がどうあるべきか、何をすべきで何をすべきでないか、ということを考え抜いていた、ということでしょう。人物です。


山岡鉄舟。名前は誰でも知っているんじゃないでしょうか。なかなかの豪傑だったようで、いろいろと逸話が語り伝えられています。
西郷との交渉に向かう時、鉄舟は幕府精鋭隊歩兵頭格という役柄。そこそこの格付け。

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ところがですね、かなり生活に困っていて、腰の大小を手放していた状況だったそうです。


旗本幕臣は全員同じような惨状だったとはいえ、そこまでか、と感じます。


なにせ幕府の命を受けて敵の大将との交渉に行くわけですから、武士が無刀というわけにはいきません。
親友に頼み込んで大小を借りて出向いたんだそうです。いやはや、なんとも。。。

 


そんな内幕ではあっても、山岡鉄舟はジンブツです。敵の大群が警備する本陣の中を
「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」
大音声をもって道をあけさせ、堂々と通っていったということです。
自分を、そして徳川家を、薩長の言うままに朝敵と名乗っているあたり、並大抵の腹づもりではないですね。


山岡鉄舟は明治になって、政治家として活躍し、従三位勲二等の子爵を与えられました。
宮内省御用掛も勤めていたということで、ここで宮内庁との関係があるんですね。


庶民的な人柄で親しまれ、世間的には剣、禅、書の達人として人気だったそうです。
特にその書は絶大な人気をもって知られ、死の直前まで頼まれた揮毫をこなし、残されている揮毫だけでも数十万点を下らないそうです。


身長188センチ、体重105キロという偉丈夫で、剣と書を収めて文武両道。さらに印可を与えられたというほどの禅の人。
なんだか凄いなあとしか言いようのないぐらい、スーパーな江戸人だったわけですね。


で、その山岡鉄舟と忠七めしって、どこでつながるのか。


山岡鉄舟が活躍していた江戸末期、明治初頭の頃、すでに老舗だった割烹の二葉。
その二葉のある埼玉県小川町の竹沢地域は、山岡鉄舟の父親の知行地、というつながり。
竹沢を訪れたときには、よく二葉で飲食していたということです。


当時の二葉八代目の大将が八木忠七という御仁で、山岡鉄舟から「調理に禅味を盛れ」と促されて、苦心惨憺、こしらえた料理が鉄舟に認められ「忠七めし」と命名された、といういきさつなんだそう。


ま、このあたりの話は二葉さんのホームページに詳しいです。

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ん~。禅味でありますよ。どんなんでしょうね。
ホームページの写真で見るかぎり、会食として味わうみたいです。酒もンまいのがあるんでしょう。老舗ってお店ですね。
場所的には、飯能の北側、秩父と熊谷に挟まれた野趣あふれる地域ですね。空気もンまいんだと思います。和の味わいですね。


行ってみたいです。食べたいです。
禅の味わい。
(フリー素材に忠七めしの写真は無かったのでありました)

 

<忠七めしの身体に旨い満足度>

有機栽培こしひかりのごはん。
瀬戸内海産の海苔。
土佐沖鰹を丁寧に加工した極上品鰹節。
地元小川町の柚子。

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なんかね、山岡鉄舟宮内庁選出日本五大名飯っていうんですから、材料は全部、一つ残らずホンモノ。誤魔化しナシって感じがします。でも武張っていない。なにせほら、禅味です。

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わさび、さらしネギ、そしてなんといっても独自に苦心惨憺した、どびん入りのツユ。
付け合わせも丁寧な、山牛房の味噌漬、浜
納豆。


背筋を伸ばして素材を味わうという空気感も含めて身体に満足感を与えてあげたいです。


腹に満足ということもそうですが、なんだか正しいものを食べたっていう、気持ち良さが期待できそう。

 

<忠七めしの心に旨い満足度>

山岡鉄舟のいう禅味を、忠七めしは剣、禅、書という3つで表現していて、
剣は、刺激の鋭いわさび。
禅は、主張の強くなく弱くない海苔。
書は香り高い精神を伝える柚子。


剣禅一如が柚子の香りに集約されて感じられたりなんかすると、日本の男の本来的在り様を感じられるかも、ですね。


でもまあ、令和の世の中、日本の女にもンまいはず。
これからはね、男女ともに背筋を正して、前向きにいかないといけませんですよね。きっとね。

 

<忠七めしの酒のアテ満足度>

会食として味わうようですから、アテはたぶん、忠七めしじゃなくって、色々、季節に合わせて、出されるんじゃないでしょうか。

 

 

<忠七めしの酒の〆満足度>

たぶん、コレでしょうね。
まあ、ほどほどに気持ち良く呑んで、乱れずに〆る。
禅ですよ、禅。知らんけど。
そういう〆も、イイなあと思います。


カッコイイ男ですよ、山岡鉄舟
それに応えた忠七大将も、エライ。

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<忠七めし そのうち食べたら更新したいと思います>

いまはただ、指をくわえて連想するだけ。。。
コロナよ、さっさと去れっ!

 

<宮内庁選出日本五大名飯>

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