< コロナ前には「クラシックカクテルブーム」とか言ってましたけど どうなったんでしょ >
ダイニングバーのカウンター族って、顔見知りが何人もいるんですけど、つい先日、ホント久しぶりに一緒になった女性がおりました。
前はちょくちょくその店で一緒になったことのある、50代ぐらい、バリバリのキャリウーマンって感じの人で、その店では「パトラさま」って呼ばれている、声の低い別嬪さんです。
誰がそう呼び始めたのか分かりませんけれど、そこの男性客、女性客、ま、気軽に話をする間柄の人からは誰からでも「パトラさま」って呼ばれています。
さまって言ったって、別にかしこまって話をするっていうんじゃなくって、
「パトラさまさあ、なに言ってくれちゃってるわけ?」
とか、そんなです。
髪型がですね、なんていうのか、おかっぱみたいな感じで、映画に出てくるクレオパトラみたいだった時期があるんですね。その頃に呼ばれ出したのが「パトラさま」ってことなんです。
今はショートカットにしてますけど、髪型の名前とか、へっへっへ、知りません。
ボブ? ちゃうでしょねえ。知ってる名前を言ってみただけです、すびばせん。
1ヶ月ぐらい前にイギリスからご帰国になられたってことで、しばらく日本にいなかったんですね。
へええ、さすが「パトラさま」って思ったら、
「2、3ヶ月も暮らせば英語なんてペラペラになるって言うでしょ。あれ、ウソね。半年暮らしてたけど、ちっともだったわ。会社は日本人ばっかだったし、住んでた部屋も会社が用意してあるトコだったから会話はほとんど日本語で通じる環境だったのよね」
商社の下請け会社にお勤めだそうで、ま、そうは言いながら一般の日本人よりは全然話せるんだろうと思いますけどね。でないとイギリス出張とか、あり得ないでしょうからねえ。
化粧っ気のない顔にフチなしメガネで、見るときはいつもスーツです。背筋の伸びたキチっとした人。
でもまあ、フランクな人なんですけどね。
「男なんて面倒くさいだけよ」
とかね、そゆのが表情に現れているタイプです。気にいらない人とは目も合わせない。
でもまあ、カウンター族の男女とは気さくに話しているんですけどね。
その日のパトラさまは、赤っぽいカクテルをやっておられました。
なんそれ?
「コスモポリタン」
前からカクテルなんか吞んでたんだっけ?
「向こうで知ったんだけど、出来る? って聞いたら出来ますよっていうんで」
と、マスターが、
「コスモポリタンって、特にキッチリ決まった配合じゃなくてイイんですよ」
「そうね、向こうで呑んだのより、これの方がスッキリしてていいわ」
「うちのはスタンダードだと思うんだけどね。香りの付いてないウォッカ、コアントロー、クランベリー、ライムだから」
ふううん、って分からんわ!
ま、分からなくたってイイんですけどね。
「ぱうすさんもいってみます?」
いや、甘いんでしょ。甘いのはイイっす。
でもさ、なんでコスモポリタンって名前なの?
「なんでですかねえ」
「なんか聞いたような気もするけど、忘れちゃった」
ふううん。
カクテルの名前って、そんなに知りませんけど、なんか謂れがあったりとか、ユニークな名前のカクテルがけっこうありますよね。
ま、その後パトラさまと、イギリスのマグドナルドは大味だっていう話なんかをして帰って来てから調べてみましたです。
カクテル「コスモポリタン」の名前の由来はハッキリしていないものの、言葉としては国際人っていう意味なんで、1980年ごろからの国際社会、女性の社会進出、っていう辺りから名付けられたんじゃないかっていうことなんでありました。
へええ、そですか。でもなんか、ツマラン由来ですねえ。
なんでまた興味を持って調べたかっていいますと、コスモポリタンってたしか、アメリカの雑誌じゃなかったっけ、って思ったからなんですね。
こっちの情報はすぐに、確かなものが見つかりました。
1886年にアメリカで創刊された月刊雑誌「コスモポリタン」
そっかあ、そんなに古い歴史を持っていたんですねえ。
そういえば記憶の片隅にあったコスモポリタンっていうのは、サマセット・モーム(1874~1965)の短編集が、当時コスモポリタンに連載されたものだったっていうことなんですね。
文芸中心の家庭向け総合雑誌。
アンブローズ・ビアス(1842~1913失踪)、ジャック・ロンドン(1876~1916)なんかも小説を連載していたみたいです。
その他にも錚々たる作家の名前が並んでいます。
かなりの人気雑誌で、紆余曲折ありながら相当数の発行部数だったみたいですが、1950年代になってくると、テレビの登場や専門誌が台頭してきて発行部数が減少。
1965年に有名なヘレン・ガーリー・ブラウンが編集長に就任して、1970年ごろにコスモポリタンは女性誌に変わったそうです。
いろいろ話題が遺っている女性編集長ですね。ブラウン・ヒストリーなんていう言い方も聞いたことありますよ。
コンセプトとしてセクシー路線の女性誌っていうことで「婚前交渉する独身女性に、同じような女性は国中にいると示そうとした」って言われていますね。
最近ではセックス分野の助言をメインにする雑誌として知られているんだそうですけど、販売を大人に限定すべきだとか訴えられたりもしているんですね。
それでも世界100以上の国で、32言語で流通しているっていうんですから、セクシー路線であってもコスモポリタンではあり続けているって言えそうです。
19世紀に創刊された雑誌が21世紀でも元気そうだっていうことは、なんにしても凄いですよね。
日本では1980年から創刊されていたみたいですが、2005年に廃刊になっています。
何でなんでしょうかね。日本ではアメリカナイズされたセクシー路線が受けなかったのか、編集方針が日本独自のコンセプトだったとすれば、日本独自の企画のアイディアが尽きたのか、ですね。
でもまあ、25年も続けばロングランっていえるのかもしれないです。日本のコスモポリタン。
雑誌は軒並み売り上げダウンですもんね。どんどん廃刊しちゃってます。
それで、っていうことでもないんでしょうけれど、2016年からは「コスモポリタンオンライン版」っていうのがハースト婦人画報社から公開されていますよ。
カクテルも雑誌も、女性向けな感じのコスモポリタンですが、そもそもは、全ての人間は国や人種っていうようなものに縛られず、世界でただ1つのコミュニティにまとまるべき、っていう「コスモポリタニズム」に賛同する人をコスモポリタンって言うんだそうですね。
そういう考えを最初に言い出したのは、なんと「狂ったソクラテス」って言われた、古代ギリシアの哲学者ディオゲネス(紀元前412~紀元前323)だそうです。
この人が今に名前を遺しているのは、奇行だけかと思ったらコスモポリタンがディオゲネスだったっていうのは、軽くカルチャーショック。知らなかったです。
ソクラテスの孫弟子にあたるディオゲネスは、大きな甕(かめ)の中に住んで、イヌのような暮らしをしていたんで「甕のディオゲネス」「犬のディオゲネス」って呼ばれたり、ニセ金作りで国外追放されたりしていた哲学者なんですよね。
ディオゲネスを「狂ったソクラテス」って評したのはプラトン(紀元前427~紀元前347)らしいんですよね。
「プラトンの雄鶏」っていう逸話が知られています。
ある日プラトンが言いました。
「人間とは二本足で歩く動物である」
するとディオゲネスが聞きました。
「ではニワトリも人間か」
プラトンは面倒くさそうに言い直しました。
「人間とは二本足で歩く毛のない動物である」
するとディオゲネスは羽根をむしり取った雄鶏をぶらさげてやってきて言いました。
「これがプラトンのいうところの人間だ」
プラトンは迷惑そうな表情を浮かべながら、さらに言い直しました。
「人間とは平たい爪をした二本足で歩く毛のない動物である」
なんかね、後世に作られた逸話なんでしょうけれども、単にヤなヤツって感じがしないでもない人っていうイメージです。ディオゲネス。
「徳」こそが人生の目的であり、欲望から解放されて自足することが重要だって言っているディオゲネスなんですけど、言い伝えられている逸話からすると、行動が奇抜過ぎるんですよね。
シャーロック・ホームズのお兄さん、マイクロフト・ホームズが作ったロンドンで最も風変わりなクラブは、他人と交流することを嫌う人たちのためのクラブで、その名前も「ディオゲネス・クラブ」
他人と話したりすることが嫌いだっていう人たちが集まるクラブ、っていうアンビバレントは、コナン・ドイルのユーモアなんでしょうけれど、引きこもりの英語表現には「ディオゲネス・シンドローム」っていうのもあるみたいです。
世界はただ1つのコミュニティにまとまるべきっていうコスモポリタンって、真剣に考え始めますと、なんだか現実味がない感じもするんですけど、誰でもみんな一緒なんだ、平等なんだっていう感覚は大事だと思いますね。
ディオゲネス寄りに考えれば、ニセ金作りっていうのは、貨幣経済に対する反発みたいな考えがあってのことなのかもですね。
ディオゲネスがカクテルのコスモポリタンをどんなふうに評価するのか、聞いてみたくもあり、聞いてみたくもなし。ってところでしょうか。
人間って、かなりややこしい生き物ですよね。ニワトリの方がコスモポリタンかも。