< 「通信品位法」はアメリカの法律なんですけどアメリカだけの問題じゃないですよね 品位ね >
気品とか品格って、そういえば最近、耳にしない言葉だなって思います。
そんな言葉を使って常から引き締めていく必要がないほど社会がしっかりしたからなのか、ただ単にルーズになって来ているのか。どうなんでしょうね。
品位を保ちましょう、っていう法律。
21世紀の自由社会は自由の概念をハキチガエテきた結果、どうやらいろいろ行き過ぎているんじゃないかってことで、「品位」っていう言葉が、強制的に意味を変更されつつあるんでしょうか。
世の中の変化って、いつの間にかっていう感じで流れていって、取り残されているかなって思っている人もいれば、最先端を走っていますって自信満々の人もいるっていう、今はまさにそういう段階、つまり社会的には過渡期なのかもですよね。いろいろと。
通信っていう形態はインターネットによって、登場する前と後では全然違うものになりました。
いろんな場面で、自信家の人が自慢気にインターネットの話をしてくれていて、ひっかかる疑問点について、なんで? って聞くと、知らんがな! ってことでチャンチャンになってしまうことばっかりのような気がします。
デジタルの最先端に陣取っている人たちっていうのも、実際に相当数いて、研究、進化させていっていることは明らかな事実なんでしょうけどね。
ただ、GAFAだとか、インターネット企業が商売として一気に成功を収めるとは誰も思っていなかったでしょうから、その利用の仕方についての規範であるとか、アメリカの法整備がすっかり置いて行かれてしまっているのが現実なんでしょうね。
アメリカでさえです。
21世紀の半ばごろまでには、地球レベルでインターネットとの付き合い方が熟成されて、法整備も含めて様々な問題が解決策されている状態になるとイイですよねえ。
でもねえ、2023年現在で考えてみますと、あんまり明るいデジタルの未来は見えてこない感じです。
技術革新の方は順調にデジタル倍数的に進化していくのに対して、アナログ動物である人類は、実際にいろんな方面で「シンギュラリティ」を実感して愕然とするだけなのかもしれません。
世界初のインターネット「ARPANET(アーパネット)」がアメリカで実用化されたのは1969年。
軍用目的で、4台のコンピュータ間に閉じられた通信だったそうです。
遅れること15年、日本初のインターネットは、東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学間のコンピュータをつないだ「JUNET」1984年のことですね。
技術ってことじゃなくって、発想が無かったっていう感じの15年っていうギャップなんでしょうかね。
このころの一般人はっていうと、クローズドネットワークの「NIFTY-Serve」「PC-VAN」っていう「パソコン通信サービス」を始める人がようやく出てきた頃ですね。
1993年になってようやく日本初のプロバイダ「IIJ(アイアイジェー)」がインターネット接続サービスを開始しました。
このあたりからようやく日本のインターネットが一般的になっていくんですよね。
30年ぐらい前。もう30年なのかまだ30年なのか。
最初の頃のインターネットは「ピーガラガラゴロゴロ」のダイヤルアップでしたね。
1996年、「Yahoo Japan」
1997年、「楽天市場」
2000年、「アマゾンジャパン」
まだ浸透はしていませんが2020年にプロトコルは「5G」が登場していますね。
いつからインターネットを利用しているかっていうのは、年齢にもよりますし、同年代であっても人によってそれぞれです。
ただ、利用していようがいまいが、インターネットによって様変わりしている世の中っていうのを実感していることに変わりはないでしょう。
インターネットが浸透する前と後では、ホントに全く違ってしまっていますもんね。
インターネットが無ければGAFAの登場もないわけですし。
ネット社会。
インフラをどう利用するか。商魂たくましい人っていうのは世界中どこにでもいるんですよね。
インターネットを利用したサービスが、いろいろ軋轢を生んで来たことも事実です。
インターネット黎明期に問題になったのはポルノ。
害のあるポルノ情報から子供を守ろうっていうことで、アメリカで1996年に制定されたのが「通信品位法(Communications Decency Act)」なんですって。
ちゃんと品位ある通信をしなさいよ、ってことではあったんですが、適用範囲として「明らかに不愉快な」「みだらな」とかいう曖昧模糊な表現。
そもそも「害のあるポルノ」って、どゆの? 誰が判断するの?
「通信品位法」は拡大解釈されて、医学的必要情報や、表現の自由が奪われるような事態に発展していって、市民団体、オンライン業者が提訴するに至りました。
で、1997年、「通信品位法」の違憲判定が下されます。
アメリカっていう国は、こういう判断、めっちゃ速いですよね。ドラスティック。
で、違憲になっちゃった「通信品位法」は取り消されて、その前身の1934年に制定された「電気通信法」の第509条を改訂して定められたのが「通信品位法第230条」ですね。
アメリカでもやっぱり、法律っていうのはいろいろ複雑で分かりにくいです。
今、この「通信品位法第230条」が、また、新たな改定に向けて取り沙汰されています。
GAFA(GAMA?)の独り勝ちに対する問題意識なのかもしれません。
ドラスティックなことを軽々とやってのけるアメリカですからね、どんな結論を出すか、注目されるところです。
ドナルド・トランプのtweetに対して警告して、ついにはアカウントを凍結した判断の基になっているのが「通信品位法第230条」でした。
そうすると、それは法律の解釈が違うってことで、大統領命令で「通信品位法第230条」の効力を制限しようとしましたね。
そこから始まった「通信品位法第230条」の改定問題は、盛り上がったり鎮静化したり、方向性は見えて来ていない状態、って感じでしょうかね。
Twitter社を買収したイーロン・マスクはドナルド・トランプのアカウントを復活させて、「不適切な」書き込みを監視していたTwitter社の人員を大幅に解雇しました。
こういった決断も「通信品位法第230条」の改訂取り組みっていう側面もありそうです。
今、その改定に向けて、問題の中心になっているのは、「インターネット企業には、第三者によって提供されたコンテンツに対して、一部の例外を除き法的責任はない」っていう部分なんですね。
それじゃあGAFAのやりたい放題になってしまうし、YouTubeやInstagramの有害コンテンツに対してインターネット企業に責任を持たせないとダメだっていう意見と対立した法律だってことです。
どういう結論になるのかまだ分かりませんが、新しい時代が来ているんだから新しい法の下で運用しましょうっていうアメリカは、なんだかんだ言ってたいしたもんだと思います。
問題意識を持っているんですからね。
1996年に法改定をしたアメリカに対して、日本が「プロバイダ責任制限法」を制定したのは2001年。
裁判手続きを新しく創設したり、データ開示請求範囲を見直した改訂版を施行したのが2022年の10月です。
アメリカの立法機関が混乱しているって言って、高みの見物みたいな態度の政府関係者もいますけれど、日本は決定的に遅れていますし、実態の把握っていう点で、デジタル的にあまりに無知な印象があります。
デジタル庁。動きが感じられませんよ。
アメリカの「通信品位法第230条」改定の動きの中心になっている投稿内容の監視、モデレート。
改訂された「プロバイダ責任制限法」が、どこまでモデレートに言及しているのか、デジタル庁がどういう方針でインターネットに対峙していくのか、どうもね、不安の方が大きいです。
とにかく、遅いんです。
自殺ほう助の問題や、闇バイトっていう、当然取り締まりの対象とするべきインターネット上のデータに対してどう考えているんでしょうね。
2022年の改定までのプロセスに、今現在起こっている事件、オンタイムでの事案が考慮されているとは思えませんです。
たぶんおそらく、役立たずの法律。
さらには、考慮すべき問題として「プロバイダ責任制限法」の範疇ではないかもしれませんが、2022年に裁判になった「食べログ 不当評点調整問題」がありました。
食べログ側が敗訴していますけど、これ、独占禁止法違反としてですよ。
インターネットの利用に則した抜本的法整備が必要なんじゃないでしょうかね。
前時代の考え方、法律で、21世紀の問題事案に対処できるわけがないんでありますよ。
アメリカは知りませんけれど、少なくとも日本には「品位」とか言っている余裕は無いように思います。
デジタル庁。仕事してくださいってば。