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【コロナ世代】新卒採用面接で 面接官にこれまでと同じ質問されてもねえ

< だって 面接する人はコロナ禍の学生生活してないでしょ 知らないでしょ >

「コロナ世代の就職活動が厳しい」っていう言葉に接して、そっかあ、って肯かざるを得ないことの1つは「コロナ世代」っていうふうに括られる人たちがいるっていう事実ですね。


気付いているのに気付いていないふりを、無意識にしていたのかもしれません。
3年目です。長過ぎます。世代です。


コロナ禍はどの世代にとっても同じように覆いかぶさって来たわけですけど、2022年7月時点では、全然終わりが見えてきていません。
コロナ世代って呼ばれる世代はまだこれから広がっていくのかもしれません。


就職活動についての厳しさっていうのは、主に四年制大学の学生について言われているようなんですけど、これまで取り上げられていたのは、2020年度、2021年度の新卒内定取り消しっていう深刻な問題でした。
採用する側の企業にしても業績が上がらないんで、取り消しさせていただきますってことなんでしょうけど、理不尽ですね。バーロー! ふざけんなっていうのが取り消された側のホンネだと思います。


社会生活を平静に送っていくために大学までいったのに、内定までもらったのに、取り消されちゃったら、そこで一旦社会からの断絶があって、精神的にくすぶった人生になってしまいがちですよね。
心配です。

 

 

 


なんでも画一的過ぎるのが日本の特徴なのかもですが、四年制大学に限らず、企業側の新卒一斉採用の風習って、今の時代、発展性が無いって言いますか、企業側の思考停止になっているような気がします。


こんなに激しく企業価値が流動している21世紀なんだし、日本企業が軒並み沈んでいっている現状を打破するには、これまでとは違った、新卒一斉採用ではない方法に取り組むべきなんじゃないのって思います。
暴論になってしまうでしょうけれど、面接している側の社会人スキルが、面接を受けている側のスキルより必ずしも高いとは限らないですしね。
企業にとってだけじゃなくって、社会的スキルの高い人って最初から高いって場合が多いですよ。


中途採用っていうと、なんだか一段低く見る風潮って、まだまだ強く残っている日本企業ですけど、根拠ないでしょ。


「監督がアホやから野球がでけへん」
っていう有名プロ野球選手の言葉が喧伝されたことがありましたけれど、特に大企業の人事採用手法ってアホなことになっちゃってませんか。


2020年度、2021年度の卒業生は、突然のコロナ禍によって理不尽な就職活動になってしまったとはいえ、大学生活っていうのは一応「謳歌」できた、3年、4年だったと思います。


ところが、2022年に就職活動を始める学生たちは、これまでとはまた違った理不尽を抱えているってことが報じられていますね。


ガクチカ」って言うそうなんですけど、「学生時代に力を入れたこと」っていうのを就職の面接で必ず聞かれるのが常識になっているみたいなんです。


ま、確かにね、採用する側にしてみれば、その学生の人間力をみる、とか、一応もっともそうな理屈が「ガクチカ」にはありそうですし、昔からそういう面はあったかもしれません。


オンライン面接だとすれば、より一層、明確な「ガクチカ」があると有利になりそうです。
モニターからはその人間の空気感が伝わりませんからね。


でも、2022年に就職活動をしている学生たちは、入学してからずっとコロナ禍の制約を受けた大学生活だったわけです。


授業はオンライン。キャンパスに行くことがあってもソーシャルディスタンスだし、同級生の誰もがマスクなんで、素顔をろくに知らないまま卒業のタイミングを迎えているんです。


面接官に「大学では何にチカラをいれていましたか」って聞かれても、「ウガイ、手洗い、部屋の換気です」とかね、それぐらいしかいえる材料ないでしょ。正直者にとっては。
社会的な活動はなるべく避けるようにって言われ続けて来ているんですからね。


しかしねえ、ちょっと本筋から外れますけど「ガクチカ」って表現されちゃうようなことで面接が終始しているとしたら、その会社、終わってるんじゃないでしょうかね。


まあ、採用する企業側にも優秀な人間、柔らかな判断の出来るスキルを持った人間が居るって信じたいところです。


採用するための面談じゃなくって、落とすための質問だとかをしながら、人手不足とか、辻褄合わないでしょ。

 

 

四年制大学の就職問題から離れて、より広くとらえた「コロナ世代」っていうのは、2001年から2014年生まれの世代ってことになります。
つまりコロナパンデミックの期間を小学生、中学生、高校生、大学生で過ごした世代ですね。


たしかにね小学生になってみたら、マスク、黙食、ソーシャルディスタンスですからね、もう3年目。
子どもたちにとって、それが当たり前ってことですもんね。
コロナが終息してからの生活の方に違和感を持つかもですよ。


ただこの世代を「コロナ世代」として括りたい意志っていうのに、どこかアサッテの方からのバイアスもあるかもしれません。

 

 

 


この広くとらえた「コロナ世代」の親の世代がですね、「就職氷河期世代」だっていう括りが、なんとなく言えるってことで、その子どもたちの世代を括りたいっていう感じ。
バブル崩壊後の1990年代から2000年代が一般的に言う日本の「就職氷河期」です。


そんなにキッチリ生まれた年で線引きできるようなもんじゃないんですけどね、メディアはこういう括り方、好きなんです。


この「氷河期世代」って「団塊ジュニア世代」とも言われていますね。
つまり「氷河期世代」は「団塊の世代」の子どもたち。
「コロナ世代」は「団塊の世代」の孫たち、ってことに結び付けたいんでしょうね。


誰もが同じころに結婚、出産するわけないじゃん、って言いながら、まあ、何か特徴づけて呼びたいんでしょう。


団塊の世代」っていうのは、第二次世界大戦敗戦直後、1947年から1949年ごろに生まれた、いわゆるベビーブームの世代です。
2022年時点で70代前半ってことになりますね。


世界大戦が絡んでいる出生動向ですからね、当然、各国にベビーブームはあるわけで、アメリカにもありますね。


日本の1947年から1949年ごろっていうのに比べてアメリカのは期間が長いです。


1946年から1964年生まれの世代を「ベビーブーマーズ」「ブーマーズ」って呼ぶんだそうです。
19年間と3年間って、戦争に勝った国と負けた国の差なんでしょうか。


戦争の結果がこんなところに現れているって考えるのも、ま、面白いです。面白がっておきます。


日本のブーマーたちは、ジャパン・アズ・ナンバーワンを実現した世代で、一気に日本を発展させたアリガタイ人たちなんですけど、なんせ「24時間働けますか」のライフスタイルなんで、普通の社会生活の中ではだんだん浮いた存在になりがちな傾向があったように思います。


ちっちゃい頃から、同年代での生存競争が激しいわけですからね、ガツガツするのも無理ないよねえ、って感じは分かるような気もします。
なんか、そういう傾向って、日本だけじゃないんだねえっていうニュースが報道されて、笑ってしまいました。


ムービーは、探せば今でも見ることができるかもしれません。


2019年、ニュージーランドの議会演説に立ったクロエ・スウォーブリック議員は25歳。
ミレニアル世代の女性議員ですね。1981年から1996年生まれがミレニアル世代。


演説の内容は地球温暖化の対策問題。


演説が進んでいくと、途中で年配の男性議員からヤジが飛びます。
演説途中のヤジって、世界的なものなんですね。日本でもいますよね、ヤジを飛ばすことだけが仕事、みたいな議員さん。品性を疑っちゃうんですけど、そういう人がまた選挙で当選しちゃうんですから、なんだかなあです。


スウォーブリック議員は、ヤジを飛ばしたオヤジ議員の方へチラッと目をやって、「オッケーブーマー」って手で軽く制して演説を続けましたね。
カッコイイです。


っていうか、ヤジを飛ばしたオヤジ、たった一言の軽い制止で惨敗です。


ヤジを飛ばしたその議員が世代的に「ブーマー」だったのかどうかは、実はあんまり問題じゃないんですね。
そう言う使い方をする慣用句みたいです。「OK boomer」


つまり、今、目の前の現実を理解していない困ったちゃんは、誰であっても、いくつであっても「ブーマー」って呼ばれちゃうんだそうです。


「はいはい、黙っててね」っていうニュアンスの「オッケーブーマー」
「ダメダメなヤツ」の代名詞になってしまっている「ブーマー」


世代、ジェネレーションって、どこの国にもあることなんでしょうけれど、グローバルっていうのがうまく機能しないのは、お国柄っていうより、もしかすると、世代なのかもですけどねえ。


「ブーマー」は世代を超えるってことなんですけど、それはそれで困りもんです。

 

 

 


「あなたは学生時代、何にチカラを入れていましたか」
「オッケーブーマー」
とはいかないんでしょうねえ。特に日本じゃあねえ。


就職活動、転職活動中のみなさん、肩甲骨をぐるっとさせて、肩の力を抜いていきまっしょい!

 

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