< 今 引きこもりって 若者特有の現象なんかじゃないみたいです >
ウィズコロナってことで用心しながらでも出歩いたほうがイイよ、なんてことを言う人もいらっしゃいますがね、どうなんでしょうね、実際のところ。
気兼ねなしに出歩ける雰囲気、出てきましたかね。
その実施のタイミングだとかで悪評ふんぷんだったGoToキャンペーン。これもまた、そろそろ動き出すような話も出ていますね。
名前を変えて実施しようだとかいう意見も出ているみたいなんですが、言い方を変えて何とかしようっていうのは日本政府の十八番みたいなもんです。
「県民割り」とか言うそうなんですが、名前を変えることになんの意味があるのかよくわかりません。
GoToは国民の反発を受けたんで、縁起が良くない、っていうような験を担ぐ意味なんでしょうかね。
なんにしましても、コロナ禍ってやつに見舞われましてからは、日本人は特にじっとしてましてね、こもっていたようなところがございますね。
動くなって言われたら、ホントに動かない人がたくさんいるんです。
自分の敷地から出たことがない、なんてね、そんな大きなお屋敷に住んでいらっしゃるような人にはどうでもイイようなことかもしれませんですが、昔でいう長屋、今でいうワンルーム、1K なんかで暮らしている身からしますとですね、こりゃ、腐りますよ。
ひとつ処へじっとしていますとですね、知らず知らず、気持ちがどうしても落ち込んじゃいますよね。
コロナ禍の終わりはまだ全然見えていないとはいうものの、海外観光客の受け入れがオープンになって、インバウンド需要に飢えていた業界はあの手この手で迎え入れようと工夫しています。
景気活況の予感も盛り上がってきていますかね。
海外からの観光客がキチンとマスクをしてくれるのかってことを心配する声も聞きますけど、実際に動き始めれば背に腹は、って感じで、そんなことを気にしちゃあいられないってことにもなりそうです。
どういうきっかけであるにしろ、人が街に出て来て、ワイワイし始めれば、何が正しいとか間違っているとか、そんな判断は消えてしまって、動いたもん勝ちってことになっていくのかもしれません。
また楽しく動き回れる日々を取り戻しましょう。
そういう人がほとんどなんじゃないかって思うのは、どうもね楽観的過ぎるのかもしれないんですよ。
コロナが下火になったなあって判断できれば、GoToキャンペーンだろうが県民割りだろうが、海外観光客に負けずに出かけましょう、楽しみましょうって考えている人ばっかりじゃなさそうなんです。
「う~ん、ウチはしばらく、そういうことは出来そうにないんだよね」
って、顔を曇らせている知人がいるんです。
慎重な人が居るのは理解できます。その人の奥さんとかが「ゼロコロナ」になるまで旅行なんて、とんでもないっていうタイプなのかなって思っていたんですが、別の知人からその理由、事情を聞かされました。
コロナ禍でリモートワークになったりして、学校へ行く機会の減っていた小学校低学年の女の子が不登校になってしまったんだそうなんです。
やっぱりね、2年以上のコロナ禍生活って長すぎますね。
なかなかニュースにはなりませんが、社会生活にはいろいろと影響が出ているんですよね。
小学校の低学年ってことですから、入学してまもなくコロナ禍での特殊環境に入ってしまったわけで、そういう年代の子どもたちにとっては、マスク、黙食、ソーシャル・ディスタンスの行動制限こそが学校生活そのものってことになるわけですからね、つまらないって感じる方が正しいのかもしれません。
息苦しい社会。
気の毒な世代ってことになっちゃいますね。なんともしようのない事態です。
じゃあ、大人であれば大丈夫かっていうと、まあ、たいていの人は、なんだかなあって思いながらも平常な生活を維持できているんじゃないかと思いたいですね。
かなりストレスがかかっていることを感じざるを得ないことっていうのも、あるにはありますけれどね。
これはまた別の知人の話なんですが、会社はほぼリモートワークになっていた時期があって、自粛制限が解かれてからは週に1、2度出社するようになったそうなんですが、同僚に出社して来なくなった人がいるそうなんですね。
その人は独り暮らしなんだそうですけど、実はリモート会議が続いた頃から、顔を画面に出さず、音声だけで参加するようになってきてしまって、心配していたそうなんですけど、今は完全に引きこもり状態になってしまって、休職扱いだそうです。
40代半ばの男性。騒ぎまわるほどじゃないにしても、かなり明るい性格の人だったそうなんですけどね。
コロナ禍の生活がどういう影響をもたらしたのかっていうのは、これからどんどん明らかになっていくんでしょうけれど、飲食店が減ったっていう問題も、見えてきたのはようやく最近になってからですし、そういった経営面、金銭面の問題も大きいんですけど、それより何より、気持ちを病んでしまったっていう人数が取り沙汰されるのはこれからってことになるんでしょうね。
なんだか急に明るくない話を立て続けに聞いて、なんともむすっと考え込まざるを得ませんでした。
みなさんはどうでしょうか。明るく笑える生活を保っていますか。
2022年の5月ぐらいから、東京の新規感染者数は徐々に減少傾向で、そろそろ動き始めてもイイんじゃないか。動き出さないと、いろいろ社会的にもマズイんじゃないかっていう空気感が出てきているんですが、現状では判断の分かれるところではあると思います。
世の中のため、っとかね、大きく考えることも大事なことですけど、まずは自分のことを優先して考えてみるっていうのが大事なんだろうって思います。
コロナ前、2018年のデータなんですが、内閣府が公表した「特集2 長期化するひきこもりの実態」によりますと、2015年に調査対象とした「15歳から39歳までの、広義の引きこもり」は「54万1千人」だったのに対して、2018年の調査で対象とした「40歳から64歳までの、広義の引きこもり」が「61万3千人」もいるんですね。
繰り返しになりますが、この数字はコロナ前の調査結果なんです。
今は2022年、コロナ禍の生活になって3年目に入っています。調査の行われた2018年からは、まだ4年ですが、この引きこもりの数値が改善方向じゃないだろうことは容易に想像できます。
そもそも、40代、50代の引きこもりって、意外に多いんだなってことに驚かされる2018年のデータです。
8050問題っていって、80代の親世代が、50代の引きこもりの子どもを世話している世帯が増えてきているらしいですしね。
年齢的に大人なんだから、コロナストレスにも耐えられるはずってことでもないんですよね。
この調査で言っている「広義の引きこもり」っていう定義は、狭義の引きこもりって判断される状態に、準引きこもりの状態を加えた数になります。
「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」っていうので決められているみたいなんですが、
「自室からは出るが、家からは出ない。または、自室からほとんど出ない」
「ふだんは家にいるが、近所のコンビニなどには出かける」
っていう2つの状態が「狭義の引きこもり」
「ふだんは家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する」
っていうのが「準引きこもり」っていう分類。
リモートワーク生活になって、買い物以外はほとんどどこにも出かけませんね、って人はけっこういると思うんですよね。
趣味に関する用事のときだけ、っていわれると、出かけるの、居酒屋ぐらいです。
ってなるとですね、「準」ってカテゴリに入るのかもなあって思っちゃいます。
どこかへ出かけるのって、しんどいなあって気分がどこかにありますねえ。
準ひきこもり、ですかねえ。
「旅は命の洗濯」っていう言葉もあるぐらいですから、こういうときこそ、理由なんかなくたって、目的とか持たなくたって、ぶらぶらと小旅行とかしてみるべきなのかもなあって気がしてきました。
準からの脱却。
まあね、泊まりの旅行とかまでじゃなくたって、どこかへ、いつもは降りない駅で降りて、乗ったことのない路線でぶらっと出かけてみるようなことが必要なのかもですね。
でもまあ、まだマスクなんでしょうけどねえ。
どこかへ出かけてこそ、我が家、自分の部屋っていう落ち着ける場所のありがたさを再認識できるってもんでしょねえ。
♪日が暮れて たどるは 我が家の細道
♪狭いながらも 楽しい我が家
ですね、そんな歌もありましたですよ。
♪恋しい家こそ 私の青空
こもらずに、理由がなくたって、目的がなくたって、外へ出ましょう、出かけましょう。
家とか部屋っていうのは、ずっと居るべき場所じゃなくって、帰って来るべき「青空」
故郷は遠きにありて想うもの、っていうこと? ちょと違うかもですねえ。
どっか行こうかなあ。でも梅雨だもんなあ。
なんだか何をするにも面倒くさくなってる自分に気が付いたんでありました。
県民割りねえ。都民割り、府民割り、そして道民割り。徐々にっていう狙いなんでしょかねえ。
大阪なんてね、旅行気分になるほど移動距離、なさそうですけど。
健全な精神は、なんとやらでございますですよ。