< マインドっていう単語が独り歩きして 意味的に別物になっちゃってませんかね >
マインドって「心」「精神」「意識」って意味だったはずなんですけど、ここ最近、企業の社員教育の現場にバシバシ登場してきていて、怖~ッ! って思ってしまいます。
曰く「ビジネスマインド」
自己啓発ってやつなんでしょうかね。仕事に対する心構え、みたいな意味で使っているんだとしたら、どうなんでしょうね、そんな啓蒙的な圧力で社員の意欲なんか湧くんでしょうか。
曰く「マインドセット」
新人教育の段階で適切にマインドセットしましょう! とか言っちゃってますね。
企業側、経営者側への呼びかけ。
この発想って、ひところ言われていた新興宗教の「マインドコントロール」と同じ意味なんじゃないの?!
本来的な使われ方をしているのかどうか、かなり疑問ですよ。
「フィックスト・マインドセット」されてしまっている人は、自分のスキルはもう固まっていると考えて、新たな経験を望まないし、努力もしない。
仕事の途中でトラブルに当たると、その問題を解決しようとせず、不正やごまかしの行動に走る。
それは良くないんで「グロース・マインドセット」して、積極的に新たな経験に向かっていく社員を作りましょう。ってことみたいなんですけど、マインドってセットされちゃったりするんですかねえ。
よく分かりません。
それに、この前見ましたよ、その講師だっていう人事部の人間が「なにをどう話せばいいのか、難しいです」って話をしていたんですよね。
ま、その人はどっかで講師になるべくオベンキョしてきたんでしょうけど、付け焼刃でセットされちゃうようなマインドの持ち主って、新規配属社員の中に、そんなに居るわけないって思いますねえ。
その講師側だって仕事としてやらざるを得ないってわけで、その教育の不合理さに気付いてはいるって感じですよね。
マインドっていう単語をよく見るようになった最初ってなんだったでしょうか。
「マインドマップ」でしょうか。
自分の頭の中を可視化するっていうコンセプトでしたよね。
ブログ記事に限らず、何かモノを書いている人なら分かると思うんですが、文字や絵として書き表してみないとハッキリしないことって、かなりありますもんね。
書き出してみて初めて気付くこと。
書いている途中から、明確なことと不明なことがやっと認識出来たりします。
個人の頭の中を整理するには優れた方法の1つだとは思いますね。マインドマップ。
この頃のマインドっていう言葉の使い方に違和感はありません。そのまま日本語での「意識」ですもんね。
マインドマップのソフトウェアもありますけど、48色の色鉛筆を用意してスケッチブックに教科書通りのキレイなマインドマップを書き上げることを至上の喜びにしていた人もいました。
その人の精神衛生上は大変よろしい影響があるのかもですが、ビジネス上は時間がかかり過ぎて使いものになりません。
「ブレインストーミング」っていうアイディア出しの手法がありますよね。
マインドマップで、色分けして手書きで枝分かれの絵を描かなくとも、エクセルの箇条書き、ディレクトリ型にディテールのアイディアも書き留めて行けば充分かとも思います。
思考の整理、可視化とはいうものの、あまり多岐に渡ってしまうと、とりとめがなくなってしまいがちですよね。
ブレインストーミングの途中で、なんか違う方向に行ってない? ってなったら、最初の一言目からやり直すのが健全かもしれません。その方が早い解決を期待できそうに思います。
なかなか実効性の高い「マインド」っていうのには出会いませんね。
マインドマップが役に立つことは間違いのないことだと感じていますが、要は「ツール」ですからね、使う人の意識次第ってことなのかもしれません。
ま、なんでもそうだって言えるのかもですけどね。
ビジネス書って次々に流行り、って言いますか、新しい概念が出てきます。
けっこう売れる本も出ますからね、読者も少なくないんでしょう。
ネットでも盛んに取り上げられる社会分析。
最近、ビジネスシーンで使われる単語に「VUCA(ブーカ)」っていうのがあります。
「Volatility(変動性)」
「Uncertainty(不確実性)」
「Complexity(複雑性)」
「Ambiguity(曖昧性)」
の頭文字を並べた言葉ですね。フォーレターワーズっての、世の中、好きなんですよねえ。
1980年代にはジョン・K・ガルブレイスの書いた「不確実性の時代」がもてはやされていた感じがありましたけど、ネットワークの発達、定着によって、かどうかは定かじゃないですけど、21世に入ってさらに3つも要素が加わってしまいました。
ブーカっていうのは、今までとは違う世の中ですよってことなんですよね。
これまでの常識が通用しない、想定外のことばかり起きますよ。
想定外っていうのはうまくいかなかった時の言い訳じゃなくって、今までになかったサービスとかいうふうに捉えた方が良さそうです。
圧倒的な違いっていうのは、なんと言っても「デジタルテクノロジー」でしょうね。
寄らば大樹の陰、っていう考え方は残るかもですが、個人としての情報収集力、テクノロジーの理解っていうのが不可欠になってきているんだと思います。個人レベルです。
良く言われるように、日本は遅れている、デジタル後進国だっていうのはホントなんだろうって感じることは少ないないです。
っていうかデジタル頭の人って、たいがい海外に出て活躍しているっていう現実もありそうです。
アナログ頭の人は、あくまでもアナログでイイんだと思いたいんですが、2045年には「シンギュラリティ」っていう怪獣みたいな名前の現象が起きるって言われていますよね。
日本語では「技術的特異点」
でも大丈夫です。日本にはゴジラがいます。
とか言っている場合じゃないのかもですよねえ。
人間の能力をはるかに超える「スーパーインテリジェンス」がAIによって生み出されるってことなんですよ。
ふううん、そですか。ぐらいのリアクションしか出来ませんけれど、デジタル革命は既に始まっていて、「第4次産業革命」のタイミングとしても2045年っていう年号が使われています。
AIの「ディープラーニング」っていうのが急激に「使えるもの」になって、シンギュラリティの真実味が出てきたように感じます。
ディープラーニングっていうのは、
物事に対する認識を、段々細かい情報へ分類して、その物を特定、理解するっていう階層構造の学習方法。
物事の認識に優れたデジタル頭脳が確立されると、そのデジタル頭脳は再帰的に学習を続けられます。
つまり自分自身を参照しながら新たな自分を作り出せるってことになって「スーパーインテリジェンス」が誕生しちゃいます、っていうのがシンギュラリティ。
これはですね、日本人全員ね、マインドとか言ってる場合じゃなくって、ディープラーニングした方が良さそうですよ。
って言ったってねえ、生身の人間がディープラーニングって、どうやるんだよ! ってことですよねえ。
2022年の年明けに、大学入学共通テストの不正受験のニュースが大きく取り上げられました。
あのオネエサンは、デジタルテクノロジーの使い方、間違ってますよねえ。
っていう話じゃなくってですね、スマホを使ったカンニングが不正だっていうテスト体制自体、その考え方の方が、もう化石になっているんじゃないですかって思うんですよねえ。
今回の不正を擁護しようっていうんじゃ、もちろんないんですが、記憶系のテストって今の時代に意味無くないですか。
記憶力の優れた人が優秀な人! ってことでエリート街道を進むのって、とっくに時代遅れなんじゃないの、ってことです。
世の中はディスクやメモリ、はたまたネットを調べれば記憶する必要のないことばっかりになってますよね。
受験の時にスマホ使っちゃダメよ! っていう方がナンセンスで、スマホでも何でもどんどん使って良くって、検索結果のデータを駆使して解いていくような問題を用意すべき段階に来ているんじゃないでしょうか。
公式を知っていれば解けますっていう数学の問題っていうのも、やっぱり記憶系の問題ですよね。
公式を調べられるようにして、どの公式をどう使うのかっていう応用系の問題だけで良くないですか。
ディープラーニングの発想で物事を判断できていないと解けないような問題。
記憶の箱が大きければエライですっていう認識から、ちゃんと自分で考える能力。デジタルテクノロジーを使いこなせるスキルの方が優秀なんじゃないでしょうか。
藤井聡太さんのようなAIと勝負できる日本人っていうのも居るんでありますよ。
これからの議員さんの立候補資格にも採用して欲しい気もします。
デジタルに疎過ぎる人は、日本のリーダーになっちゃいけませんッ!
社長もダメッ!
wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com