< いろいろと生まれ変わらなければいけない日本なんでしょ やってみればいいじゃないの >
ヤマアラシの女のこ、アラちゃんは怖くて震えっぱなしでした。
仲の良かったヤマアラシのヤマちゃんが、突然、アラちゃんの目の前から人間によって連れ去れてしまったからです。
ヤマアラシは通常、単独行動なんです。その時もヤマちゃんが近くまで会いにやって来ていたことは分かっていたんですが、アラちゃんはいつも通り岩陰から動かずにいたんで助かったんです。
ずっとそうして付き合ってきていたんです。
離れた場所からそっと見つめ合うのが、アラちゃんとヤマちゃんでした。
目の前から突然連れ去られてしまったその時、ヤマちゃんは恐怖にひきつって驚いた表情をしていました。
アラちゃんは忘れることが出来ません。
もしかすると自分に出来たことが何かあったんじゃないか。ただ怖がって隠れていた自分は間違っていたんじゃないか。
全身のハリを逆立てて抵抗したヤマちゃんでしたが、人間はなんだか得体のしれない道具を使っていて、苦も無くいともあっさりとヤマちゃんは連れて行かれてしまったのです。
とっても仲良しだったのに、ヤマちゃんはいったいどこへ連れて行かれたんでしょう、どうしているでしょう。
アラちゃんの住んでいるアフリカ地方ではこのところ、ヤマアラシが人間に連れ去られていく事件が頻発しているっていう話も聞きました。
ヤマちゃんが居なくなってしまってから、アラちゃんは1人だけで、より一層静かに、そっと暮らすようにしていましたが、折に触れて思い出されるのは、あのヤマちゃんの信頼できる笑顔でした。
どこに連れて行かれたのは想像も出来ませんでしたが、アフリカの夜空の星を見上げて、ヤマちゃんの無事を願わない夜はありませんでした。
それにしても人間はヤマアラシの最大の天敵です。
注意怠りなくって言っても、なにをどうすればイイのか、アラちゃんにはさっぱり分かりません。いつもビクビクしながら暮らす、やるせない日々が続いていました。
ところがある日、いつもあんなに警戒していたアラちゃんだったのですが、ついに人間に捕まってしまったのです。
あまりにも突然のことでしたので、ハリを突き立てて抵抗する間もありませんでした。
「ヤマちゃん、助けて」
アラちゃんの泣き声は虚しくアフリカの風に吹き消されただけでした。
自分はどこへ連れて行かれてどうなってしまうのでしょうか。
窮屈で暗い箱の中でアラちゃんは、怖くて震えながらずっと泣いています。
箱の外ではゴーゴーというエンジンの音が長く長く続いていました。
やっと箱の外へ出ることが出来たのは、日本の北海道というところの動物園でした。
大きな檻の中には身を隠す岩もありましたし、ごはんも食べることができました。
ひとまずは無事に暮らしていけるようだったのですが、アラちゃんは完全に独りでした。
どれだけ歩いたとしても、檻の中をぐるぐる回るだけのことです。仲間のヤマアラシどころか他の動物たちに会うこともありません。
出会うのは、こともあろうに人間だけなんです。
アラちゃんに危害をくわえそうな気配はありませんでしたけれど、信用は出来ません。
ごはんを用意してくれたりはするものの、なにせ人間なんですから、油断禁物です。
北海道の動物園の檻の中で、アラちゃんは次第に夜空を見上げることもなくなってきました。もうヤマちゃんの笑顔も忘れかけていたんです。
数か月が過ぎたころ、アラちゃんはあることに気が付きました。
寝床に用意されている場所を離れて檻の中を歩いていると、これまで感じたことのない身体の強張り、あるいは痛みに近いようなものに襲われるのです。
これはなんだろう。どういうことだろう。
アラちゃんは自分の身体の変化に戸惑うばかりでしたが、それはアラちゃんの身体が変化してのではなく、北海道の動物園に本格的な冬がやって来ていたのです。
やがて白いものがチラチラと空から落ちてくるのが見えました。
アフリカ生まれのアラちゃんにとって、雪という存在は驚きでした。
暖かい寝床から思わず走り出て、檻の中から雪空を見上げました。
それはずいぶん久しぶりに見上げた空でした。
雪は途切れることなく、チラチラと舞い降りてきます。すいぶん自由そうに見えます。そしてふんわりとやさしそうにも思えました。
その時です、雪空の向こうから声が聞こえたような気がしたのです。
「アラちゃん、出ておいでよ。ボクはここにいるよ」
その頃にはほとんど忘れてしまっていたヤマちゃんの声でした。
ハッとしました。
アラちゃんはキョロキョロと辺りを見回しましたが、どこにもヤマちゃんの、あの笑顔を見つけることは出来ません。
雪がただ静かに静かに、降り続けています。
でも、アラちゃんは初めて経験する寒さの中で、ハッキリとヤマちゃんの笑顔を思い出しました。そして確信したのです。ヤマちゃんはこの近くにいるんだ。元気に暮らしているんだ。
「ヤマちゃん」
ちゃんと声が聞こえたんだもの。ヤマちゃんは必ずいる。出ておいでって言ってた。
その雪の日からアラちゃんは檻から出られそうな場所を夜ごとに探し回りました。
檻の金網部分には、一カ所新しく張り直されているところがあることに気が付きました。
そしてその隣の、古いままの金網はアタマで強く推すとゆがむのを発見したのです。
その夜から3日目。雪は降っていませんでしたが、夜空からキーンっていうような音が聞こえてくるような寒さの中、アラちゃんはなんとか金網を押し曲げて檻の外へ脱出することが出来たんです。
「ヤマちゃん、どこなの」
アラちゃんは必死の思いで駆け続けて、夜の森の中に辿り着きました。
疲れました。やり遂げた満足感も大きかったんですが、何か新しい怖さのようなものも感じていました。
森はひっそりと静まり返って、夜空には三日月が浮かんでいました。
ガサっと音がして、アラちゃんが振り返ると、そこに、ちゃんといたのです。
「アラちゃん。アラちゃんなんだね」
あのヤマちゃんが、そこにいたのです。
アラちゃんは大きく何度も、力強く頷きました。声が出せませんでした。
2人は、そっと寄り添いました。
「寒いね」
ヤマちゃんが言いました。
アラちゃんは無言で頷きます。
「でも2人でいれば大丈夫だね。もっと近寄って温め合おう」
ヤマアラシのヤマちゃんとアラちゃんは、ぐっとお互いの身体を合わせました。
「アイタタッ!」
パッと2人は離れましたが、「でも寒いね」
身体を暖めようと近寄れば、お互いのハリが刺さって離れざるを得ません。でも寒いんです。
どうしましょ。せっかく巡り合えたのに。
っていうのが話の最後の部分だけだとしても「ヤマアラシのジレンマ」ってやつですね。
「ヤマアラシのジレンマ」の他には「囚人のジレンマ」っていうのも有名です。
ジレンマって、まあ、時々見聞きする言葉だと思います。
ある問題の解決に対して2つの選択肢があって、どっちを選んでも違う種類の同じようなダメージがあって、行くも帰るもままならない、身動きが取れないっていう状態のときに、ジレンマって言いますよね。
日本語としては1語として使われているジレンマですけど、「ジ」と「レンマ」っていうのに分解されるんですね。
「ジ」っていうのはギリシア数字で「2」
ギリシア数字の1から10は、モノ、ジ、トリ、テトラ、ペンタ、ヘキサ、ヘプタ、オクタ、ノナ、デカっていうんだそうです。
そして「レンマ」っていうのは、ギリシア語で「取る」「受け取る」
ま、ざっくりと「2つの選択肢」っていうのが「ジレンマ」ってことなんでしょう。
っていう組み合わせの言葉なので、その選択肢が3つあるときは「トリレンマ」4つあれば「テトラレンマ」になるんですね。
どれをとってもうまく納まることがないのに、その選択肢がたくさんあるっていうことは、ちょっとね、考えにくいんですが、元々の哲学用語的使われ方としての基本は4つの選択肢「テトラレンマ」なんだそうです。
4つ以上のジレンマ的選択肢があるっていうのは、ま、机上の論理で、現実的じゃないように思いますけど、どうなんでしょうね。
現実のこととして、2022年秋以降の日本政府はジレンマ、あるいはトリレンマ、もしくはテトラレンマ、ペンタレンマに陥ってしまっているように見えます。
問題の根本がそこにあるんじゃないことは、ひとまず脇へ置くとして、っていうこと自体がなんだかなあではあるんですが、今現在やれることとして、その団体との結びつきを持っていたのは誰なのか、ハッキリさせないと政権が持たないような空気になっていることを内閣も自覚はしているんでしょう。
でも、完全に全員が正直になるっていうのが難しいんでしょう。
清濁併せ呑むのが政治だっていうような信念があるのかもしれませんが、今、この問題をないがしろにしておいたら、自分たちの集団が生き残れなさそう。
でも、完全にハッキリさせてしまうと、その議員資質を問われる人数の多さによって、急激に数を減らさるを得なくなって、それはそれで今の体制は崩れてしまう。っていうのが、今の日本政府のジレンマ。
でも問題の解決ってその点だけに絞ってしまっちゃいけないのかもしれません。
ほぼカオス。
政権与党だけの問題じゃなくって、もともと役割を果たしているかどうか疑わしい野党も同様の問題を抱えていて、追及の声はさらに弱くならざるを得ない感じがしますしね。
実際のヤマアラシは、ハリの無い部分、顔と顔を寄せ合って寒さをしのぐ工夫をしているんだそうですけど、世の中的にダメな関係性が全員にまで及ばないんであれば、一旦、正直に公表して、消え去るべきは消え去って、生まれ変わった方が良くないですか。
実際に関係を持ってはいなくたって、知ってはいたんでしょう。
あなた方の自己肯定感の強さは、日本の現状、将来性に好影響をもたらすとは思えませんよ。
戦後政治のかじ取りは、そうせざるを得なかった部分が大きいんだと思います。敗戦国ですからね。
でももう、ホントの意味での独立独歩っていうことを考えて、やり直すべきはやり直したほうが良くないですか。
物騒な方向へ意見を持って行くばかりが方法じゃないですし、もはや二流国、三流国だっていう自覚から出発すべきなのかもしれませんよ。
しっかりしたリーダーシップ、魅力的な求心力。
望むべくも無いんでしょうか。
経済再生って、そういう能力、あの人、あんの?
なんかね、イラっとくるんですよね、アイツ。
いや、個人の問題じゃなくって、ですね、ってこの問題、止まりませんですけどね。
ん? ヤマアラシの話でした。
まだまだムダに長くなりそうですので、オシマイ。