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【ダイバーシティ】いつのころからか よく耳にするようになりましたけど なに?

< わやわや溢れている情報の中に知らない単語もいっぱい有って それがいつの間にか常識の単語に? >

ダイバーシティってなんじゃろ?


ダイバーっていったら、あれでしょ。飛び込む人でしょ。そういう人たちが集まってる街、ってことじゃないの。


ダイバーの街ってこと?


ダイビングっていってもいろいろあるじゃん。スカイダイビングっていう、なんでわざわざ空高く飛んでまで落ちてくる必要があるのか、ちっとも分らんやつ。


でもまあ、それはそれで、やってみたら楽しいらしいからね。はまる人ははまるんでしょ。空を飛んでる気分にもなれるらしいし。


空を飛んでいるっていったって、あれ、どう考えてもただ落ちてるだけだって。


慣れてくると自分の身体だけで自由に方向を変えられるらしいけどね。

 

 

 


空から落ちてくるダイバーは一種類だけだけど、海となるとその辺はだいぶ事情が違ってきて、いろいろあるらしいんだよね。素潜りもあればスクーバダイビング、さらには潜水艦で真っ暗な海の中まで潜っていくやつ。あれは学術研究ってやつかな。


スカイダイビングとスクーバダイビングって共通するとこ、全然なさそうだけど、そういう人たちがなんで一つの街に集まるわけ?


それ以外にもあって、サッカーのシミュレーションってやつね。あれをペナルティエリアでやるのをダイビングっていうんだよね。


そういう人たちが集まったとして、共通の話題とか、1個もなさそうな相対関係。


まだあるね。ステージの上からイクゾオってんで観客席にダイブするモッシュダイブってやつがある。


だからさ、いろんなダイバーがいたとして、なんで1つの街に集まって、なんでそれが凄く重要みたいに言われちゃってるわけ?


それはあれじゃないかな、ダイバーシティ東京に行ってみれば分かるかもよ。


あ~あ、それ言うんじゃないかって思ってたんだけど、何の関係もないじゃん。ダイバーシティ東京ってあれでしょ、フジテレビの入っているビルでしょ。あれはお台場にあるからっていう意味でのダイバーでしょ。


そうとも言う。


昔、中沢真一がダイバーシティとか言っていたような気がするんだけどね。


それはハッキリと違うね。中沢真一が書いていたのは「アースダイバー」だったね。ダイバーシティじゃなくって。アメリカ先住民の神話で、水に覆われた世界の中で一羽の鳥が水底に潜っていって大地の基になる少しばかりの土を持ち帰ってきたっていう話を、タイトルのバックストーリー的位置づけにしていて、その土地と歴史的時間と人間との関りを書いていたんじゃなかったっけか。なかなか興味深い読み物だと思うけど、ダイバーシティっていうのとは関係なさそう。


ググってみるとあれだね「多様性」ってことみたいだね、ダイバーシティって。


え! ダイビング関係ないの?


シティっていうのもCITYじゃなくってSITYだね。CじゃなくってS。

 

ふううん。ダイバーのシティじゃなくって、ダイバーシティっていう1つの単語だったかあ。


日本で言われているダイバーシティは、主に会社で、労働者を確保するために性別やライフスタイル、障害やなんかの多様性を認めていこうっていうことみたい。


でもあれだね、まだ見えていないことの方が多い段階なんだろけど、いろんな人の多様性を認めていこう、なんていう態度そのものに、どこか上から目線があるように感じられるね。


なんでさ。


その多様性って中に自分が入っている感じが全然しなくない? 他の人の多様性を認めるっていう言い方だと、自分は認める側で認められる側じゃないっていうことでしょ。ダイバーシティを言っている人のポジションがダイバシティの中にいないんじゃ、なんかさ、うまくいくとは思えないんだけどね。
健常と非健常。それがそもそもダイバーシティの発想から外れてるんじゃないの。

 

 

 


ん~。そうかも。まだそういう段階でごく一部の経営者側の考えにしかなっていないんで、そういう上からの目線でしか考えてなくって、考え方自体、概念自体、一般的リテラシーの中に入って来ていないのかもね。


元々はアメリカで、女性やマイノリティの雇用を進めようっていう動きがダイバーシティだったらしいね。


処遇改善だとかっていう運動をすぐに具体的なものにするって、アメリカを中心とした海外では素早くやっていて、そこは日本も学ぶべきところなんだろうけどね。


日本企業も取り組んでいるところは、けっこうあるみたいよ。


メディアの取り上げ方っていうのもリテラシーを共有していくうえでは大きな役割を担っていると思うんだけど、職種によって女性の方が適しているものがあるっていう判断をあげている論調があって、つまり職種によって性別の向き不向きを言っていて、仕事の効率とか言っているんだけど、それがそもそも差別思考で、ダイバーシティとは根っこから理解し合えない考え方だと思うんだけど、そんなことを言ってる専門家が音頭を取っているようじゃ、日本のダイバーシティって間違った方向にしか進まないんじゃないかな。


そうかもね、ダイバーシティってことだけじゃなくって、政治、メディア、アカデミックの中で全然こなれてないまま、世界に置いて行かれてる感じだもんね。今の日本って。


かつての「ジャパンアズナンバーワン」っていうのが、まるで自分たちの手柄ででもあったみたいに思っている日本人って意外に多いからね。


「表層的ダイバーシティ」「深層的ダイバーシティ」っていう分類とか、さもさもしいけど、その区別がどういう局面でどういうふうに役に立つのか、個性と多様性はどう解釈しているのか。
LGBTQとかいう概念はだいぶ浸透してきているんだろうけど、その中にも個性っていうのが当然あるわけで、合う場合と合わない場合が当然でてくるわけでしょう。LGBTQ同士でも。


合わなかったら関係を持たなくてイイです。っていうんじゃダイバーシティ以前とダイバーシティ以後って何が違うんだろうってことだよね。

 

 

 


社会学者のセンセ方も、自分たちだけで分かってるんじゃなくって、誰にでも分かるような発表をして欲しい感じがするんだよねえ。


ホントのホントにはさ、今さら、新しい概念みたいに言うようなことじゃないはずだもんね、ダイバーシティって。


自分を自分で判断して、しっかりとしたユニークな存在だって分析できていれば、他人も自分と同じ、しっかりしたユニークな存在だってことなだけだもんね。自分は大事。これは当然。そしてその当然さは他人に対しても同じ。他人の個性も大事。


自分以外の個性、考え方が存在すること自体に理解が及ばない、そんなのって昭和の政治家で終わって欲しいけどねえ。


ホント、そだよねえ。


ダイバーシティねえ。


そ、ダイバーシティだってよ。


ずっと前からだよ。


うん、そだよね。そしてずっとだよね。うまくいってんのかね。


どだろね。ま、大丈夫じゃないの。


そう願いたいですねえ。

 

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