< いつも通る路地で起こった都市伝説にもならない不可解な出来事から >
朝の路地です。夜来の雨はあがっていましたが雲は灰色でどんよりと厚く、明るさの無いアスファルトはまだ濡れていました。
住宅街の中を駅へ向かう一方通行の細い道なんですが、とあるマンションの前に普段着姿の老齢の男性が2人、女性1人が、立ち話というには常にない強張った緊張感を漂わせて立っています。
1人の男性がスマホを耳にあてながら、少し声高に話をしているのが耳に入ってきました。
見ると3人の足元には何やら白と黒の小粒のものがばらばらと大量にばらまかれています。
「いや、そうじゃないんですよ。とても1組っていう量じゃないんです。そうです、プラスティックの石です」
警察への通報でしょうか。そのマンションの管理人さんっていうより、管理組合の会長さんなのかもしれません。
眉根を寄せて険のある表情ではありましたけれど、よく通る落ち着いたトーンでした。
通り過ぎながら確認してみますと、小さな白黒は、どうやら碁石のように見えました。
それがマンションの玄関ホールから路地にかけてかなり大量にばらまかれているんですね。
たしかにね、誰かが誤って落としたっていう量には思えません。セット数で考えると10セットじゃ効かないぐらい、あるいはもっとそれ以上あるかもしれません。
なにごとが起きたんでしょうか。
近所にオモチャ屋さんなんかがあるような場所じゃないですし、そこにばらまかれているのは「白黒のプラスティックの石」だけで、その入れ物だとか、碁盤だとか、他の囲碁道具は見当たりませんでした。
何か得体の知れない、気味の悪いイタズラ? どういう目的で?
さらっと通り過ぎただけでしたので、そのばらまかれている白黒の素材が「プラスティック」なのかどうか確認したわけじゃないんですけど、改めて考えてみますと不思議な言葉ですよね「プラスティックの石」
そっちかーい!? ではあるんですけどね、言葉の方です。
その直径2センチメートルぐらいの丸いモノは、碁石だっていう、用途の分かるモノであればこそ、素材がプラスティックであっても「石」って表現されても違和感なく通じるんでしょうね。
ミス、過失っていうにはあまりに大量の「プラスティックの石」がばらまかれていたっていう不可思議もさることながら、プラスティックなのに石って呼ばれていることに、誰も違和感を持たないっていうことが気になったんでした。
そういえばっていうことではあるんですが、囲碁、ほぼ知りませんね。
そのうち、いつかやってみようかなっていう気持ちはあるんですけど、思っているだけでどんどん時間だけが過ぎてきています。
2巻本の「玄玄碁経集」を持ってはいるんですけど、未読です。有名な本らしいってことで、将来のためにって買ったんですけど、将来っていつやねん! って感じになってますね、今のところ。豪華本です。
一定数の囲碁愛好者はいますよね。碁会所っていう看板も見ます。
子どもの頃には「五目並べ」っていう遊びをよくやった記憶があるんですけど、あれはどこでやっていたんだったか、そこのところはハッキリしません。
家に、あるいは友人の家に碁のセットがあったような気もしますし、なんだか学校に将棋のセットと碁のセットがあったような気もします。
それはまあ夢の中の記憶みたいにあやふやなものなんですが、どうでしょう、昭和の時代には囲碁将棋を楽しんでいる人口って、今よりはかなり多かったような印象です。
ファミコンが登場する以前の日本って、囲碁将棋、花札トランプ、パチンコ麻雀っていうのが遊びの王道だったかもですよね。アナログでした。あとは酒ぐらいなものだったかもしれません。
将棋は藤井聡太九段が出て来て、にわかに盛り上がっている感じですよね。
将棋は将棋で、駒の動かし方は知っているんですけど、さっぱりですね。
将棋を指すっていうのに対して囲碁っていうのは、打つ。
石を盤上に置くにあたってのルールって、碁盤の目の交点に置くってだけで、なんだか取り決めの無い難しさがあって、そこの辺りが魅力なんでしょうかね。
めっちゃ古くからあるものなんだそうですね、囲碁って。
中国起源であることは間違いなさそうなんですけど、占星術の方法が変化してルールが出来た遊びっていう説があるかと思えば、神話世界の聖天子「堯」が発明したものだっていう説もあるみたいです。
堯っていう古代中国の聖天子は治水の神で、暦を作って、酒を造って、囲碁を作ったってされています。
自分の息子「丹朱」が賢くないんで囲碁を発明して勉強させたっていうのが始まりだっていうことなんですが、結果、堯の次の天子は血縁の無い「舜」で、堯舜の治世っていう言葉は知られていますよね。
出来の良くない息子に碁の効果はなかったのかもです。
囲碁の話として中国にはいくつもの「浦島太郎話」が伝わっています。
概略は、
ある木こりが斧を担いで山奥に分け入って行くと、大きな岩の上で2人の童子が碁を打っていたので、思わず見入っていた。
しばらくすると1人の童子がナツメの種のようなものをくれたので、それを口に入れてまた見入っていた。
なかなか勝負はつかない。
またしばらくして、童子が木こりに向かって「あんたの斧はずいぶん古いもののようだね」というので、脇に置いていた自分の斧に目をやってみると、なんと斧の柄がただれてボロボロになっていた。
慌てて里の家に帰ると、そこには誰も知っている者が居なくなっていた。
ほほう、って思います。なぜだかこの話を覚えていて、それで囲碁に興味があるんですね。
つまりこの話は、乙姫様の御馳走にタイやヒラメの舞い踊りっていうのと、囲碁っていうのが面白さとして同等のものだっていうことになりますよね。
童子が仙人になっている話しもあって、シチュエーションもいくつかあるみたいですけどね。
囲碁が日本に伝わったのは、吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として派遣された時だっていわれています。
吉備真備っていう人は2回、唐にいっているらしいんですけど、遣唐使の前の遣隋使のころから、倭人は囲碁を好むって書いてある中国の古書があるそうですから、もっと前から伝わっていたみたいですね。
戦国時代に入ると囲碁は実際の戦のシミュレーションとしての性格を帯びていって、戦国武将たちに支持されて一気に広まったみたいです。
本因坊算砂っていうお坊さんが名人で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に囲碁を教えたっていう話もあります。
本因坊っていうタイトルは現在でも7大タイトルの1つです。
囲碁は碁盤の上に白石、黒石を交互に打っていって、ルールに従って勝敗を決するゲーム。ってこれぐらいのことしか分かっていないのが情けないところですが、この碁石っていうのがなかなか名品が伝えられいるんだそうです。
プラスティックの無い時代のものですからね、そりゃ、けっこうコダワリがあったんでしょうね。
庶民に広まる前のことなんでしょうけど、白石として有名なのは現在の茨城県、鹿島のハマグリ。
桑名、じゃないんですね。
黒色頁岩、砂岩白石っていう自然石の碁石が奈良県で発掘されているそうです。加工せずに色だけの区別だったんでしょうね。大きさはバラバラ。ま、ある程度常識的な大きさの範囲はあったでしょうけど。
正倉院に保存されている碁石は象牙を染めてあるんだそうで、色は緑と紅。
緑が白で、紅が黒の役回りってことなんでしょうかね。
採食が施されている「源氏物語絵巻」では白黒の碁石で勝負をしている絵がありますね。
現在の高級碁石、黒石は三重県の那智黒石。
白石は今でもハマグリ。
貝殻を型抜きするわけで、そんなに厚みは無いみたいです。
鹿島の他に知られているハマグリの産地は、伊勢志摩の答志島、淡路島、鎌倉海岸、三河だそうです。
やっぱり桑名は入っていません。ん~。
薄いって言われようがなんだろうがハマグリの殻を贅沢につかうわけですからね、碁の白石はかなりの高額商品。
ハマグリの白石を買えば、黒石がおまけに付いてくるっていう売り方もあるらしいです。
そこまでか、って感じもしますけどね。
白を持つ方が上級者っていうのって、この辺から来ている習慣なんでしょかねえ。
1組としての碁石は、黒石が181個、白石が180個。
碁盤は19×19で交点は361ですから、ちょうどってことですね。
全部を盤上に打つことなんてあるんでしょうかね。分かりません。
白石のハマグリの産地として伊勢志摩の答志島(とうしじま)っていうのが有名だってことなんですけど、これですね、ちょっと、あれ? って思うことがあります。
和歌なんですけどね、
「すが島や たふしの小石わけかへて 黒白まぜよ 浦の浜風」
っていうのがあるんですよ。西行さんの歌なんですけどね。
伊勢での暮らしが好きだったらしい西行さんが小舟で答志島(たふし)を通りかかったとき、浜に見えるのは白い小石ばかり。
答志島の2キロメートル足らず南に浮かんでいるのが菅島(すが島)で、こっちの浜辺には黒石ばかり。
裏の浜風、吹き荒れて「黒白まぜよ」っていう歌なんですがね、なんのこっちゃ、っていう感じです。
ホントに西行さんの歌なんでしょか。
しかも答志島のハマグリじゃなくって白い小石です。
それともハマグリの殻が浜辺に散乱していたってことなんでしょうか。それはないでしょうね。
ん~。舟で行ったり来たりの途中で白と黒っていう区別に気付いたのかもですけど、昔はそうだったの! ってことなんでしょうか。
今現在の答志島、菅島の名物に、白石黒石っていうのは案内されていませんねえ。
取りつくしちゃったってこと?
ちなみに答志島には九鬼水軍の大将「九鬼嘉隆」の胴塚と首塚があるそうです。
路地にばらまかれた「黒白まぜよ」、大量のプラスティックの石は、帰り道にはありませんでした。
何だったのかは謎のままにしておきます。白黒つけません。
路上のプラスティックの石は、充分に黒白まざっていましたとも。はい。