ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

さりとて【下戸の建てたる倉もなし】と言うがごとし

< 黒田節は 黒田武士 酒は呑め呑め 呑むならば >

そういう習慣になってしまいました。
っていうことで外に呑みに出る人が減っているらしいんですね。


経済活動は居酒屋から、とか思っているわけでもないんですけど、適度な酒、軽いムダ話は、気持ちを柔らかくするクスリです。と思うですよ。
知らず知らず、緊張を強いられる毎日が続いていますからね、セルフケアっていう意識を持った行動が大事なんじゃないかなって思います。


まあね、外に呑みに出かけると、へろへろになった困ったちゃんと遭遇することもありますけれど、温かい目で「無視」してやってください。


仕事の付き合いとか、義理呑みは、気持ちを柔らかくするどころか、精神衛生上良くありませんので可能な限り避けておきましょう。


今回は、酒は呑め呑めで有名な黒田武士、黒田節の話を。

 

 

 


日本には「天下三名槍」といわれる三本の槍が伝わっています。


徳川四天王の1人。武勇第一といわれた「本多忠勝」の愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」


本多平八郎忠勝は戦国時代の57回に及んだ戦闘の中で、かすり傷1つ負うこともなかったというエピソードを持つ勇将で、武田信玄の家臣から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と評されたほどの活躍を見せた人です。


「唐の頭(からのかしら)」っていうのは、チベット原産のヤクの毛で作られた兜のことだそうで、徳川家康が何処で手に入れたものかって、評判になっていた珍しい兜。
戦国武将も、ファッションってことじゃないんでしょうけど、他人の兜とか、気になっていたんですねえ。


そして本多平八は、蜻蛉切で暴れまわった本多平八郎忠勝のことなんですね。


蜻蛉切は刃長43.8cm、柄の長さ約6m。凄く長いです。
本多忠勝の身長がどれくらいあったのかは記録に残っていないそうですが、身長が高かったとしても、その膂力はもの凄かったんでしょうね。


戦場で本多忠勝が、蜻蛉切を立てて待機していると、飛んできたトンボが穂先に当たって、2つに切れてしまったっていうエピソードからのネーミング。
ん~。ホンマかいな、近眼のトンボ?


蜻蛉切は代々、本多家に保管されて来ていたんだそうですが、太平洋戦争後、沼津市の矢部家の所有になっているみたいです。


2本目。
室町時代末期、下総の大名だった「結城晴朝(ゆうきはるとも)」が静岡県の刀工に作らせたっていう「御手杵(おてぎね)」


穂先が138cm、全長215cmっていいますから、やたらに刃が長いです。


結城晴朝豊臣秀吉の時代に、徳川家康の次男「松平秀康」を養子に迎えます。
結城秀康となった、この家康の次男坊も大力で知られた人で、御手杵を受け継ぎます。


江戸時代に入って結城氏の名跡を継いだ松平大和守家が受け継いで、家宝としていたそうですが1945年の東京大空襲で焼失。
天下三名槍」の中で唯一、現存していないってことで、残念なことです。


今は復元品が茨城県結城市に所蔵されているらしいです。


御手杵は熊毛で作られた鞘が有名で、鞘を抜くと雪が降るっていう言い伝えが、結城家に残っているそうです。


そして3本目が「東の御手杵、西の日本号」と称された「日本号(ひのもとごう)」ですね。


穂先79.2cm、全長321.5cm。
福岡市博物館に所蔵されている「黒田節」の逸話の元になった槍で、「呑み取りの槍」とも呼ばれているんですね。

 

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昭和の昔、会社の忘年会が盛んだった時代には、福岡県出身の人がお座敷で「黒田節」を唄い踊るっていうのは定番になっていたみたいですよ。


今はそういう豪快な人も、さすがにね、見かけません。
座敷で忘年会、っていうのも聞きません。

 

 

 


「呑み取りの槍」のエピソードは、こんな感じだと思います。
時は戦国末期。


当時のイエズス会宣教師が、日本には2人の統治者がいると本国へ報告している文書が残っていますが、それは「織田信長」と「正親町(おおぎまち)天皇


財政のひっ迫していた朝廷と、天下布武の戦いに天皇の調停を必要とした信長は、持ちつ持たれつの関係だと言えます。
1574年、信長に、正倉院蘭奢待切り取りを許可したのが正親町天皇です。
許可せざるを得なかった、のかもですけどね。


下剋上の当時、室町幕府の将軍も平穏無事ではなく、その必要性から武芸に優れていたとされる室町幕府第13代征夷大将軍足利義輝」が三好三人衆、松永勢によって殺害されてしまいます。
この1565年の「永禄の変」こそが、まさに下剋上を体現している出来事のように思えます。


正親町天皇も含めて、室町幕府の将軍、全国の大名たちの権謀術数が渦巻いて、不穏な空気に支配されていたんだろうなあってことが容易に想像できます。


三好三人衆に擁立された第14代将軍、「足利義栄(あしかがよしひで)」も戦いの中で病に倒れ、あるいは毒殺の噂もありますが、31歳で命を落とすと、信長に推された「足利義昭(あしかがよしあき)」が第15代将軍の座につきます。


足利義昭という人がまた、戦国時代の征夷大将軍として八面六臂の権謀術数を弄する策士で、信長を頼ったり、
裏切ったり、天皇を頼って錦の御旗を利用したり、存在感を示します。


足利義昭が将軍職に就いたのは1568年ですが、おそらくたぶん、この頃に、天皇家の御物として作られた「日本号」が、正親町天皇から足利義昭将軍に下賜されたそうです。
これで信長を、ってことだったのかどうかは分かりません。


その名も「日本号(ひのもとごう)」の名槍、天皇家の槍だったんですね。


その後、足利義昭は信長と争って破れ、都を落ちていきます。
その時のことなのかどうか、ハッキリした時期は分かりませんが「日本号」は信長の手に渡ります。


そして豊臣秀吉の所有となって、賤ヶ岳の七本槍として有名な「福島正則 」に与えられます。


大男だったらしいですね、福島正則は。


生まれた土地の愛知県あま市美和地区には1889年、明治22年に「正則村」が発足したそうですからね、地元の人気は大きなものがあるんですね。
令和現在では正則村の名前は残っていないそうですが、保育園、小学校や橋の名前としては現存しています。


地元での人気とはウラハラに、一般的には、イノシシ武者で酒癖が悪いっていうヨロシクナイ評価もあります。


酒呑みのコマッタちゃんって、今も昔も、いるんですよねえ。
殿さまが酒癖悪いって、サイテーですよねえ。


泥酔して部下に切腹を命じて、翌朝、しまった! ってんで、部下の首に泣きながら謝ったとかいうエピソードが残っています。
ホントだとすると、サイテーな殿さまです。バカ殿です。知らんけど。


で、秀吉の時代、文禄・慶長の役の間、一時期日本に帰って来ていた時のこととされていますから、1593年のことだと思います。


日本統一を果たした秀吉が大陸へ押し出していこうとする戦いの途中ですから、国内の大名たちは作戦を練るのに余念が無いわけですね。
九州の雄、「黒田官兵衛」の嫡男「黒田長政」の使いとして、布陣していた朝鮮半島から「母里友信(もりとものぶ)」が、京都伏見城に滞留中だった福島正則の元へやってきます。作戦会議でしょうね。


この母里友信というサムライは、槍術に優れた剛力で知られた、黒田八虎の第一とされた猛将なんですね。
酒も強くって、地元では「フカ」って呼ばれていたらしいです。


フカっていうのが、酒が強いっていう意味なのか、腕力の凄さを表したものなのかはハッキリしませんが、まあ、大口あけて酒をガブガブ呑むって感じなんでしょうかね。

 

 

 


伏見城で一献傾けながら母里友信を迎えた福島正則が、要件を聞き終わるか終わらないかのうちに、絡み酒になってしまいます。


「おい、母里友信
「なんでござるか」


正式な使いとして遠路はるばるやって来ていますから、母里友信は使命を全うせんとして頑なです。


「酒が強いらしいな。まあ、呑め」
盃を差し出す福島正則に、母里友信は憮然として断ります。


「福島殿、拙者、使命の途中でありますれば」
「なあにが福島殿だ。四の五の言わずに呑め」
「……」
「なんだ、呑めないのか。オレの酒が呑めないというのか」
「……」
「おい、こら、おぬしは黒田武士を代表して来ておるはずだな」
「は、左様で」
「黒田武士は、酒の呑めないやつばかりなのか」
「呑めないというわけではござらぬ」
正則は盃にこぼれるほど注いで、母里友信の前に置きます。


「呑め。呑めと言ったら呑め」
「不調法が合っては我が殿に申し訳が立ちませぬ故」
「ははーん、そうか、これっぽっちの酒では物足りぬというわけだな」
正則は家来を呼びつけて、大盃を持って来させて、なみなみと酒で満たします。


「さあ、どうだ。これを見事呑んでみよ」
「……」
「わっはっはっは。黒田八虎なんぞとぬかしおって、どれほどの者かと思えば、これっぽっちの酒も呑めぬとは、情けない虎じゃのお。黒田の武士は酒も呑めない役立たずだ」
正則が荒くれなら、友信も剛の者です。


「それしきの酒、黒田の者であればひと息でござるよ」
「ぬかしたな母里! ならば今ここで呑んで見せよ。みごと呑み乾せたならば、何でも望みの物をとらそうぞ」
酔っ払いの戯言に、フカがキレますね。


「ならば、福島家に伝わる名槍、日本号を所望いたすが、呑み乾して見せたならば、しかと日本号をくだされるか」
「な、なに、日本号だと。大きく出たな。ならば一息で呑み乾して見せよ。さすれば天下の名槍、日本号をそちにゆずろう」
「確かにですなッ!」
「たあけッ! 男に二言はないわ」
「では、参る」


フカですからねえ、呑んじゃうんですねえ。


天下の名槍、日本号は見事に母里友信の持ち物となったわけです。


黒田の地元では大いに盛り上がったエピソードになって、人呼んで「呑み取りの槍」
その後、日本号は明治年間まで母里家の家宝とされていましたが、一族の男に持ちだされて行方不明。
その一族の男も、おそらくたぶん、酒呑みのコマッタちゃんだったのかもですね。


持ち主を転々としたあと、1920年に黒田家に戻って、現在は福岡市博物館の所蔵品として常設展示されているってことです。


♪酒は呑め呑め呑むならば


♪日の本一のこの槍を


♪呑みとるほどに呑むならば


♪これぞまことの黒田武士


後日、返してチョって黒田長政に泣きついたらしいですが、知らんがな、ってことで地団太踏んで悔しがる福島正則


いや、だからさ、酒呑みってロクなもんじゃないじゃん!


アルコールの制限がなくなったって、外で呑まなくたってイイよ。
第一、お金、モッタイナイしねえ。


って言いますけどね、そんなところでケチケチしたって「下戸の建てたる蔵もなし」とも言いますよ。


ソーバーキュリアスっていう流れもアリだと思いますけれど、外で呑むのは、人とリアルコミュニケーション、気持ちを柔らかくするクスリ、呑みニュケーションです。


日本号みたいなレベルじゃなくたって、いろいろ、大事なものを失くさない工夫はですね、「和らぎ水(やわらぎみず)」です。チェイサーです。


宝物なんて持ってないよ、っていう人でも、身体が宝です。和らぎ水がいいらしいですよ。


呑み比べとかは、止めておきましょう~。


義理呑みは身体に悪いですよ~。キッパリ断ってしまいましょう。

 

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