ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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【腹八分目医者いらず】簡単に実現できるんだったら こんな言葉ものこってないはずですよねえ

< 食べたいだけ食べるっていうのはさすがに身体にイイわけないでしょねえ 分かっちゃいるですけどねえ >

コロナパンデミックの前には当たり前にあったのに、コロナ後になってからメッキリ見かけなくなってしまったことの1つに「食べ放題ランチ」っていうのがあります。


お昼に食べ放題とか行ってる余裕なんてないよ、っていう向きも多くいらっしゃるでしょうけれど、あるところにはいっぱいあって、行く人はバシバシ行ってたですよね。ギャル曽根シンパとかね。


とある一画が全店食べ放題のお店、なんていう場所もあったです。
近所のお店が食べ放題ランチを始めちゃって、なんだかいっぱいお客さんが来ているなあって思って、そんじゃあウチも、ってなるからなんでしょうかね。


パスタランチ、ピザランチ、カレーランチ、とかに食べ放題が多かった記憶です。

 

 

 


広尾の会社の技術職、細身のN君は、とにかく食べ放題ランチが大好きで毎日食べ放題だったんです。


それでも1人で行くのは気が引けるのか、いつも周りに声をかけて2人、ないし3人で張り切って出かけて行きます。


ただですね、最初はね、まあお付き合いしますけれど誰でもすぐに食傷気味になります。若い連中も避ける方が多数派。
そんなにしょっちゅう食べ放題ランチへ行くっていう習慣を持っているのはN君だけ。


普通に考えて、無理にお腹パンパンにしようっていう努力はしたくないですよね。


だんだん、お昼の時間が近づいてくるとみんなN君の傍に寄らなくなっていくですねえ。


そんなことに気が付いているのかいないのか、N君は能天気に声をかけてまわります。


で、その会社のプロパーでも、N君に近い年齢でもないオッサンたちにもお鉢が回って来るわけです。


N君とRさんと私とで行ったのはカレーの食べ放題ランチでした。


店には大きなごはんのジャーがずらっと並んで、白米、五穀米サフランライス。隣りには大皿が並んでいて、ナン、チーズナンが山と積まれ、その隣りに並んだ寸胴に日替わりで種類が変わるらしいんですけど、チキンカレー、豆のカレー、ほうれん草のカレーが用意されていました。


薬味とかサラダは用意されていないお店でしたね。リーズナブルでした。
たしか千円でお釣りがきたと思います。


Rさんも私も食べ放題ビギナー。
食べ放題ビギナーはたいてい欲張り妄想にとらわれちゃいます。ですよね。


全種類の組み合わせを体験しようと勢いよく食べ始めたものの、サフランライスとチーズナン、チキンカレーとほうれん草のカレーぐらいでギブの状態になりました。

 

 

かなりがんばってそれぐらいです。


N君はそんな初心者2人に構わず、自席とカレーテーブルを往復しながら、どんどん行きます。


1回に運んでくるボリュームを抑えてバリエーションを楽しんでいるのかっていうと、さにあらず。取り皿に盛ったご飯は大盛りですし、ナンは一回で2種類持って来ています。
それで何往復もしている。


Rさんと私は、ただN君が豪快に食べるのを見ているだけの時間の方が長かったかもしれないです。
他人が食べるのを見ているだけでも、なんだか自分のお腹も膨れていくような気がしたものでした。


く、苦しい。。。もう要らん。。。


で、ようやくN君も満足して店を出て会社に戻るわけですが、外に出たとたん、社内では有名にっているN君のタンチョウ歩きが始まるんであります。


アゴを突き出すように空を真っすぐ見上げて、首をニュ~ってまっすぐ伸ばした格好で歩きます。その姿がタンチョウ鶴みたいなんでタンチョウ歩き。


身長が185センチだっていうN君ですから、そうでなくとも目立っているのに、タンチョウ歩きは悪目立ちです。


タンチョウは首をまっすぐ上に伸ばして鳴きかわしますが、N君は声を出しません。
むっつり無言で歩いて行きます。声なんか出せないんだと思います。


なんでそんな歩き方をするのか。N君曰く、


「食べ放題のコツは、とにかく詰め込み方式で身体の中に食べものをいれちゃうことなんですね。胃袋だけじゃなくって食道にも詰め込んじゃって、喉のすぐそばまでいっぱいにするんです。そうなるとこぼれ出さないように口を上に向けているのが安全なんです」


なんだかね、コツとか聞いてるわけじゃないのに、当然のこと、究極の技みたいに言ってます。


そういう食べ方が出来たからって、ちっともうらやましくないですけどね。

 

 

 


タンチョウ歩きで社内の自席に戻ってからも、しばらく上を向いたままじっとしているN君に上司から声がかかります。


「あのなあ、お前だけお昼休憩が長いんじゃないかってクレームが来てるんだぞ。ナントカの1つ覚えみたいに食べ放題ばっかり。もう少し抑えたらどうなんだ。腹八分目ってよく言うだろう。いいオトナなんだから」


無反応のN君ですが、どうやら食道に溜まっていた分が胃袋に下りて行った時分になると、ニコニコとこう言います。


「これだけ食べておけば、夕飯は少なくって大丈夫ですし、安く済ませることが出来ますからね。食べ放題は止められませんよ」


細い身体にお腹が異常に膨らんじゃって目立っている状態で、よくまあ夕食のことまで考えられるもんです。


ま、こういうN君みたいな人は珍しいとは思いますが、「腹八分目」っていうのはよく聞きますよね。


満腹を10として、8ぐらい。お腹の80%ぐらいで食べるのをやめておくことが肝要。身体のためにヨロシイ。

 

 

N君の場合、腹十二分目ってな感じでしょうか。


腹八分目っていうのは、医学的に正しいらしいんですよね。
どう正しいかっていうと、健康に長生きできるっていう正しさ。


N君が長生きを諦めているとは思えませんが、食べ放題でタンチョウ歩きばっかりしていると、健康に長生きは難しいだろうなあって、素人ながらも思います。


腹八分目医者いらず、っていうのは医学的に正しいとして、いつ頃から言われているんでしょうね。


人類の歴史は飢えとの戦いだったっていいますよね。


狩猟採集の食生活は、獲物が得られれば、その日はまさに食べ放題かもしれませんが、何も収穫がなければ口に入るものがない。飢えますね。
そういう日が続けば体力のない個体から飢え死にしていっちゃうしかなかったわけです。


農耕を覚えて食料の貯蔵っていう知恵を得てからも、干ばつ、洪水で不作が何年も続けば餓死がすぐ隣りにやって来る生活ですね。


歴史の書物にも悲惨な飢饉のことがけっこう出てますよね。
歴史的時間軸で見れば、つい最近までの飢餓。


単純に考えれば、そんな食生活を暮らしていれば食べられるときに食べられるだけ食べちゃいましょう! ってなる方が自然なような気がします。


食べ放題万歳!


いや、そういう食べ方は健康的に良くないです。八分目で止めておきなさい。


食べ放題推しの庶民に向かって、腹八分目って言い始めたのは食糧事情が安定した時期ってことになるでしょうね。


ちょと調べてみますとね、日本で腹八分目医者いらず、って言い始めたのは貝原益軒(1630~1714)の「養生訓(1712)」が最初らしいです。
江戸時代初中期ですね。


時々飢饉はあるにしても食料事情が安定に向かい始めた時期ってことになるんでしょうか。


食料事情として誰もがみんなタラフク食べられるほどのボリュームが担保されているわけじゃないでしょうから、みんな少し食べる量を減らせ! っていう政策としての腹八分目だったんでしょうか。


ん~。そうじゃないんでしょうね。満腹って感じる手前、八割ぐらいの腹になったら食べるのを止めることが健康につながるんだっていう貝原益軒の知見から出てきた言葉だって考えるのが妥当でしょねえ。


江戸幕府、関係なし。


そしてなぜだか日本中に浸透した腹八分目医者いらずっていう言葉。


誰でも知っている腹八分目の概念ですけど、それを常に実現し続けるのはかなり難しいですよね。


そもそもですね、自分の腹の八分目ってどれくらいなのか、そこからして分かってないです。


もう少し食べられそうだけど、っていうあたりですよ、って言うんですけど、むむう、難しいです。


食べたいだけ食べちゃうのは、規則正しい食生活のリズムが守れていないから。


ってことらしくって、1日3食、決まった時間に食べるようにすること。脂の多い料理は小皿に取り分けてから食べること。だらだら間食を続けないこと。食物繊維、タンパク質、炭水化物の順番で食べること。とにかくよく噛んで食べること。


こうすると腹八分目で食事を終わらせることが出来る。
ホンマかいな!?
それになんだか、そんな食べ方、楽しくなさそう。


食物繊維、タンパク質、炭水化物の順番でっとか言われてもねえ。


一汁二菜でも三菜でも、どれもまんべんなく箸をつけて行く食べ方の方が旨いっしょ。

 

 

 


要はセルフコントロールってことになるんでしょうけれどね、生物ヒエラルキーの頂点にいるなんて言ってはばからない人類が腹八分目をコントロールできない現実に対して、昔から、ヤツらはきちんと腹八分目をコントロールしているって話があるですね。


蚊ですよ、蚊。


人の肌に止まって、こっそりチクってやってチューチューする、あの、例の、小憎らしい蚊です。


産卵前のメスの蚊にとって動物の血ほど栄養的に有り難いものはないんだそうで、アースやらキンチョーやらベープやらをかいくぐって、どしどしやってくるわけです。メスの蚊ね。母は強し、ってことなんでしょか。


で、その蚊。我が子のためにそんなにおいしい血なのに、チューチューするけど飲み放題はしない。


腹八分目でやめるんですって。
なんとエライ!


蚊はこっそり人の肌に止まって血管をさぐりあてます。
そんでもってその人の血が旨いか不味いかチェック。


よく刺される人と全然刺されない人いるでしょ。味見してるらしいんです。
生意気にね、マズかったらさよなあ~って飛んでっちゃうそうですよ。


ま、人にとってはそっちの方がイイのかもですけど。


で、好みの味だったらチューチュー開始。


チューチューを促進するのが血液の中の「アデノシン三リン酸」っていう成分らしいんです。


で、アデノシン三リン酸を感知しながら満足気にチューチューしていると、蚊の腹の中にだんだん溜まってくるのが血液を凝固させる成分の「フィブリノペプチドA」


凝固成分が多くなってくると蚊の身体の中で何か不都合なことが起きるのかどうか、そこまでは分かっていないみたいですけど、フィブリノペプチドAが一定量溜まってくれば蚊は、満腹になっていなくともチューチューを止める。それで健康を保っている。腹八分目。


蚊には腹八分目が出来るけど、人には出来ない。そういう本能がない、んでしょうか。


食事だけじゃなくって、生活全般に対して「足るを知る」ってことが大切なんでしょねえ。


そういうことは昔から言われていて、聞いたときにはふむふむと素直な気持ちになれるんですけど、ちょっと時間が経つともう、ガツガツした気持ちに戻ってしまっています。


食べ物もそうですが、酒なんかもそうですね。呑み放題なんてのもありますからね。


いけませんですね。蚊を見倣わないとダメでしょかねえ。


ただ、そうしたガツガツした気持ちが昔からみんなに共通していたっていう事実とともに、なんとか自制しないとダメよねっていう気持ちも昔からあったようなんです。


新潟県長岡市「十分杯(じゅうぶんはい)」っていう盃があるんだそうです。

 

そのくらいで十分ですよって量を注げば、ごく普通に盃として使えるんだけど、欲張ってたっぷり注いじゃうと、なんと全部こぼれちゃう。


サイフォンの原理ってやつを利用した盃なんですね。


長岡藩三代目藩主の牧野忠辰(1665~1722)が「満つれば欠く」っていう概念に大いに感じるものがあって、自分自身の戒め、家臣に対する教育として盛んに利用したんだそうです。


満つれば欠くっていうのは孔子の教えなんだそうです。


「欹器(いき)」っていう器があって、空の状態では傾いていて、そこへちょうどイイ塩梅に水でも酒でも注げば直立するんだけれども、たっぷりなみなみと注いでしまうとひっくり返ってしまう仕掛け。


子曰く、「世の中は万事かくのごとく。満ちて転覆せざるはなきなり」


「過ぎたるは及ばざるがごとし」っていうのもありました。


サイフォンの原理っていうとピタゴラスの「貪欲なカップ」が有名ですけれど、もっとずっと前から知られていた原理みたいですね。

 

長岡の「十分杯」の他に、石垣島の「教訓茶碗」、山形の「八分杯」っていうのもあるそうです。


山形のはまさに八分目にしときなさいっていうネーミングなんでしょね。


日本全国にあるものだったのかもしれません。


常に何事に対しても、足るを知って、自分のあるべきようを自覚する。
そういう生き方が出来ると蚊よりも高等な生き物だって威張れるかもです。
足るを知る、大事でしょねえ。難しそうではありますけどねえ。


蚊がいなくならないのは、腹八分目をコントロール出来ているから、なのかもですねえ。

 

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