< フードロスっていうのとは また別の問題なんでしょうねえ >
ずいぶん前の話になりますが、友人の家でテレビを見ておりました。
たしかマーガリンのコマーシャルだったと思うんですが、「□△×で低カロリー」っていうキャッチコピーだったんですね。
それで、
「なんで低カロリーってことが宣伝文句になんだ?」
って聞いたらですね、
「今の日本で高カロリーを求めてるのは、お前ぐらいなもんだろ」
って言われことがあるですよ。
ふううん、そっかあって思いましたが、飽食の時代、真っただ中、だったんでしょうね。日本はね。
自己批判的な意味合いを込めて喧伝されていた飽食の時代っていう表現だったんだろうと思うんですけど、そのうち誰も言わなくなっただけで、飽食自体はずっと続いていたんでしょうね。
21世紀になると、日本の食品ロス、フードロス問題が盛んに取り上げられるようになりました。
満ち足り過ぎて廃棄。
かと思ったら、学校の給食費が払えない世帯っていうのがニュースになったりしました。
まあね、充分に払えるんだけど、ウチは給食費なんて払いませんよっていうモンスターもいるらしいんですけど、そういう人は別として、食べきれずに捨てちゃう人と、食べたくとも食べられない人と。
日本にも格差があるんだよっていう現実。
世の中、ままならぬものでありますよ。
そんでもって、2022年になってロシアのウクライナ侵攻が始まって、急に地球規模の問題として「食料安全保障」なんていう言葉が盛んに言われるようになりました。
国家レベルの大問題なんですよ、って言われていますけど、なんなんでしょう「食料安全保障」って。
調べてみますと、
「食料安全保障とは、食料の入手可能性とその方法に関する、国家レベルの事項である」
ってことなんですけど、「事項である」とか言っちゃってさあ、全然具体的じゃないじゃんねえ。
なんかね、国際的な決め事っぽいヤツってこういうの、多いよね。お題目だけ、って、知らんけど。
農林水産省の定義をみてみますと、
「予想できない要因によって食料の供給が影響を受けるような場合のために、食料供給を確保するための対策や、その機動的な発動のあり方を検討し、いざというときのために日ごろから準備をしておくこと」
だそうでございます。
国家的な事項、っていうのは、その国ごとに、ってことなんでしょうかね。
「日ごろからの準備」って具体的に、何をどうしているのかは、不明です。
準備しておかなくっちゃね、っていうことは決まっているんだけど、何をどうするのかはこれからの問題、ってことなのか、各家庭ごとに考えておきなさいよ、ってことなのか、さっぱり分かりません。
アメリカ農務省の定義は、
「家族のための食料安全保障とは家族のすべての構成員が行動的、健康的な生活を送るために十分な食料をいつでも得ることができることである」
ってことで、「家族のため」のものなんですね。
日本の「機動的な発動のあり方を検討し」っていうのと比較してみますと、難しい表現はしていなくて、なんだか大らかな印象を受けないでもないですけど、どっちにしても「食料安全保障」はこうして実現します、っていう具体はないんですね。
こういう状態の中で、突如起きてしまったのがロシアによるウクライナ侵攻で、中長期的にみて、世界の食料事情、かなりヤバイことになるんじゃない? ってことで、急に注目を浴びてしまっている「食料安全保障」なのかもしれません。
言うだけじゃアカンねや、具体的にどうすんねん? ってことでしょうね。
世界的に治まりかけてきているのかなっていうコロナ禍ですが、平静な世界に戻るんじゃなくって、治まったころから今度は「食料危機」っていうことになっちゃうのかもです。
人類も、これまでの生活のほとんどは食べ物を求めて移動したり、家畜を育てたり、植物の栽培を工夫したりして来て、飽食の時代なんて、ほんのつい最近のことなんですよね。
一番近い地球規模の「食糧危機」っていうのは、第二次世界大戦の辺りから「アジアの食料危機」っていうのが懸念されていて、これはアメリカの農学者「ノーマン・ボーローグ(1914~2009)」が中心となって指導した「緑の革命」ってやつで、なんとか乗り切れたらしいんですね。
中国、インド、フィリピン、そしてメキシコの小麦生産量を大幅にあげた「緑の革命」で、ノーマン・ボーローグは1970年のノーベル平和賞を受賞しています。
中国、インドなどのアジア諸国をはじめとした地球全体の人口増加に、食料生産が追いつかないんじゃないかっていうのは、18世紀から言われていたことなんですが、ノーマン・ボーローグの開発した新種の小麦で1960年ごろには「食料危機」は回避されたんですね。
19世紀から20世紀にかけて、化学肥料なんかの性能が上がって、小麦の収穫効率も上がったんですが、穂が重くなっちゃうと麦自体が倒れちゃう。で、収穫できなくなるっていうことで、中国、インドでは深刻な問題になっていたところへ、背丈の低い稲、小麦を開発して「緑の革命」を成功させたってことみたいです。
ただ、この「緑の革命」は、大量の化学肥料に頼った方法なんで、土壌汚染だとか、自然破壊に対する指摘があることも事実なんですね。
ノーマン・ボーローグは、そうした批判に対して「ホントの空腹を経験したことのない人が、実際の途上国の食生活の中に飛び込めば、何が何でも収穫量を増やそうとするだろう」っていうふうなことを言っていますね。
まあ、これは正論ではあると思います。
今、目の前の危機を乗り越えるために出来ることをする。それが何より大事ですもんね。とりあえずはね。
ただ、自然破壊なんかの問題が出始めていることも事実なんで、そこには、21世紀の「緑の革命」が期待されるところでしょう。
批判することによって、世界の食糧事情が良くなったり、自然環境が良好になるってことはないわけですから、具体的な行動がプランされなければ、解決に向かわないでしょうからね。
「機動的な発動のあり方を検討し」とかね、何の問題もなく食事を摂りながら理屈をこねまわしている段階じゃないんだろうと思いますよ。
フードロスの問題とは別に「食料自給率」を上げるっていうことも大事なんじゃないでしょうかね。
無いんだったら買えばイイっていう時代じゃないです。
農林水産省が「国内生産のみで2,020kcal供給する場合の1日のメニュー例」っていうトピックを発表しています。
平成27年、2015年のデータみたいです。
7年前のデータですけど、2022年時点で自給率が上がったっていう話も聞きませんからね、これ以上良くなってはいないだろうと思いますけど、1日3食を例示してくれています。
朝食
茶碗一杯のごはん(精米75グラム)
粉吹き芋一皿(じゃがいも2個、300グラム)
ぬか漬け一皿(野菜90グラム)
ザッツ・イット!
昼食
焼き芋二本(200グラム)
蒸かしいも一個(じゃがいも1個、150グラム)
果物(りんご1/4個、50グラム)
ザッツ・イット! いもばっかしじゃん!
夕食
茶碗一杯のごはん(精米75グラム)
焼き芋一本(100グラム)
焼き魚一切れ(切り身84グラム)
ザッツ・イット!
汁物は付かないんです。それでも2日に1杯の具なしみそ汁(みそ9グラム)はオッケー!
意外なのはですね、卵です。鶏卵ね。7日に1個(7グラム)
ええ~!? 卵って輸入品がほとんどだったの~? って感じです。
納豆もですね、3日に2パックなら食べられますよお。大豆33グラムね。
牛乳は6日にコップ一杯だけ。33グラム。
ええ~?! スーパーには北海道牛乳が並んでますけど、日本のじゃないんでしょか。
肉類なんかはですね、9日に一切れ、12グラムなら食べられます。
なんだかねえ、メタボだとかを心配する必要はなくなりそうですけど、アスリートたちなんかは倒れちゃいますよね。
バカモノッ! 戦後の食料難を思えば贅沢じゃ! って知らんがな、ですよね。精神論の問題じゃないんです。
ごはんの供給量も1日に茶碗2杯だけですよ。中学生、高校生はこれじゃ育たないんじゃないでしょうかね。
今の段階では日本の「食料安全保障」って「いざというときのために日ごろから準備をしておくこと」は実現できていないってことでしょねえ。
ほとんどの日本人は、日本の食べもので出来上がっているんじゃないってことは、やっぱしね、ちゃんと考える必要がありそうですよ。
日本人は、実は、外人だった、ってことですからね。