< 今では知る人もないようなエライ人って けっこういるのかもですけどね >
国石っていって、国の石を定めているトコっていくつかあります。
アメリカの国石はサファイア。イギリスはダイヤモンド。イタリアはサンゴだそうです。
スイスの国石はクオーツ(水晶)だそうで、時計の国だもんねえって感じですよね。
日本の国石はヒスイだそうですよ。ふううんって思います。
知ってました?
ヒスイは漢字で書くと「翡翠」ですけど、この漢字のままで「カワセミ」とも読みますよね。
古い中国語ではまさにカワセミを翡翠って書いていたんだそうで、その羽の色に似ているっていうんで「翡翠玉」って呼んでいた石が、いつの頃からか翡翠になって、ヒスイって呼ばれる石になった、ってことらしいです。
日本でヒスイの産地っていうと新潟県糸魚川市なんですが、ヒスイ文化発祥の地としては5,000年ほどの歴史があるんじゃないかってされていて、世界最古なんだそうです。
なのに、ヒスイが日本の石に指定されたのは2016年のことだそうで、ま、どういう事情があるのか分かりませんけれど、日本ってなかなか慎重っていうか、シブイ国です。
日本の河川についてちらちら調べているうちに糸魚川市に行きついたんですが、面白いことに、糸魚川市に糸魚川っていう名前の川はないんでした。
ん? じゃあ、なんで糸魚川って名前なの?
糸魚川市内の川に「糸魚(いとよ)」っていうサカナがいっぱいいたからあ~。
ホンマかいな、っていうレベルの説なんですが、糸魚っていうサカナはホントにいるんですよね。
10センチぐらいの平たいサカナで、上から見れば、まあ、糸に見えないこともない。いや、どうでしょうね。
サケと同じように川で生まれて海へ出て、産卵時に生まれた川へ戻って来るサカナだそうで、主に太平洋側、日本海側だと福井県に多く見られるってことです。
いや、まあ、昔は新潟県にもいたかもですけどね。
も1つ説があって、その昔、弘法大師がやってきて、糸をぐるぐる巻きにした竹筒を川に放ったら、たちまちサカナになって泳ぎ回ったからあ~。
ふむふむ、です。
糸魚川っていう名前の謎はよく分からなかったんですけど、この糸魚川市には「フォッサマグナミュージアム」っていうのがあるんでした。
フォッサマグナ! なんか不穏な感じを受けてしまう言葉です。
でも、なんだっけ? よく知りません。地震関係の言葉?
で、ちょっと調べてみたわけであります。
ラテン語だそうです。
フォッサは「溝」マグナは「偉大な」ってことで、フォッサマグナっていうのは「デッカイ溝」ってこと。
でもって、糸魚川市の「フォッサマグナミュージアム」「デッカイ溝博物館」ってなんなん?
フォッサマグナと糸魚川市の関係は?
はーい。糸魚川市はフォッサマグナの西縁、「糸魚川静岡構造線」の北端の街なんですよ~。
ふううん、って、なんのこっちゃ!
「フォッサマグナミュージアム」には「フォッサマグナパーク」っていうのがあって、「糸魚川静岡構造線」の断層を見学できるんだそうです。
パークはホンモノの断層で、冬は閉鎖しているみたいです。
ほほう、そですか。ってことではあるんですが、フォッサマグナそのものが分かっていないと、「西縁」とか「糸魚川静岡構造線」とか、チンプンでカンプンです。
そもそも調べてみて、フォッサマグナって日本にあるの? ぐらいの理解レベル。
ん~、こりゃ遠いかな。
あんまりディテールには突っ込まずに見てみようと思います。
デッカイ溝は、日本のどこにあるのか。
本州を東北日本と西南日本に分けているのがフォッサマグナで、日本海から太平洋へドドーンって走っている日本の裂け目! ええ~!?
フォッサマグナの西側のラインが新潟県糸魚川市から長野県諏訪湖を通って、静岡県の安部川にいたる「糸魚川静岡構造線」
この西側の構造線は確定してるみたいですが、東側の構造線にはいくつかの説があるみたいです。
有力なのは新潟県柏崎市から千葉県東金市付近へ抜ける「柏崎千葉構造線」に、新潟県新発田市から魚沼市四日町小出付近へ伸びる「新発田小出構造線」がくっ付いたラインみたいです。
定まってはいないといってもですね、北から、新潟県、長野県、山梨県、群馬県、埼玉県、東京都、静岡県、神奈川県、千葉県にまたがる、どえりゃあデッカイ溝ってことですね。
フォッサマグナ、すげえ! ってホンマかいな? だって、どう考えても裂けてないじゃん!
それにはフカ~イわけがあるんでした。
だいたい2,000万年前、アジア大陸と陸続きだった日本列島は、「ユーラシアプレート」の動きによって切り離されて、太平洋側に旅に出ます。
どんどん太平洋側に出て行きますと、そこには北側から「北アメリカプレート」北東側から「太平洋プレート」南西側から「フィリピン海プレート」の圧力が待っていたんですね。
それで、だいたい1,600万年前、日本列島は「バキッ!」て真ん中から折れちゃいました。ひえ~!
なので、このころは日本海と太平洋は日本列島の真ん中あたりで繋がっていたわけなんですね。
で、その後、フィリピン海プレートによって伊豆半島がどんぶらこしてきて、富士山を始めとした火山が隆起して、裂け目が埋まって、今の日本列島本州になりましたとさ。ってことなんですよ。
ホンマかいな? 誰か見てたん?
エライ学者センセが調べればね、分かるんだそうでございまして、はい。
「糸魚川静岡構造線」の西側、飛騨山脈に代表される地質は5億5,000万年前から6,500万年前のもの。
それに対して線の東側、つまりフォッサマグナの範囲は、2,500万年前以降の堆積物や火山噴出物っていう地質。
で、はは~ん、ここで裂けたんだね、っていう発見がありました、ってことなんですよ。
ふううん、ではあるんですけど、なんでわざわざラテン語でフォッサマグナとか名前、付けちゃったの?
発見したのがドイツ、当時のザクセン王国から来ていた「お雇い地質学者」だったからあ~。
って、こればっかりですけど、1893年、明治26年の論文でフォッサマグナが発表されたんだそうです。
その地質学者の名前は「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」
1875年、明治8年から1885年、明治18年まで日本で活動していた人だそうです。フォッサマグナが発表された論文は帰ってからのものなんですね。
ナウマンはその地域の高い山に登って、地形を見て、予測を立てる。
そうしたら、その予測に従ってその地点へ行って地質を調べるっていう方法で日本中を調査。
日本で初めての「地質図」を作り上げたんだそうですよ。
21歳で日本に来たっていう若い学者だからこそ出来たハードワークですよね。ほとんど登山家みたいな行動ですよね、きっと。
地質図ねえ。そんなに馴染みがないです。
今は、国立研究開発法人産業技術総合研究所の地質調査総合センターが「地質図表示システム 地質図Navi」っていうページを公開してくれています。
「地質図Naviは、産総研地質調査総合センターから配信される数多くの地質図データを表示するとともに、活断層や第四紀火山などの地質情報を地質図と合わせて表示することが可能な地質情報閲覧システムです」
ってことですので、ご興味の方は覗いてみてください。
はは~ん、とはなりませんでしたけど、へええ、でした。
日本初の地質図はドイツ人「お雇い地質学者」によってもたらされたってことなんですが、当時の明治政府は西洋に追い付き追い越せってことで、多くの西洋人学者を招いているんですよね。
でも、これって明治政府が推進したっていうんじゃなくって、幕末から始まっていた流れなんですよね。
幕末には軍人、大砲製造、戦艦建造の技術者が主だったんでしょうけどね。
ナウマンが日本にやってくる前、1867年、慶応3年のこと。明治維新、徳川幕府瓦解の前年に、横須賀造船所の建設途中にフランス人技師たちによって、大きな骨の化石が発見されています。
土の中から出てくるものには、何にでも興味を示したんでしょうか。
日本にやって来たナウマンは化石の研究も始めます。
で、「ああ、これは象の骨の化石だね。下あごだろう」
って結論を出したみたいです。日本にも昔は居たんだよ、象が、ってことですよね。
で、時は流れて1924年、大正13年。静岡県の浜名湖で発見された化石を、日本の古生物学者、地質学者「槇山次郎」が新種の象だって認定して、初期の研究者、「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」に敬意を表して「ナウマンゾウ」って名前で発表したそうなんです。
その後、ナウマンゾウの化石は日本の方々で見つかっていますよね。
聞いたことありますよね、ナウマンゾウって。
なんか、恐竜の名前とかの流れで、日本にいたマンモスがナウマンゾウっていうんだ、ぐらいの認識だったんですが、全然そうじゃなくって、ナウマンって、人の名前だったんですねえ。
にしても、フォッサマグナだったり、ナウマンゾウだったり、けっこう日本に貢献してくれたように思うんですけど、すっかり埋もれちゃってませんかね、「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」
帰国してから日本をバカにした発言があって、ドイツに居た森鴎外と揉めたっていう話もありますけど、そんなんで活躍が帳消しになったりしますかね。
日本にいる間に、奥さんが浮気したとかで、相手の男と乱闘になって、裁判で負けたりって話もあります。
ん~。なかなか困ったちゃん、だったんでしょうかねえ。
でもさ、ふっと思うんですけど、フォッサマグナって、またバキッ! ってならないの?