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【植木屋娘】無茶な噺ではありますが ないわけじゃない噺

< 落とし噺なんですけど 落ちてない感じだし ちゃんと収まったのかどうかアヤシイ噺 >

日本の出生率はずっと減少傾向が続いていて、人口減少も歯止めがかかっていない年月が続いていますよね。
少子高齢化って日本だけの問題じゃなくって、世界的に子どもが減ってきている傾向なんだそうで、人類、大丈夫なのか!? とかね、思ってしまいます。


内閣府では少子化対策として「少子化社会対策大綱」っていうのを作成していて、「結婚、妊娠、子供・子育てに温かい社会の実現のために、会議・検討会等を通じ幅広い視点から検討を重ねながら、あらゆる施策を推進しています」

ってことでですね「あらゆる施策を推進」しているんだそうでございますけれど、どうもね、今のところ効果が表れていないようです。


っていうかですねえ、これまでの国の少子化対策ってけっこうおざなりな感じですよね。


「保育園落ちた、日本死ね」っていう匿名のブログ記事がアップされたのは2016年2月15日のことでした。
MeToo運動にもなりましたね。


これは「子供・子育てに温かい社会」っていう目標が2016年時点で現実としては遠いものだったっていうことになりますね。

 


2022年時点ではどうなんでしょう。
2021年の待機児童数は5634人って発表されて、前年2020年の数の半分以下でした。
一気に解決に向かったのかっていいますと「隠れ待機児童」なんて言い方も出て来て、発表された数字は認可保育園に入れたかどうかっていう問題の根本からズレてしまっているっていう指摘もあります。
非認可っていう形態自体、なんで必要とされているのかっていう問題の根本が政府に正しく認識できているのかどうか疑問です。


そもそも「少子化対策」についての取り組みとして「内閣府特命担当大臣」っていう制度がありますけれど、あれって「内閣府特命担当大臣(○○担当)」っていう、なんだか半端なポジションみたいなんですよね。


担当大臣が任命されるのは「内閣府特命担当大臣防災担当」「内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策担当」「内閣府特命担当大臣金融担当」「内閣府特命担当大臣消費者及び食品安全担当」そして「内閣府特命担当大臣少子化対策担当」です。


2022年には「子ども家庭庁」の設置法案が出されていますので、決まれば2023年には正式な担当大臣が任命されることになるのかもしれません。


でもまあ、名称や組織が改まれば何かが具体的に解決されるってもんでもないでしょうからね、子育ての問題解決は遠いままになってしまうかもですね。


子育ての前段階として問題になるのが出生数。


1950年に233万7507人だった出生数は、1960年に160万6041人、1970年に193万4239人、1980年に157万6889人、1990年に122万1585人、2000年に119万0547人、2010年に107万1305人、そして2016年に100万人を割り込んで97万7242人、2020年には87万2683人、2021年には84万2897人って発表されています。


子どもが増えない原因として「保育園落ちた、日本死ね」っていうのも大きな理由になっているんでしょうけれど、そもそも結婚しない、できないっていう問題も取り上げられています。


諸外国では成人になると、男女ともに1人暮らしを始めるのが習慣的にあるそうなんですが、日本ではずっと親もとで暮らすのが一般的らしくって、結果的に自分の家庭を作ろうという意欲が薄いことが未婚につながっているんじゃないかっていう意見もあります。


男女間の収入格差が取り上げられるなか、非正規雇用の問題もあって、低収入の男性も実は多いわけです。
で、これが結婚の障害になっていて、自然、出生率も下がっていくってことも指摘されています。


なんだかなあ、っていう日本の状況はなかなか解決に向かって行くのが大変なんですね。

 


結婚に適齢期なんてないよ、っとはいうものの、年頃の子どもを持った親は、時代だねえ、なんてね、ため息つきながらも心配しています。


中にはですね、作戦を考えちゃう両親もいますよ。落語の世界じゃなくって現実にです。


知り合いなんですけどね、今は2人の子どもの親で、まあ、いろいろありながらも普通の生活をしているんで、幸せなことではあるんですけどね。
彫刻家なんです。主に石を彫ってます。
で、石を探しに日本中を旅して歩いているんですね。


20代の後半。茨城県で石を探して歩いている時、地元の農家の親父さんと仲良くなったそうです。
岩山を歩いて回るんだったら基地として自分の家を使ったらイイよ、って言ってくれて、専用の部屋も用意してくれたんだそうです。


その話を聞いて、へええ、親切な人と知り合って良かったねえ、なんて言っていたんですけど、突然、結婚することになったって言うんですね。
はあ、そですか。でも、付き合ってた女の人なんていたっけ? って聞いたらですね、話し始めたわけなんです。


実はね、その茨城県の農家の、提供してくれている部屋っていうのが大広間で、そこに布団を敷いて寝るんだけどさ、娘さんも同じ部屋なんだよ。


なにそれ!?
同い年なんだそうです。16畳の部屋なんだそうですけど、最初からそういうことだったみたいなんですね。
他にも部屋、あるでしょ。
あるある、いっぱいある。でっかい農家だからね。
おっかしいでしょ。なんで年頃の娘さんと同じ部屋で寝るのがデフォルトなの。


だからさ、仕組まれてたんだと思うんだよね。学校卒業して、家の農作業手伝っていたら出会いなんてないからさ、一人娘の結婚って死活問題じゃん。人手の確保も出来るしさ。


ま、そういうことなんでしょうけれども、今どきねえって思いますけどねえ。
農家の夫婦の作戦勝ちてことで、はい。明るい、働き者の奥さんです。


で、今は半農半彫刻、みたいなことで収入も安定しているってことですからね、シアワセな生活、みたいですからね、良かった好かったってことなんでしょねえ。


落語にもそういう噺がありますね。「植木屋娘」ってやつですね。


お寺の前にある植木屋。腕のイイ働き者のオヤジで手広く商売をしているんですね。
奥さんと一人娘と三人暮らし。


文字が書けないオヤジは、請求書を書くのに、お寺の坊さんに書いてもらうのが習慣になっているんですね。
で、書いてもらいに行くと、坊さんは忙しい。でも丁度、ある事情があって居候している武家の息子がいるから、そいつに手伝ってもらおうってことになるんですね。


書いてもらったら坊さんなんかより全然仕事が速い。
こりゃイイ、っていうんで娘と目合わせて婿にしようって企むんですね。


どういう事情で居候しているのかなんて、落語の中では問題になりません。
ただ、いずれは武家を継がなきゃいけない男なんだから、植木屋の婿には入らないだろうっていう周りの声を押し切ろうっていうんで、その居候を家に呼んで娘と2人きりにして、酒の席を設けて、既成事実を作ろうとするんですね。
手でも握ってくれれば、傷物にしたってことで婿にしてしまおうっていう無茶苦茶な作戦。

 

でも、うまくいかない。落語ですからね、すんなりとはいきません。


諦めの悪いオヤジがいろいろ企みを考えているうちに、娘のお腹が大きくなる。問いただしてみれば相手は、その居候だという。
これはもう決定的。


親の企みとは裏腹に、当人同士はちゃんと、やることやってるって、そういう噺なんですね。


で、植木屋娘の噺は、娘婿を植木屋に育てようってことになるんですけど、坊さんとオヤジの会話でサゲになります。


坊さんが、
武家の家を継がなきゃいけないんだから、植木屋にはなれないだろ」


「そんなことは問題じゃないでしょ。ぜひとも婿に入ってもらって、植木屋を継いでもらわないといけません。もう腹の中に子どもがいますよ。男の子ですよ。決まってます。その男の子を向こうの家へ分けてやって武家を継がせたらいいわけでね、なんの問題もありゃしません」


「なにを言ってるんだ。武家の家をそんな簡単にやったり取ったり、継いだりできないよ」


「大丈夫です。分けたり継いだり、接ぎ木、根分けっていうのが、うちの秘伝ですから」
なるほどねっていうサゲです。

 


でもまあ、わっはっは、っていう程度はそんなに、ですよね。
このあと、どう収まったのか分かりませんしね。


オヤジと坊さんの掛け合いが噺のメインで、娘も居候も、居候の武家の意見は出てきません。
もちろん、そこまでフォローしていたら落語としてまとまらないでしょうし、サゲが言いたいだけって感じの噺ですもんね。


ただですね、少子化対策に、なんかこういうドタバタっていうのも有効なのかもなあって気もします。


19世紀に活躍した博物学者ジャン・アンリ・ファーブルはこんなことを言っています。


「動物の場合は、分割するということが、概して殺すことを意味するのに対して、植物の場合は、増やすことを意味する」


あ、いや、植木屋ってことだから成り立つサゲだってことなんですけどね。
おあとがよろしいようで。