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【のんき節】空気嚥下症じゃないほうの 呑気の話

< のんきにしてたら 真っ黒けになっちゃって こんなもんかとあきらめる >

無意識に大量の空気を呑み込んでしまって、胃腸、食道に空気がたまってしまうっていう「呑気症(空気嚥下症)」っていうのがあるんだそうで、女性に多いみたいですね。


空気を吞むってことで「呑気症」っていう名前なんでしょうけど、呑気っていえば、のほほ~んとしている様子っていう意味じゃないの? って思って、改めて考えてみますと、なんで「気を呑む」ことがのほほ~んっていうことなのか、ちょっと不思議です。


で、調べてみますと、「呑気」っていうのは当て字なんだそうです。


中国で使われていた「暖気(ナンキー)(ヌアンシー)」が平安時代末期ごろには、気晴らしとか物見遊山っていう意味で使われていて「暖気(のんき)」って発音していたそうです。
平安時代の発音ってどうやって分かっているのか、ホンマかいなって話ですけどね。

 


で、その「暖気」が戦国時代ぐらいから、のほほ~んの意味になったみたいなんですが、「呑気」「暢気」っていう字が宛てられたのはいつごろからなのか、なんで字面が変わったのかについては調べきれませんでした。


「のんき」っていう音声が先にあって、それに漢字を宛てたってことですね。


「暢」っていう字は、のびるっていう読みで、のびやかな、っていう意味の字です。


1933年、昭和8年に発表された尾崎一雄の「暢気眼鏡」っていう小説があります。

個人的に文章の上手さピカイチだと思っている尾崎一雄ですが、この暢気眼鏡は、「疑うことを知らぬ天真爛漫な若い新妻との貧乏暮しを爽やかな筆に綴った名作」って紹介されている傑作です。
使っている漢字は「暢気」ですね。


天真爛漫な若妻って表現されている小説上の奥さんは、まあ、今で言えば天然っていうニュアンスでしょうか。


「暖気」っていう表記をのんきの意味でみかけることはほぼないですし、「暢気」っていう字面もあまり見かけないような気がします。
ほぼ「呑気」じゃないでしょうか。
でなければひらがな、カタカナですね。


1910年、明治43年添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)という演歌師が「のんき節」という歌をヒットさせています。


演歌師って? って思いますよね。演歌歌手のことではあるみたいなんですけど、今現在で使われている演歌っていうのとはかなり違う演歌みたいなんです。


演歌っていうのは明治時代の「自由民権運動」で、街に出て歌として政治批判を行ったという「演説の歌」から始まったそうで、ヴァイオリン、アコーディオンでの伴奏を付けたりしたプロテストソング。


演歌って演説から始まってたって、けっこうビックリです。


それを歌っていたのが演歌師って呼ばれた人たちってことみたいです。
今の演歌歌手とは別物ですね。


自由民権運動っていうのは1874年、明治7年から始まって、帝国議会開設の1890年、明治23年ごろまで続いたらしいですけど、演歌がプロテストソングから娯楽芸術に方向性を変える端緒になったのが明治後期に活躍していた演歌師だったのかもしれませんね。


添田唖蝉坊っていう人は、政治批判じゃなくって社会風刺っていう方へ変えていったパイオニアなんでしょう。


歌詞の最後が「あ のんきだねえ」で終わるのが「のんき節」
いろんな人が受け継いだりアレンジしたりしているんで「ハハ のんきだねえ」っていう歌詞も知られていますね。


調べた範囲では、なんと15番まである歌でした。なげ~っ!


♪学校の先生は えらいもんぢやさうな


♪えらいから なんでも教へるさうな


♪教へりや 生徒は無邪氣なもので


♪それもさうかと 思ふげな


♪ア ノンキだね


明治の頃のガッコのセンセっていったら、そりゃもうお偉かった存在だって聞きますねえ。
なんにも疑わずにセンセの言うことを聞いているのは、のんきだねえっていう風刺ですね。

 


ガッコのセンセばかりじゃなくって、いろいろね、エライ人たちの言うことってそのまま受け取っちゃいけませんよ、っていうのは今現在の方がシビアかもしれないですね。
のんきな方がお気楽極楽ですけど、気を付けるべきところはちゃんと考えないとってことでしょうねえ。


♪万物の霊長が マッチ箱見たよな


♪ケチな巣に住んでいる 威張つてる


♪あらしにブッとばされても


♪つなみをくらつても


♪天災ぢや仕方がないさで すましてる


♪ア ノンキだね


この歌詞は、どこかで聞いたことがあるか見たことがあります。


日本の家、アパートとかは「ウサギ小屋」って表現されたりしますけれど、マッチ箱っていうのも聞きますよね。
この「のんき節」から始まった表現なんですかね。


マッチ箱。でも今、マッチ自体見かけなくなってますねえ。


♪うんとしぼり取つて 泣かせておいて


♪目薬ほど出すのを 慈善と申すげな


♪なるほど慈善家は 慈善をするが


♪あとは見ぬふり 知らぬふり


♪ア ノンキだね


♪ギインへんなもの 二千円もらって


♪昼は日比谷で ただガヤガヤと


♪わけのわからぬ 寢言をならべ


♪夜はコソコソ 烏森


♪ア ノンキだね


プロテスタントソングから社会風刺へとはいえ、やっぱり昔からお偉いセンセ方は批判の対象なんですね。
烏森は東京駅のすぐそばです。このころから料亭政治って感じだったんでしょうかねえ。


添田唖蝉坊は神奈川県大磯の人だそうですが、1930年、昭和5年に引退するまでに182曲も歌っているそうです。


「ラッパ節」とか「ゲンコツ節」とか、なんでも「節」にしちゃってる感じ。
ま、それがプロの演歌師の仕事。


1906年明治39年の「あきらめ節」


♪お前この世へ何しにきたか 税や利息を払うため


♪こんな浮世へ生まれてきたが わが身の不運とあきらめる


日露戦争が前年に終わったばかりですからね、税金とかかなり上がっていたのかもしれないですね。


♪長いものにはまかれてしまえ 泣く子と資本家にゃ勝たれない


♪貧乏は不運で病気は不幸 時世時節とあきらめる


持つ者と持たざる者。そですねえ、時代は変わってもそこに変化はないんでありますよ、添田唖蝉坊さん。


♪あきらめなされよあきらめなされ あきらめなさるが無事であろう


♪私しゃ自由の動物だから あきらめきれぬとあきらめる


むっはっは。あきらめ節ですからねえ。なんともはや。大人気だったんでしょうねえ。

 


1914年、大正3年まっくろけ節


箱根山 昔ゃ背で越す 駕籠で越す


♪今じゃ寝ていて 汽車で越す


♪トンネルくぐれば まっくろけのけ


SLってやつなんでしょうねえ。トンネルに入ったら窓を閉めないと真っ黒になったっていう話は聞きますけれど、ホントだったんでしょうね。


♪月淡き 熱海の浜の砂を踏み


♪迷う宮子と貫一の


♪曇るこころは まっくろけのけ


金色夜叉尾崎紅葉の未完の小説で、途切れたのは1902年、明治35年
その時からは十年以上経っているわけですが、昔はヒットといえばロングランでもあったんでしょうね。


♪煙が出る 煙が出る出る煙が出る


♪お嬢さんの袂から 煙が出る


♪お芋の焼き過ぎ まっくろけのけ


落ち葉焚きとかね、今じゃ禁止事項ですもんね。スーパーで売っている焼き芋は、まあ、そんなに焦げてないですね。


♪年の瀬や 明日待たるる宝船


♪其角と源吾は橋の上


♪霜で欄干が まっしろけのけ


ほほう、真っ白バージョンもあるんですねえ。


宝井其角(きかく)は芭蕉門下の俳諧師赤穂浪士の討ち入り直前に、四十七士の1人で同門の大高源吾が煤竹売りに変装している姿に橋の上で出会ったという逸話。
其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠めば、源吾が「あした待たるるその宝船」と返したっていうのを、まっしろけのけって歌ったんですね。


赤穂浪士の討ち入りは旧暦の12月14日。今のカレンダーだと1月30日です。
水の上の欄干は霜で白かったでしょねえ、っていう歌。なかなかです。


今、こういうノリって漫談家とかコメディアンとか受け継いでいるんでしょうかね。


♪ア ノンキだね


って歌っているうちがハナなのよってことかもですけど、呑気症の最大の原因はストレスなんだそうです。


♪ア ノンキだね


を実践してみるとイイのかもですねえ。のんきだねって言われるぐらいの方が、たぶんヘーワです。

 


あきらめちゃ、いかんですよ。