< おやげねえから おこんじょすんの やめりー >
なんのこっちゃねん!
これはですね、「ぐんま方言かるた」の「お」のカードなんです。
「可哀想だから 意地悪するの やめなさい」っていう意味だそうです。
ん~。地方色があってイイんでないかい、って気もしますけど、特定の地域でしか通じませんよね。
しかもなんでこんな文言をかるたにするのか、おそるべし群馬県、なのかもです。
でもね、まあ、方言を大事にする効果はバツグンなのかもです。
今でもそのままの言葉を使ているのかどうかは分かりませんが、意味も含めて言葉は残って行きそうです。
群馬大学総合情報メディアセンター中央図書館の「郷土かるたコレクション」を見ますと、郷土かるたの数は、日本全国で群馬県が圧倒的に多いようで「130」ぐらいあるそうですよ。
「おやげねえから」は方言かるたですけど、「上毛かるた」って有名ですよね。聞いたことがあります。
古代の関東には「毛野(けの)」と「那須(なす)」っていう2つの政治勢力があったんだそうで、大和朝廷の時代の「蝦夷(えみし)」って「毛人」とも書きますからね、毛野に住んでいた人たちを毛人と呼んで東日本の中の1つの勢力として認識していたのかもしれませんね。
古くは平将門、時代が下って新田義貞がこの辺りの人ですね。
そもそも室町幕府を開いた足利一族の庄もこの辺ですね。
それにほら、赤城の山も今宵を限り、ですからね、勇壮な地域なんでしょう。
時代が進んで毛野は「上毛野(かみつけの)」「下毛野(しもつけの)」に別れたそうです。
上毛野は「上野国(こうずけのくに)」って呼ばれるようになっていって、今の群馬県の辺りになります。
下毛野は「下野国(しもつけのくに)」で、現在の栃木県の辺りですね。
両毛線っていう鉄道もありますが、かるたに「上毛」っていう名前を残しているのには、この地域特有の強い想いがあるんでしょうね。
太平洋戦争で傷付いた地元の子どもたちの心に、夢と希望を持ってもらいたいという思いから1947年に、他の都道府県に先駆けて作られたのが「上毛かるた」なんだそうです。
自分たちの地元に何があるのか、どんなお国自慢があるのか。たしかにね、郷土愛を育てるには絶好のアイテムになるのかもしれません。
いろはかるた形式ですね。
「い」伊香保温泉、日本の名湯。
なるほどです。どこからも、誰からもクレームの来ようはずもありません。伊香保温泉ね。
「に」日本で最初の富岡製糸。
やたあ、世界遺産ですもんね。でも、戦後すぐから、2014年に登録されるずっと前から上毛の自慢なんですね。
「わ」和算の大家、関孝和(せきこうわ)。
へええ、上毛人だったんですねえ。天才数学者。
「ね」ねぎとこんにゃく、下仁田名産。
はい、わざわざ下仁田の焼き鳥を食べに行ったことがあります。ねぎま、ねぎ、たいへんおいしゅうございました。でんがくみそ、サイコーでしたです。
「つ」つる舞う形の、群馬県。
ん? って思いますけど、かるたの絵面をみると、ふううむ、って分かります。飛んでる鶴。です。
上毛かるたは、しっかり郷土愛を育んでいるってことなんでしょうね。つる舞う形。昔から言われているんですね。
郷土かるたの先鞭をつけた上毛かるたですが、その後、他の地域でも多数の郷土かるたが作られています。
埼玉県、「彩の国21世紀郷土かるた」
「し」シンボルは、さいたまアリーナ、新都心。
2002年にリニューアルされたものだそうですが、さいたまアリーナ。新しい名物を巧みに取り入れていますよ、埼玉県。
「う」宇宙まで、夢をとどけた若田光一。
ほほう、宇宙飛行士、埼玉県出身だったんですねえ。
東京都、「かつしか郷土かるた」
「と」寅さんが、駅でふるさとふりかえる。
なるほどですね、葛飾柴又です。
「日本地理かるた」っていうのもありますね。
「ほ」北海道、北の台地にBoys be ambitious。
ん~、ちょっとね、かるたの文言としては苦しいかもですね。
「ま」マスカット、ピオーネ白桃、岡山県。
ふむふむ、ピオーネって、なんなん?
「り」琉球の、文化伝えるウチナーグチ。
ん~。日本地理かるたは、なんだか正しすぎて、面白味が薄いような感じでしょうかねえ。
かるた遊びって、平安時代の「貝合わせ」がルーツらしいんですけど、有名なのは「小倉百人一首」でしょうねえ。
名前だけは知っていました。って言った先からなんですが、ずっと「こくら」って読んでいたんですけど「おぐら」だったんですねえ。知ってましたとは言えなかったんでしたあ。
でもねえ、周りもみんな「こくら」って言っていたような気がするんですけどねえ、言い訳にもなりませんですけど。。。
鎌倉時代に藤原定家が京都の小倉山(おぐらやま)にあった山荘で、色紙に書いたのが基になっているのが「小倉百人一首」
定期的にブームがあって、恐ろしいことに全部を暗記している人も少なくないんですよね。大会もありますし。
和歌ですねえ、嫌いじゃないですけど、ちんぷんかんぷんですねえ。
歴史的に名を知られた人の和歌が百首。ん~。諳んじている人も多いかと思いますけど、ちっと、見てみませう。
柿本人丸って書いてありますけど、柿本人麻呂(660年から724年)のことでしょねえ。
飛鳥時代の歌聖って言われている人。
梅原猛の「水底の歌-柿本人麻呂論」では、政争に巻き込まれて刑死したってされていますね。
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」
山鳥の長く垂れ下がっている尾のように、長い夜をひとりで寝るのだろうか、っていう歌なんだそうです。
ん~、これ、イイ歌なんでしょうけどねえ。寂しい気持ちなんでしょうけど、なんかピンときませんねえ。
小野小町もありますね。
平安時代前期の人だってことらしいです。美人の代名詞。
タバコ屋小町、なんていうのは、すっかり死語になりました。
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」
花の色はおとろえてしまったなあ。私がこの世でむなしく過ごしている間に、というわけではないけれど、降り続く長雨をぼんやりと見ながら物思いにふける間に、っていう歌。
天下に聞こえた別嬪さんだっていう前提があって、衰えに落差が感じられるってことなんでしょうかねえ。
在原業平の歌もあります。
小野小町とだいたい同時代の貴族ですね。伊勢物語の主人公。
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
あ、この歌、知ってますね。でも落語の方です。ホントには知っていないってことになりますか。
神代の昔にも聞いたことがない。竜田川の水の流れを深紅にくくり染めにするとは、っていう歌だそうです。
ん~、そういう景色が、ん~、まあ、キレイではあるでしょうけどねえ。
って、ちっとも気持ちが動かされませんねえ「小倉百人一首」。木偶の坊ですねえ。
紫式部もあります。
「巡り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」
久々に再会して、昔見た面影かどうかも見分けがつかない間に、雲にかくれた夜の月ではないけれど、帰ってしまったあの人よっていう歌。
これはなんとなく分かるような気がします。さすが紫式部さん。でしょかねえ。
続いては清少納言です。
「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よにあふ坂の 関は許さじ」
夜が深いうちに、鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても、函谷関で通行が許されたのとは異なって、私があなたと逢うという、その逢坂の関は、決してお通りになれますまいっていう歌。
藤原行成っていう人との、実際のやりとりがあって詠んだんだそうですが、けっこうモテモテだったのかもですね、清少納言ちゃん。
ちゃん?!
鎌倉右大臣の歌もあります。
鎌倉幕府第3代征夷大将軍、源実朝(1192年から1219年)ですね。
「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも」
世の中は変わらないものであってほしいことよ。なぎさを漕ぐ漁師が小舟を綱でひいていく様子が悲しく感じられるっていう歌。
為政者としての感慨なんでしょうか。深いような感じもしますけど、客観的過ぎるような感じも。
右大臣実朝とえば、
「大海の 磯もとどろによする浪 われて砕けて 裂けて散るかも」
っていうのが、木偶の坊にも分かりやすくて、力強くてイイですねえ。
百人一首を覚えるっていうのは、大会に勝つっていう遊びかたもあるんでしょうけれど、日本の情感をしっかり引き継いでいくっていう、役割もあるんでしょねえ。
木偶の坊のままじゃダメですねえ。あしびきの~、ですか。ふむふむ。ヒトマロちゃんねえ。。。
< 2024年2月1日 追記 >
群馬県庁文化振興課から1月22日付けで、
上毛かるた「ち」の読み札の改訂について
っていう発表がありました。
「令和5年12月1日現在の県人口が190万人を割り込んだことから、上毛かるたの県人口を示す「ち」の読み札を「力あわせる二百万」から「力あわせる百九十万」に改訂しました」
とのことです。
律儀にねえ、って感じもしますけれど、これぞ、生きている地域文化、だからこその下方修正改訂、ってことなんでしょねえ。
全体の人口は減って来ているけれど、外国人の割合は増えている。っていう自治体が多いんだそうですよ。
日本人の割合が減りつつある日本。
ん~。。。