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【不定時法】花の雲 鐘は上野か 浅草か

< 今なんどきでぇ っていう江戸の一刻(いっとき)は 今の だいたい2時間なんですが >

江戸の夜泣き蕎麦。
落語の「時そば」は、かけそばでしょうかね。


夜中に屋台を呼び止めた男が蕎麦を食べ終えて、


「お、ごっつぉさん。いくらだい」


「へい、十六文で」


「銭は細かいよ、手ぇだしてくんな」


「へい」


「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、今なんどきでぇ」


「ここのつで」


「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、ほい十六文」


ってことで一文ちょろまかすっていうコスイ話を真似て、別の男が失敗する噺ですね。
失敗する男はちょっと早めに仕掛けたんで、


「なな、やあ、今なんどきでぇ」


「よつで」


「いつ、むう、なな、とほほほ」


っとなるんですよね。

 


この噺の「ここのつ」っていうのは、今の時間でいいますと23時ぐらいから25時ぐらいの2時間にあたります。
失敗した男は、23時前に食べ終えちゃったわけですね。


でも「ここのつ」のちょっと前の時間が「よつ」ですよ。ちょっと妙な感じがします。


時そばの噺の季節がいつなのか、噺家によって違っていたりしますけれど、冬であれば後からの男も成功する可能性は高かったでしょうね。


冬至あたり、一番夜の長い時期であれば、江戸の一刻は、だいたい2時間半ぐらいになります。


「ここのつ」は子の刻で、夜中の12時、24時にあたるわけですが、その中心は一刻の時間が長くなっても変わらないようですので、「へい、ここのつで」ってそば屋が応える時間も長くなるってことです。


今の感覚からしますと、なにそれ? ってなもんですが、江戸時代は「不定時法」ってやつで、季節に合わせて時間の長さが変わっていたそうなんですよ。


面倒くさいなんて言っちゃいけません。
定時法で、時間に人間の生活を合わせるんじゃなくって、人間の自然な生活に時間を合わせる。
言ってみればSDGsな生活様式ですよ。


明治5年、改暦ノ布告によって、カレンダーと時間の表示が今のようになるまで、室町時代ぐらいからずっと日本は「不定時法」でやってきていたらしいです。


そばの代金をごまかすためじゃなくって、合理的っていいますか、昼の時間と夜の時間って季節によって違うんだから、それに合わせて時刻を管理するほうが、肌感覚として納得の度合いが高いかもですよね。


時々、早めに出社しなければいけない時に、6時過ぎに家を出ます。
冬なんかだとまだ暗くって「とほほ」な感じで電車に乗り込むんですが、不定時法だと、6時にはまだなっていなくって、明るくならないと朝にはならないわけです。

 


分かりにくい?


現在の定時法でいいますと、昼の時間が長い夏至の辺りでは、昼の時間がだいたい14時間、夜の時間がだいたい10時間です。


反対に昼の時間が短い冬至の辺りでは、昼の時間がだいたい9時間、夜の時間がだいたい15時間ですね。


でも不定時法だと、昼は夜明けから日暮れまでなんで、その間はいつだって6つの刻なんですね。
日暮れから夜明けまでの夜の時間も6つの刻。
なので、季節によって1刻の長さが違ってくるんです。


ちなみに夜明けっていうのは日の出と一緒じゃなくって、日の出前の明るくなり始める頃。
日暮れは日没からしばらく経って、完全に真っ暗になった頃を言うんだそうです。


日の出、日没っていうのは太陽の上っ側が地平線、水平線に接した時っていう物理的にキッチリしたものですけど、夜明け、日暮れって見た目ですね。明るくなった、暗くなった。イイですねえ、不定時法。


で、時そばの「ここのつ」「よつ」の問題なんですが、これね、数え方がちょっとね、ヘンっていえばヘンなんですよ。


夜中の12時を起点に見てみますと、不定時法の起点は「九(ここのつ)」です。


昼と夜がだいたい同じ長さとして、一刻は2時間ほどになりますから、23時時から午前1時までの2時間が「子の刻」「暁九(あかつきここのつ)」
現在では、暁って日の出前の時間帯のことですけど、真夜中の時間帯に使っていたんですね。


時間の概念だけじゃなくって言葉も捉え方が違っているんで、不定時法ってなかなかピンときませんです。


そして、1時から3時までの2時間が「丑の刻」「暁八(あかつきやつ)」
丑の刻詣りっていう怖い習慣がありましたですね。


3時から5時までの2時間が「寅の刻」「暁七(あかつきななつ)」
「お江戸日本橋 七つ立ち」ってこの時間帯ですよ。大名行列ってまだ暗いうちにスタートしていたんですね。


5時から7時までの2時間が「卯の刻」「明六(あけむつ)」ってことになります。
明け六つになると、江戸の大木戸が開かれて、店も開く。お風呂屋さんも開店して、芝居もこの時間から始まったらしいです。
朝風呂って、オハラショウスケさんに限ったことじゃなくって、江戸の職人さんたちはけっこう入ってたらしいですね。仕事前のひとっ風呂。


にしても、朝、みんな一気に動き出すって感じです。朝7時から芝居見物ですか。役者も眠そうな気もしますけどね。


7時から9時までの2時間が「辰の刻」「朝五(あさいつつ)」


9時から11時までの2時間が「巳の刻」「朝四(あさよつ)」


でもって11時から13時までの2時間が「午の刻」「昼九(ひるここのつ)」
四の次が九です。


13時から15時の2時間が「未の刻」「昼八(ひるやつ)」
これが「おやつ」の呼び方になっているんですね。午後3時です。


15時から17時の2時間が「申の刻」「昼七(ひるななつ)」


17時から19時の2時間が「酉の刻」「暮六(くれむつ)」
店が閉まって、職人たちも仕事じまいです。でもって𠮷原に灯りが入る時間ですね。


19時から21時の2時間が「戌の刻」「夜五(よるいつつ)」


21時から23時の2時間が「亥の刻」「夜四(よるよつ)」
時そばで失敗した男が夜泣き蕎麦の勘定をしたのがこの時間帯ってことですね。


で、「子の刻」「暁九」に戻っていくんですね。


夜中の12時を起点として、十二支の「子」から始まるのは何となく分かる気もするんですが、そこに「九」っていう数字を当てるのはなんでなんでしょうね。


不定時法の始まった時、室町時代のころは「九」が神聖な数だったっていう説もありますけれど、始まりが「九」っていうのはよく分かりませんです。


で、時間が進むと、八、七、って下がっていくのはなんで?
っていうのは、九の倍数で表していて、18の1の位をとって八、27の七、36の六、45の五、54の四。
でもって、昼の12時で、また九に戻るんだそうです。


なんで? っていう疑問は残りますけれど、なんか、昔の暦法、呪法、陰陽道とか、いろいろあるんでしょうね。


9、8、7、6、5、4、9、8、7、6、5、4っていう不定時法の一日です。


で、それが季節によって違うっていうところなんですが、これは「二十四節気」ごとに決められていたそうです。


古代の中国で始まった二十四節気ですが、現在の日本でも、そのうちのいくつかは普通に使われいますし、お天気おねえさんが、きょうは暦の上では「小暑」です、とか言って教えてくれますよね。


だいたい年の初めにあるのが「小寒」それから「大寒」「立春」「雨水」「啓蟄」「春分」「清明」「穀雨」「立夏」「小満」「芒種」「夏至」「小暑」「大暑」「立秋」「処暑」「白露」「秋分」「寒露」「霜降」「立冬」「小雪」「大雪」「冬至」と続く24です。


気と気の間はだいたい2週間ぐらいってことになるでしょうか。


こんなに細かく1日の昼と夜の時間の長さを調節していたっていうのは驚きですよね。
前言撤回ってことになりますが、不定時法ってめっちゃ面倒やんね。

 


芭蕉さんが詠んだ「花の雲 鐘は上野か 浅草か」って句から推測すると、江戸の町では、上野寛永寺と、浅草浅草寺と、少なくとも2つの寺で「時の鐘」が撞かれていたってことですよね。


時の鐘が撞かれるようになったのは、江戸時代、二代将軍秀忠のころからだそうですが、まず「捨て鐘」っていうのを3つ撞いて、さあ、これから時刻を報せますよって儀式をやってから、刻に合わせて9つ、8つと撞いたんだそうです。


二十四節気に合わせて、いつ鐘を撞くのかって、お坊さんはどうやって計っていたんでしょうかね。
お坊さんだけアップルウォッチに仕込んでた?


まあ、長年の蓄積された経験と、日時計とか水時計とかで計ってたんでしょうけれど、実際のところは「勘」だったりして? 知らんけど。


諸行無常の響あり」っていう「祇園精舎の鐘」ですが、お釈迦様が説法をしたっていうインドの祇園精舎に、実は鐘はないんだそうです。

 

鐘のコエなんて響きようがない。
ええ~!? って思いますけど、お寺の鐘って中国由来のものなんだそうで、そもそもインドのお寺に鐘はないらしいです。


でも、平家物語で「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり」って言っちゃってるから、ってわけでもないんでしょうけど、1981年に日本の「日本国祇園精舎の鐘の会」が梵鐘と鐘楼を寄贈したんだそうです。
メデタシメデタシ、なの? かな?

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そういえば、仏教の鐘は外側から撞木っていう木で撞きますが、キリスト教の鐘は、鐘の内側にある舌(ぜつ)ってやつを振って鳴らしますね。
なかなか面白い違いです。


不定時法っていうんじゃないですけど「サマータイム」っていうのがありますよね。


日本でも何度か実施が検討されたりしましたけど、効率だとか、そんな理由でサマータイムを導入しようっていうことらしいんですが、不定時法に比べたらそもそも考えが浅い感じですね。
単に、なにかしらの実績を遺したいっていう政治的思い付き。


不定時法の凄いところは、明け六つですよって鐘が鳴ったら、そのタイミングではちゃんと朝だってことですよね。まだ暗い6時とか、とっくに明るい6時とかじゃない。


でもまあ、今はいろんなところに時計仕掛けのリモート設備がありますからね、不定時法に戻るってことはないでしょうね。サマータイムでさえやれない国ですからね。
って別にサマータイムがイイって思えませんけど。


ちなみに上野の寛永寺では今でも朝6時、お昼、夕方6時に鐘を撞いているらしいですよ。
諸行無常の響き、なんでしょかねえ。


除夜の鐘とか、日本のお寺の鐘の音って、染みますよねえ。


ご~ん。。。