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食と落語と日本人 物忘れ コロナの今を忘れたい人のための茗荷尽くし 【茗荷宿】の一席

<マスク手洗い忘れちゃダメだけど 茗荷食べても忘れちゃいけないコロナ前>

ご存じでしょうかね、茗荷宿って噺。
そんなにね、人気の噺というわけでもありませんですね。という気がします。

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茗荷って言えばですね、子供の頃に「食べ過ぎるとバカになるよ」って話、聞いた記憶ありませんか。
バカになるとまでは言わないにしても、物忘れがひどくなるってことは今でも聞きます。
茗荷と人間の脳の関係。


俗言だ、迷信だと笑って済ませているのが一般的だとは思いますが、けっこうね、大人になっても気にしている人が多い感じもします。


「この頃物忘れがひどくなってねえ。茗荷嫌いなんでけどねえ」とか。


やっぱりね、ハッキリと説明されていないと不安が消えませんよね。


そもそもの茗荷っていう名前。

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改めて考えてみますと、妙な名前。特に人の記憶と結びつくものではなさそうですが、その辺りも、ちと調べてみました。


茗荷という名前の由来は大きく2つありました。

 


1つ目はわりと知られた説。


周到槃特(しゅりはんどく)というお釈迦さまのお弟子さんがいたそうで、この人は自分の名前を覚えられない人だったんそうです。


そこで、お釈迦さまや仲間の弟子たちが何度も何度も、お前の名前は周到槃特、周到槃特だと教える。


ところがこの人、3歩あるくと、もう自分の名前を忘れてしまう。酉年だったんでしょうかね。ニワトリは3歩進むと4歩前のことは覚えていないって言いますけれど。
ニワトリにしてみればいい迷惑なのかもしれません。


さて、周到槃特さんですが、そもそもお経はちゃんと唱えられたんでしょうか。まあ、お釈迦さまのお弟子さんになるくらいの人ですから、修行的なことは問題なく出来たんでしょうけれどね。


ところが自分の名前が覚えられない。


ホントかなあと思えちゃいますし、不思議なことですが、とにかくそんな人。


自分の名前を言えないような人ですから、町へ托鉢へ出たりなんかするときにいろいろ困ることが起きてきますね。


玄関前でお経を唱えて托鉢します。
家の人が出てきて、お鉢に中へ食べ物やら、お金やらを入れてくれます。


いつも同じ町の同じ家にばっかり行くわけにもいきませんから、初めての家の前で托鉢することもあるわけで、


「はい、ごくろうさん。ところでボンさん。見かけん顔やが、どこの誰でんねん?」


と、なぜか関西弁!?
ま、とにかく周到槃特さん、うまく答えられませんね。


「あ~、わたしは……、誰でしたかね」


「なんやアヤシイやっちゃ。そんなんには、お布施、やれんな」


ってな感じで、玄関先で唱えたお経は見事であったとしても、托鉢がうまくいかない。


お釈迦さま、気にかけますね。
自分の名前を覚えられないのであれば、と工夫しまして、小さな旗に、


「わたしは周到槃特。釈迦の弟子です」


と書いて托鉢に出かける周到槃特の背中に括り付けました。


それでなんとか修行生活を送ることができたそうなんでありますが、来る日も来る日も、背中に自分の名前を背負って歩く姿が知られることになります。


自分の名前を荷って歩いたことから、名を荷う、名荷と呼ばれるようになったんだそうです。


周到槃特って呼ぶより名荷、って方が呼びやすいです。まあ、あだ名、みたいなもんだってことですね。


これはもう見事な展開です。無理矢理ではあっても、なるほど感はしっかりあります。

 


で、名荷さん、特に何をするでもなくすぐ死んじゃうんです。身も蓋もなく単純に演出の都合ですね。


その周到槃特さん、名荷さんが亡くなって、埋葬した塚から生えてきた草を名荷、草冠を付けて茗荷という名前で呼んだというのが、長くなりましたが1つ目の説です。


はい。説自体は落語由来のものではありません。一般に流布しているものでございますです。


自分の名前が覚えられなかった人の墓から生えてきた茗荷ですので、バカになる。物覚えが悪くなるという俗説につながったということなんでしょうね。


日本独自の説だとされているそうです。日本の人の話じゃないのに日本独自。ちとミョウガ?(くだらなくてスビバセン)


2つ目の茗荷という名前の由来にまいります。


茗荷の原産地やいつごろ、日本に伝わってきたのかはハッキリしていないらしいですが、東アジア原産で、奈良時代ごろには伝わって来ていたのではないかという説が有力みたいです。


で、茗荷は生姜と一緒に大陸から伝わってきたという説がありまして、香りの強かったのは生姜。ほのかだったのは茗荷、ということで、生姜を兄、茗荷を妹とした。


こっちもかなり強引ですね。


なんだって「兄」と「妹」なんでしょうか。「姉」と「弟」じゃいけない。「兄」と「弟」でもダメ。って素直に納得は出来ませんです。
でもまあ、とにかく兄と妹なんです。


兄の香りは「兄香」と書いて「せのか」と読み「しょうが」という名前に。


せのか ⇒ しょうが。ん~。


妹の香りは「妹香」と書いて「めのか」と読んで「みょうが」という名前とした。


めのか ⇒ みょうが。ん~。


というものです。妹の香りから茗荷です。音的には説明になっているかもですが、文字の由来にはゼンゼン、ですよね。


さて、周到槃特さん説と、妹の香り説。
どっちをとりますか?


音的に妹の香り説の方が説得力あるようにも思えますが、こちらには記憶力との関連性はなさそうです。
それにこの妹の香り説こそ日本独自、ってことになるんじゃないでしょうかね。ミョウガって日本語ですもんね。


ちなみに、茗荷は英語で「ジャパニーズ・ジンジャー」というんだそうです。日本の生姜、それが茗荷。ふううん、ですね。

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さてさて本題の落語、茗荷宿の噺なんですが、実に日本的な内容なんです。


他人を害して自分が利益を得る、のではなく、なんとかうまく、棚ぼた的に得することはできないかと知恵を絞る、たくらむという落語なんですね。日本的あいまいな悪だくみ。


あいまいだからこそ笑って終われるってもんなんでしょうけれどね。
落語の特徴の1つです。


うらぶれて、廃業しようかという宿屋の夫婦の噺なんですが、噺の舞台は、噺家によっていろいろです。


安芸の宮島厳島神社参拝街道沿いの宿屋。


琵琶湖の畔、大津の宿場街の外れにある宿屋。


関東へ持ってきて、東海道神奈川宿の外れの宿屋。


ま、場所がどこであっても噺の中身は大差ないようです。


もうダメだ、潰れるっていう状況の宿屋に、大金を持った旅人がひょっこりやってきますね。
こうでないと噺は始まりません。


なんとか客の金を手に入れる方法はないか。


その手立ては、誰の噺でもだいたい亭主ではなく女将さんが考え出しますね。落語の女将さんは、どの噺でもたいてい、知恵者ではあっても素っ頓狂な役回りです。


宿の裏にうじゃうじゃ生えている茗荷。茗荷っていうのは物忘れがひどくなるって食べものだから、とにかくたくさん食べさせれば、あの客、自分の金を忘れて行くんじゃないか。


と、ここが茗荷宿の噺のコアですね。

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茗荷と物忘れはもう、離れがたく結びついています。既成の事実。


なんとか客の物忘れを誘発しようと、でたらめな理由を付けて茗荷を食べさせます。
晩飯だったり、朝飯だったり、あるいは両方だったり。とにかく茗荷。茗荷尽くし。


その料理の種類っていうのは、まんざらウソというものでもなさそうで、今でも実際に意外なほどあるんです、茗荷料理のバリエーション。


ま、噺が先か、料理が先か判りませんけれどね。


茗荷の入った酢の物はみんな知っていると思いますが、そればかりではなくて、甘酢漬け、味噌漬け、粕漬けがあります。


素焼きや天ぷらもありますし、ごまあえ、酢味噌和え。


味噌汁やおすましに入れるのは馴染があるかもしれません。ナスと茗荷の味噌汁は人気ですよね。


野菜炒めの具としても使われますし、冷奴ばかりでなく寿司にそえられることもあるそうです。そういえば食べたこと、あるような、無いような感じです。


さらには茗荷ごはん、という炊き込みもあるそうです。


これは、なにかちゃんとしたレシピを確認してからでないと、どんな風味なのか見当がつかないです。
食べたことあります? レシピも見つからなかったです。

 


茗荷宿の噺に戻ります。


客はたっぷり茗荷を食べます。ンまいんまいと満足そうに食べるんです、これが。


噺の中に茗荷ごはんが出てきます。ンまいんでしょうねえ。たぶん。いや、どうでしょうか。ンまいのかなあ。


で、結局ですね、宿屋の夫婦の期待はむなしく裏切られ、客は茗荷尽くしを堪能して、ほくほくと旅立っていきます。お金をしっかり持って。

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なんだ、茗荷をあんなに食べたって、物忘れなんてしないじゃないか。


亭主があきらめ顔で、女将さんのアイディアをなじると、女将さん、すっとぼけた声音で言いますね。


「あ、忘れた、忘れた」


「あん? 忘れたって、なにを」


「宿賃もらうの、忘れた」


という実に落語らしいオチなんであります。


この落語になる前の基の話が、周防、長門といいますから今の山口県広島県の民話にあるんだそうです。


落語の方の舞台として安芸の宮島厳島神社へ続く街道筋の宿屋というのがありましたが、民話に基づいているのはこれなんでしょうね。


茗荷の宿という民話の方は、客が茗荷尽くしのンまさを方々で宣伝してくれたおかげで、夫婦の宿は繁盛しました。というハッピーエンドになっているようですが、繁盛したという部分は、どうもね、後付けなのではないかという気がしますですね。


とにかくたくさんの茗荷を食べさせようと、なんで茗荷尽くしをサービスするのかって理由をでっちあげたり、さまざまなバリエーションを考えて作るあたりの夫婦のやり取りが、聞きどころの噺です。
夫婦のやり取りが噺家のウデの見せどころ。


やっぱりうまくいかねえか。という噺は落語の常道で、日本人的安心感に寄与しているのかもしれませんです。
悪だくみは成就しない。


コロナ禍の中では、落語もなかなか行きづらい世の中でありますが、演題、出し物の中に茗荷宿、ありましたら是非、堪能してみてください。


茗荷はですね、冷奴に生姜と一緒に乗っけて食べるのが好きですね。夏場ですね。

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兄と妹ですからね、どうりで相性もイイわけです。2021年の夏ごろには気兼ねなくビールで乾杯できるようになっているとイイですけれどねエ。


茗荷宿の話でした。みなさん、なんとか無事に乗り切りましょう。


おあとがよろしいようで。