<スイーツっていう言い方は定着しましたがスイーツって和菓子も含まれてるの?>
十三詣りって知りませんでした。
旧暦の3月13日。今の暦では4月13日に行われる13歳の男女の儀式。十三詣り。
関西方面で盛んだそうで、京都では七五三より重きをおいているという話もあります。
「ぐじの酒蒸し」でもお世話になりました「おばんざい 京の台所歳時記(河出文庫)」の中にに平山千鶴さんの「十三種のお菓子」というのがありまして、それで初めて知りました。
男女ともに数えで十三歳のお祝い。なので十三詣り。
江戸末期ごろから盛んになった風習らしいんですが、平山さんはこう言っています。
「ずっと前、十三まいりには十三種のお菓子をとりそろえて、食べさせたと聞いたことがありました。でもずいぶん古いことらしく、覚えている人もないようです。いったい、どんなお菓子をとりそろえたものなのか、わたしは知りたいのですがーー」
大正8年生まれの平山さんのいう“ずいぶん古いこと”というのはいつごろになるんでしょうか。
13という数合わせのお菓子の種類なんでしょうけれど、令和の今は、特に決まりがあるわけではなくて、お参りする寺社の用意する中から自由に十三個選ぶようですね。
でもあれです。平山さんが知りたいという十三のお菓子というのは、その古い時代には決まったものがあったんだろうというニュアンスを感じます。
京菓子。和菓子の歴史を刻んできた土地の、お祝い事に用いられるものですからね、戦前にはしっかりした決まりがあったのかもしれないですね。
京都に限らず、それまでの伝統、風習が戦争によって途切れて、戦後の物資不足によって復活できず、それ切りになってしまったという行事、事柄は、少なくないみたいです。
1945年の敗戦からもう間もなく100年という時間経過が見えてきていますからね、戦前まで続いていた日本古来の風習を伝えてくれる人が、文献などのリソースが、ないってことなんでしょう。
寂しいことです。
とはいうものの、少なくとも京都では十三詣りは今でもしっかり行われているらしいですので、十三智菓の内容は変遷しているのかもしれませんが、まず、平山さんもニッコリ見守っていることと思います。
日本の行事ですからね、和菓子が用いられるのは当然なんでしょうけれど、七五三の千歳飴。
そっか、あれも和菓子なんだ、という感覚があります。そう思ったことなかったです。
でも伝統的和菓子。千歳飴。
飴を細長く伸ばして、その長~い分の長生きを願う。初めは千“年”飴といったらしいです。千歳飴もずいぶん様変わりしていますよね。
紅白の飴がスタンダードなのは今も変わらないんでしょうけれど、ペコちゃんの千歳飴も多く見かけます。
その他にもキャラクターものがたくさんあるでしょうね。鬼滅系とかも出ているかもしれませんが、それだと、目出度さも……?
でもあれです。バルセロナのパパブブレというキャンディも人気みたいですしね、子供に人気があればそれでオッケーなのかもしれません。
子供の成長を願って、祝い事としての行事ですから、七五三は完全に子供の行事といえるでしょうけれど、十三詣りは、まだ子供とはいえ大人への入り口、イニシエーション的な意味合いもあるのかもしれません。
数え年13歳、満12歳は、今でいうと中学校入学のタイミング。
15歳が元服式だった時代には、半元服という儀式もあって、それが13歳だったそうです。
有名なのは京都、法輪寺の十三詣り。
法輪寺は虚空蔵菩薩を祀っているお寺なんですが、虚空蔵菩薩は知恵と福徳の菩薩さまで、13番目にお釈迦様のお弟子さんになったとされています。
その13なんでしょうね。
弘法大師、空海が“虚空蔵求聞持法”を修めて、超人的な記憶力を得たという伝説もあって、法輪寺の十三詣りは13歳の男女が知恵を授かるようにとお参りするんだそうです。
千歳飴は長生き。十三詣りは智慧。
昔から変らずに続いている伝統行事、十三詣りとはどういうものなのか、ちと調べてみました。
まずお詣り前。
今は男女とも洋装も少なくないみたいですが、本式でいくと、やっぱり和装なんですね。特に女の子は初めて大人物の着物、振袖を誂える。
肩あげという、生地をつまみ上げて縫う方法で身体に合わせてから着付けるんだそうです。
大人として自分の着物を持つという感覚が、もうしっかり儀式の中に取り入れられているんですね。
昔からの行事には、どんな些細なことにでも、逐一、意味があります。ありがたい理由がありますね。
そして、知恵を授かりに行く心構えとして、自分の漢字一文字を決めておくんだそうです。
自分の漢字ですよ。ちゃんと自分で考えさせているってことでしょうね。
まあね、親が勝手に決めちゃう、っていうことも多いのかもしれませんけれど。
ニュースで“今年の漢字”って、京都の清水寺で毎年12月に発表されますよね。和尚さんがどどーんと一文字書いて見せるヤツ。
あれは1995年から始まってますが、もしかするとルーツは十三詣りにあるのかもしれないですね。今年の漢字自体は知恵と関係なさそうですけれど。
で、京都の13歳は法輪寺へお詣りに行って、半紙に決めておいた一文字を書いてご祈祷してもらう。
ご祈祷が済んだら、お守り、お供物、知恵箸だとかをいただいて帰途に就きます。
ここでいただくお供物が、十三個のお菓子なんでしょうね。
平山さんの言っている昔の時代には、お供物という形ではなかったように受け止めましたが、お寺の方にもいろいろ内部事情があるんでしょう。
精進、というわけにもいかなくなった。かもしれませんです。
まあなんにしても、お供物だとかお守りだとかを受け取った13歳の男女は家に帰るわけですが、ご祈祷が終われば十三詣りの終わりってことにはならない。
境内を出るまで、後ろを振り返ってしまうと、せっかく授かった虚空蔵菩薩の知恵を返してしまうことになる。と言い伝えられているんだそうで、ご祈祷を終えた後からが一番の緊張なのかもしれないですね。
わざと振り返らせようとするイタズラ者って、いつの時代にもどこの土地にもいそうですもんね。
京都の法輪寺の場合、境内の延長として続いているのが、これまた有名な渡月橋。
全長155m。
境内から続いてけっこうな距離です。
みんな緊張して足早に渡りきる。イタズラな声に振り返らない。でも、背中が気になる。早くはやく。
こうして知恵詣り、知恵もらいとも呼ばれる十三詣りを終えて、知恵箸でお赤飯を、いただいてきたお菓子を家族で食べて、お祝いとするんだそうです。
そっか、十三個も1人で食べられないか。家族で賢くなるってことかしらん。
十三智菓と呼ばれる和菓子。
そもそもはどんな十三個だったんでしょうか。平山さん同様、知りたく思いますね。
13歳とはいえ子供が持って帰るお供物ですから、和三盆系、落雁系のお菓子なんでしょうかね。
生菓子? どうでしょうかね。
最近では浅草、浅草寺でも行われているそうです。浅草だと雷おこしとかが十三智菓に入るのかもしれません。
地域によっても十三智菓は違っているんでしょう。それぞれの地域の十三智菓が、どういう顔ぶれなのか、知りたいですねえ。
行事としての知名度は七五三ほどには高くないにしても、各地で行われている十三詣り。十三智菓には紅白饅頭、紅白餅を代用しているところが多いという話には、ちとがっかりします。
13種類も用意できるかッ! ってことではないんでしょうけれどね。風情のない行き過ぎた合理化。
京都では、さすがに十三智菓にこだわっている家庭もあるんだろうと思いますが、季節柄というのもあって、桜餅は欠かせない和菓子だそうです。
4月13日。桜の季節。肩上げした初めての着物を着て、大人への敷居をまたいだという、なかなか自覚できない、まだぼんやりとしたものかもしれない気持ちのままいただく桜餅。
有名なのが鶴屋寿の「さ久ら餅」
小麦粉ではなく、道明寺粉の生地で上品な味わいの餡を包み、塩漬けの桜葉でくるんだものですね。
これはいただいたことありますです。
桜餅ですからね「さ久ら餅」特に気取った感じのしない和菓子ではあるんですが、あ、これが日本の味なんだなと思わされる一品でした。
京都の桜はソメイヨシノより、ヤマザクラが多いんだそうで、色合いが違うと聞きますが、込み合う季節には行ったことがないので実感できていません。
コロナ禍の今は、すっかり様変わりしているでしょうけれど、どうもね、インバウンド。
このところの観光地、京都、混み過ぎな感じもします。
言ってもしょうがないです。はい。
で、今の京都のさ久ら餅は通年の和菓子です。
これは鶴屋寿さんのオショーバイ、ってところなんでしょうけれど、ンまいです。ありがたいですね。
でもおそらくさ久ら餅は十三智菓の中に入っていないでしょうね。断言はできません。しません。はい。
虚空蔵菩薩の知恵と、十三個の和菓子。
スイーツと呼ばれる洋風のケーキ類もイイですが、たまにはね、和菓子を愉しむ時間をもつのもイイですよね。
和菓子は、キレイという表現ではなく、美しいと言いたくなる食べものです。日本の景色がそこにあります。
ま、一回で十三個も並べるというシチュエーションはないでしょうけれど、伝統的な姿の和菓子もあれば、けっこう斬新な見栄えの和菓子もありますからね。
あとですね、話はトビますが、雨の日に似合っている和菓子ってあると思うんですよ。
1つじゃなくって幾つか。
雨の日にしっとり味わう、美しい和菓子。
こういう愉しみ方って和菓子特有かもですね。
今度の雨降りに、傘さして買いに行こうかなあ、という気になってきました。
その和菓子。名前、忘れました。。。