<酒の発明以来人類は自然に乾杯し合ってきました 笑顔は酒の効能なんです>
コロナ禍の巣ごもりの中で、自分たちにとって何が自然な生活だったのか、だんだんと忘れかげんになってきて、居酒屋さんだったり、町中華だったりで、
「カンパーイ!」
だとか能天気に笑っていた日は、なんだか遠くなってしまった感じ。
静かに、むなしく、タメ息です。
そういう方向に考えずにいきましょう、と、セルフコントロール。したいですね。
今回は「乾杯」について考えてみました。
みなさんもやりますよね。普通に「乾杯」
離れた席同士で、声を出さずにグラスをすっと上げて、目だけでやる乾杯もありますが、たいていはニコニコとグラスをぶつけ合って。
海外の人ともやったりしますね。
初めて会った人で、言葉はあんまり通じなかったりしても、ま、とりあえず乾杯。
洋の東西を問わず、やるんですね。乾杯が通じなかったことってないです。
自然に笑顔です。
ま、だれかれ構わずってわけでもありませんけれど。マナーというか、付き合いというか、断る人って居ません。酒場ではね。
って、酒場以外でやらないか。
日本の乾杯は、杯、さかずきを、乾す、ってことですよね。そう書きます。
“乾す”っていうのは、水分を失くするってことを表す漢字。
もう一つの“干す”っていうのは日に当てるっていう意味と、仕事やら役割やらを与えないって意味に使うらしいです。
話は乾す方、水分を失くするっていう方の乾杯です。
もしかすると乾杯っていう習慣は、この漢字と一緒に中国から伝わってきたのかもですね。
中国は「カンペーイ!」ですよね。漢字は当然ながら「乾杯」
同じ漢字で、同じ感じです。
世界で最初、6千年以上前に酒の醸造を始めたのは中国らしいんですが、中国酒って呑んだことあります?
黄酒、白酒というのが知られています。実際にはもっと種類があるんでしょうけれど、この2種類が日本でもよく呑まれているようなんですね。
紹興酒、老酒が黄酒。醸造酒ですね。
世界初の酒っていうのがこの黄酒なんでしょうね。
白酒っていうのは蒸留酒で、焼酒とか火酒とも呼ばれています。
中国酒といえば私はもっぱらこっちです。バイチューっていって注文しますが、中国人のおかみさんはいつもニヤッとします。
たぶん発音として通じていないんでしょう。
中国語って発音が難しいです。耳で聞くのも日本語には無い発音が連発される感じなので、とっかかりがつかめない。ま、ちゃんと勉強しないと馴染めませんですね。
聞き取れないし、発音できない中国語、バイチュー。バイデュー? バイヂュー?
でもまあいつもの注文なので、ニヤッとして持ってくる、ってなことなんだと思います。
56度のやつです。100ml。小瓶。
ちょっと前ですね、カウンターの背中側のテーブル席でヘロヘロに酔っぱらったオヤヂが、
「ああ、あれ、なに? あれ、中国の? オレも、あれ、ちょうだい」
って、カウンターに置いた私のミニボトルを指して言ったんだろうと思うんですが、こういう時中国の人はたいていハッキリと言いますね。
「あなたもう酔っぱらってるでしょ。あれはダメよ。凄く強い酒」
「でも、小さいじゃん、あれ」
「小さいないよ。ダメよ、酔っ払いはダメ」
キッパリとあしらっていたのでありました。
中国での乾杯は伝統的にこの蒸留酒、白酒でやるんだそうです。おかみさんが言ってましたので間違いないです。
なぜ白酒で乾杯なのかは知りません。おかみさんも知りません。
伝統的っていうことは、居酒屋さんなんかで仲間同士での乾杯ではなくて、何か儀式的な乾杯が始まりということなのかもしれません。
小さめの盃でカンペーイとやるそうですが、一気に呑むのがルール。
呑んだら乾杯の相手に向けて、全部呑んだよと盃の底が見えるように傾けるんだそうです。
「ゆっくり呑むダメよ。でも少しね」
なんだそうですが、私はロックでじっくりいただきますですね。
バーボンなんかも小さなグラスでクイッと一気にやりますね。映画なんかで見ます。
昔の日本では清酒、醸造酒ですが、塗りの盃で、一口というふうではないですが、ま、すすっと空けますね。
お座敷では杯洗なんていって、大どんぶりに水を張って、呑み乾した盃を軽くすすいで返盃を繰り返す、なんてことをやっていたみたいです。
これ、野郎同士でやってもツマンナイわけで、当然、芸者さんとサシツさされつってこと。
そういう酒の楽しみ方。艶っぽい呑み方です。
乾杯っていうのとはちと違いますけれどね。
世界的に、乾杯っていうのは相手に敬意を表す、あるいは、この喜びの酒を捧げますっとかいう気持ちを表す儀式、というのが始まりみたいです。
ヨーロッパでの風習として、乾杯するときはきちんと相手の目を見ながらグラスを上げるといのがあるそうです。
これは日本でも普通にやってますね。
マナーというかパターンというか、違和感なくやってます。
今は世界中どこでも酒を呑むことができます。宗教とかで禁じられているところは別ですがね。
酒を呑む習慣のあるところで、どこでも、例外なくやっている乾杯。
なんで乾杯する必要が、酒を仲立ちとして平和的な挨拶をする必要があるんでしょうか。
世界中でやってるわけですけれど。
チアーズ。スラーンチェヴァー。チンチン。プロースト。サルー。ヨー。サウージ。
みんな笑顔でしょうね。
で、乾杯の掛け声の後、一気に呑み乾すっていうのは、普通にですよ、普通に考えれば、小さなグラス、盃ぐらいですよね。
大きなジョッキ、というか普通のグラスで乾杯しても、それを一気に呑む人は居ませんでしょ。
「イッキ! イッキ!」などというおバカな遊びが流行った時期もありましたけれどね。どうしてもアホな世代というのは出てきてしまうものなんでしょうね。世界的に。
例えばロックグラスにウイスキーとか焼酎とかの人たちは、乾杯の後、一応一口呑んで、あとは自分のペースでいきます。
ビールジョッキで乾杯する人たちも、たいていの人はそうしています。
カンパーイ! で上にあげたジョッキをそのまま口に持っていって大きく一口。で、プハーッ! でテーブルにジョッキをおろす。
いやいや、ビールの中ジョッキぐらいならイッキでしょ。
はい、居ます。そういう人、居ますね。
で、呑み乾した後のドヤ顔ですね。
イイんですよ。イイんです。はい、自由です。
イッキ呑みについては触れないでおきます。
このジョッキ、ロックグラス。あるいは水割りのグラスだとかは、日本人にとって後付けの酒文化といえるものですよね。
長い歴史の中で考えれば、つい最近。
それまではずっと盃です。ちっさい器。
これ、日本人には合っているという研究結果が出ています。
アルコール由来の有害物質、アセトアルデヒド。
聞いたことありますよね。酒呑みなら誰でも知っている単語だと思います。
人は、このアセトアルデヒドで酔っぱらう。
で、身体の中に入ってきたアセトアルデヒドを低濃度段階から分解してくれるのがALDH2という脱水素酵素。
アセトアルデヒド濃度が高くなってから働くのがALDH1と呼ばれているそうなんですね。
つまりALDH2が少なかったり、働きが弱かったり、あるいはそもそも無い、って人は酒に弱いことになるわけです。
こういう話、聞いたことありますよね。
これまでに何度も、いろんとこでニュースになっています。
ALDH2が欠損している人の割合が、日本人はスンゴイ高くて、なんと44%だそうです。
ほぼ半分近くの日本人は酒に弱いってことです。
他の国はどうかといいますと、ドイツ、イスラエル、フィンランドの欠損率は、なんとゼロ%だそうです。
総じてみてみると、欧米の人たちは酒に強いんです。で、アジア、特に東アジアの人たちは酒に弱い。
日本人と中国人が特に弱い。
繰り返しになりますが日本人のALDH2欠損率は44%。そして中国人は41%という数値です。
日本人も中国人も男女差はないそうです。
で、この体質って遺伝するらしいんですね。逃れようがありません。
でもほら、中国から伝わってきたんでしょうけれど、酒。呑むとき盃ですもん。
入る量、控えめですもん。
ちゃんと合わせてあるんですね。長い時間かけて落ち着いた盃の酒文化。
遺伝体質とはいうものの、今は違ってきているんじゃないだろうか、という気がしますけれどね。どうなんでしょうか。
盃文化は、今や昔。みんなグラスになってますからね。
西欧から伝わってきたグラス文化。
乾杯という文化にはその地域の伝統が残っています。
スラーンチェヴァーというのはスコットランドの古語だそうですが、今でも乾杯はスラーンチェヴァーらしいです。
スコッチの国の伝統文化。
スラーンチェヴァー! ってやって、グラスでイッキなんでしょうか。
たいていストレートでしょうし、スコッチは40度以上ありますけれどね。
香りを楽しむ酒というイメージですからね、イッキはしないように思えます。
でもスコッチハイボールなんてジョッキだし、イッキにいくんじゃないの。という意見もあるかもしれませんが、ま、ハイボールは炭酸で割ってますからね、アルコール度数はだいぶ低くなってます。
それでもイッキはしないんじゃないでしょうかね。
アルコール度数が低ければアセトアルデヒドの量も少ないんで大丈夫、なんでしょうかね。
ま、無理してイッキ呑みなんて、さらさら必要無いんです。アルハラとか、ダメです。
ウキウキ乾杯して、ニコニコ呑むのがイイんです。その人なりのペースでね。
みんな、普通はそうしてますけれどね。
でもあれです。楽しいものではないけれど、正しいというか、しんみりした儀式的乾杯という文化もありますね。
少なくとも中国と日本には通じる、落ち着いた、人が生きていく人生の何たるかを感じさせる乾杯。
こんな詩があります。
“この盃を受けてくれ”
“どうぞ なみなみ注がせておくれ”
“花に嵐の例えもあるぞ”
“さよならだけが 人生だ”
「勧酒」という井伏鱒二の訳詩で、元の詩は于武陵という中国、唐の時代の詩人のものです。
勧酒。酒を勧める、ってことですね。
男女間の話としてもイイでしょうけれど、この場合は男同士の別れの乾杯が想定できそうです。
どういう事情か、旅立っていかざるを得ない友を見送る酒席。こういう乾杯もあって、心に沁みてきますね。
ビールが似合わない乾杯。
ま、特にALDH2には関係ないでしょうけれど、こういうシチュエーションでバカのみする人は居ないでしょう。
欧米にだってあるよ! ではあるでしょうけれども、この詩で思い浮かべる情景には、盃が似合います。ジョッキとかグラスじゃないイメージ。
なかなかね、気軽に出かけて、友達と楽しく呑んでっていうのが、やりづらい日々です。
逢いたい人に会えないこともあるでしょうね。
ホントに語り合える友は、少ないものですよね。
静かに、別にね、騒ごうという乾杯ではないんです。
于武陵の詩は
“勧君金屈巵”
“満酌不須辞”
“花発多風雨”
“人生足別離”
そして井伏鱒二の訳をもう一度
“この盃を受けてくれ”
“どうぞ なみなみ注がせておくれ”
“花に嵐の例えもあるぞ”
“さよならだけが 人生だ”
別にしんみりしようってわけじゃないんですが、生きていく上ではいろいろあります。ホントいろいろ。
ウィルスがすぐ隣に居るということは、情報として知識として持ってはいても、社会に知られた人や、知り合いではないにしても近隣の人が亡くなっていく。
こういう形で別れを実感するとは想像していなかった。みんなそうだと思います。
いろいろ変わりました。変ってしまいました。
学者さんたちの説によりますと、21世紀の今は、地球上で6度目の大絶滅なんだそうです。
その絶滅する中に人類が入るとは、今のところ思いませんが、生き残っている我々には、変化が必要とされているのかもしれませんね。
いろいろさまざまな別れを惜しみ、悲しむのではなく、今知り合って、すぐ近くに居て、同じ空気を吸って生きているという奇跡に感謝する気持ちの方を強くする工夫を考えたいと思います。
ビートルズは歌いました。
♪with a little help from my friend.
フレンドはいろいろなんですよね。
身近なイヌでもネコでも、花でも楽器でも。そして人間でも、風景でも。さらには酒でも。
酒呑みは酒の力を借りて。
友達、仲間は大切ですよね。どういう繋がりであったとしても。
自分自身にとっての楽しさの種類を新しく考えたいです。
何をどう捉えて、どう考えていくべきなのか、何も見えてきてはいないんですけれどね。
独り呑みでも乾杯はできます。
カンパーイ! は窓外の月に向かって、とか、そういう感覚に酒はイイ友達なんでしょね。