< 顔の落書きっていえば「へのへのもへじ」ですけど 最近見ませんね >
幼稚園が田んぼを借り切って、園児たちが泥んこになりながら田植えをして、稲の生育を観察しながらコメの収穫を体験するっていう取り組みのニュース映像を見たことがあります。
もちろん近所の農家の人たちが協力してくれているんでしょうけれど、稲の穂が実って色づいてくると案山子を立てますね。
昔の案山子は野良着を着て、麦わら帽子。顔は「へのへのもへじ」に決まっていたような記憶なんですけど、今はもうそんな案山子じゃないですね。
園児たちが自分のグループが植えた稲ですよっていう目印の意味もあって、竹竿の上に大きなぬいぐるみがいます。
きりんさん組、くまさん組、っていう名前が見えます。
中にはピカチューとかもいて、もも組はピカチューですよ、ってことなのかもしれません。
いずれにしても、稲をスズメやカラスから守るための案山子じゃなくって、あくまでも園児たちの目印なんでしょうね。
「へのへのもへじ」はいません。
確認したことはありませんけれど、大きなピカチューのアタマの上にスズメが3羽、とかいうことになっているのかもしれないですけれどね。
本来的な意味の案山子は、スズメやカラスにとって、まがい物なりにも人間に見えないと意味がないってことで、一応の服装として野良着を着せられて、麦わら帽子をかぶせられる。
で、やっぱり顔がないとダメでしょってことで「へのへのもへじ」だったんでしょうね。
文字で人の顔を表現する。これ、大発明ですよね。
人の顔を描くっていったって、誰でも絵心を持っているわけじゃないですから、なんじゃそりゃ!? っていう顔の案山子が初期にはたくさんいたのかもしれません。
実物の案山子はだいぶ前、福島県の会津地方を車で通りかかったときに見つけて、思わず車を停めて観察したことがありますけど、ま、当たり前に大きいです。一応、人と同じくらいの背丈に作られていますんで、当然ながら顔の大きさも実物大の人間ぐらいあるんですよね。
そこにまともに人の顔の絵を描ける人なんて、そうは居ないんじゃないでしょうか。
会津坂下地方の案山子は「正しいへのへのもへじ」でしたが、10人以上の案山子と遭遇したのは、もう20年以上前になりますかね。令和の今も変わらず「へのへのもへじ」でしょうか。
それともピカチューとかじゃないにしても、なにか最新科学に基づいた新しい対策になっているんでしょうか。
都市生活者って、案山子と最も縁遠い生活者ってことになるんでしょうね。「へのへのもへじ」の現状をちっとも知りません。
そもそもの発祥が案山子だったのか、いわゆる落書きだったのか、全然わかっていないみたいですが、江戸時代の初期には無かったそうなんですよね「へのへのもへじ」
ところが江戸時代の中期になると、どこにでも見られるようになったっていうんですね。
商工業の発展っていう徳川の平和の恩恵にともなって、手習い場、寺子屋が浸透し始めたのも江戸中期ってされていますね。
「へのへのもへじ」が登場したのは農家の案山子製造現場っていうより、寺子屋の落書きが最初だったかもですね。
「こらあ、まじめに手習いせえ! 紙は大事なもんなんだぞ」
って怒られたけど、「へのへのもへじ」
「でもこれ面白いから貼っておこう」
なんてなことになったかもですね。
初めは「へのへのもへの」だったとかいう説もありますけど、どっちが、とか、どれが最初とか、ま、イイんじゃないのって思いますね。案山子の中にも「へのへのもへの」もあったでしょうし、「つる三はまるまるむし」もあったんじゃないでしょうかね。
全国区になった落書きとしては「へのへのもへじ」を代表にしておいてあげませう。
こんなに全国的に浸透している落書きっていう存在が、他の国にもあるでしょうか、って思って調べてみましたら、あったんですよ、これが。
アメリカ、イギリスで第二次世界大戦の頃からの定番となった落書きが「kilroy was here」
「キルロイ参上!」ってなもんですけど、この文字の落書きと「チャド」って呼ばれている絵の落書きが一体化して大流行りしたみたいなんです。
チャドだけが落書きされていても、それは「キルロイ参上!」ってことになるみたいです。
「月へ行った来たんだよ。一番乗りだ! って思ったら、キルロイ参上! って落書きがもうあったよ」
っていうジョークがあるんだそうです。
浸透度合いは「へのへのもへじ」と同様みたいですね。
第二次世界大戦中、アメリカの造船所でリベットチェックの仕事をしていた検査官「ジェームス・J・キルロイ」
検査済みのリベットにチョークで「キルロイ参上!」ってイチイチ書いて回ったのが発祥だっていう説があるんだそうです。
ま、点検済みっていうサインなんでしょうけど、船のリベットねえ、めっちゃ数がありそうです。
その全部に「kilroy was here」って書いてあったら、ほかの全然関係ない場所、トイレの落書きとかね、いろんなところに書かれて流行りそな感じはしますね。
でもこれは文字です。文字だけの落書き。
一方の「チャド」っていうのは、第二世界大戦前のイギリスで「ジョージ・エドワード・チャタトン」っていうマンガ家が書いたものなんだそうです。
戦争の時期でからね物資不足、配給不足に悩まされていたイギリスで、このチャドが壁の向こうから鼻と目だけをのぞかせて「なんでまた〇〇が無いの?」ってつぶやくマンガが大ウケだったらしいです。
つまりチャドにはつぶやきが付き物だったってことになるんでしょうけれど、このチャドとキルロイ参上! がどこでどうやって結びついたのかは、不明、みたいです。
にしても、すっとぼけたヤツって感じのチャドですが、「あれ? この人、あの人なんじゃないの?」って思っちゃう人がいます。
なんといっても長い鼻が特徴のチャド。
居ましたよね、日本にも。
京都府宇治市、池の尾に居たっていう禅宗のお坊さん「禅智内供(ぜんちないぐ)」
芥川龍之介の出世作「鼻」です。
禅智内供の鼻は5寸から6寸ぐらいだったそうですから15センチメートルから18センチメートル。
チャドの鼻の長さって丁度それぐらいですよね。
笑いのタネになっているし、鼻が長いのってイヤだなって思っていて、何とか短くならないかってさんざんいろんなことをして、やっと短くなった。
ところが、鼻が短くなったけど、かえって評判がよろしくなかったので、いろいろやってみて、また鼻がでろ~んって長くなって、ニコニコひと安心っていう禅智内供さん。
戻ったもどったってことで、
「こうなれば、もう誰も哂わらうものはないにちがいない。内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら」
っていう大正5年の作品から、秋風にまかせてイギリスへ。
長い鼻を引き継いだ息子さんでしょうかね。イギリス生活に慣れたと思ったら戦争だっていうんで、フィッシュアンドチップスのじゃがいも、配給無いです。
ええ~!? 「なんでまたじゃがいもが無いの~?」
そうだ、チャドに言ってもらおう。
「なんで~?」
っていう反骨精神の表現と、ちゃんとチェックしてるからね、僕はもうここに来ているからねっていう、
「キルロイ参上!」
の合体。
禅智内供さんもからんでいますしね、ミョーな説得力があるかもしれないです。
でも、21世に入ってからは「キルロイ参上!」も影が薄くなってきているみたいなんですよね。
「へのへのもへじ」も昭和の時代に比べてみますと、やっぱりね、影が薄くなってしまっていますよね、たぶん。
案山子の様子はチェックできていませんけれど、「てるてるぼうず」ね。あの顔もやっぱり「へのへのもへじ」だったですよね。
最近はですね、縁側のある家も少なくなっていますし、マンションのベランダに物干しなんか置いちゃダメですよ、なんていうことになっていますんでね、外を歩いていて「てるてるぼうず」に出会うことは、まずなくなりました。
今は、家の中のカーテンレールにぶら下がっているのかもしれません。
昭和生まれのおばあさんがやってきて言います。
「運動会のお天気をお願いするんだったら、外に吊るさないとダメじゃないの。ここじゃ外に吊るすところがないからね、しょうがないね、うちの縁側に吊るしておこうね」
孫の思いを受け取って自宅の縁側に、昔、自分が「てるてるぼうず」を吊るした釘がまだ、そのままなはず。
あ、ここだここだ。丸椅子を持ってきて、その釘へ孫の「へのへのもへじのてるてるぼうず」を吊るそうと手を伸ばすと、そこには、
「キルロイ参上!」
「あら、禅智内供!」
落書きの話題は、み~んな「バンクシー」に持っていかれてしまいますけどね。
「へのへのもへじ」ってなにげにサイキョーだったですよね。日本ではね。