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【清少納言】は GPSで男の現在位置をチェックするようなタイプだったか?

< なんかね 平安時代の通い婚って 男と女のラブゲームって感じだったんでしょうかね >

でも、それって貴族だけの話じゃんか!
そなんでしょうね。知らんけど。


平安時代の一般庶民はどんな恋愛をしていたんでしょうか。


シッカリとした身分制度のあった頃のことなんて、頭の中で想像してみたって実感はできませんよね。


古典って弱いっていうのか、分からんっていうのか、源氏物語なんて3回チャレンジしていますけれど、3回ともすぐにリタイヤ。
登場人物、あっと言う間にハカナクなり過ぎだろ! って思ってしまいますし、枕草子も、いざ手に取ってみたらスンゴク長いです。


平安時代のファッションの話、なのかな、っとか感じたとたんに、いとおかし、くないなあってやっぱり途中でリタイヤ。
清少納言って、かなり面倒くさいタイプだったんじゃないの? とか思ったりもしますよ。
チマチマ細かくて、キツイ性格。全く知らんけど。

 


で、「桃尻語訳」で再チャレンジ中なんですが、そです、橋本治ね。

 

感心するほど細かく丁寧に、清少納言になりきっていて、正直コワイ感じもします。
作家のエネルギー、凄いですね。


でもやっぱりなかなか読み進められないんですよねえ。
いとおかし、な気分に全然なれません。


上中下の三巻もありますねえ、文庫本。ずっと上巻のまん中へんで止まっています。


この文庫本の中には、なりきり清少納言コラムがありましてですね、平安時代の男女関係について書いている回があるんですね。
平安時代、ヂョーリューの女はずっと家の中に居る。表に出ない。

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で、男が通って来るわけですね。通い婚っていうらしいんですけど、なんか、今の結婚っていう形態とは全然違っているんだろうなあって思います。
結婚っていう、一夫一婦制みたいな感覚が、まるで無いんでしょうねえ。


男が三日も通ってきたら「夫婦」っていう感じ、っていうようなことが書いてあるんですけど、四日目っていうのが永遠に無い可能性だって充分にあって、婚姻届けとか、そんなんがあるわけじゃないし、男が通って来なくなれば、それはそれで、そういう関係だったのねって感じみたいなんですね。


1人の女のところに何人もの男が通ってくることもあるし、男の方も何人もの女のところへ通う。
それが普通。
なんか、へーあん、じゃない感じ。


家から動かない女同士は争いようもない感じなんですが、男同士でも特に1人の女を巡ってケンカになるようなこともない。
ただ相手に負けないようにせっせと通うだけ。


男はヤな女のところへ通わないし、女の方は、ヤな男は家に入れないっていう断り方なんでしょうね。


でもそんなN対Nみたいな男女関係で、鉢合わせて、アリさんとアリさんがこっつんこ、みたいな状況になんでならないのかっていうと、あれでしょ、歌を贈り合ってその日の約束をするっていうルールがキッチリ機能していたからなんでしょうね。
贈るっていうか、送る感じなのかもですけど。

 


後朝(きぬぎぬ)なんて言葉がありますよね。


ソノコトがあって、コトの後の朝ってことなわけで、男は女の家から出て行きますね。どこいくんでしょ?


会社、っていうかお勤めとかないんでしょうね、貴族サマだから。


自分の家に帰って二度寝とかするんでしょうか。いーねー。


で、今夜またいきますよ、とか、昨夜はこんなだったね、とか、後朝の歌ってやつですね。使いの者に持たせてやり取りする。


和歌ってそういうシチュエーションで文章にされるものだってことなんですもんね、歌を上手く作れないようだと、モテないってことだったんでしょうね。男女ともに。
日本の貴族社会。悠長なことでございます。


和歌が上手ければモテるわけで、「むかし男ありける」の「在原業平(ありわらのなりひら)」っていう実在の歌人は、光源氏のモデルじゃないかっていわれている平安時代のモテモテ男だったらしいですよね。


清少納言の100年ちょっと前の貴族ですね。伊勢物語の主人公ってされている人。


作者が不明確な伊勢物語ですが、源氏物語古今和歌集と平安三大文学に数えられたりしています。


伊勢物語黒鉄ヒロシのマンガで読んだことがありますけど、これがなんで「伊勢」の物語っていうタイトルなんでしょか、って疑問が残ったんですね。特に伊勢に因んでいるって内容じゃないです。
伊勢って言ったら「伊勢神宮」のことなんでしょ、って思うんですけどね。


125段もあります。男女間の短いエピソードが多いんですよね。


23段の「筒井筒」が、有名です。
和歌で結ばれて、やがて時が経って、別の女の元へふらふらしている男を和歌で呼び戻すっていう趣向の段。
この段に昔男(むかしおとこ)は出てきません。


この段の歌には、ふむむ、和歌ねえって思わされる説得力があります。
だから有名なんでしょうけどね。


結ばれる前の男が詠みます。
「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」


待ち望んでいた女が応えます。
「くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき」


男が幼馴染みの女に、あなたを見ないうちに随分背が伸びましたって言うのに、わたしの髪もずいぶん伸びました、あなた以外に髪上げの儀式をする人はありません、って応えているわけですが、こんなふうに説明しちゃうと何の趣もありませんね。


和歌として残されていればこその粋なプロポーズとその応えってことになるんですね。
髪上げの儀式が、そのまま結婚へつながっていくような流行があったみたいです。


見事に相思相愛、結ばれて、目出度しめでたし。
通い婚なんでしょうね。


で、やがて女の家の暮らし向きが悪くなると、男は他の女のところへ通うようになるんですね。


この辺が、通い婚の情緒を理解しないと理解の苦しいところだと思うんですが、男と女は同じ家で暮らしているわけじゃないんですよね。
自分の家から通う女の場所が変わりましたってことだと思います。


他の女のところに通う夫を黙って見送る妻、っていう解釈をよく見かけるんですが、どうなんでしょうか。通い婚なのにって思うんですけどね。


黙って見送ってるわけじゃなくって、どっかのおせっかいが、あんたの男、別のトコに通ってまっせ! っていうチクリが入って、むむっ! ってなる状況だったんじゃないでしょうか。


女が男を取り戻す歌。
「風吹けば 沖つしら浪 たつた山 よはにや君が ひとりこゆらむ」


風の強い夜の山をあなたはひとりぽっちで越えていくんですねえって、心配する気持ちですね。


他の女のところへ出かけていく自分を、何も言わずに送り出すことを不審に思った男が、出かけた振りをして女の様子を隠れて見ていると、女がこの歌を声に出して歌ったっていう解釈が普通みたいなんですけど、んなバカなって思います。
お芝居じゃないんですから、虚空に向かって声に出すなんてことがあるんでしょうかね。


暮らし向きが悪くなったとはいえ、使いの者はまだ居たでしょうから、「風吹けば」を持たせて男の家にやったんじゃないでしょうか。


和歌のチカラが伝わります。
男は元の幼馴染みの女のところへ通うようになったってことらしいです。


めでたしめでたし、なんでしょうね、たぶん。知らんけど。

 


69段も知られています。
斎宮なりける人」がこの段の主人公です。


斎宮っていうのは天皇に代わって伊勢神宮にお仕えする巫女で、さいぐう、とも、いつきのみやとも呼ばれます。
この段は昔男と斎宮の話なんですけど、この段があるからこそ「伊勢物語」っていうタイトルなんじゃないかって言われているんですが、まさにそうなんだろうなって思います。


人物として特定した書き方はされていない伊勢物語ですが、昔男は在原業平、そして斎宮なりける人っていうのは、文徳天皇の息女、「恬子内親王(やすこないしんのう)」だろうっていうのが定説ですね。


伊勢神宮の巫女さんですから、誰でもなれるってもんじゃなくって、未婚の内親王か女王しか務められない役職なんです。
神に仕える斎宮ですから、当然のごとく、男子禁制。わあお!


その斎宮の恋の歌。タブーを犯したエロスが、むしろ幼ささえ感じられるぐらいに気高く歌われています。


斎宮が歌います。
「君や来し 我や行きけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか」


昔男が返します。
「かきくらす 心の闇に まどひにき 夢うつつとは こよひさだめよ」


恬子内親王は妊娠したものの、斎宮の子どもとして育てるわけにはいかず、里子として引き取られたっていう話が残っていて、公然の秘密ってところだったのかもしれません。


この69段の斎宮の歌。現代語に訳すまでもなく通じてくる1000年以上も前の女の気持ち。
斎宮という身分から発せられた恋の歌です。


相当な覚悟の上での歌なんだろうだと思われますが、身も世もなく女であることを歌い上げているように受け取れます。
和歌とか、全然門外漢ですが、好きな歌です。


「夢かうつつか 寝てかさめてか」