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【寝そべり主義】タンピン(横たわり族)って呼ばれているらしいんですが

<確かにね 何をやるにしても極端な動きになりがちですけれどね 今の中国は>

横たわるっていう中国語はタンピンと発音するらしいですが、タンピンっていえば「断公九平和」を思い浮かべます。麻雀の役の1つですね。
ま、タンピンというこの役もあんまり頑張らないアガリといえるのかもしれません。寝っ転がっているわけじゃないですけれどね。


中国の「横たわり族」がニュースになったのは2021年6月になってからです。急増しているという記事の扱いなんですが、中国人って寝っ転がってるイメージないです。関西人と同じでいっつも元気いっぱい。ワアワアしゃべっている感じですけれどねえ。ま、それはあくまでもイメージでしかないですけれど。


中国メディアは一大事だという取り上げ方ですが、どこの国にもずっと前からあるように思いますけれどね。「寝そべり主義」

 

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1979年から続けられていた中国の「一人っ子政策」は2014年まで実施されていました。

 

2014年生まれの子供たちは2021年でやっと7歳。まだ学校に入ったばかりという年齢ですね。中国の学級制度って知らんけど。


2016年からは「二人っ子政策」が始まっていたんですが、2021年からは新たに「三人っ子政策」が始まっているようです。
三人っ子なんて言い方があるのかどうか怪しいですが、そういうことらしいです。三人までオッケーよ。


まあね、とんでもなく人口の多い国ですから、日本からしてみるとその意図がつかみにくいところが大きいですが、人口減少っていうのはどこの国でもコワイ現象なんでしょう。


にしてもですね、一人っ子政策から二人っ子政策の間の2年ほどの間は、どういう対応だったんでしょうか。


産児制限政策としてまるまる2年の空白があるように見えるわけですが、すでに1人子供がいる夫婦の場合だと、最大で2年の間に2人の子供を産むことが出来ますよね。そうなると、二人っ子政策の実施時点で3人の子供が居ることになってしまいますけれどね。


よく分かりません。中国計画出産協会という団体が取り締まっているということですが、中国っていう国は外国の中でも最も分かりにくいことをしている国の1つだという印象が強いです。


にしても「中国計画出産協会」って、なんか、すんごくコワイ感じですよね。

 

 

 


中国の「横たわり族」は主に20代、30代の男女だそうです。


ただ単純に批判されているという世相的な出来事ではないらしくて、自ら「寝そべり主義」を唱えて、積極的に「タンピン」しているらしいです。


今の中国の20代、30代といいますと、一人っ子政策真っただ中の生まれということになります。
一人っ子政策が始まってすぐの世代は、今現在60代になってきているわけですが、この一人っ子政策初期世代と、今の20代、30代の若者たちを比べてみますと、明らかに違ってしまっている社会環境というか、親族環境があります。


それは、タンピン世代の多くの親もまた「一人っ子」だということです。


タンピン世代の親は、一人息子と一人娘が結婚しているというのがほとんだと考えられるわけです。
そうなるとそれまでの世代との違い、あるいは多くの他の国との違いが出てきます。イイとかワルイとか、そういうことではなく、必然的にそうなってしまうという、一種の社会現象。


タンピン世代の親には兄弟姉妹が居ません。なんせ一人っ子ですからね。


ということは、タンピン世代には伯父さん、叔父さん、伯母さん、叔母さんが一人も居ないってことです。
親族の形成が特殊なんですね。多様性なんて居場所が無い感じになってしまいそうです。


伯父さんや叔母さんが居ないと、なんで寝そべっちゃうの? ってことになりますが、そうした親族構成が個人に与える影響だとかの研究なんてないでしょうからね、どういう結びつきだとか、そういう答えって無いんだと思います。


そういう親族関係が国民のほとんどを占めてしまうってこと自体、歴史的にどこ国にも無かったんじゃないでしょうか。


自然をコントロールして、制御できると考えてきた人類活動の結果が、現在の生物多様性の尊重、SDGsの運動に繋がっています。ダメじゃんって結論ですね。
中国共産党が人間自体をコントロールしようとした結果が、その人間自体にどういう結果をもたらすのかは、誰にも見えていないことでしょう。


現在の産児制限は中国特有のこととして、他人事みたいにとらえられないこともなさそうですが、少子高齢化は日本の問題でもありますし、他の諸外国でも同じですよね。


少子高齢化が進んでしまえば、どこの国でも一人っ子ばかりになって、若者にとっての伯父さん叔母さんという存在が居なくなってしまいます。


中国政策の極端なところは、世間全般が一気にそうなってしまうというところにあって、どうしても目立ちやすいですよね。
目立った特徴はメディアにとって格好のネタとなります。


自国の「寝そべり主義」を取材した中国メディアの分析は「若者の競争疲れ」という見方が大勢を占めているようです。


でも、考えてみますと「寝そべり主義」「タンピン族」を「若者たち」と評しているメディア側の人間もたいていは「一人っ子世代」なわけですけれどね。


「幼い頃から習い事や受験で厳しい競争にさらされる」という分析をしているようですが、これは中国特有の現象ではありませんよね。ですが、結局「弱いから」そうなるんだという結論ってことなんでしょうね。
そう言わざるを得ない。


「寝そべり主義者」は「物質的な欲求が乏しく、勤労や結婚、出産に積極的でなく、経済成長の阻害要因になる」と見ているのが体制側らしいです。


こうした報道に対して、まさに今日的で面白いと思うのは、いかに情報統制を厳しくしている中国であっても、ネット社会である以上、制限しきれない情報があっと言う間に広がってしまうということですね。

 

 

 


今では「タンピンの達人」として若者の共感を集めているネット投稿があったそうです。


「タンピンは正義だ」


「私は何も間違っていない。いつも周囲との比較や伝統的観念から圧力を受ける。人間はそうあってはならない」


「私はディオゲネスのように樽の中で日光浴をし、ヘラクレイトスのように洞窟で “ロゴス” について思考することができる」


いかにも若い、というニュアンスの意見表明ですね。イイとかワルイとかではなく。


社会的競争の中で勝ち続けなければいけない、というのは「伝統的観念」ではなく「個人にもたらされた強迫観念」とでもいうべき概念でしょう。
人類共通の概念でしょうという捉え方もあるとは思いますが、伝統的というほど昔からのものではなくって、せいぜい産業革命以降にまん延してきた観念なんじゃないでしょうか。


メディアに反発する側の意見として幅が狭いかもしれませんね。


ディオゲネスという人は「犬のディオゲネス」と呼ばれた古代ギリシャの哲学者。大きな樽を住処にしていたというソクラテスの弟子のアンティステネスの弟子で、かなりユニークなエピソードをたくさん残している人です。


ヘラクレイトスもまた古代ギリシャの哲学者ですね。プラトンアリストテレスに影響を与えたとされる大哲学者で、「万物は流転する」という言葉を残した人です。けっこう有名な人ですよね。


流転する万物の背後にあって、決して変化しないもの、それを「ロゴス」っていうんでしたよね。ヘラクレイトスの唱えたロゴスは「火」だったとうことです。


「タンピンの達人」が現実としてどんな仕事をしていて、本当はどんな仕事をしたかったのか、上述の記事からは知りようもありませんが、古代ギリシャ哲学が好きな人なんでしょう。


もっと近代寄りに哲学してくれば、また違った考え方になりそうな気もします。
考え方と言うか、意見表明する方法が違ってくると思います。


古代ギリシャの哲人の考え方に共鳴するのには何も問題ないと思いますが、衣食住のうち「衣」はあきらめて「住」にはこだわらないとして、「食」はどうしているんでしょうね。


「タンピンの達人」が模倣しようとしているのかもしれない古代ギリシャの哲人たちの生活は、完全な身分制度、その最下層の奴隷制度によって成り立っていたことを考えますと、何もせずに生きていられる彼は、どんな恩恵にあずかっているのか気になるところです。


ただ寝っ転がっていては生活できませんよね。


改めて考えてみますと「タンピン族」は、日本でいう「ニート」と似ているところがあるのかもしれません。


報道側の意見も、拡大解釈なのかもしれませんが、仕事はしているけれども、疲れるまで頑張るというのではなく、自ら時間制限を設けてコントロールしている人を、一所懸命では無いので「横たわり族」とする判断もありそうに思えます。


生活している「タンピン族」は日本ではフリーターと分類される人たちなのかもですね。


【中華豆腐ごはん】で少し触れた「アリ族」というのもありました。フリーターは会社に縛られないからという理由で、積極的にそうしている人も居ることはいるでしょうけれど、たいていはそうじゃなくって、現状としてそうなってしまっている、という人が多いように感じます。


日本には「しらけ世代」といわれた年代がありました。「三無主義」「四無主義」という「主義」が一人歩きした感もありましたが、これは日本に特有とばかりも言えない現象で、アメリカでは「ジェネレーション・エックス」と言われた世代が存在しますし、どんな世界でも発展や、勝者に対する反発から生まれてくる、なんとも人間的な生き方だとも言えそうに思います。


なあんもしたくない、とは言いながら、結果として何かをして、ちゃんと食べています。


勝て、勝利者に成れというのは資本主義社会の基本姿勢なのかもしれませんが、負ける人間が居るから勝ち残れる人間が存在できるというのは真理です。
そういう勝ち負けから距離を置いた生き方、といえるのではないでしょうか。


そんな奴は「ダメ」だというのが一般常識なのかもしれません。特に今の中国ではね。
ですが、「しらけ」てしまう人間や、「寝そべって」しまう人間を生み出してしまうのは、勝者ではなく、かつての「しらけ」を知っている人間たちや、「寝そべって」いた経験のある人間たちだと思うんですね。

 

 

 


今ダメなヤツを、ホントにダメにしてしまうか、困ったヤツのままでも一緒に暮らしていくかで、社会の在り方は大きく違ってくるでしょう。


社会変革なんて普通のことではありませんし、簡単に出来ることでは無いと思います。
ですが、そういう日本的な社会を描いて、最長のシリーズ物としてギネスに登録されている映画がありますよね。


男はつらいよ」です。


寅さんは、困ったチャンで、ダメなやつです。フーテンですからね。


でもあの映画は、ダメなヤツを、ダメなまま認めて、自分たちの仲間としてどんなときにも迎え入れますね。
ケンカしながら決定的な別れにはいたりません。一緒に生きていくんです。


ダメなヤツに向かって、お前はダメだ、と言う自分自身もダメなヤツだという自覚があるんですよね。
おいちゃんにも、おばちゃんにも。タコ社長にも、さくらにもです。


親戚でもないのにバカヤローって言い合ってます。そうですね親戚じゃないからこその親戚付き合いなんでしょう。


「横たわり族」のニュースを、中国の凋落の始まりというニュアンスで伝えている一部の報道がありましたので、もうちょっとメタレベルで人間そのものを考えたジャーナリズムであって欲しいなと、そう思ったのでありました。
日本のメディアもしっかりして欲しいなあと思うですよ。


四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姉ちゃん立ち小便、白く咲いたが百合の花、四角四面は豆腐屋の娘だ、色は白いが水臭い。


なんてね、こんなことをスラスラ言っちゃう才能がダメな寅さんにはある。


映画のことだから、というんじゃなくって、世の中ってそういうもんじゃござんせんか?

 

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