< 3Dプリンタだと 食べられる机とか椅子もでてくるかもですねえ >
やがて牛肉も豚肉も、鶏肉だってプリントアウトっていう世の中になるのかもしれませんが、そもそも日本人が動物の肉を食べる習慣が始まって、100年経っていないみたいなんですね。
島国ですからね、魚が主だったっていうのは普通に納得できます。
地球人が原初から何を食べて暮らしてきたのか、改めて考えてみますと、植物も動物も、全て生命をいただいてきたわけなんですが、現状、そんな意識でハンバーガーとか食べていないですよね。
プリントアウトしたステーキなんていうのが出てきた21世紀は、案外、食の習慣の大転換のタイミングなのかもしれません。
日本人にとっての「食」といえばフランスっていうより中国ですかね。
広東省の格言。
「4本足のものは机と椅子以外、2本足のものは家族以外、飛ぶものは飛行機以外、水中のものは潜水艦以外、なんでも食べる」
っていうのがあります。
広東人にかかれば料理できないものは無いっていうことなんでしょうけれど、食習慣っていうのは、同じ中国の中でも地域によって全然違うらしいですからね、食文化の集まっているのが広東だっていう自負があるんでしょう。
食は広州に在り、とも言いますしね。広東省広州市。肉料理にもいろんなバリエーションがあります。
たぶんおそらく、太古からずっと肉を食べて家系を繋いできている。
日本人って仏教伝来以来ずっと肉食を禁忌としていたらしいんですが、それ以前はどうだったんでしょう。
勝手に想像するしかないんですけれど。
テレビコマーシャル。
カミテからマンモスがてってけ走って来て、シモテへ消えていく。少し離れて原始人集団がヤリらしきものを振り上げてワイワイ叫びながら追いかけて走って行く。
と、今度はシモテからマンモスがてってけ出てきて、やっぱり原始人集団がワーワー追いかけて、カミテへ消えていく。
そして画面中央にドーンと「hungry?」
15秒コマーシャルの中でセリフはこの「hungry?」だけ。
今の日本地域に、その昔、マンモスが居たかどうかは分からないらしいんですが、ナウマンゾウは居たらしいですね。
ま、縄文人は動物の肉を食べていたんだろうとは思います。
恐竜の時代から、草を食べる草食恐竜がいて、それを襲って食べる肉食恐竜が居た。
草食動物と肉食動物の関係も恐竜と同じです。
人間みたいに雑食、草も食べれば、草食動物も肉食動物も食べますし、鳥も魚も食べるって、改めて考えてみますとなかなか凄い生き物ですよね。
広東人に限らず「机と椅子以外」っていうのも、あながちオーバーな表現じゃないかもです。
日本人の祖先たちもシカ、イノシシを普通に食べていたらしいですよ。各地の遺跡から骨が見つかっています。
今でいうジビエってことですね。クマなんかもね、普通に食べてた。
弥生時代になって農耕が始まると、肉食はイノシシが多くなってくるんだそうです。出てくる骨からそう判定されているんですが、この頃に、イノシシを飼育するようになって、ブタ、として改良していったんじゃないかってことみたいですよ。
イノシシを飼育してみよう、って考えてみると凄い発想ですよね。
最初にやった人、ヘンジンですよね。
シカは飼育に向かなかったってことなんだと思います。
同じころにニワトリの飼育も始まったのではないかってみられているみたいです。
つまり大昔の日本人は普通に動物の肉を食べていたってことですね。
魏志倭人伝には日本の使者から聞き取った話として、「近親者の死後10日ほどは肉を食べない」という記述があるそうですから、少なくとも卑弥呼の時代には動物の肉が普通に食べられていた証明になりそうです。
古墳時代には海外から牛と馬が入ってきて、クスリとして食べていたみたいです。
牛も馬も数も多くはなかったでしょうし、かなり貴重な食糧だったんだろうなあって思えますね。
聖徳太子の時代に仏教が入ってきて、食肉の禁忌が始まったんですね。
でもまあ、大っぴらには食べませんよってことだったみたいで、 こそっとは食べていたらしいです。
平安時代には「マタギ」が仕事として始まったそうです。
つまりは動物の肉を食べていた人が一定数はいた、ってことなんでしょうね。
時代が進んで鎌倉時代の法然上人は「肉食をしても念仏を唱えれば救われる」とか言っていたらしいですよ。
ま、動物の肉を食べる人はずっと居たってことが分かります。
室町時代に出来たって言われているおとぎ話「かちかち山」って、「タヌキ汁」が出てきますもんね。
戦国時代になると諸外国との貿易によってさまざまな「洋食」が入ってきて、肉食のバリエーションも増えたんだろうと思われますが、あくまでもアンダーグランドでってことでしょうね。
食肉の禁忌、有名無実。
この頃になってハッキリしてくる日本の肉食の傾向として、猟で獲った動物の肉は食べるけれど、家畜の肉は食べないっていうのがあるらしいです。
全員がってことではないんでしょうけれど、シカ、イノシシ、クマだとか、そういう動物は獲れれば食べたってこと。
江戸時代に入っても肉食の禁忌はずっと同じように行われていたんでしょうけれど、徳川綱吉によって行われた「生類憐みの令」の時期に、強く禁忌の意思が働いたことは間違いないでしょうね。
この生類憐みの令って始まりと終わりがハッキリとしていないそうなんですね。
1683年ごろから発布されたっていうのが一般的な見解らしいですし、綱吉が死んでからもすぐに廃止されたってことでもないようですので、1709年でキッパリ終わったっていうことでもないみたいです。
でもまあ、だいたい26年ぐらいは続いたわけですから、庶民、特に江戸の町人には大きな影響を与えたでしょうね。
ただ、肉食がすっかり消えてしまったってことじゃなさそうです。
っていうのはですね、江戸時代には「ももんじや」っていうのがあって、いろんな種類の動物の肉、内臓を売ったり食べさせたりしていたっていう記録がありますからね。
けっこう人気があったみたいで、一応ね「クスリ」として商売していたらしいです。
やりますね、ももんじや。
そのメニューって今でも残ってますよ。今でもそう呼ぶところがけっこうあります。
イノシシは「ボタン(牡丹)」
シカは「モミジ(紅葉)」
ウマは「サクラ(桜)」
ニワトリは「カシワ(柏)」
っていうのがそれです。もっと他の動物についても別の呼び方をして食していたんでしょうね。
いまだにそう呼んでいるっていうのは、面白い文化だと思います。
牡丹、紅葉、桜、柏っていうメニューから、動物の肉っていうイメージはなかなか湧いてきませんよね。
ま、クスリって感じもしませんけれどね。
でも豚は豚のままだったのかどうか、ハッキリしませんが、最後の将軍、徳川慶喜は豚肉が大好きだったらしくって、ウラの方では「ブタ将軍」とか「ブタイチ殿」って呼ばれていたって話は有名です。
明治になると牛肉が普通に食べられるようになってスキヤキも登場してきますね。
明治政府は肉食奨励のキャンペーンなんかもやっています。
明治の終わりごろにはカツレツなんかも出てきます。
もうコッソリ肉食する必要もなくなった昭和になっても、実は、なんだかヨツアシには抵抗があるっていう日本人は多かったそうです。
太平洋戦争の影響による食糧危機の頃からホルモンが普及して、禁忌だとかの意識も薄れ始めたみたいですが、なかなか急速には浸透しません。
高度経済成長期が始まったと言われる1960年代ごろからようやく、日本人の食文化に食肉っていうのが定着したんだそうです。
魚肉がメインだった食糧事情が変わったことを現わすデータとして、ソーセージがあります。
今でも魚肉ソーセージってありますよね。
薄く切って塩コショウで炒めると、サイコーの酒のアテになります。
ソーセージといえば、日本では魚肉ソーセージだったんですが、1975年に魚肉はソーセージの材料トップの座を牛、豚、鶏にゆずります。
1988年には日本人のタンパク質供給量としても魚肉を上回ったっていうデータがあります。
しかしまあ、驚きますね、1988年ってそんなに遠い過去じゃないですよ。
牛丼の吉野家創業が1958年だそうですけれど、いきなりヒットしたってことでもなかったんですねえ。
プリントアウトされた牛肉が吉野屋の脅威になるのかどうか、まだまだ先のことなのか、すぐに急激にやってくる可能性がないでもない、のかもです。
食べるのが専門の側としては、黙って情勢を見守るしかないんですけどね。
肉信仰のある人たちってプリントアウトステーキをどう評価しているんでしょうかね。
炭素、水、そして食糧っていうのがこれからの人類の課題になるんだそうです。
食べられる側に対する感謝の気持ち。大切にしていきたいです。