< 奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)って日本最古の神社らしいですねえ >
ステルスオミクロンだとか言っちゃってさあ、ちっともピークアウトしてくれそうにないですねえ。
アマビエさま~。どうなってんの?
「コレコレ、次々に変異するウイルスを成敗するのは、簡単なことではないのだぞよ」
そですよねえ、そなんでしょうけど、そこをなんとか、またひとつ、ガムバツテいただきたいのであります。
2020年ごろは「疫病退散」なんてことを盛んに言っていましたけどねえ、3年目を数えちゃいますと、誰にも余裕がなくなって、神仏に手を合わせるってことなんて、しなくなってる感じですよねえ。
アマビエさまっていうのは、江戸時代、1846年の瓦版、今でいう新聞って考えてイイんだと思いますが、それに書かれている「疫病封じの妖怪」のことなんですよね。
覚えてます?
熊本県の海、って言いますから有明海なんでしょうかね。「肥後国海中」ってあるだけなんでハッキリしませんが、夜になると光るんだそうです。海が。
海が光るなんて、こりゃオオゴトでっせ、っていうんで、お役人様オヤクニンサマ~、大変でございます。あの光は何でございましょう。
知らんがな! っていうわけにもね、まあ、いかないでしょうから、土地の役人がおずおずと夜の海に出かけて行って見ますと、ああらビックリ! 妖怪出現!
「コレコレ、我は海中に住み居るアマビエと申す者じゃ。よっく聞くがよい」
名前を名乗ったんですね。礼儀正しいんです。
ハハア~、アマビエさま~。よっく聞きますう。
「これより6年の間、諸国は豊作に恵まれるであろうぞ」
ハハア~、ありがたき幸せでござりますう。
「しかし、疫病が流行りもするのじゃ。我の姿を写して早々に人々に見せるが良かろうぞ」
ええっ! 疫病でございますか!?
アマビエさまは、じろりと役人たちを睥睨してまた海の中へお帰りになったそうでございますね。
こんな情報がネットを中心に出回って、コロナパンデミックをアマビエさまに追い払ってもらおうっていうんで、アマビエブームみたいなことになったんですよね。
神社の護符にアマビエさまのお姿が描かれたり、Tシャツのイラストに現れたり、ぬいぐるみなんかもありますよね。
ワタクシ、スマホの待ち受けにさせていただいております。はい。ずっと。
2020年新語、流行語大賞ベスト10にも入りました。
海外と比較して日本のコロナ感染被害者数が圧倒的に少なかったのは、やっぱりねえ、アマビエさまのおかげだったんでしょうねえ。
でも、さすがのアマビエさまも2022年になって疲れちゃったのか、オミクロン株感染が爆発的に拡がってきちゃいました。
一日十万人が見えて来ちゃってます。
アマビエさま以外に頼れる人っていないんでしょうか。
って思って探してみましたらですね、お! っていうお方が、1人、居られましたよ。
古事記に登場する「意富多多泥古命(オオタタネコノミコト)」って人です。
神さまとか妖怪とかじゃなくって、人、人間らしいです。
現代のオオタタネコノミコトってどこにいるんでしょうか。その人を探し出してですね、大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りしてもらうと、「疫病退散」が適いそうですよ。
三輪山ですね、古代からの神の山。奈良の都のパワースポット。大神神社ね。
古事記に、こんな話があります。
日本国第10代天皇、崇神天皇の話です。
歴代天皇は初代とされる神武天皇から、令和の今上天皇で126代を数えるんですが、何代からが神話じゃなくって実在の天皇なのかについては「専門家たち」の間にいくつか説があるようなんですね。
もちろん初代から実在しているっていう説もありますが、第26代継体天皇からという説、第15代応神天皇からという説、そしてもう1つが第10代崇神天皇からという説です。
考古学的に実在が実証されている最古の天皇は第21代雄略天皇なんだそうで、けっこう複雑みたいですね。
第21代の天皇の実在が証明されているっていうのに、実在の天皇は第26代からだっていう説があるっていう状況。
第10代崇神天皇は古事記で「所知初国御眞木天皇(はつくにしらししみまきのすめらみこと)」と記されていて、この読みは日本書紀に記されている初代神武天皇の「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と似ていますね。
はつくに、っていうのがある種のキーワードなのかもです。
神武天皇と崇神天皇って、同一人物じゃないかっていう説もあるんだそうですけどね。
今回調べてみて初めて知ったんですが、古代の天皇って100歳超えの人ばっかりで、ビックリです。
崇神天皇は119歳没、120歳没、168歳没とか、複数説があるみたいです。
で、その崇神天皇なんですが、即位して5年の時、都に疫病が流行ったんだそうです。
都っていうのは「磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)」っていうことらしくって、現存していないんですね。奈良県の桜井市金屋辺りだったんじゃないかってされています。
桜井駅の東北方向、三輪山の麓です。
この時の疫病が何だったのかは判っていないみたいですが、猛威を振るって都の人民の半分が死亡してしまった。
コレラとか、疫病ってホントに大昔から人間と戦い続けているんですよねえ。
崇神天皇はいろいろ手を尽くして疫病を払いのけようとしましたが、どれもうまくいかず、即位7年目になって、亀卜で占ったところ、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に大物主神が乗り移って自分を祀るよう託宣したんだそうです。
大物主神っていうのは、スサノヲの子孫、大国主神が出雲で国づくりをしていた時に、一緒に国づくりに励んでいた少名毘古那神(すくなひこなのかみ)が亡くなってしまって途方に暮れていた時に海の向こうから光り輝く神さまが現れた。
自分を三輪山に奉れば国造りは滞りなくうまくいくと告げられた。
その光り輝く神が大物主神で、大国主神は言われたとおりに三輪山に大物主神を奉って、出雲の国造りを終えたってことなんですね。
こういう古事記の記述って、出雲と奈良の、なかなか不思議な関係を感じさせますよね。
で、崇神天皇は託宣の通りに大物主神を祀ったんですが、疫病は治まる様子を見せません。
斎戒沐浴して宮中を清め、一心に神に祈ると、夢に大物主神が現れて、
「我が子のオオタタネコノミコトを以って我を祭ればたちどころに平安となる」
さらにですね、なんと側近たちも同じ夢を見たんだそうです。
っとなりますとオオタタネコノミコトって誰? ってことになりますよね。
神さまの子どもって?
四方八方手を尽くして探してみると、河内国美努村、現在の大阪府八尾辺りで見つかった。
オオタタネコノミコト、大物主神の子ども。ホンマかいな?
古事記に出てくる大物主神の話で知られているのは、活玉依姫(いくたまよりひめ)との恋物語です。
美しさこの上ないとされた活玉依姫のところに、夜ごと現れる好青年。
通い婚ってことなんでしょうね。
で、その男が誰だか分からないんで、活玉依姫の両親が智慧を授けて、糸巻の糸を針に通して、訪れた好青年の服の裾に刺させた。
朝になって好青年が帰って行くと、活玉依姫の部屋の中には糸巻が三巻残っていたんだそうです。
糸は三輪山までずっと続いていた。
三輪山ってことは好青年の正体は大物主神!
この、残っていた三巻の糸巻ってことから、三輪山っていう名前になったっていうんですが、この辺、なんだかよく理解できません。
三巻の糸巻で三輪。古代の糸巻も丸かったの? 三巻も続くように糸をつなげておいたの?
ま、いっか。話を進めましょう。
大物主神と活玉依姫の間に生まれたのが櫛御方命(くしみかたのみこと)。
その子供が飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)。
でまたその子供が建甕槌命(たけみかづちのみこと)。
その子供が意富多多泥古命(オオタタネコノミコト)だってことらしくって、大物主神の5代目ってことですね。
奈良の都からそんなに遠い所じゃないっていってもですね、よく見つかりましたね。
オオタタネコノミコトが神主となって祀ったところ、疫病は終息。五穀豊穣となったそうです。
めでたしめでたし、なんですが、これ、古事記の記述の通りだとすれば、この時の疫病は崇神天皇即位5年に始まって、治まったのは7年です。
終息まで3年ですね。
コロナパンデミックも2022年で3年目です。
オオタタネコノミコト! どうか強く大物主神に念を送って、コロナ禍を終焉させてくださいますよう。
って言ってもねえ、令和の日本の、意富多多泥古命、誰? どこ? ってな感じなんでしょうか。。。