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【反ルッキズム】これまた欧米先行の問題意識ですね

< 外見至上主義に反対する運動が正しく浸透するのって けっこう難しいのかもです >

世の中に問題意識を投げかける新しい考え方っていうのは、有史以来いろいろ出てきて、ある考え方はなんとなく消えていったり、ある考え方は世界を変えたりしてきているんでしょうね。


2005年に「人は見た目が9割」っていう本が出て、100万部を超えるベストセラーになりました。
タイトルからは「見た目」に対する関心の高さがみられますけれど、これは「メラビアンの法則」の解釈をキャッチ―に表現したのが商業的にうまくいった例なのかもしれませんね。


多くの人が「人は見た目が9割」って言われた時に、ん~、やっぱり、そなんだよねえって思っているってことなんだろうと考えられます。


全く新たな概念を知ろうとして読んだんじゃなくって、自分もなんとなく感じていたことを確認しようという気持ちから手に取った。
否定的に読もうというんじゃなくって、共鳴しようとした100万部突破。


メラビアンの法則」っていうのは、アメリカの心理学者「アルバート・メラビアン」が、言語によるメッセージと非言語メッセージを比較してどちらが影響力が大きいか調査した結果を、1971年に「非言語コミュニケーション」っていう本で表したものです。


それは、人と人が直接顔を合わせてコミュニケーションするときの要素に「言葉」「声」「ボディーランゲージ」の3つを設定して、他人に与える影響を調査した結果、


言葉による言語情報は7%の影響力。


声や話し方による聴覚情報は38%の影響力。


相手の見た目やアクションの視覚情報が55%の影響力を持っているっていう発表だったんですね。


これが「言語情報(Verbal)7%」「聴覚情報(Vocal)38%」「視覚情報(Visual)55%」の「3Vの法則」としてあっという間にいろんな分野に拡散されていって知られるようになったんですね。

 


でもこれってアメリカ人の生活の中のことですから、ボディーランゲージだとかは日本人の習慣とはだいぶ違うんだろうと思いますけどね。


さらにですね、大前提としてこの「メラビアンの法則」は「感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について」の調査なんです。


どうもこの前提条件がとっぱらわれた状態の「3Vの法則」が独り歩きして、いろんなところで拡大解釈されたっていうのが実情なんでしょうね。


メラビアンの法則」から離れた話として、やっぱり「人は見た目が9割」っていう感覚は、あるあるですよね。
さまざまな場面で「見た目格差」とでもいうような経験、実感を持っている人って少なくないんじゃないでしょうか。


これまたアメリカのマクロ経済学者「ロバート・バロー」は、見た目に関係なく、誰にでも均等な機会が得られるようにするためには「美男美女税」「不器量補助金」を導入すべきだっていう政策提言をしています。
ホンキみたいですよ。


理屈はなんとなく分かるような気もしますけれど、実際に導入するとなると、美男美女の基準、不器量っていう定義だとか、かなり面倒な取り決めをあーだこーだやらないといけないでしょうし、結論とか、出なさそうにも思えます。


日本の経済アナリスト「森永卓郎」はかつて、少子化対策として不細工な男にもチャンスを! ってことで、イケメンの所得税を倍にして、不細工な男の所得税は1割、2割減額するっていう「イケメン税」を提唱しています。


洋の東西を問わず、同じような発想があるってこと自体、「見た目格差」が実際にあるってことをみんなが実感しているってことなんでしょうし、「ルッキズム」の範疇の考え方なんでしょうね。

 


ルッキズム(外見至上主義)」っていう言葉が言われるようになったのはいつ頃からでしょう。
2020年ごろでしょうかね、つい最近のことのように思います。
まあ、概念っていうか言葉自体はもっと前からあるんでしょうけれどね。


「見た目格差」は厳然として存在していて、「反ルッキズム」っていうのはそれに対して何を訴えているんでしょうか。


最近のビジネスシーンでは男性コスメっていうジャンルもすっかり定着した感があります。
もちろんそれは身だしなみの延長ってことなのかもしれませんけれど、見た目重視っていう感覚と、反ルッキズムっていう風潮が並立している状態ですね。

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同一人物が見た目重視のコスメケアをしていながら、反ルッキズムを提唱しているってこともありそうです。


アメリカで言われている反ルッキズムは、就職の際に、あるいは昇進の機会に見た目で判断するのはおかしい、機会均等じゃないってうことみたいなんですね。


1960年代からアメリカでは体形の多様性を擁護しようっていう「ファット・アクセプタンス運動」っていうのが起こっています。
20世紀半ばの時点では肥満って言われる体形の人間は、セルフコントロールが出来ないダメなヤツだって判断があったみたいですからね、反ルッキズムと同根の運動が半世紀も前からあったんですね。


日本で言われるようになってきた反ルッキズムって、今のところ利害の問題より、見た目による個人攻撃はやめてよねっていうニュアンスが大きいかもしれません。


ルッキズムの概念がもっと浸透してくれば、変わっていくのかもしれませんが、就職や昇進っていう問題より個人攻撃の方が問題が軽いなんてことはありませんね。
むしろ社会的偏見っていう意味では根の深い問題だともいえます。


ミーイズムの強い国と忖度文化の国ではルッキズムの意味自体が違っていてもおかしくないのかもしれません。

 


「エロティック・キャピタル」っていう社会的価値が話題になったこともありましたけれど、この性的魅力っていうのは必ずしも美男美女に限定されたものじゃなかったですよね。


一時期日本のティーンエイジャーの女の子たちに「盛る」っていうのが流行りました。
今は聞かなくなった気がしますけれど、ルッキズムっていう観点から考えてみますと、あれは誰のために盛っていたんでしょう。
ヤマンバメイクと同じでアンチルッキズムみたいな、強い意志だったのかもですが世代ごとの「見た目」で、流行りってことなんでしょうかね。


答えっていうもののないことなのかもしれません。


ただ、現状の問題をしっかりとらえて言葉にするって、日本発っていうの、極端に少ない感じなのが寂しいです。