<番茶、番傘、番菜 京のおばんざいという普通のおかず ぐじの酒蒸しを 読む>
初めて食べて、お、ンまい、ということもありますが、日常的に考えて“ンまいもの”を思い浮かべるとき、それはすでにそのンまさを知っているということになりますよね。
自分の好きな、あの食べもの。あの味わい。
それを思い浮かべると、頭の中、口の中がその味になってしまいます。
もう、食べる前、作る前、目にする前にすでにンまいと感じている。というのがンまい食べもの。
何の脈略もなく、あ、あれ食べたい、と思い浮かぶこともある、といいますか、今はそれが普通に実現できてしまいますが、少し前までは、季節だったり、イベントだったりがあって、いわゆる旬ってやつですね。
旬が来るから、その旬に合った特定の食べものを思い浮かべる、というのが日本人の生活だったはずだと思います。
イイもワルイもなくて、今の日本にはなくなってしまいました、旬。
地域にもよるでしょうけれど、どうでしょうか、今の30代以下の男女は鯛のンまい季節、きゅうりのンまい季節という感覚をお持ちでしょうか。
スーパーに行けば年中ありますよね。季節だとか旬だとか、なに? という世の中です。
誰のせいというわけでもなく、利便性、合理性を求めてきた成果が、旬という本来的なものを、非効率な偏りとしてなくしてしまったということになるんでしょう。
でもまあ、日本ばかりではなく、世界的なことではあるんでしょうけれど。
「おばんざい 京の台所歳時記(河出文庫)」という本がありまして、私が持っているのは2020年6月発行のものですが、載っているおばんざいエッセイは1964年から1965年にかけて朝日新聞の京都版に掲載されたものだそうです。
京の町家の主婦として、たとえ粗末なものであったとしても、普通のおかずについて、後の世代に伝え、残しておきたい。として書かれたおばんざいエッセイです。
料理エッセイはさほど読んできていないのですが、「おばんざい 京の台所歳時記」は秋山十三子、大村しげ、平山千鶴という三人によって書かれた、とても興味深い本です。
料理の世界では有名な人たち、なのかどうか。少なくとも当時は知られた人たちだったのか。その辺りはちと調べられませんでした。
三人とも京女。生活のしきたりに強い誇りを持っているように受け取れる京の文化の中で生きた人。
何の日には何を食べるか決まっていたという、言ってみれば行事と共に、具材の旬を愉しむ方法についての記述がイイ感じです。
日本人の食文化が、たとえ知らない料理であったとしても懐かしくさえ感じられる正しさがあるんですね。
今回、大村しげさんが書いた「三月 ぐじの酒蒸し」を読んでみました。
ぐじ、というのは関東近辺では甘鯛と呼ばれている魚。定食屋さんなんかではナカナカお目にかかれない魚ですね。わりに高級魚。
それでもたまにお目にかかるときは、たいてい焼き魚として秋の食材、というイメージです。
でも、おばんざいでは春、三月。しかも酒蒸しという料理として紹介されています。
こういうことなんですよね。同じ旬のものといっても、土地によって違いますし、食べ方も違う。
地産地消と言い始めてからずいぶん経ちますが、ホンモノのンまさを知っているのは、その素材の産地の人。生産者、漁獲者なのは間違いないですもんね。
惰性で旬を過ごすのではなく、生活の中に溶け込んでいたことを、このエッセイは伝えてくれています。
若狭のぐじ。福井県の有名な漁港、若狭湾にあがったぐじが京の台所では、とてもありがたい食材だったみたいですね。
京都の冬は底冷えすることで知られていますからね、春の訪れを実感できるおばんざいだったんでしょう。
若狭から京といえば“鯖街道”
何本もあったらしいです。
若狭湾であがったぐじに、その港で塩をして、鯖街道を魚屋さんが天秤棒に担いで走る。
人が自分の足で走るんです。山越えです。箱根駅伝どころの話じゃないですね。
若狭から京まで十八里といいますから70km余り。いつごろまでそうして人力でまかなっていたんでしょうか。
日本の魚屋さんは凄い! 凄かった!
もちろん魚屋さんは1人で走っているってことはないでしょうから、鯖街道を天秤棒担いだ集団が、旬の素材ごとに日常的に駆けていくんですから、壮絶な光景だったろうと思います。
のどかな田舎道とは程遠い感じ。山のキツネやタヌキもウカウカできなかったでしょうね。
で、魚屋さんが天秤棒担いで走って来て、京の町家で台所にのぼるころに、塩加減がちょうどよくなる、と大村さんは言っています。ぐじですね。
時代劇でしか見ることのない天秤棒。いわゆる棒手振りという商売形態なんですが、ぐじばかりでなく、代表的な鯖とか、他の魚介類もそうして運んでいたんだろうと思われますが、肩に担いで走るんですからね。驚きます。70㎞以上ですよ。
マラソン選手なみ。いや、それ以上です。
昔の日本にはそういう韋駄天がたくさん居たってことですよねえ。塩田で働いていた人たちもそうらしいです。
走る走る、山だろうが砂浜だろうが、荷物担いで全力疾走。
そういえば、昔のオリンピックでは日本人選手、マラソン速かったですもんね。
まだ寒いさなかの京に、天秤棒で走り運びこまれる塩振りのぐじ。
お得意さんとなっている町家の台所に届けられるんでしょうね。
今でいうなら、若狭湾の市場からクール宅急便で直送ってところでしょう。トラックでね。
走り届けてくれる棒手振りの汗ばんだ顔に、季節の香りと、ありがたみと、また春がやってきたんだなあという一市民としての感慨があっただろうことが、エッセイから伝わってきます。
そりゃ、あだやおろそかには扱えません。
しっかり料理します。
春のぐじ。
酒蒸しというのはおばんざいのなかでも上等な部類らしいです。
大村さんの包丁さばき。
ぐじを、まず三枚におろす。意外に京女は魚の扱いが上手なのかもしれません。
酒蒸しにしますから、うろこは丁寧に剥ぎます。刺身包丁で尾の方から「すきぶき」という技でそぐようにする。
おおっ、プロっぽい。と思ったら、続く文章で
「しろうとにはちょっとむつかしいので、お魚屋さんにやってもらう」
と、いたって正直であらせられる。
とすると三枚におろすのも、これはお魚屋さんの仕事ってことでしょう。ま、何も問題なしです。そういう方が納得です。
で、台所に持ってきたぐじを、小骨を抜いて、切り身にして、熱湯をかけておく。
酒と昆布だしで蒸す。蒸しあがったら三つ葉を添えて。
味はぐじの塩加減、蒸しに使う酒の甘口、辛口だけによって決まる。ので、味の引き出し方がむつかしい、とおっしゃってます。
春を迎えようという心づもりの料理。ぐじの酒蒸し。三つ葉の青がポイントなのかもしれませんね。んまそうです。
でも酒蒸しってそんなに食べません。
居酒屋さんメニューのアサリの酒蒸しがせいぜいで、あまり縁のなくなった食べ方かもしれません。
ぐじの酒蒸し。食べたことないです。
今でも京都では食べられるんでしょうかね。
市ヶ谷にあった定食屋さんのメニューに、おばんざい定食というのがありまして、何回かいただきましたが、どれも煮物だった記憶です。
ンまいことはンまかったですが、蒸し物とかはなかったですね。たぶん。
もちろん、昼の定食ですから、コスト的にも手間のかかるものは出せませんよね。はい。
おばんざい。いろいろありそうです。
ちなみに若狭、福井県の鯖。近年はめっきり漁獲量が減っているそうです。ぐじとかのどぐろの方がメインになっているのかもです。
<ぐじの酒蒸しの身体に旨い満足度>
ぐじは魚の中でも脂肪が少ないんだそうです。なので、メタボ対策としてもイイお魚さん。
他の食材からは摂りにくいビタミンB12、血液サラサラ成分の不飽和脂肪酸が豊富だそうで、けっこう健康の味方。
ぐじの身はとても柔らかいのが特徴で、刺身でも食べやすい魚だそうですが、水分が多いので、なにせ塩をしてから調理するのがンまい食べ方なんだそうです。
ぐじ、甘鯛ねえ、ちと高い魚になっていますよねえ。縁遠い感じですが、出会ったら味わってみたいと思います。
<ぐじの酒蒸しの心に旨い満足度>
酒蒸しは、大村さんの言うように酒の種類の選択が重要ですよね。
自宅で作る場合ですね。
料理酒でイっか、というのも否定はしませんが、ぐじ、高級魚ですしね、それに負けないちょっと贅沢な酒を使うのがイイと思います。
味も大事ですが、蒸しの醍醐味はなんといっても湯気と共に立ち上ってくる香り。
香りのいい日本酒。北陸の銘柄もイイでしょうし、秋田、山形の日本酒。太平洋側の日本酒を使ってみるのもイイと思います。
何回もできる料理ではないかもしれませんが、そういう楽しみ方で、季節を演出してみるのは、日本人としての気持ちにンまいのではないかと。
<ぐじの酒蒸しの酒のアテ満足度>
ま、ここではおばんざいとして取り上げてみたんですが、そもそもは酒のアテなんじゃないかと思いますです。
ンまいに決まってますね。
蒸しに使った日本酒を熱燗で、とか、イイんじゃないでしょうか。
でも熱燗でいくなら、蒸しに使った酒よりランクダウンでもイイかも。
ぐじの香りを邪魔しない種類の酒を。
なんにしても贅沢なおばんざいです。
<ぐじの酒蒸しの酒の〆満足度>
大村さんによりますと、豆腐、しいたけ、生麩だとかを加えて蒸せば、しっかりしたボリュームのおかず、おばんざいになるそうです。
そりゃそうでしょうね。
<食べたことのあるおばんざい なにがベスト?>
“おばんざい”というのは、京の一般家庭の普通の食べもの、おかず、なんだそうで、昔の京都人が東京辺りで「おばんざい定食」とかいうメニューを見ると「なんですやろ?」となったという話を聞いたことあります。
「おかず定食」ってニュアンス。
ごはんのおかず、菜ということで「お飯菜」からの名前という説があります。なるほどなネーミング。
ほかに「お番菜」という説もあります。
番という言葉は、ツガイと読む場合は組み合わせというニュアンスですが、バンと読む場合もやっぱり何かにくっ付いているニュアンスがありますね。
順番の番というのも集団だからこそ出てくるルールみたいなものですから、人と人がくっ付いている状況。
店番、番記者という使い方も店の中にある品物や、政治家だとかの特定の人にくっ付いているニュアンスがありますよね。
そこから派生したのかもしれませんが、番という言葉の下位の方の意味には、有象無象、粗末なものというニュアンスもあって、番傘、番茶という名前が生まれたらしいです。
その「お番菜」粗末なごはんのおかず。
これもこれで、ほほうって感じです。
ま、ぐじの酒蒸しに限らず、今となってはかなり高級な“粗末なおかず”っていうのもありますけれどね。
そんなこんなで、おばんざいに決まりはないそうなんですが、東京近辺ではあまり身近な食べものではない感じです。
ま、高級店のメニューは知りませんけれどね。
おばんざい、と銘打って出してくれる一品。どこの何がンまいですか?
京都の人。今でも普通におばんざいって言ってるんですか?