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【侘び寂びサイバー】って なんのこっちゃねんっ!

< 日本文化の中心思想って言われる「侘び寂び」と「サイバー」がくっ付いちゃって >

最新作「ポーの一族 秘密の花園」も好評だそうな萩尾望都さんですが、2009年にナポリ東洋大学アジア学科で「少女漫画 少女達が夢見た世界」っていう講演をしたんだそうですね。
2009年発売の「夢見るビーズ物語」っていうコミックエッセイ集を読んで知りました。

 

さすがですね。国際的にご活躍です。


その講演は「侘び寂びサイバー会議」の中で行われたってことなんですが、イタリアで侘び寂びの会議? って思いますよね。しかも後ろに「サイバー」っていうのがくっ付いてますよ。


なんなん?

 


調べてみますと
「侘び寂びサイバー会議は現代と伝統の相互関係を取り上げます」
なんだそうです。


現代っていうのがサイバーで、伝統っていうのが侘び寂びってことなんでしょうかね。
ナポリ東洋大学って初めて聞きましたが、その名の通りイタリア、カンパニア州ナポリにある大学で、創立はなんと1732年。


18世紀初頭、中国が清王朝になって開放政策を取り始めたんで、中国でのキリスト教布教活動が盛んになった。
そんで、イタリア人宣教師が中国人キリスト教徒を連れ帰って「中国学院」を創設したのが始まり。だそうです。


まあ、当然のようにヨーロッパにとっての東洋といえば中国ですね。陸続きですからね。
この時の日本はキリスト教を禁止していた江戸時代、享保の大飢饉が1732年です。


「中国学院」は19世紀に「王立アジア学院」となって中国ばかりじゃなくって、多くの国の言語を学ぶ場になっていって、ナポリ東洋大学となった現在では世界50か国の言語を学べる大学になっているんだそうです。


「侘び寂びサイバー会議」は2005年から始められている「ニッポニカ」日本、イタリア文化協会の企画の一環として行われている会議体らしいんですが、「現代と伝統の相互関係」ってなんだか興味深いんですが、難しい感じもします。


侘び寂びって、令和日本でみんなが口にするような言葉じゃないですもんね。
メディアなんかでもあんまり聞きません。


そもそも今の日本で「侘び寂び」って、そういう一語、1つの単語みたいに捉えている人もいるんじゃないでしょうか。


知っている人にはわざわざ言うまでもないことでしょうけれど、「侘び」と「寂び」は意味の違う2つの言葉です。


で、改めて侘びってナニ? 寂びって? となりますと、うまく説明するのって難しいです。
なにせどの言語にも翻訳できない日本語の代表みたいなもんですからね。


ちょっと真面目に調べ始めると、けっこう哲学的な言い回しの説明がドドーって出てきて、結局なんやねん!? ってことになっちゃいがちに思えます。
それに、最近の使い方としては2つの言葉を一緒にして「侘び寂び」っていう言い方をすることも多いですからね、意味として捉えどころが変化してきている可能性もあります。


いやいや、元々の意味があるんだから変化するっておかしいでしょ。っていう捉え方が尤もだろうとは思いますが、そもそもの意味と現在の意味が違っている日本語っていうのも少なくないです。


たいていの場合、口にする時に「ワビサビ」って言いますよね。「サビワビ」とは言いません。
ですが、言葉の意味を理解するのに便利なのは「サビワビ」の順番の方だろうと思います。個人的にですけどね。


サビ、寂びっていうのは乱暴に言ってしまえば「錆び」です。
経年劣化ってやつですね。


モノはなんでも時間の経過に従って、色褪せたり、形が崩れたりして劣化します。
陶器だとかは割れちゃったりもしますね。
そうして劣化した姿の「美しさ」が「寂び」なんですね。


そして、その「寂び」を美しいと感じる、ものを見る心が「侘び」ってことなんです。


なんだか分かったような分からないような、って感じでしょかねえ。

 


ソシュール記号学で言う「シニフィエ」と「シニフィアン」っていう概念に似ているかもしれません。


記号学言語学ですからモノじゃなくって言葉なんですが、「皿」っていう言葉そのものをピックアップしてみます。


「皿」っていうこの文字を見たり、発音を聞いたりしたときに、普通に使っている、見慣れた生活道具の「皿」を思い浮かべますよね。そのイメージされる「皿」が「シニフィエ」です。
「皿」っていう文字や音声が「シニフィアン


シニフィアン」が「意味しているもの」で、「シニフィエ」が「意味されているもの」なんですね。


侘び寂びに関係づけてみますと、侘びがシニフィアンで、寂びがシニフィエ


ますます難しくしてるやん! ってことになっちゃいましたかね?


も1つ、別の方面から。


京都市左京区にある臨済宗のお寺「慈照寺(じしょうじ)」
ここは東山文化を代表する「銀閣寺」の名前で知られていますね。

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金閣寺」の北山文化と比較されることが多いですが、室町幕府8代将軍の足利義政の開山です。


金箔鮮やかな金閣寺に比して、質素にさえ見える木造二階建ての「銀閣」は慈照寺の観音殿なんだそうです。


一日も早くインバウンドが戻って欲しい京都観光だとは思いますが、観光客の目は、どうしても金閣寺に集まりがちらしいんですね。
北山文化、3代将軍足利義満、凄い! ってことですよね。


さすが世界遺産、ってことで分かりやすいんです。ピッカピカです。


一方足利義政っていう人は、あんまり評判の芳しくない将軍サマです。
なにせ応仁の乱の時の将軍ですからね、無能、とか言われちゃったりもします。


銀閣を見ても、なんやねん、ちょっと大きいだけの普通の木造建築やん。なんでこれが世界遺産やねん!
っていう評価になりがち。


でもですね、銀閣こそが「寂び」を具現化しているんだと思うんですね。


将軍としては、つまり政治家としては活躍できなかったらしい足利義政ですが、一級の文化人であったことは間違いなさそうです。
自然の景観の中の金ぴか金閣寺より、しっとり京都の緑の中に溶け込んでいるのが銀閣寺じゃないでしょうかね。


そして、経年劣化を考えてみますと、金閣寺をメンテするのは大変だと思いますが、銀閣寺はその劣化が、枯れていく様を見せてくれているように感じられて、日本人の心を落ち着かせてくれるんだと思うんですね。


銀閣寺を見て、どう思うか。何を感じるか。あの静かさはあそこにしかないんですよね。


銀閣寺が「寂び」「シニフィエ


その銀閣寺を鑑賞する側の気持ちが「侘び」「シニフィアン

 


って、こんなところで切り上げておきますが、焦点はここじゃないんです。「侘び寂びサイバー」です。


イタリアの大学の会議体で「侘び寂び」とネット空間としての「サイバー」について議論されているって、すばらしいことだとは思うんですが、侘び寂びの国であるはずの日本ではどうなんでしょう。


サイバーはダメダメだし、もののあわれを感じ取れる心、忘れ去られていませんか。


日本、大丈夫?


なんかね、コロナが治まりかけてきているのかな、ってなった2021年の初冬。
死刑になるために人をたくさん殺そうと思った、とか言ってる事件が頻発しちゃって、なんでそういう心理状態になってしまうのか、普通には理解しがたいところですが、そんな報道に触れて、侘びと寂と、日本で独自に醸成された心理的文化、国民性の根底みたいなところが無くなってしまっている令和なのかなあって、思ってしまったでありますよ。


今は案外イタリア人の方が侘び、寂びについて理解している可能性もありますよね。
ホント、日本、大丈夫なんでしょか。なんだか心配になって来ます。


鎌倉幕府3代将軍、源実朝になぞらえて評価する人も居る足利義政ですが、銀閣の完成を見ることなくこの世を去っています。


実朝は悲劇のヒーローで、義政はアンポンタンって評価する人、侘び寂びを分かっていないんじゃないのかなあ。
日本人の、なんとも日本的な心の自由、審美眼。どっか行っちゃったんですかねえ。。。


良く生きるための頑張りのベース。侘びの獲得。寂びの理解。いとをかし。。。