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【オールドファッションド】昭和レトロとか平成レトロとかって なんで人気なんだろ?

< なんか安心できる物や場所に いつだって懐かしい気持ちが湧いてくるのはなんでだろ? >

TBSラジオの「伊集院光とラジオと」っていう番組がありまして、朝8時半からやってます。おそらくたぶん全国ネット。
で、月曜日のコーナーに「昼間のAMラジオで聴くと「ああー」って思う歌コーナー」っていうのがあります。


いつも用事しながら「斜め聞き」しているんですが、このコーナーの「昼間のAMラジオで」っていうのは、その曲をはっきりと意識して、聴こうとして聞くんじゃなくって、やっぱりね、なんか用事しながら付けているラジオ。


そんなラジオから聞こえてくる音楽。しゃべりがメインのAMラジオ、って意味なんだろうと覆います。
知ってる曲が流れてくれば、自然に、用事を続けながら鼻歌を歌っちゃうってこと、あると思うんですね。


ラジオとの付き合い方って、そういうのがスタンダードなんじゃないでしょうかね。
正座して付き合うようなもんじゃない。でも、耳はそっち向いてる。


ラジオのニュースなんかでも同じなんですが、キチンと聞いていないようで、実はちゃんと耳に入ってきているもんですよね。
眼と手と、脳みその半分以上は用事にかかりきりなんだけれど、耳は不思議に用事に関連ないことが聞こえてきても手を止めることなく、用事を続けられますね。


さらに言えば、いろんなところから、いろんな音が聞こえてきても、わりとヘーキで何でも聴き分けられちゃう脳みそは、女の人の「おんな脳」
「おとこ脳」は、そういうのが不得意なんだそうですよね。


もちろん、出来ないってことじゃなくって得意不得意の比較のモンダイなんでしょうけれどね。

 


スマホが普及する前のイエデン全盛のころの有りがち家族光景として、テレビを見ながらの食事、食卓を囲んでの楽しい一家団欒。っていうのがありますよね。サザエさん家みたいに。


お母さんと2人の娘さんは、何がおかしいのかキャハハと笑い合って盛り上がっております。
こういうとき、お父さんのお決まりのヒトコト。


「うるさいあな。テレビが聞こえないじゃないか」


お父さんは、耳に入ってくる幾つかの音の中から、自分に必要な音だけをピックアップすることができないんです。不得意。


と、そこへイエデンが鳴ります。スマホみたいに和音の呼び出し音じゃありませんよ。ジリリリッっていう無愛想なベルの音です。サザエさん家みたいにね。


お母さんがスッと出ます。
ワンオクターブ高い声で応答しますね。


で、ひとくさり社交的なことをしゃべって「お父さん、〇〇さんから」とかいって、受話器を置いて、また娘たちとのおしゃべりに戻ります。


オクターブもいつも通りに戻るんですが、電話応対していた間の娘たちの話の内容も違和感なく聞こえているんですね。すぐに母娘の話はキャアキャア盛り上がります。


一方、お父さんは一つぐらい咳払いなんかして受話器を取ります。「はい、もしもし」
で、すぐに「おい、テレビ低くしてくれ。お前たちももっと静かに話しなさい」
ってこうなりますね。


お父さんはたいてい、聖徳太子の耳を持ってはいません。


そうした「おとこ脳」「おんな脳」とは関係なく、「昼間のAMラジオで聴くと「ああー」って思う歌コーナー」の話です。


ラジオから聞こえてくる音には、耳だけを持っていかれるので、その時やっている作業に影響はないんですよね。これはお父さんでも大丈夫です。耳に入ってくるのはラジオの音だけですから。


ところがです、このコーナーで言う「ああーって思う歌」っていうのが「ああーって思う」ってところがミソですよね。
なんだか得体の知れない気持ちに、耳だけじゃなくって、脳、気持ちが反応してしまいます。


ああーって思うその時は、ほんの短い間ではあっても、手が止まります。


「ああ、あったあった。これ、流行ったんだよなあ」


で、まあ、すぐに仕事、用事に戻るんですが、たぶんね。男女の別なくね。


しばらくは、作業効率落ちますね。
頭の中が「ああーって思う歌」に持っていかれているからですね。


そういう歌があったら教えてね。これだったら一定数の人が「ああーって思う」よねえっていう歌をリクエストして頂戴っていうのが、このコーナーなんですね。
TBSラジオの「伊集院光とラジオと」

 


こうした日常の微妙な心の動きに注目するのが、なんとも巧い伊集院光氏でありますね。
元、落語家さんらしいですね。
正座が辛そうだなっていう大きなお世話。。。


で、この「ああーって思う」気持ちって、なんなんでしょうか。


その日その時に予期していない、ある種のノスタルジー、懐かしさに囚われてしまうような、不思議に甘美な気持ち。「ああーっ」ってなっちゃう気持ちの揺れ。


例えば、突然聞こえてくる昭和歌謡曲。


で、ここでまたひとつ不思議なのは、ノスタルジーに引き込まれてしまったその曲が、必ずしも大好きな曲に限られていないっていうことです。


AMラジオから聞こえてきた曲が、知ってはいるけれども、もちろん嫌いじゃないけれども、好きじゃなくたって「ああーっ」ってなります。ノスタルジーです。


実はこれ、ラジオから何気なく聞こえてくる楽曲に限ったことじゃないですよね。


なんでもない小物。流行ったオモチャ。街を歩いていて、ふと目に入ったそういう物を目にしても「ああーっ」ってなります。
なんとなれば、懐かしさも何もないはずの、初めて行った場所、その風景に「ああーっ」ってなることさえあります。デジャヴュってやつなんでしょうかね。


人間は不思議な生き物ですね。


人間のDNA解析が終了したのはいつだったでしょうか。一応の終了が発表されてから少し時間が経っていると思いますが、DNA解析に人間の不思議さを解明できる要素は期待できないんだそうですね。


ヒトゲノムの解析を待たなければならないって話を聞いてからも、けっこうな時間が経過していると思うんですが、その後、芳しい成果は出てきていないのかもですね。
なにも発表されていませんよね。ま、簡単なことじゃないんでしょうけれどね。


令和になって3年。


「平成レトロ」なんていう概念も出てきました。その前は「昭和レトロ」でしたね。


過ぎてしまったら、途切れてしまったら、すぐレトロ?


ま、ブームっていうのは、えてして商売としての仕掛人が居たりするもんですが、例えば「昭和レトロ」の購買層には平成生まれの人も含まれていますよね。
知らないでしょ、昭和。


もちろん、年号が変わったからといって、そこに何か具体的な線引きがなされるわけでもありませんから、レトロブームっていうのは、人間が自然に持っている「古いものへの安心感」みたいなものがベースにあるのかもしれません。


骨董好きの根っこにありそうな感覚。


「オールドファッション」ってミスタードーナツの専売特許なのかぐらいに思っていて、凄いネーミングセンスだなあって思っていたんですね、ずっと。


ところが、いつの頃からかセブンでも買えるようになりましたね。

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単に英語としての「oid fashioned」からのネーミングらしいです。「ド」が取れただけ。


昔のドーナツっていうのは、粉とか油とかのクオリティが原因で、必ず割れて出来上がったものなんだそうで、今現在のオールドファッションは、わざと割れ目が出来るように作っているんだとか。


へええ~、です。作られたオールド。「oid fashioned」


チョコのかかったオールドファッションとか好きですけれどね。


日本語的なニュアンスとしても「オールドファッション」って、ある種の概念を形作っているようにも思います。ドーナツじゃなくて、一般的な受け止め方としてです。


レトロブームにも通ずるものがあるんじゃないでしょうか。


古いからイイ、っていうのとは違いますよね。古ければ、というものじゃない何かが、その物、その場所にあるんでしょうね。


「ヴィンテージ」「アンティーク」っていう表現もあります。


で、調べてみましたら、ヴィンテージってワイン醸造の工程で「ブドウの収穫から瓶詰まで」のことを言うんだそうです。これから派生して「ぶどうの収穫年」って意味で使われるようになった。


そういえば、こじゃれた店なんかだと「このワインは〇〇年のヴィンテージものです」とか言ってるの、聞いたことあります。


ぶどうの収穫年の記載されていないワインは「ノンヴィンテージ」


ふううん、です。収穫年とか書いてあんの? ラベルとか見ませんからねえ。
瓶の中身、入れ替えられちゃったらさあ、って意地悪は、誰もしませんね。はい。


で、ワインもある程度寝かせてあるボトルっていうのはプレミア的にオタカイですよね。


二十歳のお祝いに、誕生年のワインを、っとかね、バブルの頃は流行ってました。20年モノ。
その辺りからヴィンテージって言えば、なんとなく高級品っていうイメージが付いたんでしょうかね。

 


服とかジーンズとかもヴィンテージって言いますよね。


ファッション業界的には、ちゃんとした定義があって、完成品として作られてから30年以上経っていないとヴィンテージって言っちゃいけないんだそうです。


で、作られてから100年以上経って、まだ、ちゃんと価値のあるものが、アンティーク。


アンティークショップって、けっこうありますよね。100年以上経ったものばっかり扱ってるの?
どうなんでしょ。ほとんど骨董じゃんね。


作られて、流行って売れて、数年経ったらダサッって言われ始めて、敬遠されて、忘れられて、でも30年ぐらい経って、まだ製品として成り立っていれば、また別の魅力が出てきてヴィンテージ。


100年経っても、まだ製品として成り立っていれば、そりゃもうアンティーク。


オールドファッションっていう概念は、ヴィンテージ、アンティークとは、なんだか種類が違うような気がしてきました。


オールドファッションのファッションは、オシャレな方のファッションじゃなくって、生活様式みたいなイメージのファッション。なのかなあと。名詞とか動詞とか過去分詞とか、そういうのから離れている感じ。


特に流行りに乗ったり、もてはやされたりしていなくたって、そういうのあったねえ、っていうノスタルジー


なんとなれば経過した年数も、全然重要じゃなくって、数年前に聞いた歌だって、その人にとってのオールドファッションと言えるのかもです。


今ですね、コロナ禍の生活の中で、自覚していないストレスを抱え込んでしまっている日本人が、かなり居るんじゃないかって話があるんですね。


たしかにね、コロナ前と変えようのない仕事の人だってたくさん居ますけれど、決して同じようには生活できていませんよね。
誰だって行動変容しちゃってます。させられちゃってます。


重くないのかもしれないけれど、大きなプレッシャーが常にかかり続けています。
それは通常の仕事の他にかかっているプレッシャーです。


そうしたストレスがだんだん溜まって来て、潰されちゃいそうになっている男女。けっこう居ますよね。
他人事じゃないんですよ、きっと、みんな。誰でもです。ただ気付いていないだけ。


「ああーって思う」自分だけのオールドファッション。大事なんだと思います。


ふっと自分に気付かせてくれる。ああーって、自分っていうものを取り戻した瞬間なのかもです。


忘れている、自分の感性。楽しいと思うもの、愛おしいと思うもの。けっこうあるはずなんですよ。
他人様と同じじゃなくってもイイ。自分だけのオールドファッション。


なぜか懐かしく感じるものや、場所。


他人にとってはただ古臭いだけかもしれない、懐かしい安心感。
他人に分かってもらえなくたって、共感できなくたってイイ。
自分だけが享受できればイイっていう種類の、特別な安心感。


ま、ドーナツに限らず、懐かしい安心感を感じられる食べものっていうのもありですよね。


理由とか無く懐かしくって、ホンネで旨いと思える料理を食べると幸せな気持ちになって元気になれそうです。


まだまだ続きそうなコロナ禍のソーシャルストレスです。
少しだけ、自分自身を気遣う時間を持って、自分なりのオールドファッションに接する機会を作っていきたいと思います。


Just an old fashioned love song
Playing on the radio


1970年、スリードッグナイトのヒット曲です。
ただの古いラブソング。ただ古いだけの歌。
「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」っていう歌です。


世代ごとにあるんじゃないでしょうか。自分の世代の、自分だけの「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」


ホントの自分に気付けるきっかけになる「oid fashioned」

 

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