ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【金羊毛騎士団】中世の話ちゃいまっせ 21世紀の今でも続いてまんねや いやほんまに

< ラ・マンチャの男が取り込まれてしまったという騎士道世界を今に引き継ぐ金羊毛騎士団 >

日本でいうと「応仁の乱(1467~1477)」っていうのが、誰が敵で誰が味方なのか、かなり分かりにくいですし複雑な戦争ですよね。
10年も続いた血生臭い混乱。


応仁の乱は内戦っていう言い方の方が普通なのかもですけど、当事者たちにしてみれば「家」の利益、名誉の戦いであって、日本1国の中の内戦っていう意識なんてかなり薄かったんじゃないかって思いますね。


国よりも家。個人。このころから「一所懸命」っていうことだったのかもですねえ。一生じゃないです。
駆け引き、離反、裏切り、人間の欲が渦巻いて、都は灰燼に帰すし、世の中がウンザリするほど複雑になった原因。


ところがヨーロッパにはその戦いの期間といい、複雑な絡み合いといい、応仁の乱のちょうど十倍ぐらい掴みづらい戦争がありますね。
俗に言う「100年戦争(1337~1453)」です。

 

 

 


なんかね、タイミングっていうことで見てみますと、応仁の乱の直前に一応の終戦を迎えているイギリスとフランスの戦争なんです。


でもあれですね、100年戦争の分かりにくさは、イギリスとフランスの、っていうほど明確な線引きが出来ないところから始まります。
当時のイギリスは、フランスの貴族がほぼ全土を勢力圏に納めていたわけで、フランス王も含めたフランス貴族同士の戦いっていう側面が事情をややこしくしているんですよね。


応仁の乱の事情と同じように、国っていう概念じゃなくって、貴族家です。家の争い。


ヨーロッパ全体として、王家一族が複雑に血縁関係を結んでいますし、今の国っていう概念がどのくらいあったのか。さらには十字軍の遠征っていうのも1291年を最後に途絶えてはいますが、100年戦争の頃にも計画は何回もされたみたいですからね、日常が不穏な空気に包まれていたって言えそうな時代です。


ま、今もそう変わらない感じになっちゃいましたでしょう、っていうご意見も出そうなことではあります。


100年戦争の終戦によって、今につながる国っていう概念、国境が明確になったっていうこともあるんだそうです。


フランスのカペー王朝に男子の継承者が無かったんで、フランス国王の身分を誰が引き継ぐかっていう争いが100年戦争直接の引き金になったようですが、フランス、イギリスばかりじゃなくって、スペイン、ネーデルランドを戦場として、各貴族がにらみ合いを続けて、あっちで戦争があって停戦。こっちで小競り合い、っていうのが116年も続いたんですね。


互いに争い合った貴族家の中の1つにブルゴーニュ公国っていうのがあります。


今のフランス東部、ブルゴーニュ地方って言われる地域ですね。ワインの名産地として知られていると思いますが、100年戦争当時は毛織物が盛んで、ヨーロッパ経済の中心地として栄えていたそうです。


ブルゴーニュの毛織物の材料を提供してくれる羊毛は、イギリスの主要産業。
1336年、イングランドエドワード3世はブルゴーニュに対する羊毛の輸出を禁じます。このことによってブルゴーニュ公国も100年戦争に積極的に関わらざるを得なくなったようです。


100年戦争が始まった1337年当時のブルゴーニュ公はカペー家のウード4世。


で、戦争の時代が進んで、1350年にウード4世のあとを4歳で継いだ孫のフィリップ1世が1361年、15歳で早世してしまうと、1363年まで、ブルゴーニュ公国はフランス王国に統合されます。
家の関係ですね。跡継ぎ問題ってややこしいんです。

 

 

 


1363年にヴァロワ家のフィリップ豪胆公がブルゴーニュ公に封ぜられて、ヴァロワ家のブルゴーニュ公国が始まります。


フィリップ豪胆公は政略結婚などでブルゴーニュの勢力を一気に広めます。豪胆、だったんでしょうねえ。


1404年にフィリップ豪胆公のあとを継いだジャン無怖公は、本家であるフランス王家シャルル6世の摂政権を巡ってオルレアン公ルイと対立。ルイを暗殺しますが、1419年、フランス王シャルル7世によって暗殺されてしまいます。
権力闘争ですね。無怖公、暗殺されちゃいます。100年戦争のややこしさがアップしていきますね。


このことがあってからブルゴーニュ公国はイギリスと同盟を結んで、フランス王国、そしてオルレアンと戦うことになります。
100年戦争の中でブルゴーニュ公国のポジションが定まらなかったのは、ここに、暗殺の連鎖に原因があったんですね。


暗殺されたジャン無怖公のあとを継いだのがフィリップ善良公、「フィリップ3世(1396~1467)」です。


善良公って称されているぐらいですから、ブルゴーニュ公国にとって名君だったっていうことでしょうね。
イギリスと同盟を結んでいたものの、積極的には100年戦争に加担するこなく、フランス国内での領土拡張につとめたそうです。


このフィリップ善良公が1430年に創設したのが「金羊毛騎士団」です。


元々毛織物の盛んな地域、ブルゴーニュ公国だっていうことでも羊繋がりなんでしょうかね。


「金羊毛」っていうのは、ギリシア神話に出てくる秘宝の1つで、翼を持つ金色の羊の毛皮。
ギリシア神話の中の「プリクソス」と「イアーソンの冒険」に出てくるのが「金羊毛」


金羊毛騎士団」は聖アンデレっていうイエス使徒の一人を守護聖人としています。
ガリラヤ湖で漁をしていた時にイエスに直接声をかけられて弟子になった、とされている聖人です。


異端を排除してカトリックを守護することを目的の1つにかかげているのは、十字軍への参加を見据えていたからでもあるそうです。


明確な規律を定めて、騎士団集会を開催して、騎士道を確立。
シンボルとした「金羊毛勲章」は今に引き継がれているんですね。


当初31名だったとされている金羊毛騎士団員は、ブルゴーニュ貴族の身分、地位のアイデンティティとして扱われて、「金羊毛騎士団」が騎士道をピークに導いたってされています。


金羊毛騎士団」が創設された1430年という年は、100年戦争のヒロイン、ジャンヌ・ダルク(1412~1431)が捕縛されてイギリスに引き渡された年でもあるんですね。
そうです、ジャンヌ・ダルクを捉えてイギリスに引き渡したのはブルゴーニュ公国軍なんです。


なんだか複雑な気持ちになってしまう、オルレアンとブルゴーニュの関係です。


どっちつかずの作戦をとってきたフィリップ善良公は、このジャンヌ・ダルクの死の辺りから、イギリスから離れ始めて、フランス軍に加盟していくんですね。


100年戦争に2回も大きな転換点をもたらしたブルゴーニュ公国でしたが、100年戦争は1453年に一応の終戦を迎えます。


戦争は終わりましたが「金羊毛騎士団」は続きます。
1467年に「金羊毛騎士団」の団長でもあったフィリップ善良公が死去すると、息子のシャルル突進公がブルゴーニュ公と「金羊毛騎士団」の団長を引き継ぎますが、なんせ突進公って言われる人ですからね、1476年、戦死してしまって実質的にブルゴーニュ公国も崩壊してしまいます。


それでも「金羊毛騎士団」は続きます。
金羊毛騎士団」はシャルル突進公の娘、マリーがハプスブルク家に嫁いだことによってハプスブルグ家によって継承されて、ハプスブルク家第3代神聖ローマ帝国皇帝のカール5世(1500~1558)によって団員が51名に増やされながら存続していきます。


カール5世のあと、ハプスブルク家はスペインとオーストリアの2家に分かれます。
ね、やっぱり、ややこしいんです。


金羊毛騎士団」も「スペイン金羊毛騎士団」と「オーストリア金羊毛騎士団」に分かれて存続していくんですね。


ヨーロッパで最も確実なステータスとして認知されていた「金羊毛騎士団」は、多くの騎士物語を生み出すペーソスになって、 その騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなったっていうのが、我らがヒーロー、ラ・マンチャの男ドン・キホーテ」ですよねえ。
安売り王の方じゃなくって、風車を相手に戦う方の「ドン・キホーテ」です。


ドン・キホーテ」って「金羊毛騎士団」が生み出したヒーローってことが言えるのかもです。

 

 

作者のミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(1547~1616)は、スペイン、マドリードの人で、前編が発表されたのは1605年です。


で、2つに別れてしまった「金羊毛騎士団」ですが、第一次世界大戦後のオーストリア革命によって、オーストリアのハプスブルグ家は帝位を失ってしまうんですね。
オーストリア金羊毛騎士団勲章」は国家っていう権威を失ってしまいます。


ですが、オーストリアハプスブルグ家の「栄誉」として存続しているようです。


一方の「スペイン金羊毛騎士団勲章」はハプスブルグ王朝からいくつかの王朝を経ながら存続していて、現在は第3次ボルボン朝。王家最高位の勲章として権威は継続しているんですねえ。
1430年からですから、2022年時点で592年。凄い伝統です。ステータスです。

 

 

 


「スペイン金羊毛騎士団勲章」現代の受賞者は、カトリック教徒や男性に限定されてはいなくって、なんと、日本の天皇が4代に渡って授与されているんですね。日本の天皇、スペイン金羊毛騎士団員です。


明治天皇が1883年、明治16年に、大正天皇が1896年、明治29年に、昭和天皇が1928年、昭和3年に、そして令和天皇、現在の明仁上皇が1985年、昭和60年に授与されているんです。


ただですね、令和天皇は2022年末時点で授与されていないんですよ。なんででしょ。


これね、日本のメディアでは大きく報道されることは無さそうなんですけど、宮内庁の大失態が原因なんじゃないかって、個人的に思っているですねえ。


1994年、当時の平成天皇美智子皇后とスペインを訪問したとき、授与されていた「スペイン金羊毛騎士団勲章」を持っていくのを忘れちゃったらしいんです。
平成天皇から確認されて、忘れたことに気付いた宮内庁職員が急遽日本からイベリア航空の「機長託送」でマドリードまで送ってもらう手はずを整えたんですが、なんと、「スペイン金羊毛騎士団勲章」紛失!


平成天皇スペイン王室から借用して晩餐会等に出席。
宮内庁、大失態を犯してしまってるんですね。


それまで4回の授与をみてみますと、明治天皇以外は、皇太子時代に授与されているわけです。
令和天皇はもう天皇になっていますからね。やっぱり、宮内庁、大失態です。


ま、日本人の団員がいようがいまいが、「スペイン金羊毛騎士団勲章」は存続していくわけですけどね。


紛失してしまった「スペイン金羊毛騎士団勲章」ってどこにいったんでしょうか。
誰かの個人コレクション!?


金羊毛騎士団」の歴史と、宮内庁大失態の話でした。
ナイショ、ないしょ!