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【手帳日記のすすめ】盛らない自分に戻るためのSNSとの付き合い方

< タテマエ ソンタク っていう日本文化から無理に離れようとしないでウマクやる >

リア充アピールにはホンット、ほとほと疲れちゃったんで、自分のアカウント削除です。SNS、さ~なら~。
っていう話をよく聞くようになってきた、ような気がする2022年。


ま、もうちょっと前から「SNS疲れ」っていうのが話題になっていましたね。


無理してまでやることないじゃん! って批判するのは簡単ですけど、やるでしょ、みんな。やっちゃうでしょ。
世の中、なんだかそういう流れだよ、って言われちゃうと、そんじゃあ、自分もやってみるべえか、ってなるのが日本人ですもんね。


いやホント、そういう国民性って言いますか、みんながやっているモノは、ゆる~く正義、みたいな感覚ってありますもんね。
同調圧力に弱い国民性。知らんけど。


学校で話題になっている番組は一応見ておかないと話の輪に入れないからね、っていうような生活態度って子どもの頃から別に不自然とも思わずにやって来ちゃっているのが、大多数の日本人ってもんでしょ。

 

 

 


いつからそういうふうに、忖度、建前を優先して、本音を隠すような風潮になったのかは分かりませんが、LINE、TwitterInstagram、え~!? やってないの~!? とか言われちゃうのはヤだから、アカウント登録。
で、やり始めたらなんとなくリア充アピール合戦になっちゃう。


そもそも、って考えてみますと、リア充アピールって、自慢の一種ですもんね。
無理な自慢するのって、そりゃ疲れます。


実生活がいつも充実している人って、特に頑張ってアピールするようなことしないでしょ。


ホントにリア充な人がそういう写真と文章をアップしたとして、当人にアピール意識があるんじゃなくって、それを見た充実していないって言いますか、実生活に不満を抱えている人が、コンニャロ! 自分ばっかりイイことしやがって! とかね、よオし、ここはひとつ自分だって、ってそういうところから始まるリア充アピール合戦、っていうのが現実なんでしょねえ。


結果、ホントのリア充なんて感じていないのに、毎日、華麗に充実して見えるように演出プランを考えて実行。


初めの頃はそうすること自体が楽しかったり、盛った写真に自己満足したり、ニコニコだったりするのかもですけど、長くやっていればシンドクなって来ますよ。ネタにも困って来る。
そりゃね、疲れても来るでしょ。
なにしてんだろ、自分。


SNS疲れって特に女性に多いイメージですよね。
同族競争意識が強いイキモノ。知らんけど。


健康診断の前にはサラダしか食べないし、アルコールも控えめにして、結果の数値をコントロールしようとする。
かなりの数の女の人がそうやってますよ。むはは、ではあるんですけど、実体としては、ばあか! でしょ。


今の健康状態を診断して、正しく養生する目安にしましょうっていうのが健康診断なんですからね。
診断前に自分の身体の状態まで盛っちゃいかんですよ。でしょ。


ホントに楽しんでSNSやっている人は、それはそれで楽しい人生ってことなんでしょうから、周りからヤイヤイ言われたからって何も気にせず、どんどん発信していっていただきたいところですけど、そういう人って圧倒的に減少傾向みたいですよね。


盛った自分は、やっぱり違和感がある。


で、もう止めましたっていう声も聞きますけど、これもまたそんなに多いってわけでもない感じ。


もう疲れちゃったんだけど、アカウント消して、さ~なら~、ってわけにもいかんのよね、っていう人の方が圧倒的に多いんじゃないかって思いますねえ。同調圧力は変らないわけですし、疎外感は味わいたくない。

 

 

 


流行りだっていうからSNSに乗ってはみたけど、っていうか、そんな積極的じゃなかったんだけどなんとなく乗らされた感じで始めたんだけど、もう飽きたっていうか、疲れたんだけど、つながっている人たちの手前、自分だけいなくなっちゃうのって、リアルライフで顔を合わせることもあるって考えちゃうと、ね。


なんでSNSに疲れちゃうのかって考えてみますと、いろいろ演出を工夫してアップしなきゃいけないし、その盛ったアップに対する反応にアクイ、とまではいかないにしてもヨロシクナイ言葉をリプライされたり、他のSNSで批判されたりしますと、心が折れちゃったりしますよねえ。


それを続けることの意味なんかを考え始めちゃうと、アウトプットするのってむっちゃ疲れますもんね。
でもねえ、突然辞めちゃう不自然さを強行するまでの勇気もないんだよねえ、って感じでしょうか。


で、SNSを続けざるを得ないって場合、なんとか、無理のないインプットを習慣にしたらどうでしょう。


アウトプットするネタのためのインプットじゃなくって、精神的なプレッシャーから自分を守るため、盛らないホントの自分に戻るためのインプット。


「手帳日記」なんかどうでしょう、って思うですよ。


「エモい」って感じること。「チルい」って思える曲。
そういうのを探して身近なものにしておくことも、とっても大事だと思うんですけど、もう少しだけ自分に向き合うっていいますか、クリエイティビティ方向の習慣。そういう「手帳日記」


どんな手帳でもイイんだと思います。
日記って言っても、特に毎日書いたりする必要もない。


文字で書いてもイイし、イラスト、カラーペンでカラフルなものもイイし、緑のインクでとかでも。
お気に入りのシールを貼るだけ、っていうのだってイイんだと思うんですよね。
そこに、その日あったことを書き留めておく。そのとき感じたことを走り書きしておく。


立派なダイアリー、とかじゃなくって、ビジネス手帳なんかがベストな感じがします。薄いやつね。

 

 

 


ホントの自分が、ホントの気持ちで、イイなあって感じたこと。なんだかなあって思ったこと。
誰に見せるわけでもないんで、全然盛らない、ホントの気持ち。


さらっと書けちゃうんじゃないでしょうか。書きたいときに書くだけですから。


ほんのちょっとだけれども、アウトプットでしょ。って思うかもしれませんけれど、これって、自分に対するインプットになりますよ。自己対話、ってやつかもです。


ただ最初にコツ、みたいなものはあるかもしれません。自分の気持ちを正直に手帳に遺せるかってことですね。


SNS時代になってからとくにそういう傾向が強くなっているんじゃないかって思うことに、いつのまにか、建前、忖度の中にのみ込まれてしまって、ホントの自分の気持ちっていうものを見失っていること。
しかも、そういう状態になってしまっている自覚ナシにです。


誰に見せる予定もない手帳に、好き勝手に書くっていうのに、最初、ホントの自分の気持ちっていうのが見つけられないってことがあるかもしれないですよ。
ホントの自分を見失ってしまっている状態。


でも「手帳日記」って、自分のためのインプットですから、なんかイイことあったとしたら、その日の欄に〇って書くだけでもイイんじゃないでしょうか。
バーローって思った日であれば×だけでも。


食べ歩き、って言っても会社の近くとか、自宅周辺。その日食べたメニューを書いて、〇か×か、はたまた△。
そんなんでも自分だけの「手帳日記」です。

 

自分だけのリア充が「手帳日記」に書き遺されていきます。


だんだん自分の気持ちっていうのが、ホントの自分の感性っていうのが取り戻せてくるんじゃないでしょうか。


そういうホントの自分をしっかり取り戻せると、SNSのアップも、元気よく盛れるようになるかもですし、あるいは、全然盛らなくたってイイや、ってなるかもです。
つまり、プレッシャーなくSNSに向き合えるようになるんじゃないかってことです。


別に紙の手帳である必要もないですしね。スマホのメモでもオッケーですよね。
パソコンなら、けっこう凝ったことも出来そうです。


でもあれですかね、「手帳日記」を紙の手帳にすると、あ~ら懐かしいアナログ作業ってことで、SNSとの区別にメリハリが付けられて、取り組みやすいってことはあるかもですけどね。


要は、盛らない自分。本来の自分をいつでも確認できるようにするための「手帳日記」です。


ブログはSNSのカテゴリからは外れるみたいなんですけど、じつはこの「手帳日記」自体、あるいは似たようなもの、ってブログ記事を書き続けていくためのインプットにもなるんでありますよ。たぶんね。


SNS疲れを感じている人、でも抜けられないかなあって悩んでいる人。
「手帳日記」をお勧めします。ブログ記事ネタに悩んでいる人もね。

 

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