< 日本の自殺者は2009年から漸減して来ていたんですがコロナ禍以降増加傾向 >
減って来ていたとはいえ、2万人を上回っていて、ピーク時よりは減って来ていたものの、ピーク以前に戻っていたっていうのが実情なんで、とくに世の中が暮らしやすくなった、って言える状況じゃなかったんですね。
そもそもピークなんていうのを作り出しちゃったこと自体が、根本問題なんでしょうけどね。
自殺者数の推移を見てみますと、2003年の3万4427人をピークにして、2011年までずっと3万人を上回っていたんです。
昭和の終わりごろから平成9年、1997年までの間は2万人から2万5000人で推移していましたが、1998年に一気に3万2863人に急増してしまっているんですね。
自殺者数の統計は、各組織によって必ずしも一致していなんですけど、どの結果を見ても急増の事実は一致しています。
1998年っていう年は、日本にってどんな年だったんでしょうか。
ズバリ、バブル崩壊の波をかぶった年だったって言えるかと思います。
前年の1997年、山一證券、北海道拓殖銀行、三洋証券をはじめとした、金融業界の大会社の倒産が目立ちました。そして1998年にも日本リース、三田工業、第一コーポレーション、日本国土開発だとか、大手、中堅会社の倒産が相次いだんですよね。
どの業界にしても大企業が倒れますと、共存関係にある数多くの会社が少なからぬ影響を受けます。
東京で、中小企業の社長3人が、資金繰りがつかずにホテルの一室で一緒に自殺したっていうニュースは、忘れられないショッキングなことでした。
大会社が強風にあおられますと、はじき出されてしまう従業員が大勢出てしまいますし、下請け企業が立ちいかないことになってしまうのは想像するに難くありません。
失職がダイレクトに自殺につながってしまうケースばかりではないと思いますが、小さくない相関関係がありそうです。
都道府県別に見た自殺者数は、東京が群を抜いて多いんですが、続いて大阪、名古屋、福岡と都市圏に集中している傾向があるんですね。
人の数が多ければ、それがそのまま自殺者数の多さにつながってしまっているんだとすれば、国としてのセーフガード設置が求められるはずなんですけど、いろいろ言ってはいても、自殺予防の有効な機能を見つけられずにいるのが現状でしょうかね。
日本人の自殺理由、原因としてあげられているのは、「健康問題」が半分近くの割合を占めているんですが、「勤務問題」「経済・生活問題」っていう仕事がらみの、好不況に影響される要因っていうのを合わせますと「健康問題」に次ぐ多さになっています。
日本の自殺者数のピークは2003年の3万4427人だそうなんですが、バブル崩壊からなんとか生きようとしてしていた一般の人々が追い込まれていってしまった数年間に、なにか対策を施せなかったのか、かなり残念な国なんだなあって思いますです。
それでも2003年以降は暫時減少を続けていて、2010年からは減少傾向が顕著になって来ていていました。
2017年あたりで出した予想としては、2020年くらいには2万人を下回るだろうって言われていたんです。
ところが2020年にやって来てしまったのがコロナパンデミックです。
2019年には2万人台にまで減っていた自殺者数は、2020年以降増加傾向に変化してしまっています。
中小、零細企業の経済問題として、2023年はコロナ支援金の返済時期に差し掛かって来ますね。
コロナ倒産っていう言葉を聞きたくはありませんけれど、これから頻繁に取り沙汰され始める可能性がありそうです。
そうなってしまいますと、バブル崩壊の時と同じような、悲惨なことになりはしないかって心配が出てきますよね。
自殺する人の数が2万人だ、3万人だっていうのは、トンデモナイ数だと思います。
日本は自殺者の多い国に数えられているんですよね。
2万人3万人っていう数は、新生児の出生数が80万人を下回った現状から考えますと、とんでもなく多いです。
「異次元の」対策を必要としているのは少子化対策だけじゃなくって、自殺予防にも注力すべきなんじゃないでしょうかね。
国民の生命、っていうものを大切に考えていただきたいものです。
ま、そうはいっても、あのカタの言っている「異次元の」っていうのが、いったいなんなのか、よく分かりませんけれどね。
そんなこんなで、自殺者数を減らそうっていう意識を、メディア、マスコミに持ってもらったらイイんじゃないかっていう説があるんですね。
人類の自殺については、かなり昔から問題視されて来ていて「ジークムント・フロイト(1856~1939)」が唱えていた「死の欲動」
細胞の自殺っていうプログラムを身体の中に持っている人類は死にたい欲求を持っているっていう説ですね。
自殺っていうのは、しょうがないんだよ、って感じだったんでしょうかね。
時代は進んで1967年、アメリカの精神科医「ジェローム・モット(1921~2015)」が、世界で最初の自殺予防を具体的な行動に移します。
「思いやりのある手紙モデル」って言われている方法で、自殺する可能性のある人に、その人とじっくり話したことのある研究者、精神科医が「思いやりのある手紙」を送るっていうものなんだそうです。
短い手紙の内容は、その人に対する純粋な関心と、社会的なつながりを伝えるもので、自殺予防に大いに役立ったはずだっていう行動。
1974年になると、社会学者の「デイヴィッド・フィリップス」が「メディアの自殺報道の影響で自殺が増える」っていう仮説を立てて、これを「ウェルテル効果」って名付けたんですね。
そうです、ウェルテルっていうのは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの「若きウェルテルの悩み」のウェルテルです。
小説の中でウェルテルは、ピストル自殺をして終わるんですよね。
1774年の作品ですが、「若きウェルテルの悩み」を読んだ当時の、少なくない若者たちがウェルテルと同じ方法で自殺するってことがあって、ヨーロッパではいくつかの国で発禁になっている作品なんですよね。
文学作品はメディア報道とは違いますけれど、自殺っていう行動はある種の情報によって伝播してしまうってことですね。
有名人の自殺報道と、一般人の自殺に相関関係があるかどうか、証明されてはいないみたいなんですけど、後追い自殺っていうのはよく耳にします。
メディアとしても、自殺の報道をしないっていう選択肢はないんでしょうし、なにか工夫はできなものか、っていうのはずっとあった課題だったんでしょうね。
2010年、ウイーン医科大学の「トーマス・ニーダークロテンターラー」が「ウェルテル効果」に対して「パパゲーノ効果」っていうのを提唱します。
メディアの報道として、自殺を思いとどまった経験のある人の例を取り上げることは、一般大衆の自殺を思いとどまらせる効果があるっていう説です。
そういえば最近、日本のメディアは、自殺報道、未遂報道のあとに、相談窓口の電話番号、ホームページのURLを案内していますよね。
「パパゲーノ効果」が唱えられてから10年以上が経過していますけれど、相談窓口を案内するようになったのは、どうでしょう、ここ2年ぐらい、な感じがします。
テレビを持っていないので、ビビットな感覚じゃないですけどね。
WHOは「自殺報道ガイドライン」っていうのを発表しています。
「相談窓口の記入」
「日常生活のストレス要因または自殺念慮への対処法や支援を受ける方法について報道をすること」
これを受けて厚生労働省も「メディア関係者の方へ 自殺に関する報道にあたってのお願い」を発表しています。
「パパゲーノ」は、オペラ「魔笛」の登場人物、鳥刺しをしている人物です。猟師ですね。
モーツァルトの5大ペラの1つとして知られている「魔笛」ですが、夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」がチョー有名です。
あのソプラノの歌唱法は「コロラトゥーラ」って言うんだそうですね。
パパゲーナとの恋に破れたと思い込んで自殺を考えるんですが、すんでのところで、パパゲーナが現れて、2人仲良く退場していくんでしたよね。
自殺をしようとした人が思いとどまる、ってことで「パパゲーノ効果」っていう名前を付けたんでしょうね。
ところで、魔笛にはもう1人、自殺をしようとする登場人物がいます。
タミーノ王子に救出される、夜の女王の娘、パミーナです。
パミーナもすんでのところでタミーノに救われてハッピーエンドに落ち着くんですけど、「トーマス・ニーダークロテンターラー」が選んだのはパパゲーノの方なんですね。
さっきまで首を括ろうとしていたのに、「いっぱい子どもをつくろうね」って言いながらニコニコと退場していくパパゲーノです。
そういう効果をもたらすのは、どういう報道内容になるんでしょうか。
相談窓口を案内するっていうのは、自殺報道、未遂報道をする際に必須の捕捉情報でしょうけれども、自殺を考えている人が自発的に相談できるものなかどうか、ちょっと疑問があります。
自殺を思いとどまった話って、なかなか本人から聞き出すのも難しいんじゃないでしょうか。
作りものじゃないリアルな話を、どういう形式であれ、メディア全体として用意していただけると、思い詰めている人にパパゲーノ効果が期待できるのかもしれません。
でもまあ、パパゲーノにとってのパパゲーナっていうのは、その名前からも類推できるように、「デウス・エクス・マキナ」みたいもんですからね、21世紀のパパゲーナ探しは単純なことじゃなさそうです。
なんとか救えるとイイんですけどねえ。
せっかく生まれてきたんですから、みんな、なんとか生きていきましょうよ。