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【静岡市プラモデル化計画】日本プラモデル最大のヒットは「ガンプラ」でっす

< 知る人ぞ知る「戦車のタミヤ」「キャラクターのバンダイ」「車のフジミ」 >

♪清水湊の名物は お茶の香りと男伊達


ってことでですね、清水湊を抱える清水市は、2003年に静岡市と合併になって、現在は静岡市清水区です。
清水の次郎長親分が活躍したのは幕末から明治にかけてなんですけど、天然の良港だった清水湊で港湾事業を起こして合法世界に貢献したんだそうですね。
本名、山本長五郎さんは元々清水の人みたいです。


合併前は隣りの市だった静岡市は江戸時代は駿府ですね。
駿河の国の国府が置かれていたから駿府っていうんでしょうね。

 

 

 


それは古代のころからなんでしょうけれども、今の時代の我々として、駿府って言って思い浮かぶのは、徳川家康ですよね。
将軍職を秀忠に譲ってから、駿府に築城して大御所政治の本拠地にしたってことでした。


なにしろ徳川幕府を築き上げた人ですからね、歴代将軍、重臣たちの家康崇拝っていうのは、現代常識からするとド外れたものがあったのかもですよね。
今でも行き過ぎた忖度文化、みたいなものを感じざるを得ない日本ですが、そんなレベルじゃない家康への気遣い。


駿府城築城は1585年、天正13年ですから、織田信長が死んでからすぐ、天下の形成が決まる前に、徳川家康駿府を拠点として選んでいたんですね。


東京、名古屋間、太平洋ベルトの真ん中あたりにあって、静岡県の中でも東西方向のほぼ真ん中に位置する静岡市は、気候温暖、穏やかな土地柄で知られていて、晴れの日が多くて、雪はほとんど降らないんだそうです。


そういう気候条件も徳川家康静岡市を拠点に選んだ理由なんでしょうか。
今川の人質として一定期間ここにいたわけですから、土地勘っていうか、単純に気に入っていたってことかもですけどね。


静岡浅間神社っていう延喜式内社があって、ここは徳川家康元服式をした神社。


今川義元が烏帽子親になって執り行われたんだそうで、駿府城に移って来てから静岡浅間神社は徳川家の祈願所に定められたんだそうです。


時は流れて徳川家光の時代、家康大好き人間の家光は幕府方最高の棟梁を遣わして社殿の大修造を行いました。
1635年のことだそうです。


この修造完了でもう静岡浅間神社徳川幕府にとって特別な存在になったんでしょうね。


安永から天明にかけてって言いますから1772年から1789年の間に、静岡浅間神社は2回の延焼被害にあいます。
徳川家の祈願所ですし、家光が特別な思い入れで修造した神社です。
1804年、時の将軍、第11代、徳川家斉は再建を命じます。


突貫工事ってわけにはいきませんですね。幕府直営でじっくりと丁寧な仕事が進められて、なんと60年、10万両をかけて再建されたそうです。
あだやおろそかにはできません、ってことなんでしょうけれど、この60年間に集められた多くの腕っこきの職人たち。


気候は好いし、華のお江戸じゃないけれども、江戸城を押さえ込む勢いの駿府城はあるしってことで、居着いちゃったらしいんですね。
まあ、60年も仕事が続いたら、居着いちゃった、っていうんじゃなくって、代々に渡って住み込まなきゃ仕事が進まないよってことではあるんでしょうけれどね。


再建工事が終わったのが1864年だとすると、将軍は第14代、徳川家茂になっていますね。


大政奉還が1867年、明治維新が1868年です。


明治政府にとっては維新でも、徳川幕府、江戸や駿府の住人にとっては「御瓦解」です。


駿府に暮らしていた職人たちにしてみれば、さて、これから世の中はどうなっていくんだろうって、身の処し方を考えているうちにも食べていかないといけませんよ。
いろんな分野の職人たちが集まっていた静岡市は徳川の庇護から離れて「ものづくりの街」として発展していって、今日に至るってことなんでありますよ。


家内工業で木製模型なんかを作っていたらしいんですが、戦後、1950年代になってアメリカからプラモデルが持ち込まれると、素材を木製からプラスチックに切り替えて、日本初のプラモデル「ゼロ戦」が日本プラスチックから発売されたのが1956年。


日本プラスチックは1957年に「原子力潜水艦ノーチラス号」を発売。


1958年には和光樹脂が「ダットサン1000」を発売して、静岡市は東京と並んで一気にプラモデルの街になるんですね。


東京のメーカーがアニメグッズのキャラクターもののプラモデルをメインとしていたのに対して、静岡市のプラモデルは「スケールモデル」っていわれているもので、実際にある車や飛行機、船なんかのプラモデルが中心だったらしいです。


その頃のアニメの流行りが過ぎていってしまった1960年代ごろからプラモデルの産地は静岡市の独壇場になって、2022年の今現在、日本全体のプラモデル生産の80%を静岡市が占めているんだそうです。
全然知りませんでした。


ま、プラモデル自体、大人になるとなかなか作ったりしないってこともあるかもですけど、コロナ禍での巣ごもり生活。一過性のものなかもしれませんけれど、品不足になるほどの売れ行きだそうです。

 

 

 


プラモデルの世界では知られた「戦車のタミヤ」「キャラクターのバンダイ」「車のフジミ」はいずれの会社も静岡市に本社があります。


誰でも一度は組み立てたことのあるプラモデルですけど、そっかあ、全く気にしていませんでしたね、どこで作られているのかとか。


静岡市はプラモデルの世界首都なんです!
ってことを2020年に、静岡市自体が宣言しちゃいました。
静岡市プラモデル化計画」です。

 

 

むむっ、て感じですが、ちっとも知りませんでした。


静岡市自身が、静岡市をプラモデルにしちゃいましょう、って言ってるんです。
かなりユニークっていいますか、大胆宣言ですよね。


静岡市が圧倒的なシェアを占めているプラモデルっていうのを、静岡市の特徴として地方創生していきますってことなんでしょう。
実際に街をどんどんプラモデルに変えていくってことで「プラモニュメント」の設置を進めているようです。


組み立て前、パーツの切り離し前の状態のモニュメントが「プラモニュメント」
「模型の世界首都 静岡」って「プラモデル」が市内三カ所。

 

郵便ポストがプラモデルに取り込まれているモニュメント、そして公衆電話ボックスも取り込まれています。


日本のプラモデルは海外での評判も上々だってことで、観光がコロナ前に戻ってくるタイミングで、新たな日本の観光地に仕立て上げられるんじゃないかって目論見なんでしょうかね。


インバウンドの回復見込みって、第7波とかになっちゃってる時点では予測のつけようもないでしょうけれども、「プラモデルの街」っていうコンセプトは、旅行会社なんかとしても売り込みのポイントになりそうですよね。


ただですね、大きなお世話ながらに思うのは、なんで今のタイミングで「静岡市プラモデル化計画」なのかなあってことです。
国内外、特に海外からのインバウンドを欲するタイミングがコロナパンデミックと一緒になってしまったのは皮肉なことだとはいえ、静岡市自体が世界の静岡市になろうとした理由って、市政経済の背景だとかがあるんでしょうかね。


ま、ホントに外野からの大きなお世話ではあるんですけどね。
どこか不思議な感じもしてしまいます。

 

 

 


さらに言えばですね、静岡市出身のさくらももこさんのつながりで「しずおか海洋ごみゼロ対策プロジェクト」のPR大使に「ちびまる子ちゃん」が2021年に就任しています。
海洋ゴミとして代表的なものは「プラスチック」
でも、「静岡市プラモデル化計画」です。


「脱プラスチック」っていうのは世界的潮流ですから、ちびまる子ちゃん大使っていうのは市政として当然の任命に思えます。


「脱プラスチック」と「静岡市プラモデル化計画」っていうのは、折り合いをつけていけるんでしょうか。


もちろん、プラモデルの各メーカーも「脱プラスチック」っていうのには取り組んでいるんでしょうし、近い将来、1950年代に木製からプラスチック製に素材を切り替えたように、見事「脱プラスチック」を実現する素材を作り出してくれるかもしれません。
モノづくりの街、ですからね。


そうなると、「プラモデル」って、昔はプラスチックで作られてたらしいよ。へええ、だからプラって言うんだあ、っていう時代になるわけで、「静岡市プラモデル化計画」との折り合いの付け所って、プラモデルの新しい素材開発に焦点が絞られてくるようにも思われます。


でもまあ、なんにしても「静岡市プラモデル化計画」が日本のユニークな観光スポットになることを祈念いたします。


くれぐれも、ちびまる子ちゃんVSガンダム、とかには、ならないことを。