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【カリギュラ効果】「見るなのタブー」と同じっていうことではあるんですけど

< なんで帝政ローマ第三代皇帝のカリギュラの名前が選ばれたのか >

そういえば「カリギュラ効果」っていうのがあったなあって、急に思い出したのは、ネット上に「銃撃映像の繰り返し視聴に気を付けて、心を守りましょう」っていうような記事が急に増えてきたからなんですね。


ネット社会になっているとはいえ、この日本でか、っていうかなり衝撃的な事件でしたので、メディアでは途切れることなく報道されているんだと思います。


こういう事件が起きると、テレビを持っているかいないかっていう差が、生活そのものに与える影響って意外に大きなものがあるのかもしれません。


ニュースはテレビだけじゃなくって、あらゆるメディアで報道されているわけですけれども、スマホでじっくり見るときは注視してみますけれども、そう何回も繰り返して見るっていうことはないでしょう。
報道リソースは限られていますから、同じ映像を何度も繰り返して、積極的に見るってことはしませんよね。


心を守るために、繰り返し視聴に気を付けましょうっていうその対象は、主にテレビ視聴ってことになると思います。

 

 

 


「一般社団法人 日本トラウマティック・ストレス学会」が「惨事報道の視聴とメンタルヘルス」っていう文書を2022年3月3日付で公開していて、心を守りましょうっていうのはここから出てきているみたいです。

 

「日本トラウマティック・ストレス学会」が惨事報道っていっているのは、3月3日時点のことですから、日本の惨事が起きてから急遽発表したものじゃなくって、メインで捉えている惨事っていうのはロシアのウクライナ侵攻です。


世界で、何が起きているのかを正しく知るために、惨事とはいえ報道することは必要欠くべからざることだけれども、視聴者に与える悪影響っていうものにも注意を払って、心のケアに充分気を付けるべきだっていう趣旨です。


大人であっても、トラウマ体験者、精神的に不安定な人は特に注意が必要だということと、子どもに対しては大人が視聴内容に気を付けてあげる必要があるっていうことなんですね。


そうですよねえ、テレビ報道とはそういう付き合い方をしていくべきなんでしょうねえっと思いますです。


外国のことは知りませんけれども、日本のテレビは大きな事件について、どの局でも、どの番組でも、繰り返し放送し続けるっていう傾向があるように思います。
私は今、テレビを持っていない生活を20年以上続けていますけれども、テレビから離れようと思ったきっかけが、まさにそういったニュースソース選択の脆弱性にあったような気もしています。
報道する姿勢としての思考停止。


メンタルヘルスってうのはとっても大事です。
見たくないものは見ない方がイイんだろうって思いますよね。
そりゃあね、当たり前の姿勢です。


ただ、一方で、日本は「モザイク国家」であることも事実で、リアルな惨事っていうのを映像音声で報道していないです。リアルにはね。


実際にどうなっているのか。気持ちが騒ぐから、そんなリアルには触れずにおきたい、っていう考え方に異論はありませんけれども、ジャーナリズムとして、モザイク付きの映像を流す意味には疑問を感じてしまいます。


そのうち、デジタル技術ってやつでモザイクを付けるか付けないかを、映像を受信する側で選択できるようになったりするのかもですけど、モザイクがあることによって、そこに現れているリアルな惨事を「想像」させる結果になってしまっている害悪っていうのもあるような気がするんですね。
想像力の個人差によって、ニュース映像の持っている意味が違って来ちゃいます。

 

 

 


これだけインターネットが浸透している現在で、モザイク映像の悪影響っていうのは、日本がモラトリアム国家であり続けてしまっていることの原因の一つになっているんじゃないでしょうか。


今でもそうなんだろうって思うんですけど、日本のニュース報道では、逮捕された人が警察に連行されていく際に、手錠がかけられている場合、その手錠にモザイクがかけられていますけど、あれは、どういう意図があるのか、さっぱり分かりませんね。
明らかに行き過ぎた自主規制のように思えます。


で、出だしの「カリギュラ効果」なんですが「ダメって言われれば言われるほど、それをやってみたくなる心理」ってことでしたよね。


「鶴の恩返し」だとかの、「見るなのタブー」っていうのと同じだろうと思うんですけど、「カリギュラ効果」っていう言葉自体は日本でだけ通じるらしいです。日本の造語。

 

 

そもそも「見るなのタブー」の代表として、古代ローマカリギュラっていう名前が取り上げられたのは、ちょっと不思議です。


古代ローマは「ジュリアス・シーザー」が共和制の最後の政務官として有名ですよね。


「ブルータス、お前もか」って叫んで暗殺されたってされているのが紀元前44年です。


クレオパトラ7世」がコブラに乳房を噛ませて自殺したってされているのは紀元前30年。


しかしまあ、凄いですよね。日本の卑弥呼が死んだのは240年ごろだろうっていわれているんですけど、卑弥呼の時代からでも300年ほど前の人たちの記録、物語が遺っているんですもんね。


クレオパトラが亡くなったころ、紀元前27年からローマは共和制から帝政となって、初代の皇帝は「アウグスティヌスジュリアス・シーザーの養子だそうです。


紀元をまたいで14年第2代ローマ皇帝となったのは「ティベリウス


そして37年に第3代ローマ皇帝となったのが「カリギュラ」です。


ちなみに第4代皇帝は「クラウディウス」そして第5代皇帝が「ネロ」なんですね。


この頃の記録についての正確性にはいろいろ意見があるところらしいんですけど、カリギュラは近衛隊に暗殺されていて、クラウディウスは奥さんに毒殺されて、ネロは自殺しています。
なんだか散々なローマ皇帝の出だしなんですけど、歴史は勝者、生き残った者が記すってことですからね、暗君暴君ぞろいっていうのも、本当にそうなのかどうか、怪しいらしいです。


で、本題のなんで「カリギュラ」がその名前を「見るなのタブー」として選ばれたのか、なんですけど、ちょっと調べてみたらあっさり解結。


1980年公開の、アメリカ、イタリア合作映画「カリギュラ」が、歴史映画っていうふれこみだったのに、実際はポルノ映画だって批判されて公開禁止にした地域が出て来て、この「観るな、見るな」のアナウンスがあったことで、かえって人気が上がったんだそうです。
日本でも1980年に公開されていますけど、ちょっとね、記憶にないんですけど、観ちゃいけませんっていうアナウンスが強力な宣伝効果を持った。
っていうことで、日本でも、ま、ヒットしたんでしょうね。


ってことで、「見るなのタブー」の現代表現としての「カリギュラ効果」は、実際のローマ皇帝カリギュラ」こと「ガイウス・ユリウス・カエサルアウグストゥスゲルマニクス」とはちっとも関連の無い言葉だったんでした。


にしても、ヨーロッパの人って長い名前の人、けっこういますよね。
それと、カリギュラも「ユリウス・カエサル」っていうのかって知っちゃうと、ますますややこしいです。


あほ、ぼけ、かすって散々な言われ方カリギュラですが、4年足らずの短い在位期間の間に、壮大な建設事業、積極的な領土拡大に務めて、ローマ市民には人気が高かったっていう説もあるみたいです。


建設事業に関しては、ローマを造ったって言えるほどの実績を遺しているんですね。


アウグストゥスの神殿」「ポンペイの劇場」「多くの円形劇場」「クラウディア水道」「新アニオ水道」
こうした建設事業は後に「博物誌」を書いた大プリニウスを驚かせているぐらいなんですね。


こういう派手な政治的パフォーマンスは、たしかにローマ市民には人気が高かったとしても、元老院だとか、政権担当側にしてみれば、金食い虫、困ったちゃんだったのかもしれんせんね。


エジプトから巨大オベリスクをそのまま船で運んで来て、「ガイウスとネロのキルクス」っていう大競技場の真ん中に立てたりしているんですね。
そのオベリスクは、現在バチカンのサンピエトロ広場に25.37メートルの姿を遺しています。

 

 

 


卑弥呼の時代の300年ほども前に、こういう大きなものを物理的に移動させているって、凄いですね。


世界の惨事が「カリギュラ効果」になるようなことはあり得ないように思いますけれど、真実を真実として伝えようとする日本メディアの態度を期待したいところです。