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【死ぬ権利】そういうことを考える生き物って人間だけなんでしょうね

< まあ たしかにね とは思う権利ですけど 人間の尊厳ってなんなんでしょ >

2022年9月13日、フランスの、というか世界的な映画監督として知られたジャン=リュック・ゴダールの死が伝えられました。
1930年生まれ、91歳。


映画ファンならゴダールの名前は当然のように知っているでしょう。


1950年代から60年代にかけての「ヌーヴェルバーグ」の旗手っていう言い方をされた人ですよね。
半世紀以上前に活躍していた映画監督なんですが、もちろんDVDやネット配信っていうものがありますんで、いまでも作品を観ることは可能です。


個人的には、ヌーヴェルバーグが華やかだった頃っていうのを、オンタイムでは経験していないんですけど、皆さんはどうでしょうか。


1959年の「勝手にしやがれ」で華々しくデビューして、まさにヌーヴェルバーグを代表していた感のあるゴダールなんですけど、トリュフォー監督作品も含めて、ヌーヴェルバーグの時代ってまだまだイデオロギーの強かった政治の時代で、今、50代より若い世代にはイマイチ作品の意味がピンと来ないんじゃないかな、っていうふうに思います。


マクロン大統領はこうツイートしました。


「彼はフランス映画界の幻のようだった。そして巨匠となった」


「毅然として現代的で、強烈に自由な芸術を発明した。私たちは国の宝、天才のビジョンを持っていた人を失った」


1977年生まれのエマニュエル・マクロンさんがこうした追悼文を出したのは、フランス大統領としてやらなければならなかった行動ではあるんでしょうけど、やっぱり、どこか臨場感に欠けていますね。


もしかするとゴダール作品を観たことがないのかもしれません。
観ていたとしても「?」だったっていう可能性もあるんじゃないでしょうか。

 

 

 


モノの本によりますと、ヌーヴェルバーグの時代はフランス、イタリア映画の方がハリウッドなんかより元気だったそうなんですけど、1968年の「第21回カンヌ国際映画祭粉砕事件」が起きてカンヌ映画祭が中止になって、ヌーヴェルバーグは突然終わってしまうんですよね。


映画業界の在り方についての抗議行動が「第21回カンヌ国際映画祭粉砕事件」だったそうなんですが、これを主導して実行したのがゴダール監督なんです。


イデオロギーがベースにあるんでしょうけれど、なにかとスキャンダラスな行動も知られたゴダールでしたが、91歳で死去の報道に触れたときには、ああ、長生きだったですねえっていう感想が最初に来ました。
大往生でしょう。


ところが、やがて出てきた続報に、なんだか不穏な内容がありましたね。


ゴダール監督は「スイスで法的支援を受けて自発的に旅立った。医療報告書によると、体の機能を失う複数の病気に侵されていた」
っていうものです。


「体の機能を失う複数の病気」っていうのがどういうもので、いつごろからそういう状態になっていたのか、とかの詳細情報はまだこれから発表されるのか、そっとしておくっていうメディア判断がなされるのか、分かりませんね。


病気じゃなかったけれど、「ただ疲れ果てていた」っていう話も出て来ています。


ただこの段階で気になるのは、「スイスで法的支援を受けて自発的に」っていう部分ですね。
これは以前からニュースとして取り上げられていて、日本人の利用者もいたらしい、スイスでは認められている「合法的自殺ほう助」っていうことなんです。


安楽死


この自殺ほう助を利用して、スイスで亡くなる人はどんどん増えている傾向にあって、2015年時点で1000人弱って報道されていました。
こういう問題は世界的に真剣な議論をすべきなのかもしれないですよね。


人権っていう言葉は、わりと大上段に振りかぶって叫ばれることもある金科玉条的なニュアンスも持っていると思うんですが、その人権の中に、個人の死ぬ権利っていうのが含まれているのかどうか。含めるべき権利なのか。

 

 

 


日本の医療制度や、法律的な規制には、当然ながらイイところもあるでしょうし、そうは言いながら理不尽な部分もあるように思います。


今回のコロナパンデミックで、医師会だとかの専門家グループの、組織構成が脆弱って言わざるを得ませんし、実効的な機能を果たしてくれなかったことは、日本人なら誰でも実感していることじゃないでしょうか。


重症病床の担当医師、スタッフの懸命の治療、看護によって命を取り留めた人も少なくないことと対称的に、リーダ的ポジションの人たちの求心力の無さは悲惨なレベルです。
っていうか、終わったわけじゃなくって、まだまだ現在進行形ですけどね。


生命を繋ぐために海外へ、っていう患者さんもたくさんいますよね。
日本では法的な問題で根本的な治療が出来ないっていう理由。移植とかです。

 

 

こっちの方は、日本の制度に関する情報としてメディアの取り上げようもあるだろうと思いますけど、生命を終わらせるためにスイスへっていうのは、あくまでも個人の問題なのか、社会としての生活習慣、無自覚な他者への圧迫だとかの問題なのか、風潮、慣習っていうことと、個人の人権を議論すべき段階にあるのかもしれないです。


もう回復できない、助からない。
なのであれば、自分の判断で、自分を終わらせてもイイんじゃないか。


ただ一方で、そうした諦念的な感覚とは違うと思うんですが、死刑になりたいっていう理由で他人を巻き込んで殺人事件を起こしちゃう「拡大自殺」なんていう、許しがたい不遜な感覚は、いったいどこから来るのか。


もしかすると同根なんでしょうか。


年間の自殺者数っていうのも、決して少なくない国ですからね、日本は。


自ら生命を絶つ行為としての自殺と、自殺ほう助による死っていうのは、どこか根本的に違っているようにも感じます。


日本では「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」の脚本家で知られた「橋田寿賀子(1925~2021)」さんが、2017年に「安楽死で死なせて下さい」っていう本を著わして話題になりましたね。


橋田さんは自殺ほう助とか、そういうんで亡くなったんじゃなくって、急性リンパ腫ですね。95歳。
安楽死の権利を個人レベルで主張しながらも、病気ですけど、寿命で、亡くなったんですね。
そう言えると思います。


安楽死で死なせて下さい」は、なんということを言うんだっていう反発もあったそうですが、それを上回るほどの賛同の意見も寄せられたんだそうですね。


世間に迷惑をかける前に、自分の意識がハッキリしているうちに、自分の権利として、安楽死したい、っていう思いを持っている人が少なからず日本には居るってことを、どう捉えればイイんでしょうね。


簡単な問題じゃないです。


2020年のデータでは、スイスで自殺ほう助の「サービス」を受けて自死した人の数は1300人とされています。


薬液を希望者の体内に取り込むと、5分以内に眠ってしまって、睡眠状態から死に至る方法がとられているんだそうですが、2021年にはスイスで「サルコ」っていうカプセル型の自殺ほう助マシンの開発が進んでいるっていうニュースがありました。


本人がカプセルの中で装置を起動することによって、1分以内に死ねるものだそうです。

 

 

 


楽しい話じゃないんですけど、延命治療をせずに「自然死」するのを待つっていうのが「消極的安楽死」で、これは随分多くの人がそうしているでしょうね。治療を本人が拒否するっていうことで合法です。


対して「積極的安楽死」っていうのは「自殺ほう助」との区別がよく分かりませんが、薬物投与で死に至ることですね。


意外にも認めている国はスイスだけじゃないんですね。


「積極的安楽死」が合法なのは2022年時点で、カナダ、スペイン、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア。

 

「自殺ほう助」を認めているのは、アメリカ、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、です。


こうした方法に頼らずに自死を選ぶ人も少なくないわけで、人間って、ホントなんだか複雑です。


ゴダール監督のフランス、橋田寿賀子さんの日本は、安楽死を認めていません。


良し悪しの問題じゃないのかもしれませんです。
死ぬ権利。ん~。権利、なんでしょうかねえ。
結論とか、今のところ、出ませんです。


人間の尊厳の正体。ん~、分かりませんねえ。