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【ツイッター】その2 自分自身が楽しめるかどうか それがモンダイなわけですね

<皆もすなるツイッターといふものを我もしてみむとてするなり ん? するの?>

まあねえ、梅雨時でなんとなくぐずぐずした空気感ですし、宅呑みに「アンシェンクラン」っていう1,000円のスコッチをみつけまして、へろへろになっている時間が楽しいので、Twitter問題について特に進展らしい進展はない、というのが続いていたんではありました。ま、進展と言いますか考えがまとまるという方向に生活が向いておりませんでした、


ただTwitter始めるという行為が面倒なだけ、なんだろうなあ。


のではありますが、Twitterの情報をいろいろ調べてみて、ああ、そういうのあったねえ、と思ったのが「〇〇なう」という表現でした。


「居酒屋なう」「代々木公園なう」だとかのtweet、ありましたねえ。


それから「自分、○○だけど、なにか聞きたいことある?」っていうパターン。

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「〇〇なう」というtweetパターンは「〇〇わず」という進化をとげたとかいう書き込みも結構ありました。


やっていないのに、なぜだかそういうのに出会っていますね。なんでだろ? やってなくたって見られる、んだよね。たぶん。

 


「〇〇なう」の話。


2010年の「新語・流行語大賞」のトップテンに「〇〇なう」が入っていますね。スーパー高校生と言われた梅崎健理さんが流行らせた使い方だったんでしょうかね。受賞者は梅崎健理さんでした。


実際に「〇〇なう」が使われ始めたのはもう少し前だったかと思いますが、まさに一世を風靡した「接尾語」
Twitterと言えばなう。なうと言えばTwitterという状況になりましたね。


梅崎さんだとか、こうした何でもない言葉を新しい使い方をしてみせるっていう「アソビ」感覚は面白いと思いますし、凄いセンスだなあと思います。だからこそ大賞に選ばれたり、流行りとしてみんなに浸透したりするわけですからね。言葉のセンス。


ただ、SNSという環境もあって一気に使われ方が広まって、みんなが使い始めるようになると、スタート時点とは違った使われ方をし始めることは、単純に使用頻度の問題としても顕著になっていってしまいますよね。
多数派が正義っていう、ネット社会の理不尽。でもないかな。


「〇〇なう」に限ったことではないと思いますが、新しい流行り言葉というものが出来ると、あっと言う間に10代を中心に広まって定着します。


この当時ぐらいからの傾向として、「若者言葉」が独自の使われ方をして、既存の言葉としての使い方とは一線を画した意味を持つようになった感じがします。違う使い方にこそ意味がある。


新たな意味を持つというのは、これまでとは違う意味を、使う人たちの間だけで通じるように持たせる。という、ある種、閉鎖的な言葉の使い方を楽しむという遊びかたに変わっていったのかもしれません。
秘密基地の感覚に似ているかもしれません。


自分たちのグループ内だけで通じる言葉というのは、特定のコミュニティとして仲間内だけに通じる「符丁」のように使われて、仲間意識を確認する働きを持つことになって行きがちです。


それは本人たちの自覚なしに、排他的な側面を、どうしても持つことになってしまいますよ。


「〇〇なう」の場合、特定のグループに限定された使い方ということでは無しに、世代、という広がり、別の言い方をすれば世代に限定された使い方という側面に、使っている側の満足感が内在していたと言えるのではないかと思います。


ただ、排他的という気持ちが前面に出されていたということは全くなくって、高齢者のTwitterに「〇〇なう」というtweetが現れると、ヤンヤの喝さいを浴びるということも話題になったりしていました。


あれです、将棋の米長邦雄さんの2011年4月16日の「〇〇〇なう」は話題になりました。


米長棋聖はこの時84歳。さすがにこういう思考力系の仕事の人は、どんなに新しい世界が出てきても軽々と飛び越えていくもんなんだなあと感心した記憶があります。〇〇〇は自主規制にしておきますです。でもこれ、どっとウケタんですよねえ。


この受け入れの拍手喝さいということ自体が、既に世代的な壁が無意識的に築かれてていて、そこを乗り越えて自分たちの側へ来てくれたという、客人に対する拍手と見ることも出来そうではあります。
この「〇〇なう」に対して感じていた、この何となくの違和感こそが、Twitterそのものに対する印象となっていて、おそらくは無自覚な閉鎖性に対する違和感だったんだろうと思います。無理矢理思っています。


ネットの世界では「10年ひと昔」なんて呑気なことは言っていられなくて、1年も経ってしまうと、ハードウェア、ソフトウェアも含めて、ネット社会の中のコンテンツはガラリと様変わりしているということが続いていますよね。そういう世界です。


別にアメリカのトランプさんばかりじゃなくって、令和の今は70代でもバリバリSNSを使いこなしている人も少なくないです。


「〇〇なう」を今でも使っている人もいるでしょうし、そこに何の違和感もありません。


一方、それはもう古いんだといって使わない。「〇〇わず」とか言ったって、それさえもう古い。


でもね、別に新しい使い方をしなければ、SNSの世界で自分のアイデンティティを保てないっていうことはないでしょうし、「新しもの好き」がそのまま「SNSの寵児」というわけでもないでしょう。

 


マイナス方向の話題で、lineやfacebook内でのパワハラやセクハラが取り上げられたりしたことがありましたが、Twitterはそっち方面のニュースは無い感じでしょうか。記憶にないです。
それはイイことじゃんね。Twitter


「〇〇なう」から始めた人たちって、今、どんなかなあと思ってネットの中をウロウロしてみたらですね、ホンネ、を書いている人たちっていうのも一定数居られましてね、なるほどって感じましたです。


やっぱりですね、SNSって高校とか大学とかのタイミングで、仲間と一緒にやり始める人が多いみたいですね。


で、習慣的に使ってはいるんだけれど、特に楽しいとか、面白いって思っていなかった、っていうことなんですね。ホンネでしょうね。


特に会社なんかのlineやfacebookグループとなると、ハッキリと義務感でやっている。
発信とかじゃなくって「報告」
それじゃあ面白いわけないですよね。


ところがですね、そのホンネを書いていると思われる複数の人たちはですね、ある時、ふっと面白くなったと言っています。Twitterが面白くなったと言っています。Twitter限定、みたいですけれど。


なして? と思いますが、どうもリアルグループじゃないコミュニケーションの楽しさに気が付いた、っていうことみたいですね。


リアルグループのコミュニティって、わざわざ新しいツールって欲しくないです。
リアルに顔を合わせているグループの、その全員が気が合う仲間っていうことは少ないですもんね。


学生時代の仲間って卒業とともに解消されてしまうことが多いです。そういう限られた期間だからこそのお付き合い、みたいなこともあるでしょうし、そこでのSNS情報が必ずしも楽しいものじゃなかったとしても、そっちの方が普通かもです。


もちろん、一生のお付き合いとなる関係がそこから始まることもあるわけですが、面識のない人とのコミュニケーションが出来始めると、リアルじゃないだけにコミュニケーションがハラスメント方向にいくこともなく、共通の話題がある時だけやりとりできるっていうのが、楽しさにつながるのかもしれません。


さらにはTwitterの即効性が、へええ~ってことにつながるんだそうです。


確かにですね、JRがトラブルになっているとき、今、どこの駅でどうなっているかの情報は、圧倒的にTwitterが早くて正確でした。
ま、そういうトラブルや災害情報ばかりじゃなくって、情報の即効性ってメディア経由じゃない方がリアルかもしれません。今はね。


そういうことに気が付くと、惰性のSNSから楽しいツールに変わるってことになるわけですね。


最初はなんだかなあと思っていて、今は楽しく接しているという人が一定数居る。そういうことを知ると、ん~、最初は抵抗感ある人ってけっこういたんだろうなあと親近感。


まあね、「〇〇なう」とか、んな古いの知らんわ! って人がすんなり楽しめているツールなんですけれどね。むしろ今はそういう人の方が多いのかもですね。

 


mimecaさんもTwitter楽しんでいるとのことですしねえ。ブログのアクセスにも好影響だということも教えていただきました。ありがとございますです。


ん~。こうして考えると、何をそんなにこだわっているのか自分でも分かりませんですね。


Twitterねえ。どうしたもんでしょうかねえ。ぐじグジGUJI。。。


いや、やってみっか! ん~、でもなあ。。。


皆もすなるツイッターといふものを我も。。。