< ♪あなたがジンとくるときは わたしもジンとくるんです って サイダーの噺じゃないですけどね >
♪あなたとわたしの関係は いつもサイダーです
っていうのは「Cider’77」っていう大瀧詠一のコマーシャルソング。
♪一人で二人で三ツ矢サイダー
ってことで、三ツ矢サイダーの歌ですね。
作詞は伊藤アキラ、作曲は多羅尾伴内。ですよね、多羅尾伴内っていうのは大滝詠一、本人でしょね。
何の話をしているかって言いますとですね、落語です。「五人廻し」
江戸の遊郭で、花魁が一晩に五人の客を相手に商売をするっていう噺で、花魁の身体は当然一つしかありませんから、そぞれぞれ個室に入っている五人の客のうち四人は待ちぼうけになるわけです。
その四人の振られちゃった客は、どうなってんだよッ! ってことで面白くない。その怒りをどうこなしていくのかっていうのを笑いにしている古典落語ですね。
一晩に何人かの客を相手にするっていうのは、江戸の遊郭に特有のことだったらしいんですが、部屋に入る前に既定の代金は払ってあって、客は堂々と胸を張って客になっている状態。
でも、花魁が自分の部屋に来ないこともあるっていうのは了承済、だったみたいなんですよね。
遊郭とはそうしたもの。
客として遊郭にあがったものの、花魁が来るかどうかは分からない。当たりの夜になるかスカを引く晩になるのか。
「いやあ、やけに冷えると思ったら、表は雪になってやがらあ」
「寂しい晩になりやがったなあ。花魁、ちっとも来やしねえ……」
♪冷たくされてもイイんです
ってことで、来るか来ないか、ギャンブル的な要素もアソビのうちっていうことだったんでしょうかね。
時には部屋に花魁がやっては来たものの、そこで夕餉を一緒にしただけで「ちょいとお待ちくんなまし」ってことで出ていって、もう二度と戻って来ないなんてこともあるんだそうです。
もちろん、夕餉の代金は別払いってことなんでしょうね。
くんなまし、です。
花魁が来ないからってムキになるっていうのは「そりゃ野暮ってもんです」ってことで、そういう江戸の遊び。
「江戸っ子は 五月の空の吹き流し 口先ばかりでハラワタなし」
「宵越しの銭は持たねえ」
っていうような急ごしらえの見栄っ張り江戸文化、であればこそ成り立っているシステムで、代金を払っているのに何もないって、どゆことやねん! の関西文化じゃあ成り立たないってことなんでしょうね。
ま、一応ね。関東、関西、日本全国。そういう遊びっていうのは1958年、昭和33年に禁止になって、令和の今では無いことになっているわけです。無いんですってば、今は。
そういう商売の実態がどうなっているのかなんて知りゃしませんけれど、花魁とか遊郭とか、そういう存在は完全に消えてしまっていますから、江戸から明治、大正時代の廓遊びの空気感なんて、知っている人はいませんね。
高座でその頃の噺をしてくれていた落語家たちも次々に鬼籍に入ってしまいましたし、廓マンガの滝田ゆうもずいぶん前に旅立っていますからね。
本当のところっていうことになりますと、もうだれも知らない世界になってしまっています。
噺としての「五人廻し」っていうのは、花魁が五人の客を上手くあしらう噺かっていうと、さにあらず。
実際に不満客の相手をするのは遊郭の客引きの男なんですね。
役職名は「ぎゅうたろう」
牛太郎っていう名前の牛丼屋さんも何軒かありますが、そっちの「ぎゅうたろう」じゃないんですね。
正式な、って言いますか元々は「妓夫(ぎふ)」っていう役職の名前みたいなんですけど、なんたってアソビ場の客引きですからね、可愛げがなくっちゃいけないってんで、太郎を付けて呼びやすくします。
そんで「妓夫太郎」
ぎふたろう、なんて呼んでたんじゃ堅っ苦しいんで「ぎゅうたろう」って言うようになったみたいです。知らんけど。
部屋ごとにクセの強い客の不満をいかに面白おかしく語って聞かせるかっていうのが「五人廻し」っていう落語ですね。
噺のまくら的に廓のシステムを振っておいて、客の不満の言いざまとぎゅうたろうの弁解の面白さを部屋ごとのバリエーションで聞かせるのもあり。
多いのは、最初の部屋の不満客の場面で遊郭の説明をやっちゃうパターンですね。
ぎゅうたろうが、これが廓の遊びかただって弁解するのへ、なにを抜かしやがる、このスットコドッコイ。
オレあ、三つの頃から廓で遊んでるんだ、ってことから始まって、廓っていうシステムを客の苦情っていう形で聞かせるんですね。
どんなクセのある客を登場させて、どんなクレームを言うのかが「五人廻し」のキモなわけなんですけど、日本全国から人が集まって来る江戸の遊郭ですから、地方色を持たせた客っていうのが多く登場してくる傾向があるみたいです。
方言の分からなさ加減を、笑いのネタにする。
ま、なんにしても四つの部屋を廻って、四人の客をなだめて歩くのはぎゅうたろうです。花魁じゃないんですね。
でもって、「五人廻し」っていう演題なのに、ぎゅうたろうが相手をするのは四人です、五人じゃないんです。
これが噺のオチにつながっていくわけですね。
五人目の客のところには、花魁がいます。
そこへぎゅうたろうがやってきますね。
他の客が自分のところへ花魁が来ないなら玉代を返せって言ってまして、なだめて廻るのが大変です。
っていう話を聞けばその五人目の客としては、してやったり! モテているのは自分だけだっていうんで上機嫌になりますね。
なんだ、その持てないヤツらは一人いくら払ってんだ、ってことになって、一人1円です。
だったら、ここに4円あるよ。これを4人に払って帰ってもらいな、ってなります。
すると花魁が、
「それならば、わちきにも1円おくんなまし」
「なんだ花魁も欲しいか。1円渡すのは造作もないが、その1円をなんとする」
「1円をもらったならば、その1円を主さんに払いますんで、主さんも帰って、くんなまし」
御寺の鐘が、ごお~ん!
最後は花魁が客を廻して「五人廻し」の完成ってことでオチなんですね。
バレ噺ってわけでもないですし、廓噺っていうのがたくさんある落語の世界なんですけど、この「五人廻し」実は1941年、昭和16年に、当時の警視庁保安部によって「禁演落語」に指定されているんですよね。
卑俗的であり、低級であるってことで演っちゃいけない噺ってことになったわけです。
戦争中のキナ臭い、国威発揚の風潮に合わないってことだったのかもですけど、「五人廻し」も含めて53の演目が上演禁止。
噺家たちは今の台東区、長瀧山本法寺で「はなし塚」に53演目を葬って、法要をしたんだそうです。
なんでえ、バーロー! ってことだったんでしょうね。
警察庁じゃなくって警視庁ですから、東京、江戸落語だけが対象だったんだろうと思います。
当時の風紀的な面でなにかやらなきゃいけないっていう空気もあったんでしょうけど、お巡りさんたちもご苦労さんなことです。
敗戦後、1946年に「禁演落語復活祭」っていうのをやって、めでたく禁演解除。
2002年からは毎年「はなし塚まつり」が開催されていますね。
今だって卑俗的でイイってことは全然ないんですけど、程度問題じゃないんでしょうかね。
世の中、ご立派さんばっかしでもありませんよ。
あれも下品、これも低級っていう判断は、かなり独断的なものになりがちですし、正しさっていう概念は正義っていうのと同じで、実は1つじゃないっていうことで争いにつながっちゃいますからね。
どうも、このところ、コロナ禍っていうこともあるかもですけど、日本の不寛容な空気感が気になります。
「主さんも帰ってくんなまし」
っていうのをアソビの中に入れるっていうのはちっとも低級じゃない感覚だと思います。
それを実行するっていうんじゃなくって、概念的に許容することで不寛容から抜け出してアフターコロナに備えておきたいです。
♪あなたがジンとくるときは
♪わたしもジンとくるんです
三ツ矢サイダー、キリンレモン。最近、あんまり見かけなくなったような気もしますけど、ありますよね?
♪冷たくされてもイイんです
♪冷たくするのがイイんです
爽やかにいきたいもんですねえ。