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【ロゼッタストーン】マケドニア王朝の時に作られて、フランス軍によって発見、イギリスに保管されている「石碑のかけら」

< 2023年現在では「エジプト・アラブ共和国」が正式国名 エジプトはアラブ世界のイスラム教国 >

古代ナイル文明の国。日本では通常「エジプト」っていってますけど、紀元前3000年代からの、わりと明確な歴史を遺している凄い国ですよね。
紀元前の3000年期に、すでに王国だったんです。


漠然としたイメージで、なんとなくアフリカの国って感じがしないなあって思っていたんですけれど、正式名称は「エジプト・アラブ共和国
なるほど、アラブ文化圏なんですね。今は、ってことだと思いますけど。
なにせ文明発祥の国ですもんね。


ただですね、「エジプト・アラブ共和国」っていう国名になったのは、なんと1971年のことみたいなんですよね。


まあ、知っている人にとってみれば、そだよ、知らんかったの? ってことではあるんでしょうけれど、知らんかったです。
言い訳させていただければ、1971年当時、オトナじゃなかったですけどね。


ニュースとして、そんなにしょっちゅう取り上げられることは少ないエジプトだとは思いますが、個人的に知らないことだらけですねえ。

 

 

 


1953年にイギリスの統治から離れて1958年までは「エジプト共和国」だったそうです。


そして1971年までは「アラブ連合共和国
エジプトって名前が外れていた時期もあるんですねえ。


改めてエジプトの歴史を見てみますと、古代エジプト王国の末期、紀元前6世紀頃から徐々にペルシアの支配下に入ってからは、王権は常に周辺国に奪われた状態が続いていた国なんです。


エジプトに覇を唱えていたアケメネス朝ペルシアは、紀元前334年、マケドニアアレクサンドロス3世に侵略されて制圧されます。


エジプトはペルシアの支配下からマケドニア支配下に置かれることになるんですね。


アレクサンドロス3世が、紀元前323年、突然この世を去ってしまうと巨大なマケドニア帝国は一気に混乱に陥りますが、エジプトは紀元前305年、アレクサンドロス3世の後継者、プトレマイオス1世によって統治されることになります。


プトレマイオス朝エジプトですね。紀元前の王朝ですよ。


プトレマイオス1世アレクサンドロス3世の学友だったそうですね。
この2人の家庭教師は、なんと、アリストテレス
ギリシア文化が華やかだった頃なんですねえ。


プトレマイオス朝エジプトは、紀元前30年にローマの侵攻によって滅ぼされますが、実質的最後のファラオだったのが、あのクレオパトラ7世ですね。


埋葬地が見つかっていないっていうことなんですけど、絶世の美女クレオパトラが死んじゃったのって紀元前30年ってことですからね、無理もないことかもですよねえ。
日本だと、クレオパトラから200年ぐらい後の卑弥呼だって、お墓の話すら話題にのぼりませんもんね。


ところで、プトレマイオス朝エジプトの第4代ファラオ、プトレマイオス4世は大酒呑みだったそうです。


まあね、世襲の王権には必ずこういう困ったちゃんが出てきますよね。


臣下の讒言によって自分の母親や弟を殺害したってされているプトレマイオス4世は40歳の若さで突然死しています。
直後に王妃が殺害されているそうですから、なんか、けっこうシビアな王宮状態になっていたんでしょうね。


突然死っていっても、やっぱり殺害されちゃったのかも、って思っちゃいます。

 

 

 


で、プトレマイオス朝エジプトはわずか6歳のプトレマイオス5世をファラオに迎えます。


即位前から血生臭い異常事態もありましたし、隣国からの侵入を受けたりして、国内は大いに乱れています。


プトレマイオス5世が15歳になった頃、国中に石碑を建てて、勅令を出します。


プトレマイオス、永遠に生きよ、プタハに愛されし者」


としてファラオの正当性、偉大さを書き連ねて、様々な祭式の方法を定め伝えたりする内容の、その石碑の中の1つが、現在に伝わっている「ロゼッタストーン」なんですね。


ちなみに「プタハ」っていうのは、古代エジプトの首都、メンフィスの守護神、宇宙の創造神。


いくつもあったはずのこの時の石碑のうち「ロゼッタストーン」が見つかったのは1799年だそうで、石に刻まれたエジプト文字の解明もけっこう進んでいるみたいです。


1799年にナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際に、偶然に発見された「ロゼッタストーン」なんだそうですけど、このエジプト遠征の時、ナポレオンはアレクサンドロス3世のマネッコをして、軍団の中に学者集団を伴っていたんで、速やかに学術的価値に気が付いたってされていますね。


アレクサンドロス3世って、さすがに大王って言われるだけのことはあって、準備万端怠りなし。戦争も負け知らずっていうヒーローなんですけど、やっぱりあれでしょうか、アリストテレスの教えが影響しているんでしょうかね。


ま、悪びれずにマネッコをするナポレオンも凄いっちゃ凄いんでしょうけれどね。


エジプトの、当時ロゼッタって呼ばれていた地域で見つかった石碑だから「ロゼッタストーン


その「ロゼッタストーン」に刻まれている文字は3種類。


まずよく知られているのが「ヒエログリフ」ですよね。聞いたことあります。


古代エジプト語の「神聖文字」ってやつだそうで、エジプトの神さま、ファラオを称える文言を記すときだけ石碑、墓に刻まれる特別な文字。
ヒエログリフ」を学ぶ人間自体、高い地位を持つ者に限られていたんだそうです。


そして「デモティック」っていう「民衆文字」
同じ内容が刻まれているみたいですね。


エジプト人みんなが、っていっても教育のあった人に限られたんでしょうけれど、読める文字「デモティック」と、神とファラオに捧げるための文字「ヒエログリフ」っていうのが区別されていたっていうことなんですね。


文字そのものの持っている意味が、今とは全く違うわけです。
日本語で言う「ことのは」「言霊」っていうのが幾分近い感じでしょうかね。


ロゼッタストーン」からちょっと話はぞれますが、「デモティック」の基になった文字っていうのがあって、それは「ヒエラティック」っていう「神官文字」


これは石碑なんかに刻まれることはなくって、パピルスに書かれる行政文書専用の古代エジプト文字。


この普段使われていた文字「ヒエラティック」から、「デモティック」っていう「民衆文字」が派生したっていうのは大いに肯けるところです。


しかしまあ、ごく普通には「ロゼッタストーン」っていうと「ヒエログリフ」って感覚だったんですが、「ヒエログリフ」っていう文字は、特別で、祭式用の文字だったんですねえ。


そして3つ目が「ギリシア文字」


まあ古代のギリシア文字ってことなんでしょうけれど、あれです、プトレマイオアス朝の時の石碑ですからね、王権を担っている人たちは、マケドニア人、ギリシア文化の人たちですもんね。それでギリシア語も刻まれている。


ってことはですね、王権を担っていたマケドニア人たちは、エジプト文字を読めなかったのかもですね。


なかなか複雑な事情を持った石碑なのかもです「ロゼッタストーン


発見したのはナポレオンのフランス軍なんですけど、その後イギリス軍に負けちゃって「ロゼッタストーン」はイギリスへ運ばれることに。
それで今は「大英博物館」に保管されているってことになっているわけです。

 

 

イギリスが保管していたからこそ、今に伝わっているっていうことは間違いのないことではあるんですけれども、ちょっと前からね、


大英博物館さん、ロゼッタストーン返してよね!」


ってエジプト側から言われているらしいんです。


これはエジプトのっていうより、世界の文化財なんだからイギリスにあってもイイでしょ! っていうのが大英博物館の言い分。
まあね、そういう理屈も成り立つかもですけどね。


いやいや、それ、エジプトのものなんだから。みんな知ってるよ。っていう意見には敵わないような。。。


ロゼッタストーン」どうなるんでしょうね。

 

 

 


ところでですね、あんまり聞こえてこないニュースなんですが、Googleがですね、2020年にヒエログリフ解読補助ツールっていうのを開発しているんですよ。AIってやつの活かしどころ、なんでしょかねえ。


また違った意味で、「ロゼッタストーン」どうなるんでしょうかねえ。