< 憎めないチャッカリさん 心ふわふわウッカリさん その中間ぐらい >
って、フツーじゃんか!
まあね、そうなんでございますよ。フツーなんですけどね、このフツーがなかなか難しいような状況になってきているようにも感じるんでありますね。
コロナ前に戻るっていうんじゃなくって、コロナありき、インフルエンザありきの社会生活になっていくわけですよね、これから。
そういうウイルス野郎たちには、ちゃんと立ち向かってくれるオクスリがどしどし出てくるんだろうと思います。
ま、一般に、ドラッグストアなんかで買えるようになるまでには、まだ時間がかかるんでしょうけれど、研究開発が進んでますよ~って話が、ようやく聞こえてくるようになりました。
しかも、ここに来てようやくなんですけれども、日本の会社のオクスリが具体性を帯びてきているみたいです。
で、一旦出始めますと、1回飲むだけのワクチンとか、風邪薬みたいに服用するコロナ治療薬とか、鼻から噴霧するタイプの予防薬とか、そんなんが続々と出てきそうな気配です。
これって、今回のメッセンジャーRNA型のワクチン開発が、これまでのインフルエンザワクチンなんかと比較して、驚異的なスピードで開発されて、しかも効果が倍ぐらい高いって事実も含めて、スパコンの性能アップと、様々なDNA解析とゲノム解析が進められているおかげなんでしょうかね。
コンピュータって凄いんですねえ。って今更ながら思います。知らんけど。
で、今回のコロナ禍での生活で、一部の人に限られることではあるのかもしれませんが、顕著に変わったのは「テレワーク」「リモートワーク」っていう働き方なんじゃないでしょうかね。
これもまたコンピュータ、ネットワークの賜物です。
テレワークって「tele」+「work」で、離れた所からの仕事ってことですよね。
リモートワークっていうのは「remote」+「work」なので、遠隔地からの仕事。
ま、一緒じゃね? って感じです。
あえて区別するとすれば、テレワークのテレは、テレビとか、テレフォンのテェレですから、離れた場所同士のコミュニケーションにコンピュータが介在していなくたって成り立つような仕事の在り方。
リモートワークも言葉の意味的にはソーシャル・ディスタンスのディスタンスに近いでしょうから、テレワークと一緒だって言えそうなんですが、リモートって言っちゃうと、コンピュータ同士が繋がっていることが大前提、みたいな印象がありますから、リモートワークの方はコンピュータありき、って言えそうです。
そういえば、ゆりちゃんなんかはいつも「テレワーク」って言っていて「リモートワーク」って言わないですね。
うちは、コンピュータシステムなんか無いからテレワークなんて言われてもねえ、とか、営業職なんだからテレワークなんてやりようがないよ、っていう反論を予測していて、いえいえ、何もコンピュータに頼らなくたって、工夫次第で出来るのがテレワークなんですよ。リモートワークじゃないんですから。ってニュアンスで言ってるんでしょうかね。
こすからいことです。知らんけど。
でもまあ、2年近く言い続けられますと、結果的にいろんな会社でやり始めましたね「テレワーク」
このテレワークでずいぶん生活が変わったって人も少なくないみたいです。
2020年の春ぐらいのときには、週に1日、一人ひとり交代でって感じで始められたテレワーク。
秋口になると、週に1回出社するような、テレワーク主体になったりしました。しかも部署の全員が、一斉に。
2021年になって、オフィスに顔を出さなければいけない日が月に1回。
あるいは2か月に1回、サテライトオフィスへ、っていうようになったって人もいます。
個人事業主がサテライトオフィスっていうんじゃなくって、会社自体がこれまでのオフィスビルから出て、その時その時に合わせてサテライトオフィスを構える。
うひょ~。思い切ったことやるねえ。って思うんですが、会社側としてはオフィスビルの家賃や、社員の交通費だとか、固定経費の大幅削減ってことで、ホンキになっているんだそうです。
転勤とか、意味がなくなってしまいますよね。
でもねえ、こうなると、これまで毎日顔を合わせて一緒に仕事をしてきた人同士は、なんとかやれるとしても、新入社員とか、中途入社の人とか、どうなんでしょうね。
帰属意識みたいなものって、ゼロになっちゃうんじゃないでしょうか。
たしかに「働き方改革」ではありますが、なんかね、これまでとは違った日本人像が生まれてきそうです。
NECがPC-8801を市場に投入した1982年から、パソコンが一気に生活の中に浸透し始めて、町の写植屋さんがなくなって、メディアはパソコンの普及を「第2の黒船」なんて表現を使って盛り立て(?)ていましたね。
日進月歩ならぬ秒進分歩とかいわれることもあるコンピュータの世界は、1995年のインターネット元年を迎えてその使い方が変わって、もはや人間の生活に欠かせないものになったわけですね。
そして2020年コロナ禍のテレワーク、リモートワークによって起こりつつある生活の変化は「第3の黒船」になるのかもしれないです。
日本人の生活変容って、黒船パソコンの前に、ホントの黒船によってもたらされた明治維新がありますよね。
一気に日本人の生活が洋式に流れていった感じなんでしょう。文明開化ってやつです。
で、その後もう1回あったように思います。
1945年の敗戦ですね。
家族構成、食生活を含めて日本人の文化、暮らしが大きく変わったことは周知の事実。
1951年12月25日は、ラジオ東京、今のTBSラジオが開局した日だそうですが、その日から放送が始まったラジオドラマ「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」は、おそらく、日本人の生活行動変容がテーマだんじゃないでしょうか。
1964年まで続いたロングランのラジオドラマです。
何回か映画にもなっている「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」
どんな内容なのか、さすがに聞いたり見たりしていないので分かりませんが、データ的には、
東京郊外に住む茶刈家と迂刈家の2軒のサラリーマン家庭を中心に繰り広げられるホームコメディみたいです。
茶刈家の奥さん、里子さんがチャッカリ夫人で、迂刈家の奥さん、幸子さんがウッカリ夫人です。
チャッカリしてるねえ、っていう里子さんであっても人気のあったラジオドラマですから、あまりに利己的過ぎて憎まれるタイプのチャッカリではないんでしょうね。
自分や自分の身内に利益誘導するような言動をチャッカリというんでしょうけれど、チャッカリ夫人が人気キャラであり続けることができたのは、お相手であるウッカリ夫人の存在が大きいんでしょうね。
しかも、そのウッカリ具合が、ああ、あるあるってな感じで聞いている人の共感を得やすいウッカリだったんじゃないでしょうか。
この頃のメディアはラジオが中心ですね。
その放送時間帯には銭湯の女湯が空になるっていう評判をとった、NHKのラジオドラマ「君の名は」が1952年の放送ですから、「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」のメインリスナーも女性だったことが想像できます。
すれ違いのラブストーリーと、ありがちなご近所騒動をやらかしてくれるコメディ。
このころは、専業主婦っていう人が多かったんでしょうけれど、実に健康的な頭の楽しませ方だったように思います。
生活行動変容にうまく対応して新しい日本人の生活様式を作っていった功労者は、ラジオドラマのリスナーだった人たちだったのかもしれません。
生活アタマの良かった主婦たち。
コロナ明けの生活行動変容をリードしていってくれるのは、どんな人たちなんでしょう。
メディアもラジオからテレビ、そしてネットへとメインが変わって来ていますし、家族構成も独居生活が増えてきていますからね、「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」みたいなふうに、隣近所のコミュニケーションも薄いです。
ま、「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」に関しては、おそらくっていう想像の話なんですけれど、コロナ明けの生活の中で、明日に、その先に、その次に期待の持てるような、エネルギッシュな生活感覚を身近に感じていたいです。
前に戻るんじゃなくって、他力本願でも、チャッカリでもウッカリでもない感覚。
だ~か~ら~、それ、フツーじゃん。
そです。はいはい。そのしっかりしたフツーが変わるんじゃないのってハナシ。