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酒呑みの食いしん坊、メタボはイヤだけどガマンは嫌い。

【高杉晋作】と【都々逸】に見る 大人の遊び 充実のアフターコロナライフ 遊びって何だろ?

<大人のアソビが ゲームだけでイイのか 仕事以外 酒以外の 人生の過ごし方 日本の天才たちに学べ>

とんちんかん、いきあたりばったり、その場の思い付きでしかないような国の迷走コロナ対策について考え始めますと、何ができるわけでもない一個人でありながら、頭が痛くなってきますので、今回はアフターコロナの生活として、大人のアソビについて考えてみたいと思います。


世界的なアソビの代表といえるテレビゲームは、将来的にオリンピック競技にもなるんだそうですが、日本での環境を考えてみますと、任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売されたのは、1983年7月のことでした。


2021年現在で考えてみますと、ファミコンと同い年の人は、もう38歳になっている計算になります。


50代以下の、日本の社会を支えている中堅層の人たちは、気が付いたときには既にゲームが生活環境の中に有って、ずっと趣味にしている人もたくさん居ますよね。
1983年に20代前半だった人たちは、もう60代になりつつあるわけですから、日本人全員がゲームを趣味しているとしても、何の不思議もないわけです。


ソフト品揃えの脆弱さが取沙汰されることも多いですが、「あつまれどうぶつの森」なんかのヒットもあって、今だってはまっている大人も少なくない感じです。


ただね、どんどん新しいソフトが出てきてくれないと、いつまでも同じソフトで遊び続けるのは難しいです。
やっぱり、人間の遊びはハードではなくって、ソフトだってことなんだろうと思いますね。


ゲームの面白さってなんなんでしょう。


主人公のキャラクターに感情移入して冒険のワクワク感を体験するっていう、RPGゲームもファンは多かったですよね。私自身もはまった口です。
復活の呪文」をノートに書き書きして、入力でこんがらがったクチです。はい。


マシンガンを持って、無尽蔵に撃ちまくりながらミッションコンプリートを目指すシューティングゲームなんかは、その難易度を乗り越えるという達成感が魅力なんでしょうね。


バーチャル・サティスファクション。


遊び全般について、その面白さっていうのは、そこにあるのかもしれません。
イマ、ココ、の現実から、思考を羽ばたかせて、脳細胞を刺激しまくって、架空の世界に自分を存在させる。そうして、その時の自分の思考変容自体を「アソブ」こと。
遊んでいる状態の自分を、まず自分自身が楽しめるかどうか、ということ。


もしかすると、遊ぶ才能ってもんが、あったりするのかもです。


でもこれって、昔からそうなんでしょうか。例えば電気の無かった時代の、日本人の遊びって、何があって、何が面白かったんでしょうか。


テレビが有ろうが無かろうが、やっぱり遊びに求められていたものは同じだったんでしょうか。


みなさんご存じかとは思いますが、平安時代の “うたあそび” 「白拍子の今様」にこういうのがあります。

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♪遊びをせんとや生まれけん

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♪戯れせんとや生まれけん

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♪遊ぶ子供の声きけば

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♪我が身さえこそゆるがるれ


白拍子っていうのは、平安時代の芸能人で今様と言われた流行り歌を歌いながら舞っていた女性だそうで、源義経の恋人「静御前」が有名ですね。
上の歌は静御前が歌い、舞ったものでは無さそうですが、言ってみればシンガーソングライターダンサーみたいなものだったのかもしれません。


歌の文句と声、そして踊り。芸能干渉という「遊び」


言葉としては現在と同じ「遊び」ですが、21世紀の我々と同じ感覚で捉えていいものなんでしょうか。


「遊びをせんとや生まれけん」の歌の解釈にもいろいろありそうです。


積極的な意味に解釈すれば、遊ぼう、悪戯しよう。そのために生まれてきたんだからさ。きゃあきゃあはしゃいでいる子供の声が聞こえてくれば、自然にウズウズしてきちゃうよね。


でもねえ、どうでしょうねえ。アッカンベエ48の歌じゃないですからねえ。


白拍子の踊りって、日本舞踊の原型みたいなもんでしょうから、しずしず、って感じなんだとすると、歌の意味も違ってくるかもしれません。
少なくともキャアキャア、ワイワイする踊りでは無かったでしょう。
違った方向の解釈も出来そうです。


自分は、何のために生まれてきたのか。戯れごとをするためなんだろうか。元気な子供の声を聞けば無邪気だった頃のことを思い出して、今の自分がどうしようもなく揺らいでしまう。あの頃の自分はどこへ行ってしまったのか。生きることは虚しいものですねえ。


梁塵秘抄」に載っている今様ですが、こんなような解釈をしている人が居るのかどうか知りませんが、個人的には後者に受け止めてしまいます。


その方が “艶っぽい” から。


時の権力者にしてみれば、そういう問いかけは、かなりくすぐられるものがあったりするんじゃないでしょうか。知らんけど。


白拍子の歌と舞は「仕事」ですし、色を売りにしている部分も少なくなかったとも思うんですよね。知らんけど。。。です。

 


そういう「芸能」を提供する側と、享受する側の「遊び」


男女間のことに限定されてしまう感じもありますが、大人ですから “艶っぽい” 要素があった方が「遊び」の面白さを堪能できそうです。男女ともに。
もちろん、男女差や、身分制度なんか、今と全然違うわけで、令和の現在にそのまま当てはめるのは無理でしょうけれどね。


2021年のNHK大河の主人公、渋沢栄一は、江戸時代、天保11年2月13日、1840年3月16日の生まれですが、現在まで続く、多くの日本企業の基礎を作り上げた偉人です。


江戸末期は、日本の奇跡と言われている期間で、幕府崩壊と同時に、西欧列強が植民地として日本を呑み込もうとしていたタイミングでもあるわけですから、並大抵の手腕では乗り切れなかったはずですが、不思議に、幕府側にも薩長側にも「天才」が頻出しているんですよね。


渋沢栄一もその一人ですが、その功績の割には知名度はイマイチ、かもしれないですね。


【忠七めし】で登場していただいた「山岡鉄舟」もそうですね。


もちろん、知っている人にとっては、その偉大さは他に比べ得るものがないはずですが、西郷隆盛勝海舟坂本龍馬なんかと比較しちゃうと、業績に比例した名前になっていないかもしれません。


幕末の天才たちは驚くほどたくさんいます。


高杉晋作はご存じでしょうか。


歴史好きなら当然知っている、幕末のヒーロー、その第一人者なんですが、知らないって人が案外多い感じがします。
「あ、名前、聞いたことある」っていう程度。


高杉晋作は、天保10年8月20日1839年9月27日の生まれですから、渋沢栄一より1つ年上になります。完全な同時代人ですね。


渋沢栄一は長生きして、1931年11月11日、昭和6年11月11日に91歳で亡くなっていますが、高杉晋作は時代が変わる直前、1867年5月17日、慶應3年4月14日にこの世を去っています。肺結核だったそうです。


27歳。当時にしても早すぎる死でした。土方歳三と並ぶ幕末の美丈夫。そっちの方で人気があったりしますね。


坂本龍馬にピストルを送ったのは、高杉晋作だとされています。
知識だけでなく、並外れた実行力の人だったようです。


長州藩は幕末に実に多くの天才たちを排出していながら、その多くを明治まで生かすこと適わず、時代に流されていった感がありますね。


奇兵隊を組織して一気に近代軍隊を作り上げた高杉晋作。高杉以上の才能だったと言われる久坂玄瑞。その二人を松下村塾で指導していた吉田松陰
みんな若くして世を去っています。日本としての才能損失。


久坂玄瑞木戸孝允山縣有朋 の秀才たちが、その才能、そのエネルギーに恐れ入ったとされる高杉晋作ですが、伊藤博文が評した、


動如雷電、発如風雨 <動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し>


という言葉は、碑文にも刻まれています。凄い評価ですよね。


おいそれとは近寄りがたい、凡人には推し量れない才覚。どえらい人だったんでしょうね。それでいてイケメンですから、モテモテだったのは間違いなさそうです。


この高杉晋作が「遊び」が大好き。しかもカッコ良く、流行に乗って遊ぶ。そりゃモテますよね。
動如雷電、発如風雨ではあっても、オカタイ男ではなかったらしく、人の機微に通じていた男だったことを偲ばせるエピソードがあります。


はねっかえりの寺の娘、奥村五百子という女傑も有名な人で、明治時代の愛国婦人会創設者ですが、幕府側の唐津藩の密使として男装し、長州に単独で潜入しようとしたとき、下関で捕らえられてしまうんですが、女であることを見破ったのは高杉晋作、ただ一人だったと奥村五百子自身が語り遺しています。


高杉はジンブツであったという、女傑の評価です。


この時まだ十代半ばを過ぎたばかりであったろう奥村五百子もまたジンブツで、捕らえられても慌てず騒がず、長州藩家老への面談を求めて、ちゃんとその役割を果たしたんだそうです。


ジンブツはジンブツを知るってことなんでしょう。男装の密使と家老との面談。ここにも高杉晋作の手配が感じられます。
奥村五百子を捕らえたのが高杉晋作でなかったならば、命のあるはずもなく、後の明治34年、愛国婦人会の創設も無かったでしょう。


高杉晋作と言えば、ということで残っているのが、辞世の句、


「おもしろき こともなき世に おもしろく」あるいは「おもしろき こともなき世を おもしろく」


そして、なんといっても、都々逸(どどいつ)です。


「三千世界の 鴉を殺し 主と朝寝が してみたい」


女を横抱きにして、自分で三味線を弾きながら歌って聞かせたそうです。
ちゃんと大人の遊びを知っていて、巧かった高杉晋作


都々逸は「都々逸坊扇歌」という芸人が流行らせた七・七・七・五の定型詩


都々逸坊扇歌という人は1804年生まれで1852年に亡くなっているそうですから、高杉晋作が10歳の頃にはこの世に居ないんですね。
まあ、高杉晋作が大人になっていく間も、都々逸がずっと流行っていたっていうことなんでしょうけれども、時代の流行りにも敏感で、粋な遊び方だったんでしょうね。


言葉の遊び、芸能っていうことを考えてみますと、漫才はM1だとかもあって今も隆盛と言えそうですし、落語も今は少し下火になったかもしれませんが、繰り返しブームがあります。
神田伯山という人が出てきて講談の人気も盛り返している感じです。


ところが1人都々逸だけが取り残されてしまっていますよ。


調べてみますと、NHKラジオに「文芸時評」という番組があって、俳句、短歌、川柳とともに都々逸も放送していたらしいんですが、2012年で都々逸だけ終了してしまっているみたいです。


新たに都々逸を作る人が居ないかというと、そんなことはなくって、常陸太田市教育委員会が主催している「都々逸全国大会」というのがありますし、他にもいくつかあるようです。落語の林家一門が主催しているのもありました。


高杉晋作の男の器量に適うべくもありませんが、どうでしょうか、都々逸をひねってみるのは。


俳句、短歌にはない艶。川柳にはない真剣味。
呑みながらっていうのもイイかもです。遊びです。粋な大人の。


都々逸なんてさあ、知らないもんね。などとおっしゃるなかれ。
意外と身近に残っているもんなんですよ、これが。


「立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は 百合の花」


これ、都々逸です。作者は不詳。粋な大人は自分の名前を残すんじゃなくって都々逸を残しているってことです。


「人の恋路を 邪魔する奴は 馬に蹴られて 死んじまえ」


うはは、ですね。これも都々逸。ちと川柳寄りでしょうかね。


「惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里」


「戀という字を 分析すれば 愛し愛しという心」


「恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす」


都々逸を読むのに男も女もない感じです。


頭に5文字をかぶせる「五字冠り」という形式もあってですね、


「この酒を 止めちゃ嫌だよ 酔わせておくれ まさか素面じゃ 言いにくい」


日本人ならでは、という気がします。イイ都々逸です。艶っぽい女、が浮かんできます。


「あの人の どこがいいかと 尋ねる人に どこが悪いと 問い返す」


こういう粋な感じがあれば、呑んでクダ巻くってことは無くなるんじゃないでしょうか。


大人の遊びも大事です。


長くなりましたので、〆です。最後にサザンオールスターズ。「東京シャッフル」


「恋の花咲く ロマンの都 女ばかりに 気もそぞろ」
「夢もほころぶ 小意気なジルバ 君と銀座の キャフェテラス」


任天堂がコロナ禍のゲーム需要で高収益をあげたそうで、おめでとうございます。
でもでも、都々逸ブーム、来ませんかねえ?!


男は女に、女は男に、もっと寄り添っていけたら 平和なアフターコロナ、でしょねえ。どでしょかねえ。